わんだふるはうす R134を行く

文学記念碑「太陽の季節」&珠屋洋菓子店

横須賀から大磯まで、湘南の海岸沿いを東西に走る国道。それがルート134号線。湘南でサーフィンする人なら必ず通るこの道路を、2005年〜2009年にかけて、ワンダフルハウスが走破しました。このコーナーでは文学記念碑「太陽の季節」珠屋洋菓子店をご案内いたします。

渚橋を渡ると、標識の横に金色に光る物体が見えました。
2005年7月 2005年12月
ここには以前は、海岸へ降りる階段しかなかったのですが…
2005年11月23日、小説「太陽の季節」誕生50周年を記念して、逗子海岸の東浜に文学記念碑「太陽の季節」が出来ました。地元の熱心な石原慎太郎ファンを中心に、逗子市の各種団体の代表者が一堂に会して文学記念碑建立のための実行委員会が結成され、企画、設計、施工総てに関与して完成されました。
記念碑が建つステージは逗子海岸の浜辺と一体になっていて、海のイベントのステージや表彰台にも使われています。
「太陽族」という言葉を生み出し、社会現象を巻き起こした石原慎太郎氏は鮮烈なデビューを飾り、この作品で芥川賞を受賞したのです。
「おおっ! 岡本太郎氏の『若い太陽』が付いています!(^O^)\」
これは大阪万博の有名な『太陽の塔』ではなくて、前年の1969年に作られた愛知県犬山市の「犬山ラインパーク」(現在の日本モンキーパーク)のシンボルタワー『若い太陽の塔』に付いてる顔がオリジナルです。
岡本太郎氏は石原慎太郎氏が心から尊敬する数少ない芸術家でした。年の差に21歳の開きがありますが、学生時代にフランス文学に近づいた慎太郎氏にとって、シュールレアリズムの渦中で活躍する太郎氏は、尊敬して止まない大先輩でした。ピカソの時代には、他のシュールレアリズムの作家がほとんどかすんでしまっていた、と語る慎太郎氏にとって、太郎氏だけは別格だったようです。記念碑は、慎太郎氏が太郎氏の「若い太陽」を必須のモチーフとして買い求め、合体させたものです。
「おっ、舘ひろし氏と徳重聡氏もここに立っていたようです(^O^)\」
2005年11月23日に記念碑の除幕式が行なわれ、8000人近い人が逗子海岸に集まり、除幕式と石原軍団の炊き出しを堪能しました。
「おや?石原軍団が勢揃いしたようですが、大御所の神田正輝氏がいませんね?(^-^)\」 「ワンダフルハウス君、後ろを振り向いてごらん!ミ(゚3゚)ミ」「おおっ!? (゚O゚)\」
「こ…これは!?(゚O゚)\」
「さすがに石原軍団のボス格です!神田正輝氏のサイン入りメッセージタイルを発見しました!\(^O^)/」
「さあ、こっちも見て!ミ(゚3゚)ミ」
「おーっ! これは凄い!(゚O゚)\」
「富士山と江の島がくっきり見えます!(^O^)\」
「階段の下に写真が飾ってありますよ?」
石原慎太郎氏の長男・伸晃氏、次男・良純氏。三男・宏高氏、四男・延啓氏です。彼らのおやつは珠屋のロールケーキでした。
JR逗子駅前、賑やかな逗子銀座商店街に1950年創業の珠屋洋菓子店があります。建物を建て替えて2007年3月20日にリニューアルオープンしたので、この旧店舗はもう存在していません。創業当時の店舗は、珠屋今昔物語で見ることができます。
珠屋にはレストランも併設されています。飲み物はクリームソーダがいいですね。
1950年当時の逗子市内には喫茶店が2店しかなく、そのうちの1つが珠屋でした。昔、子供の頃に味わったバタークリーム系のケーキが多く、昭和40年代の日本の洋菓子店を思い出させる貴重なお店です。
創業当時は高校生で横須賀線で通学していた石原慎太郎氏と裕次郎氏は、珠屋の喫茶室をよく利用していたようです。
クリームソーダ(650円)とスパゲッティ・イタリアン(890円)とピーチロール(270円)を注文しました。
スパゲッティー・イタリアンにサラダ(+50円)とスープ(+50円)もセットにしました。
