1960年代の金子系データ

堀内誠一 金子功 大橋歩
三宅一生 川久保玲 山本耀司
出来事
1956(昭和31) 堀内誠一、伊勢丹百貨店を退社。日本織物出版社に入社。
1957(昭和32) 日本織物出版社は、AD(アド)センターと改称、その設立メンバーとなる。
―――企画とデザイン制作会社として再出発し、社長・鳥居達也、専務・今井清、常務・堀内誠一。会社は新宿花園町三友ビル4Fにあった。
日本の流行研究と発表機関「ADセンター・ファッション・グループ」(AFG)結成。
―――ファッションディレクター・長沢節、アートディレクター・堀内誠一。他のメンバーに中村及武夫、久我アキラ、西田武夫、平田暁夫など。プロデューサー・今井清、カメラマン・立木義浩、笠貫節。
1958(昭和33) 金子功、文化服装学院入学。(3年)同級生に高田賢三、荒牧政美(太郎)、松田光弘、コシノジュンコ。
金子功、セツ・モードセミナー入学。(夜間)(2年+研究科1年)上級生に花井幸子、ユミ・シャロー(高木弓)。同級生に荒牧政美。下級生に堀切ミロ、川村都。金子さんが卒業した年に、ムゲンのプロデューサー・浜野安宏が入学。(日大芸術学部映画学科との掛け持ち)
1959(昭和34) 暁星高校1年生の山本耀司、セツ・モードセミナーの土曜教室に通う。
三宅一生、多摩美術大学図案科入学。
雑誌「週刊平凡」(平凡出版)創刊。ADセンター企画でグラビア特集頁「ウィークリーファッション」連載開始。
―――堀内誠一「ウィークリーファッション」アートディレクター(創刊号から’62年頃の100余号まで)
―――金子功「ウィークリーファッション」デザイナー、ファッションディレクター(’61年から)
「週刊平凡」…戦後復興期の人々に娯楽情報を提供する目的で創刊、100万部強の部数を誇った。初めてファッション頁を掲載した週刊誌で、「ウィークリーファッション」は、当時は珍しいカラー頁を含んだ。従来のスタジオ撮影から屋外ロケにこだわり、カメラマン・立木義浩と共にロケ先等の決定を行う。ロケ場所に合わせファッションをコーディネート。ストリートファッション頁のはしりで、後のヴィジュアル誌(anan)への実験的役割を果たす。
花井幸子さん「週刊平凡にウィークリー・ファッションていうページがあったんです。これは日本のファッション写真の草分けね。それまでは足を揃えてニッコリポーズ、洋服がハッキリ見えなきゃいけなかったでしょ。このページだけは、もっと風俗的なとらえ方をした初めてのタイプ。背景に街をとり入れたり、服なんか全部見えなくても雰囲気を見せる、とか。時代感覚のあるファッション写真ね。これをずっと撮ってたのがタッちゃん(立木義浩)、彼もADセンターだったから。それで、このページのための洋服を、ときどきあたし達が作っちゃうんです。デザインをきめて、生地を買ってきて……目白のほうの洋裁店に持って行って縫ってもらう」
ユミ・シャローさん「下北沢で木綿を買って作った服、どんなデザインだか忘れましたが、こんなの撮れるか、ってタッちゃんに帰られちゃったり。撮影してるそばで次の週に撮るセーターを必死になって編んだり。忙しかったけど楽しくて楽しくて。あんまり大変で、もう一人ほしいということになって、私たち金子さん、金子さんて言ったのよ。彼の絵が大好きだったから。ADセンターに金子さんが初めてきた日、3階の窓から見ていたら、門を入って道の端っこを通って心細そうに歩いてくるの。私たちダーッと階段を駆け降りて迎えに出ました」
「週刊平凡」の創刊と前後して、アドセンターは渋谷南平台の旧トルコ大使邸へ移転。
1961(昭和36) 金子功、ADセンターに入社。
1964(昭和39) 大橋久美子さんがVANに持ち込んだスタイル画が、企画部長の石津祥介さんに認められ、「メンズクラブ2月号」に大橋さんが描いた絵が載った。→デパートやメンズショップの店頭にディスプレー風に広げて置かれる→これが、平凡出版(現マガジンハウス)の清水達夫さん(故人・元マガジンハウス名誉会長)の目に止まり、新雑誌「平凡パンチ」の表紙のイラストレーターに抜擢される。
