わんだふるはうす R246を行く

HONDAウエルカムプラザ青山

最もファッショナブルなお菓子は、最もファッショナブルなストリートに存在する。ワンダフルハウスが2006年のクリスマスケーキを予約した「ルコント」は、デザイナーズブティックや専門店が立ち並び、骨董通り・表参道・キラー通りなどのファッショナブルなストリートが縦横にクロスしてくる青山通り(国道246号線)沿いにあります。トレンドの先端でありながら、シックで洗練された空気が流れる「青山通り」を、ワンダフルハウスが御案内いたします。


わんだふるはうす 聖夜のR246を行く

青山1丁目
2006年クリスマス・イヴ。ワンダフルハウスは隠された2個のクリスマスケーキを探しながら、渋谷から青山1丁目まで走破しました。ここがゴール地点の青山1丁目交差点です。クロスしてきたのは外苑東通り。信号を越えて左側には皇太子・妃両殿下のお住まいである東宮御所を始め、秋篠宮文仁親王邸、三笠宮崇仁親王邸、三笠宮ェ仁親王邸、高円宮邸、海外から訪日するVIPの接待や歓迎式を催す迎賓館がある広大な赤坂御用地が。246をはさんで右側に見えます2棟の高層ビルは青山ツインビル。信号の右にチラッと見えますビルこそ… 本田技研工業株式会社の本社ビルでございます。1980年代後半〜90年代初頭、マクラーレンとコンビを組んでいたホンダは、F1勝利の垂れ幕をここに掲げていたことから、F1中継でHONDAが勝つと古舘伊知郎さんが「青山1丁目の伝説〜!(^O^)」と絶叫していたのです。
1Fは、ショールーム「ホンダウエルカムプラザ青山」になっています。昼間は外に現行車種がズラッと並べて展示されていて壮観です。
ちょっと覗いてみましょう(^O^)\
HONDAのクリスマスツリーがありました!
おっ!HONDA RA106(2006年)です!/(^O^)\ BARチームを買収してオールホンダチームとなった2006年、8月6日のハンガリーGPでジェンソン・バトンが見事初優勝を果たしました。2000年に第3期のF1復帰をしてから7年目の優勝です。ホンダとしては、第2期F1の最終戦1992年のオーストラリアGPでゲルハルト・ベルガーが勝って以来、14年ぶりに垂れ幕が掲げられ、「青山一丁目の伝説」が復活したのです。
もっとすごいものをお見せしましょう。 2006年11月「Honda原点の想い〜いつまでも伝えたいものがある〜」に展示された車です。
こっ…これは…(゚O゚)\ HONDA RA272(1965年)です!
前年の1964年からF1グランプリへの挑戦を開始したホンダは、年間フル参戦となる1965年には、より実戦的な新型RA272で臨みます。ベテランのリッチー・ギンサーをチームに迎え入れ、ロニー・バックナムとの2台体制。ベルギーGPで初入賞6位、オランダGPでは序盤2周ほどトップを快走。しかし、優勝するためにはマシーンの手直しが必要との結論に達し、終盤3戦を前に慌ただしく改造作業が行われました。エンジン搭載位置を10cmも下げ、50kgの軽量化、ボディ・スタイルの変更等が短期間の内になされます。そして迎えた最終戦は高地メキシコ・シティでのGP。ギンサー操る改良型RA272は、1周目にトップに立つと、追いすがる強豪を振り切って2時間余の激闘を制します。ホンダF1初優勝!デビュー以来わずか11戦目の快挙でした。それはまた、ギンサーとグッドイヤー・タイヤにとっても記念すべきF1初優勝となったのです。
おおっ! これも古い!/(゚O゚)\
1973年12月に発売された「シビック CVCC」。左に見えますエンジンがCVCCでございます。当時ホンダが開発した低公害・低燃費のエンジンで、触媒を使わずエンジンそのものの燃焼で排ガス中の大気汚染物質を抑制しました。1970年にアメリカで発効された世界の自動車業界を震撼させた排気ガス規制法「マスキー法」にホンダは果敢に挑み、CVCCという副燃焼室を持つ方式で早い段階で規制をクリア。レースシーンだけでなく、世界にホンダ技術水準を知らしめたのです。
貴重な車ばかりですね/(^O^)\
果たして本田宗一郎氏は、道を隔てた青山ツインビル地下にあるルコントのケーキを食べたことがあるのでしょうか?

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