「おおっ!? これは懐かしい!銀の楕円形のお皿です!(^O^)\」
2007年3月20日にリニューアルオープンしてからは、この銀のお皿は使っていないそうです。
パスタは太め。具はピーマン、玉ねぎ、ハム、マッシュルーム。味付けはトマトケチャップ。これぞ、基本に忠実な喫茶店のナポリタンの姿であります。粉チーズはこれでもかと言わんばかりに、ドバドバふりかけていただきます(^Q^)
そしていよいよ、石原良純氏の宣伝によって一躍全国区になったピーチロールの登場です。
「ショーケース一番下の段を御覧ください。中央左側がピーチロールです…お客さんがドッと押し寄せてきました…あれだけ数があれば売り切れることはないでしょう(^-^)\」
「ん?(^-^)\…ショートケーキの右側にたくさんあったはずのピーチロールが一瞬のうちに売り切れています!(゚O゚)\」
「真ん中の段の左の方にピーチロールのホールサイズがありました」
「スイスロールというのもありますね」 「下の段を見ててごらん!ミ(゚3゚)ミ」「おおっ!? (゚O゚)\」
2009年11月現在、スイスロールは1760円、ピーチロールは1850円に値上げされています。
「ピーチロールが満タンに補充されています!\(^○^)/」
珠屋を代表するロールケーキ「ピーチロール」は、お店のケーキとしては新しい方ですが、それでも誕生から半世紀を越えたそうです。いつの時代も愛されてきた珠屋を代表するロールケーキです。
2009年11月現在、ピーチロールは270円に値上げされています。
子供の頃、お土産のケーキの箱をワクワクしながら開けるとロールケーキが入っていて、「ショートケーキだったらよかったのに…」とがっかりした記憶があります。
華やかなショートケーキに比べて、シンプルなロールケーキは身近な存在だったからでしょう。今でもロールケーキを食べるとなんだか懐かしい味がしますね。
「これ、お土産だよミ(゚3゚)ミつ□」「わーい!珠屋のケーキです!□\(^O^)/」
「では、私はショートケーキを…△\(^Q^)」
ピーチロール
270円
「ショートケーキは私が食べるために買ってきたのです。子供にはロールケーキで十分ですミ(゚3゚)ミつの」
「ふわふわのスポンジに、みずみずしい黄桃と口溶けのよい特製生クリームをたっぷり巻き込んだ、シンプルで軽やかなロールケーキ…それがピーチロールです。
珠屋では、遠赤外線効果から生まれる美味しさと安定した品質を保つために石釜を採用し、伝統のレシピに忠実に“珠屋の味”を守り続けているそうです。お菓子で石釜を使用しているケースは非常に珍しいのですが、遠赤外線効果で外側がパリッとして中はしっとり。材料の旨味が生きて、とてもコクのある味に仕上がるのだそうです。
「石原良純氏は、このように外側から食べていました…実は私のロールケーキの食べ方も同じなのです」
「生クリームと桃がたっぷりの一番美味しい部分は最後に食べるのです(^Q^)」
地方のお客様にも作りたての美味しさをお届けしたいと、瞬間的に美味しさを封じ込める冷凍機 ショックフリーザーを採用して、生クリーム商品の地方冷凍発送が可能になったそうです。ピーチロールは、こちらで買えます。
「2個目はメロンケーキを…Ю\(^Q^)」
スイスロール
300円
「メロンケーキも私が食べるために買ってきたのです。子供にはロールケーキで十分ですミ(゚3゚)ミつ@」
スイスには色々な種類のロールケーキがあります。代表的なのは、レモン風味のバタークリームを塗った「ルーラード・オ・シトロン」。その他、季節の果実を巻き込んだり、チョコレートクリームを巻いたりと、バリエーションは数え切れません。ロールケーキをスイスロールと呼ぶことがあるのは、こんなところに理由があるようです。
