わんだふるはうす、ビゴの店 鷺沼店に行く

関西の「ビゴの店」といえば、フランス国立製粉学校のレイモン・カルベル教授の愛弟子にして教授と共に日本のフランスパンを育て上げたフィリップ・ビゴ氏が経営する芦屋の名店です。首都圏には1984年プランタン銀座にドゥースフランスを出店し、東京でのファン層も着実に拡げてきました。そしてついに1989年には「東京は東京で自由にやりなはれ」というビゴ社長の決断が下り、ビゴ東京という別法人を設立して運営することになったのです。立地の選定から店舗の基本デザイン、レイアウト、包装など運営に関する全てを代表取締役社長の藤森二郎さんを始めとする幹部スタッフで行いました。「実はもっと恵まれた条件の立地もあったのですが、あまり目立たない所でやりたかったので鷺沼を選びました」と語る藤森さん。本社の取締役でもある藤森さんは独立前にビゴさんの下で4件の新規開店を手掛けた経験をお持ちだったのです。2009年11月ワンダフルハウスは「ビゴの店 鷺沼店」を訪れ、フランスパンの神髄を見せていただきました。

「日本に本物のフランスパンを伝えたフランス国立製粉学校教授のレイモン・カルベル氏です!(゚O゚)\」
1954(昭和29)年フランス国立製粉学校レイモン・カルヴェル教授(1913〜2005)が来日し、9月20日〜12月初旬まで全国17会場で国際技術講習会が開かれました。この3ヶ月間にも及ぶ講習会でカルヴェル教授が実演したフランスパンは「パン・トラディショネル(バゲットなどの伝統的なフランスパン)」「ブリオッシュ」「クロワッサン」「パン・オ・レ(牛乳パン)」の4種類。戦前の日本には全て存在しなかったもので、当時の日本人は初めて見るものばかり。講習会は参加者(製パン技術者)に感動を与えると共に「パンの神髄に触れた!」と衝撃を与えました。11年後の1965(昭和40)年カルヴェル教授のアドバイスによりドンクが東京国際見本市においてフランスパンのブースを開設。この時、カルヴェル教授が愛弟子のフィリップ・ビゴ氏を実演者として推薦し、ビゴ氏が来日。フランス製機械も搬入され、本格的なフランスパンが昭和天皇から一般の人々まで披露されました。ビゴ氏はドンクの技術指導者として日本に残り、1998年まで19回来日して講習会を行なったカルヴェル教授と共にフランスパンを日本に紹介したのです。
レイモン・カルヴェル教授の最大の功績は、フランスで本物のパンを復活させたことです。1960年代にパン作りに機械化の波が押し寄せ、その結果パンの質が悪くなり、存在価値が無くなってしまいました。当時、パンは皿に残ったソースを拭き取るものくらいに考えられていて、ミシュラン3つ星レストランのシェフたちでさえパンの質にはこだわっていなかったのです。カルヴェル教授は1970年代にこれに警告を発し、強過ぎないミキシング、添加物を入れない小麦粉、発酵を大切にした伝統的製造法を見直すように業界に働きかけました。またパンは外観だけでなく、香りを嗅ぎ味わうことが大切で、よくできたパンは内相がクリーム色で不規則な気泡があることを皆に喚起しました。今では当然のことですが、機械化の弊害で’70年代にはこれが忘れられていたのです。その結果、3つ星レストランのシェフだったシャルル・バリエ氏が教授にパン作りの教えを乞うなど、1980年代になると一流のシェフがパンの存在を意識し、パンがガストロノミーの一部として復活したのです。もう一つの大きな功績は、フランスパンを海外に広めたことです。日本をはじめ、カナダ、ブラジル、北欧、韓国など各国を回ってフランスパンを世界のパンとして位置付けました。見せかけだけのいい加減なフランスパンではなく、はっきりした基準があるパンをです。現在有名なブーランジェが成功しているのはカルヴェル教授が予めその下地を作っていたからなのです。
東急田園都市線 鷺沼駅から徒歩で約3分…「おー!ここです!ここがビゴの店 鷺沼店です!(^O^)\」