大橋久美子、多摩美術大学を卒業。
川久保玲、慶応義塾大学文学部美学科を卒業。
川久保玲、旭化成宣伝部に入社。
週刊誌「平凡パンチ」(平凡出版)創刊。ADセンター企画で男性ファッション頁「PUNCH MEN’S MODE」連載開始。「ウィークリーファッション」の立木義浩と再コンビで誌面作り。
―――堀内誠一「PUNCH MEN’S MODE」アートディレクター
―――金子功「PUNCH MEN’S MODE」ファッションディレクター
―――大橋歩 表紙イラストレーター(創刊号から’71年末まで)
大橋久美子さんは、「無名の画家だけに男か女かわからないペンネームにしたほうがいい」という清水さんの勧めで、大橋歩という名前でデビューすることになった。
「平凡パンチ」…初めて読者層を若者に限定した男性週刊誌。高度成長期を背景に若者文化をイメージ化し、ファッション消費者層を形成した。
1966(昭和41) 山本耀司、慶応義塾大学法学部を卒業。
山本耀司、文化服装学院師範科入学。
「平凡パンチ 女性版」(平凡出版)創刊。ADセンターの企画で新しい女性誌「アンアン」創刊準備号となり、活字主体の女性誌から、写真・イラスト中心のヴィジュアル誌という新しいスタイルの模索がされる。
―――堀内誠一 アートディレクター(1〜4号)
―――金子功 デザイナー、ファッションディレクター(1〜4号)
―――大橋歩 表紙イラストレーター、エッセイスト(1〜4号)
「平凡パンチ 女性版」…「平凡パンチ」は、日本初の若者をターゲットにした男性雑誌であった。平凡出版の清水達夫副社長(当時)は、その女性版を作ろうとADセンターに企画を依頼。’66年に「平凡パンチ女性版」を刊行した。以降4号まで出された雑誌は、すべて堀内がアートディレクターをつとめ、ここで「アンアン」に連なる写真やイラストを多用したヴィジュアル雑誌の試みを行っている。
「平凡パンチ 女性版」第2号発行
1967(昭和42) 川久保玲、旭化成を退社。フリーランスのスタイリストになる。セツ・モードセミナーに3ヶ月通う。
山本耀司、文化服装学院デザイン科編入。
1969(昭和44) 川久保玲、「コム・デ・ギャルソン」をスタート。’72年に原宿の直営店ができるまで、鈴屋などで売られていた。
アド・センター常務取締役を辞任して退職。フリーランスとなる。堀内グラフィック研究所設立。
平凡出版の清水達夫副社長(当時)の新女性誌「アンアン」創刊構想に呼応して。清水は、新しいスタイルの女性誌のアート・ディレクションを全面的に堀内に任せ創刊を目指した。
12 「平凡パンチ 女性版」第3号発行
1970(昭和45) 「平凡パンチ 女性版」第4号(最終号)発行
「アンアン」(平凡出版)創刊
―――堀内誠一 アートディレクター(創刊号から’72年の49号まで) タイトルロゴ・デザイン
―――金子功 デザイナー、ファッションディレクター(創刊号から’72年の49号まで)
―――大橋歩 イラストレーター、エッセイスト
「anan」…フランスファッション誌「エル」との提携、横文字タイトル、大型カラーグラビア頁をもつ(そのための印刷機は当時日本になく千代田グラビヤが特注設置)新しい試みの雑誌の登場は、活字から写真が誌面の中心となる雑誌編集の過渡期に大きな話題を呼んだ。
従来の型紙付き服飾誌と一線を画し、既製服の選択と組合せのセンス等での自己表現をみせるファッション誌。女性の経済力の向上、消費生活の拡大に呼応して夢のライフスタイルをイメージ化。雑誌は「娯楽」情報誌から「消費」情報誌へと変化し始める。
アヴァンギャルドな内容は部数的な成果に結びつかなかったが、海外ロケを売りに旅とファッション情報中心のヴィジュアル誌の登場は、すぐに競合誌「nonno」(’71年集英社)を出現させ「アンノン族」という若い女性スタイルをうみだした。
1971(昭和46) 三宅一生、「イッセイ・ミヤケ・インターナショナル」設立。
1972(昭和47) 金子功、「ピンクハウス」設立。
山本耀司、「ワイズ」設立。

参考資料
「堀内誠一 雑誌と絵本の世界」展資料集 1999年8月21日(土)〜10月3日(日) 平塚市美術館