1950年の創業当時、ロールケーキはクリームの絞りなどを施したケーキより比較的作りやすかったということもあって、スイスロールは開店当時から作っていたそうです。
上面に固く煮詰めたアプリコットジャム、アーモンドスライス、網目に描かれたアイシングが飾られています。
スイスロール ピーチロール
「ピーチロールとはスポンジの質感が違います! ピーチロールのふわふわしたスポンジに比べて、キメの密なしっかりとしたスポンジになっています!」
真っ白いバタークリームを一緒に巻き込んであります。
ピーチロールのふわふわスポンジとは違う、どっしりしたスポンジはとても食べ応えがあり、甘さもしっかりしています。
この固めのスポンジがバタークリームのなめらかなコクとぴったり合うのです。
スイスロールといえば、日本ではスーパーでおなじみの山崎製パンが昭和30年代に発売した「スイスロール」が、一般家庭のおやつとして普及しました。珠屋の「スイスロール」は昭和25年発売なので、もっと古い歴史のあるお菓子なのです。
「やはり、真ん中が一番美味です!(^Q^)」
1960年に日本洋菓子協会から刊行された「日本洋菓子史」によると、ロールケーキは1906(明治39)年頃には京都の桂月洋菓子店で売られていたそうです。また、1910(明治43)年には京都の私立家庭割烹学校の講習会で開新堂京都店の村上清太郎氏がロールケーキを指導したとの記述があります。さらに、東京では「1923(大正12)年の関東大震災の後、シュークリームとロールケーキを合わせて10銭売りをしたらよく売れた」という話も記されています。つまり、ロールケーキは明治末には市販され、大正末にはかなり一般的になっていたようです。
「3個目はウインナーコーヒーでも飲みながらザッハトルテをいただきましょう…▲\(^Q^)」
ザバロール
300円
「ザッハトルテも私が食べるために買ってきたのです。子供にはロールケーキで十分ですミ(゚3゚)ミつ@@」
「真ん中の美味しい部分が2ヶ所あります!\(^○^)/」
「ザバロール」の“ザバ”という名前は、珠屋オリジナルの名前で、創業当時に付けられた名称なので、現在は由来が何から名付けたのかは不明とのことです。珠屋ではケーキの生地(スポンジ、ビスキュイ)のことを“ザバ”と呼んでいるので、そこから名付けられたかもしれません。また、ザッハトルテの“ザッハ”を珠屋風に付けたのでは、との説もありますが、これも正解かどうかは不明だそうです。
ウィーンのホテル・ザッハーの菓子職人フランツ・ザッハが1832年に作り出した、世界で最も有名なチョコレートケーキ「ザッハトルテ」。
ザッハトルテ
380円
珠屋のザッハトルテは風味豊かなチョコレートを練り込んだスポンジにアプリコットジャムをはさみ込み、上からチョコレートをコーティングしたホテル・ザッハー・タイプ。1950年代に日本人向けにアレンジして発売したものを、そのまま作り続けています。
「私はホテル・ザッハーのもデメルのも本場ウィーンで食べましたが、結局、珠屋のが一番美味でしたミ(゚3゚)ミ」「マ…マジですか!?(゚O゚)\」
「ロールケーキはもう飽きたのでシュークリームとエクレアをください…○■\(^Q^)」
「たった今、裕さんが遊びに来たので、私はモンブランを食べ、残りは全部あいつに食わせることにした。この箱は持って行くぞ □ミ(゚3゚)ミ」「\(゚O゚)\」
石原家のおやつは珠屋のロールケーキでした。

石原慎太郎氏「珠屋は新しく建て替えたのか」
「喫茶室は変わったな」
「ケーキは昔と同じだ。変わらないほうがいい」
「私の家では、ロングサイズのロールケーキはめったに買いませんでした」
「あれです」
「スモールサイズを4等分にしていたのです」
「子供のおやつにはロールケーキで十分です」
続く

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