1階は左側がパティスリー、右側がブーランジェリー。2階はカフェ・ド・ビゴ。3階は事務所。1989年のオープン時には1階左側のお菓子売場には住宅会社のショールームがありました。現在はショールームは撤去され、売場面積が拡大しています。2階カフェの図書室みたいなスペースにはショールーム時代の名残りを感じさせます。
「独立してはみたものの苦戦を強いられている小さなブーランジェリーを見ていると、どうも開業に対する考えが安易なように思えてなりません。5〜10年製造現場で働いて技術を身につけても、店をやっていくのに必要なのは、それだけではありません。技術よりもむしろセンスが大切なのです。最高の材料を使って良い製品を提供するのは当たり前。それ以外のプラスアルファ、付加価値をいかにお客様に提供できるかが、これからのブーランジェリーには重要ではないでしょうか」と語る藤森二郎さん。店舗としての付加価値を高めるために、藤森さんはまず衣食住の“衣”、つまり洋服のブティックとドッキングすることを考えたそうですが、これでは店同士のメリットはあっても、お客にとってはあまり意味があるとは思えません。そんなところへ衣食住の“住”、つまり住宅会社からドッキングの申し入れが舞い込んできたのです。客層も高感度で一致するためショールームにブーランジェリーを併設することで、ショールーム自体の注目度を高めようと考えたわけです。ショールームには常駐の係員を置かず、お客が自由に利用できる空間としました。さらに2階の喫茶スペースについては、パンやケーキを食べてもらうだけでなく、衣食住の“食”全体に対象を広げたチーズやサラダ、ワインの本やフランスのリゾート情報誌を置いて、ショールームの住宅資材と共に自由に利用してくつろいでもらおうという目的。内装と喫茶スペースはボストンのティールーム付きの書店の雰囲気を参考にしたそうです。もちろん、パンとケーキの店のティールームとしての魅力も十分なのです。
パティスリー
ビゴの店
ブーランジェリー
ビゴの店
入口は別々ですが、中はつながっています
入口は2つありますが、内部はつながっています。実は開店10日前までは壁で隔てるつもりだったそうです。
「日本のトップ・ブーランジェ フィリップ・ビゴ氏です!(^O^)\」
フィリップ・ビゴ氏は1942年フランス・ノルマンディ地方のイヴレ・レヴィックにパン屋の三代目として生まれました。8歳で店の手伝いを始め、14歳から修業を開始。1959年、国立製粉学校製パン科に入学して“フランスパンの神様”と呼ばれるレイモン・カルヴェル氏に師事。1965年、22歳の時に第6回東京国際見本市のために来日し、日本初の本格的なフランスパンのデモンストレーションを行ないました。1966年にドンク入社。1971年には独立して「ビゴの店」を芦屋に開業。1982年にフランスのシュバリエ勲章(農事功労賞)、1990年にオフィシエ勲章(学術教育功労賞)、2003年には日本におけるフランスパン普及に貢献した功績が称えられ、フランス大統領よりレジオン・ドヌール勲章を授与されました。
「日本人トップ・ブーランジェ 藤森二郎シェフです!(^O^)\」
藤森二郎さんは1956年東京都目黒区生まれ。幼い頃、母に連れられていつも買っていた青山「ドンク」のフランスパンの味が忘れられず、ブーランジェになることを夢見る。 明治学院大学卒業後、横浜「パティスリー・モンシェリー」に入り、 お菓子の基礎を修業。その後何ヶ月か渡仏。 帰国後、芦屋の「ビゴの店」に入社。1984年プランタン銀座「ドゥース・フランス」のオープンと同時にシェフ兼店長。1989年ビゴ東京を設立して独立すると同時に「ビゴの店 鷺沼店」を開店。田園調布に「エスプリ・ド・ビゴ」、玉川高島屋ショッピングセンターに「オ・プティ・フリアンディーズ」、横浜港南台の高島屋に「トントン・ビゴ」、2009年鎌倉雪ノ下に5件目の物件「鎌倉ごぶっけん」を開店。クラブ・ドゥ・ラ・ガレット・デ・ロワ副会長。1995年フランスチーズ鑑評騎士の会よりシュヴァリエを授章。2008年9月には日仏の食文化交流に貢献したとして、フランス政府より日本人ブーランジェ初の農事功労賞シュヴァリエを授章されました。
「左側の入口から入りましょう…こんにちは!(^O^)/…おっ!ケーキです!(^Q^)\」