三宅菊子著「セツ学校と不良少年少女たち」1985年1月12日 じゃこめてい出版発行


平凡パンチ女性版

1966年
発行月日 内容 撮影 デザイン ヘア&メーク モデル ページ数
6・10(No.1) PARTY
「パンチガールのパーティードレス」(白黒)
銀座・ソニービルにて撮影。
立木義浩 金子功
花井幸子
コシノジュンコ
伊藤公
松田光弘
黒田茂子
THE LAST MAN ON EARTH
「誌上映画 地球最後の女」(白黒)
”最も耽美的なSF”アルフレッド・ベスター作「THEY DON’T MAKE LIKE THEY USED TO」(邦訳「鋼鉄の音」佐藤典夫訳・SFマガジン1966年12月号所載)を映画化した作品。茅ヶ崎のパシフィックパーク・ホテル、葉山マリーナ、豊島園(ゴーカート)でのロケ。
金子功 ナトリ・ミワ
河村光一郎
PUNCH GIRLS INTERIOR(白黒)
”ナニからナニまでハナにてっていしたこの部屋の持ち主は若いデザイナーの金子功クン。モデルは奥さん立川ユリ。ねまきのような部屋着はローンの花プリント。丈はひざ上10センチ。
U.KONISHI 立川ユリ
8・10(No.2) ATTACK FASHION!!
「アタックファッション発表! もっと肌を出そう! 攻撃しよう」(白黒)
アタックファッション 銀座松屋で発表! このグラビアページのファッションを格安で売りだします。約5,000円〜6,000円。人気コンクールも実施。1点限りにつきおはやいが勝ち。
ところ 銀座松屋4階「ビル・ド・バンタン」
期間 7月27日〜8月3日
立木義浩 名和好子
NIGHTY MODE
「セックス・アピールの時間です」(白黒)
キミはマリリン・モンローじゃないんだから”すけるお色気”を売りものにする必要はない。キミのナイトウエアはもっと可愛らしいセックス・アピールをふりまくようにしてほしい。ここでそのテクニックのいくつかを紹介しよう。
新宿小田急2階ランジェリー・コーナーで7月30日から展示。
金子功
伊藤公
松村真佐子 立川ユリ
1969年
12・24(No.3) FASHION TEACH‐IN
MODEの無政府主義者たち「われらジプシー 流浪の思想」(白黒)
対談・金子功×堀切ミロ×川村都
if’70
「来年もし○○だったら?!」
’70年はどうなるノ?はっきりワカってるのは、パンチ女性版がミゴト生れかわって、画期的な女性誌が誕生するってことだけ!さて多士才々のセンパイたちの予想を見よう!
金子功クンのイフ’70…ニューヨーク。東京。パリ。ロンドン。若い風俗感覚が共通な四つの都会。この四つの都会の風俗の革命児たち。かっこいいスノブたち――。彼らはもう、きどったオートクチュールのつくり出す”ファッション”なんか、かなぐり捨ててしまった。とっくに、興味さえ、なくしてしまった。そのスノブたちが身にまとうもの――それは、土の、汗の、そして悲しみのにおいのする民族の衣装だ。インディオや、ニューギニアや、ジプシーの衣裳。その色は土の色。そのにおいは動物のにおい。共通の感覚。その”共通感覚”を、スノブたちは”自由”と解釈するのだ。その”自由”を身につけるのだ。ジプシーという、仮の姿に化けた女が、都会の街に現われて、そして消える。そんな女たち。かわいいスノブたち――。
金子さんのイラストも掲載されている。
PUNCH JOURNAL
この号に登場の人たちご紹介(白黒)
金子功…洋服(女の子のドレス)をつくっています。いつも、女らしいドレスを作ろうと思ってがんばっているわりにはいい洋服が出来ないとけんそんしています。30歳。
大橋歩…「平凡パンチ」の表紙を担当。海外取材ではいつも泣きベソで予定を1週間も早く帰国。目下エッセイが書きたくてウズウズ。28歳。
川村都…ブス連の会長だが、とてもかわいい人。最近、マンネリ気味と感じ、それを破るべく、来年はアメリカに渡り、2,3年描きまくってくるそうです。25歳。
堀切ミロ…ファッションの仕事をじっくりするのは気が向いた時の夜中、だから横浜の家にはあまり帰りません。別荘みたいなものですネ。25歳。
