アドセンター

1956(昭和31)年、堀内誠一は、伊勢丹から日本織物出版社に移り、アドセンター設立に参加。翌1957年、日本織物出版社は、AD(アド)センターと改称。企画とデザイン制作会社として再出発した。1958年、東京写真短期大学(現・東京工芸大学)卒業を卒業した立木義浩がカメラマンとして入社。1959年、セツ・モードセミナーを修了した花井幸子が入社。1961年、文化服装学院を卒業した金子功が入社。1972(昭和47)年、堀内誠一、金子功が退社し、アドセンターは閉鎖された。


アンアン1971年4月5日号(No.26)「anan JOURNAL」には、金子さんがゲストで登場。アドセンター時代後期の、アンアン専属デザイナー時代の1日を知ることができる。

アンアンのファッションページを担当、ユリさんがなにかというと、金子さんという金子さんとは、一体どんな男なのであるか。アンアンにあんな、かわいらしい服をドカドカ作るデザイナーとは、一体、どんな生活をしているのか。それを聞きだそうと思ったんだけど、どういうわけか「極秘」なんぞがあったりして、意外とはぐらかされたみたい。ユリさんに話を聞いたほうが、よかったみたい。

11:00 起きます。毎朝、決まった時間です。顔を洗って、ダラダラ服を着たり。
11:30 やっと仕事場へ行きます。アトリエじゃないんです。アトリエというほど、リッパなものじゃないの。だから、仕事場です。
13:00 アド・センターへ行きます。ここは、勤め先。ところが、やることがないんだ。どうしようって考えてるうちに、洋服を忘れてきたことに気がついた。仕事に必要な洋服なんです。取りに帰って、手伝い(これも助手っていうんじゃないんだなあ)の人に、うだらうだら話して、アド・センターにもどったのが14:00ごろ。社員食堂で(アド・センターには社員食堂があるの。これを忘れちゃ、いけないんだ)定食を食べました。(編集部註;金子さんは1日に1回、夜しか食べないといううわさがあるから、ここで定食を食べたというのはデマくさいのだ)
極秘 (編集部註;この間のことは極秘とか。これは産業スパイをおそれてといった、カッコイイ理由ではなく、どうもやることがなくってブラブラしていたから、ということらしいのです)
アド・センターに到着してから、帰るまでの間は、わりと出たりはいったりもあるんだけれど、極秘だから一切、書けないの。
17:30 仕事もないから帰ります。
18:00 六本木の山麓で夕食。ビール2本、タイとマグロのお刺身、おしんこ、野菜煮、かずのこ、むしがれい、それからめし2杯。
19:30 エルビス・オンステージを見に行きました。見終わってから、22:00ごろかなあ、アンアンに寄って、新しい本をもらって、表紙の打ち合わせ。映画を見たせいか、のどが乾いたから、西ノ木に行ってビールを2本飲みました。おつまみは、コンニャク。
23:30 家に帰って、テレビを見ました。
 0:00 お風呂にはいって、寝る前にビール2本。サラミをおつまみに、がぶがぶ。ほかには、なんにもいらないの。何時ごろ寝たのか、わかんないけど、とにかく、寝ました。

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