Buche de noel
ビュッシュ・ドゥ・ノエル

Buchettes
ビュシェット
「ん?まだ11月下旬なのにもうクリスマスケーキを売っているのですか?(^-^)\」「ブシェットは発売しておりますが、ブッシュ・ド・ノエルは見本でございます。ただいま御予約受付中です」
ブッシュ・ド・ノエル
左からキャラメル(大)、フランボワーズ(小、大)、ショコラ
大 3700円
小 3000円
「おーっ!ルコント以外では絶滅したと思っていた古典的なバタークリームのブッシュ・ド・ノエルがビゴの店にも残っていました!(゚O゚)\」

Buche de noel au caramel
ブッシュ・ド・ノエル・オ・キャラメル

大 3700円

Buche de noel au chocolat
ブッシュ・ド・ノエル・オ・ショコラ
大 3700円
「あたり前です。バタークリーム以外のブッシュ・ド・ノエルは認めません」と語る藤森シェフ。最近ではバタークリームは少なくなり、美しさを強調したブッシュ・ド・ノエルがきらびやかに並んでいます。スクエアな角型でマカロンやチョコレート細工を施してデコレーションしたもの、フルーツをふんだんにあしらい中身は軽いムースタイプのものが多くなりました。しかし、ブッシュ・ド・ノエルと言えば1960年代にビゴさんやルコントさんが作った薪をかたどったバタークリームのものが元祖なのです。

Buche de noel aux framboises
ブッシュ・ド・ノエル・オー・フランボワーズ

小 3000円 大 3700円
フランスの代表的クリスマスケーキは、なんといっても「ブッシュ・ド・ノエル」。「クリスマスの薪」という意味です。フランスでは昔からクリスマスになると大きな薪を燃やし、その灰を火傷の特効薬として、また火事や雷除けのまじないとして大切にとっておく風習があるのです。そして、燃え残りの薪を一年間とっておいて、翌年のクリスマスの暖炉の最初の火付けはその薪でするといいことがあるといわれています。縁起のいい薪を形どったこのビュッシュドノエル、上には健康と生命力の象徴であるキノコが飾り付けられています。