立木義浩…徳島生れ。高校時代、連日大阪まで飛んで「エデンの東」を70回観て、カメラでパチパチ撮ったが、いまはTVのをビデオして大喜び。31歳。
立木三朗…立木義浩氏の実弟、家族じゅうがカメラマン。ファッションの仕事が多いが、本人はコンポラ写真を撮っていたいという。27歳。
高木弓…パリのオペラ座の隣にあるお店で既製服のモデリストとして活躍。西パキスタンを回って来春3月、3年ぶりに帰国の予定。29歳。
長沢節…セツ・モード・セミナーの校長先生。学校で政治や理想国家の話をしたり、騒いだり、ピンクの服で歩いていたり、生徒みたいな先生です。
1970年
NEW!2・26(No.4) TEACH‐IN
「エル調ってナアニ?」(白黒)
出席者…長沢節、金子功、松田光弘、荒牧政美、ジャンヌ・コビー(東大研究生)、ベニー・べスゲバルド(東大研究生)
フランスのいや全世界の女性のあこがれである「エル」誌のファッションやおしゃれとはどんなものでしょうか。定説はありませんが、しかし、だいたいこんなものだというアウトラインは、パリジャンはちゃんとつかまえているのです。それではいわゆるその”エル調”とはどんなものか――”エル調”の権威者にそのエッセンスを語ってもらいましょう。
MODE
オンナにも見せたい下着「赤いカノコの思い出は チラチラ見えて」(白黒)

エッセイ・大橋歩
赤いカノコの思い出はチラチラ見えてる長襦袢です。長い袖からはみだした長い赤い長襦袢です。赤いカノコの思い出は金襴緞子(きんらんどんす)の花嫁さんの歌です。泣き泣き嫁いでいく花嫁さんの後姿です。赤いカノコには夢があります。遠い昔の淋しい夢です。背伸びして大人になりたい夢もあります。金子功さんの赤いカノコの下着にはやさしいあたたかさがあります。何故だか金子さんだけの遠いカノコの夢みたいです。
金子さんの家でのロケ。
吉田大朋 金子功
コシノジュンコ
立川ユリ
PUNCH JOURNAL
この号に登場の人たちご紹介(白黒)
立川ユリ…こんど本誌の仕事でパリに行けるのが最近では一番のうれしい出来ごとだそうです。とても女らしい、やさしい、純粋な人、例えば、童話に出てくるお姫さまみたいです。好きなコトは、ゴーゴーを踊るのと、いろんなお店で食べることと、ショッピングが三大楽しみですって。おもしろいでしょう。24歳。
吉田大朋…青いドアを開けると、黒いメガネをかけた大朋さんが顔を出す。白いテレホン、青い木箱、白いテーブル、青いカーテン、白いカベ、青いスイッチボタン、室の中は青と白の世界、本人はこの色合いが一番落ち着くし仕事の疲れがとてもとれるとおっしゃる。まるでスタジオのセットみたいにステキです。35歳。
松田光弘…服飾デザイナーで青山にお店をもっています。服は、やわらかいパンタロンで、風にゆれているのが好き。3月に遊びでパリに行きますが、パリは大好きで、パリに永住したいとおっしゃってますが東京も好きらしく、夜中から朝まで、ゴーゴーを踊ったり、ジャズに酔ったりしています。35歳。
荒牧政美…よくヨーロッパへ出かける人で、婦人もののアクセサリーのデザイナーです。ジーパンとセーターがとても好きで、きたないかっこうもよくします。お店もやっていますが、本当はなにもしないで家にいるのが理想で、住いの原宿から、外へはあまり出かけません。商品も自分で、イタリアやパリで集めるそうです。27歳。
長沢節…セツ・モード・セミナーの校長先生です。いつも若い人の中で、一緒に勉強したり、お話をしたり、ふざけ合ったりしていて、先生と生徒の区別なんかありません。映画が大好きで、忙しいあい間に暇をみつけては出かけています。スタイル画だけでなく、風景画も専門家で、水彩連盟の会員でもあります。
篠山紀信…とても忙しい人です。90ページの作品は、2月3日から、都内のデパートで開かれている作品の一部です。この個展のために渡米したときの作品です。すごい仕事熱心な人で、カメラをかまえると、人相が変わるそうです。いつもは、幼稚園の生徒みたいな、天然パーマの髪の毛の下にかわいい顔がついています。29歳。

戻る