シャネル

ガブリエル・シャネル

1883−1971 フランスの生んだデザイナー。”ココ”は愛称。シャネル・スーツの考案をはじめ、痛烈な批判精神を放つモードの改革者。芸術の擁護者としても知られる。その強烈な生き方が残した影響は計り知れない。



シャネルは金子さんが最も尊敬するデザイナー。「カネコイサオ」「インゲボルグ」のシャネル風スーツや、リボン使いの服などに、その影響が見て取れる。装苑1992年7月号「ピンクハウス物語」P23のインタビューで、「好きなデザイナーは?」の問いに、「ココ・シャネル、バレンシアガ。ソニア・リキエルとラルフ・ローレンも好きですよ。」と答えているが、「金子功の絵本」、他の雑誌に登場する頻度が最も高く、シャネルは、金子さんにとって別格のデザイナーといえる。アンアン1982年4月23日号「金子功のパリでいいものみつけた」で、金子さんは、パリのお気に入りの15のお店を紹介しているが、「シャネル本店」は最後に登場。最大のハイライト部分にあたる。金子さんの、シャネルに対する想いが、一番良く出ている名文である。

ガブリエル・シャネルがここで生きて、ここで
あの素晴らしいデザインを創った。彼女は恐らく
自分自身にいちばん似合う服をデザインした。
服も生き方もパリ一番に魅力的であろうとした。
パリにはシャネルがいた。いまも、いてほしい。

初めてシャネルの店(パリ本店)に慄(ふる)えながら足を踏み入れた、あのときシャネル女史は生きていたのだろうか。
彼女が逝ってから何年もが過ぎて、シャネルのプレタポルテが世界中に広がり、すべてが変わってしまった現在(いま)だけれども――シャネルの店を訪ねる時の慄えはいまも同じに全身をつき抜ける。
彼女が何階かの一室にいまもいて、そしてもちろん会ってみたいなどと畏(おそ)れたことを思いもしないが、彼女の言葉や気分の細胞が空気中に飛び交っている……そんな神殿のような場所として、おずおずと足を踏み入れるのである。
現世に永遠に生きる許しを神から授かる人がいてもいいのではないか。もしそうなら、シャネルがその一人であるはずだ。ファッションの世界ではこの人のほかにいない。
彼女の創った服の、たとえばスカートの丈も上衣の丈も、スーツの裾の縁飾り(ブレード)も、――もっとも洗練されたデザインの極致であって、しかもそれは野暮と背中合わせと言っていいほどに危うい、ぎりぎりの一点で調和(バランス)をとっている――その凄さが天才だと思う。
高級服店(オートクチュール)の時代にも、ほんの少数の金持しか買うことのできない超高価だったシャネルの服。静まり返ったサロンで、豪華な、しかしさりげないショーは、選ばれた僅かな人たちだけのために開かれた。そんな服が、そんな店のあり方が、いまでもシャネルには許されていいような気がする。
現実の、いまのシャネルの店は、プレタの服とバッグやアクセサリーをいっぱいに並べた、つまり人を畏れさせるほどの雰囲気は持っていない店になっている。
かつての(広々としたスペースにごく少しの服を置いただけの)、格調と威厳が消え去って――シャネル本人がここを見たら何と言うだろうか。あるいは、時代の流れね!と平気な顔をするのかも。
サンローランという若僧はあたしの真似をしてなかなか上手(うま)く作るじゃないの、と言った人物だ。多分、”シャネル・スーツ”の呼称(なまえ)は使うな、などとは言わないはずだ。できるものならいくらでも真似おしよ!
誰にも真似できない彼女の傑作の一つが香水のびん。何の飾りもないモダンなあの形が、イコールシャネルの服で、彼女自身だと思う。 

アンアン1982年4月23日号(329号)「金子功 パリでいいものみつけた」より

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