Buchettes au chocolat
ブシェット・オ・ショコラ
400円

左 Buchettes aux framboises
ブシェット・オー・フランボワーズ
右 Buchettes au caramel
ブシェット・オ・キャラメル
400円
ブシェットとは「小さな薪」という意味。ブッシュ・ド・ノエルのプティ・ガトー版、つまり小さな一人サイズのミニブッシュです。フランスでは11月下旬から発売してクリスマスムードを盛り上げています。
「おっ、シュトーレンです!(^O^)\」
「これはただのシュトーレンではない。シュトーレン・アルザシエンヌじゃ」「シュトーレン・アルザシエンヌ?(゚O゚)\」
「ワシはもう年だから目が見えんのじゃ。ここに書いてあるから読んでみろ」「シュトーレン。“イエスのゆりかご”を模ったと伝えられるドイツのスペシャリテ。ですが、ビゴではフランスのアルザス風仕上げ…」
Stollen a l'alsacienne
シュトーレン・アルザシエンヌ
大 1600円
プレゼント用箱入 1810円
小 800円
「アルザス風仕上げのシュトーレンとは? 大サイズを買って2階のカフェで食べてみることにしましょう」
「待て!私の後ろに置いてあるイタリアのクリスマス菓子も見て行け」
Panetone
パネトーネ
1個 1500円 ハーフサイズ 750円
「パネトーネ?」「イタリアの伝統的な発酵のクリスマス用ブリオッシュパンじゃ。ドライフルーツが入っておるぞ」
こちらはパン売場。パンに合わせるチーズやバター、コンフィチュール、ペーストなどの食材も豊富に揃っています。
Pain au levain
パン・オ・ルヴァン
大 1480円
(丸型と楕円形の2種類あります)
小 370円
「おおっ!?この特大サイズのパンは何でしょう?(゚O゚)\」
カットしたものやスライスしたものもあります。
Pain au levain
パン・オ・ルヴァン
小 370円 大 1480円
「どうやらパン・オ・ルヴァンという名前のパンらしいです」
Pain au levain
パン・オ・ルヴァン
スライス
370円
ハーフサイズ
740円
「サンドイッチ用に薄くスライスしたものやハーフサイズもありますね」
左 Croque monsieur de levain
クロック・ムッシュ・ドゥ・ルヴァン
ルヴァンのクロック・ムッシュ
250円
Levain polka
ルヴァン・ポルカ
230円
「パン・オ・ルヴァンを使ったクロックムッシュやルヴァン・ポルカというパストラミビーフをサンドしたサンドイッチもありました」
ワンダフルハウスはシュトーレン・アルザシエンヌを買いました。1階でお会計を済ませてからシュトーレンを持って階段を登り…
2階のカフェ・ドゥ・ビゴで食べるのです。
ここがカフェ・ドゥ・ビゴです。
「このサンタは誰かに似ていますね…ビゴサンタです!(^O^)\」
「向こう側にも部屋がありますよ」 「おー!ここは開店当時は住宅ショールームだった場所です!(゚O゚)\」
「かなりリッチな空間ですね」
「サッカー元日本代表監督のフィリップ・トルシエ氏のサイン入りサッカーボールが展示してあります。藤森シェフはワールドカップを開催国に見に行くほどサッカー好きのブーランジェなのです」
「ジョエル・ブリュアン氏(会長)、アンドレ・パッション氏(副会長)、服部先生(理事)や島田進氏(理事)のサインが書いてあります…これはアカデミー・キュリネール・ド・フランス(フランス料理アカデミー)日本支部のディプロムです」
フランス料理アカデミーの会員は、厳しい審査のもとに選び抜かれた最高の技術を持つ、料理、菓子、氷菓、チョコレートの職人によって構成されています。1970年、日本における最高級のフランス料理を代表し、これを象徴することを目的に、アンドレ・ルコント氏により日本支部が創設されました。2004年、藤森二郎氏が日本人ブーランジェ(パン職人)として初めて入会を認められたのです。
「おおっ!?藤森二郎シェフがパン・オ・ルヴァンを持って登場しました!(゚O゚)\」「ワンダフルハウスさん、このパン・オ・ルヴァンについては、何時間あっても語り足りません。それぐらい私にとっては良い思い出があり、同時に苦い思い出もあるパンなのです」
Pain au levain
パン・オ・ルヴァン
大 1480円
「30年近く前、天然酵母が脚光を浴びる以前は、日本で手に入る天然酵母パンといえば、パリのポワラーヌのものしかありませんでした」
“フランスパンの原型”パン・オ・ルヴァンの登場です。
「ポワラーヌといえば、1970年代に辻静雄さんが“世界一のパン屋”として日本に初めて紹介した…(゚O゚)\」
ぶどうと小麦の装飾が入ったポワラーヌのパン・オ・ルヴァンは、現在でも注文が入った時だけ作られています。当時、ここのパンの愛好者には各国の富豪が多かったのでした。ジスカール・デスタン大統領、画家サルバドール・ダリ、サウジアラビアのファイサル国王…。ブリジット・バルドーがヴァカンスに行く時には必ず郵便で送ったし、アメリカのコカコーラの社長は、この文明以前の手法で焼いたパンをジェット機で取り寄せていたのでした。現在、ポワラーヌで焼き上げられたパンは、フランス国内はもとより、海外へも多く輸出されています。ポワラーヌのパン・オ・ルヴァンは、こちらで買えます。
「私はビゴさんと一緒にヘリコプターに乗せてもらったことがあります。その時、リオネルさんは『ヘリコプターは安全なんだ』って言ってたんですがねぇ…」「…(゚O゚:)\」
パリの街でも特に活気がある1970年代のセーヌ左岸のサンミッシェル地区。新旧のあらゆる価値が混然と個性を発揮するその街の一角で、ピエール・ポワラーヌ氏(右ページ下)が創業した有名なブーランジェリー「Poilane ポワラーヌ」は、KENZOのブティック「JAP」の隣で平凡な店構えで古風なパンを焼いていました。ポワラーヌの創業は1928年。店の歴史はそう古くありませんが、製法は中世の手法を守っています。パリでもそんな古典的なパンを焼くのはここ一軒だけ。地下のパン焼室への階段を降りると中世さながらの風景があります。薪がくべられたレンガの窯の熱で室温は40度以上。天井も石の床も木の煙に燻されて真っ黒。職人は裸で作業。給料は週700フラン(1976年当時で5万円)。24時間4交代で1000〜1500個のパンを焼くので高給ですが重労働です。長男の若主人リオネル・ポワラーヌ氏(左ページ下)が説明をしてくれました。「この大きなパンはパン・オ・ルヴァン。自然酵母で焼いたパンという意味です。このパンには3つの特色があります。まず、イースト菌を使わずに焼くこと。粉の中に自然に含まれる酵母を成熟させて、その発酵力で焼くのです。第2に材料は精白しないセーグル(裸麦)の粉を使っていること。そして第3に燃料は香りの良い木を使うこと。塩は粗塩、窯はレンガです。牛乳やブドウ汁は菌を加えなくても放置しておくだけで発酵します。麦の粉も同じです。自然発酵の麦粉の生地をパン種にします。工業生産のイースト菌では熟した味は出ませんよ」
リオネル・ポワラーヌ氏が2002年に夫人と共にヘリコプター事故で亡くなり、長女アポロニア・ポワラーヌさんがわずか18歳で後を継ぎました。現在パリ・シェルシュ・ミディ本店には名物であるパン・オ・ルヴァンを求めて世界中からパン好きの人々がやって来ます。
「ところで、パン・オ・ルヴァンとパン・ド・カンパーニュは、どこがどう違うのですか?(゚-゚)\」
「全粒粉やライ麦を使用した見た目に素朴なパンを、田舎風ということでパン・ド・カンパーニュ(田舎パン)と総称しています。ビゴの店では天然酵母を使っているものをパン・オ・ルヴァン、イーストを使っているものをパン・ド・カンパーニュと称しています。パン・オ・ルヴァンもパン・ド・カンパーニュの一種と言えます」
この粉はフランスパン専用粉「リスドオル」です。パン・オ・ルヴァンは、このリスドオルとライ麦粉を水で混ぜ合わせたものにルヴァン種と塩を加えて捏ねた生地を発酵させて成形し、リスドオルをふりかけ、クープ(柄)を入れてオーブンで焼いたものなのです。
「これは見事なクープです!(^O^)\」「クープを入れるのは均一に膨らませるためです」
パンが作られる以前は小麦をお粥のようにして食べる時代がありました。ヘブライ人やエジプト人は酵母無しの薄焼きパンのようなものを作っていましたが、ある時、ふとしたことで、このパンのようなものにブドウの搾り汁を入れることを思いつき、粉と一緒にこねて陽に晒していました。すると捏ねたものが膨れ始め、焼いてみると、ふっくらとしたパンができたのでした。これはブドウの果肉の持っている糖分が皮に付着している酵母菌のために分解されて、イーストのようなものが働き出したのだろうと考えられます。こうしてパンが膨れることが発見されました。それから、この酵母の入ったパンは大変なスピードで世界の国々に伝わっていったのです。
イーストも白い小麦粉も無い時代の文明以前のパンがカットされました。
1972年にビゴさんが保管したブドウ酵母を丁寧に育てて今も使い続けています。毎日の気温や湿度によって、発酵や焼き加減を微妙に調整するのが腕の見せ所だそうです。
「外側はパリッとして硬いけど、中はフワフワです!(゚O゚)\」
イーストのパンと比べて発酵能力が弱い分、内層はややつまり気味になり、どっしりとしたパンが出来ます。
「お勧めの食べ方は?(^O^)/」
「サワークリームを塗ってスモークサーモンを挟んでどうぞ」
「おーっ!スモークサーモンのルヴァンサンドです!(゚O゚)\」
「ワンダフルハウスさん、美味しいパンを作るのは当たり前で、どう食べてもらうか、提案できるかが大切なのです」
「サワークリームを塗って、スモークサーモンとパストラミビーフ、グリーンペッパーなどが挟んであります(^Q^)\」
「ワンダフルハウスさん、先にこちらを何も付けないで食べてみてください」
「私がブーランジェになった頃(1980年代初頭)は、天然酵母パンを焼いているパン屋は東京にもほとんど無かったと思います。この黒々とした茶色で硬い酸味のあるハードなパンが、その頃の人たちに受け入れられるはずがありませんでした。しかし、ビゴの芦屋本店では、現在東京の有名レストラン御用達のパン屋さん「パンテコ」社長の松岡徹さん、滋賀県で小麦から自分で育ててパンを作る「ル・シエル」の鷲田均さん、後に日本のトロワグロの初代シェフになる庵原克文さんなど、すでに数人の先輩たちがルヴァン種の製造を日夜繰り返しており、このパン・オ・ルヴァンを作る基礎ができつつありました。この頃のビゴの店は今以上に熱心なメンバーが多く、パティシエは14時間以上に渡る日常の仕事のノルマが終わっても、飴細工や絞りの練習をしており、すぐに帰るスタッフは一人もいませんでした」「14時間労働というと残業6時間!さらにその後、飴細工や絞りの練習をしていたとは凄い!(゚O゚:)\」
「そんなある日、休みで芦屋から帰京していた時、日本橋高島屋の地下にあったパリ・マルシェというフランスからの輸入食材のコーナーに行くと、キャビア、トリュフ、フォアグラ、リエット、エスカルゴなどが売られていました。そしてオープンの冷蔵庫の中に、パリのポワラーヌのミッシュ(大きな丸いパン・オ・ルヴァン)が紙袋に包まれてありました。今でもあの最初の香りと味は忘れられません。なんとも言えないまろやかな酸味。パリから空輸された高価なパンを、小さくちぎり、何もつけずに食べたものです。かみしめるほどに深みの出るパンに、『どうやったら、こんなパンが焼けるんだろう』、『どうやって仕込めば、こんな味が出るんだろう』と考えていました。パンの方から生ハムやフロマージュを指名してきそうな…そんな勘違いをするくらい、何かと一緒に食べたくなります。この味と香り。どうやったらコンスタントに出すことができるのだろうか? その日から新たな目標が出来ました」
「それから数年後の1984年、私は『ビゴの店』東京第1号店のドゥース・フランス(プランタン銀座)のシェフ兼店長になり、 パン・オ・ルヴァンを焼いてみたことがあります。なかなか納得できるものができず、一人で途方に暮れたものです。ようやく満足のいくものが焼けるようになりましたが、この独特のコクのある酸味が、当時の日本にはまだ早かったのでしょう。『硬いわよ』『焼き過ぎでは?』とお客さんの評判は今ひとつでした。そんな時、ムッシュ・ビゴにこう言われました。『本当にいいものだと信じるなら、自信を持って作り続けることだ。1日1人ずつでもお客さんがついてくればいいじゃないか』。気持ちがふっと軽くなり、力が湧いてきたことを覚えています」「プランタン銀座といえば、1986年春に金子功さんのカールヘルムのショップができてからは、よく行ったものです。まさかあの頃、下の階のパン屋で藤森シェフが働いていたとは…(^-^)\」
「あれから多くの人がフランスに旅するようになり、グルメブームがあったり、フランス帰りのシェフが足を運んでくださったりで、現在は作っても作っても追いつかないくらいです。ムッシュからは本当にたくさんのことを学んできましたが、このルヴァンの思い出は、きっと一生忘れないと思います」
Stollen a l'alsacienne
シュトーレン・アルザシエンヌ
大 1600円
シュトーレンは14世紀初めにドイツ・ドレスデンで作られ、15世紀にはドイツ全土に広まりました。名前・形の由来は「イエス・キリストのおくるみ姿、ゆりかごの形」という説などがあり、キリスト誕生を祝するメッセージが込められています。何ヶ月も前から洋酒に漬け込んだフルーツを入れ、クリスマス当日の約1ヶ月前に焼き上げ、11月の最終日曜日からクリスマスまでの期間(アドヴェント 待降節)に毎日少しずつ食べてクリスマスを待つためのお菓子です。
ビゴの店のシュトーレンには、フランスパン専用粉「リスドオル」と薄力粉「バイオレット」が使われています。生イーストを混ぜて発酵させて作った中種にリスドオルとバイオレットとバターを混ぜ合わせて捏ね、フィリング(オレンジピール、ドレンチェリー、サルタナレーズン、アルザス産白ワイン、洋梨、パイナップル、アーモンドスライス、アーモンドホール、ナツメグ、カルダモンパウダー、シナモンパウダー)を生地に混ぜ合わせて発酵させ、マジパンローマッセ(シュトーレン用アーモンドペースト)を棒状に伸ばし、生地を麺棒で楕円形に伸ばして、中央にマジパンローマッセを載せて、生地を二つ折りにします。
オーブンで焼いた後、澄ましバターにくぐらせ、全体にシナモンシュガーをまぶし、そのまま冷まします。2〜3日間冷蔵庫で熟成させ、粉糖をふって出来上がり。表面の粉糖はキリスト生誕の日の雪に見立てているのです。
ドレスデンが発祥の地とされるシュトーレンは、ドイツのほかオーストリアやスイス、フランスのアルザス地方などのドイツ語圏の国で見られます。街でシュトーレンの香りが漂い始めると、「今年もクリスマスがやって来た!」と感じるほど、町中のパン屋さん&お菓子屋さんで焼かれています。 クリスマスの4週間前、キリスト教でいう降臨節にシュトーレンとロウソク4本を用意します。ロウソクは日曜日ごとに1本ずつ灯していきます。シュトーレンは薄くスライスして少しづつ食べます。クリスマスを迎える頃にはロウソク4本全てに火が灯り、シュトーレンは丁度食べ終わる頃になるというわけです。

「ほぅ、これがシュトーレン・アルザシエンヌですか…ふわふわでパンに似た感じがしますよ?(^-^)\」
シュトーレンというと、どっしり重い印象がありますが、アルザスのシュトーレンはちょっと違います。見た目は同じような姿形ですが、生地が全然違うのです。
Panetone
パネトーネ
1500円 ハーフサイズ 750円
アルザスのシュトーレンは、ブリオッシュに近い生地にドライフルーツを入れたもので、どちらかというとパネトーネに似ています。
「おー!アルザス風シュトーレンはパンに近い! ドレスデン風シュトーレンに比べると、とても軽いので、パクパクといくらでも食べられます(^Q^)」
シュトーレン
Sサイズ2625円
Lサイズ(3675円)もあります
ルコント
2007年
ルコントやパティシエ・シマのシュトーレンは、ギッシリと目が詰まっていました。
シュトーレン
2730円
パティシエ・シマ
2007年
シナモンがしっかり効いていて、ズッシリと重く、一切れ食べれば十分でした。

ドイツのシュトーレンは、薄くスライスして少しずつ食べますが、アルザスのシュトーレンは塊のまま手に持って、パクパクとたっぷりめに食べるのです。

藤森二郎シェフ「ビゴのシュトーレンは、どちらかというとパンに近いタイプです。そのため、やや軽く仕上げています。だから、いくつでも食べることができます。こうした季節感のあるお菓子は、もっと日本でも広まって欲しいと思いますが、それにしては少し値段が高いようです。ドイツ、スイス、フランスなどのクリスマスは日本人が思っているほど豪華なものではありません。聖夜という言葉にふさわしく、清楚で家庭的なものです。ビゴの店ではクリスマスソングが町に流れ始める11月中旬にお目見えします」

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