アルカフェ キャンティ

「私の青春も、私の恋たちも、友情も、そしてフランス・イタリアの食と文化も、キャンティのドアを開けると、そこにある」と安井かずみさんがよく語っていた、イタリア料理店「CHIANTI」飯倉本店。安井さんは1960年開店以来の客でした。


創業者の川添梶子さんが亡くなった2年後の1976(昭和51)年、1階にあった「ブティック ベビードール」がクローズして「アルカフェ キャンティ」として生まれ変わりました。
1960〜1990年代、六本木を根城にその時代の風俗の先頭を走った安井かずみさんは1939(昭和14)年、横浜生まれ。1994(平成6)年3月17日、肺ガンにより天に召される。本名は加藤一美。愛称は”ZUZU”。幼い頃からピアノ、ヴァイオリン、茶道、華道、生け花を習ったかずみさんは、フェリス女学院中学校・高等学校では宗教部に入り、祈りと感謝することを身につけながら、同時に油絵を描くことに熱中。後年、かずみさんはフェリスで10代を過ごしたおかげで、自分の人生に3つの色濃い特色を持つことができたと述壊している。1つ目は、キリスト教的世界観や発想を終生持てたこと。2つ目は、横浜の港を見て過ごす立地条件に加えて、語学教育に力を入れていた学校なので、異文化に対してオープンマインドな下地を作ることができたこと。3つ目は、少人数の女子学院ならではの、文学、音楽、絵画といったジャンルの教育が大切にされ、真剣にそれらと取り組むことを自分の体質の一部にすることができたことだと。訳詞家から作詞家に転じ、口語体でポピュラーソングの詞を書くスタイルを確立し、エッセイストとしても活躍。先端的なライフスタイルの実践者としても知られた安井さんの半分は”フェリス的”といわれるもので形成され、もう半分は”キャンティ的”といわれるもの…彼女には、実は21歳の頃から極上の指南役が存在した。「キャンティ」の女主人・川添梶子がその人だった。
キャンティのもう一つの魅力はお菓子。伝統的なイタリア菓子、フランス菓子、ウィーン菓子をアレンジして、キャンティ独特のエスプリで造られたお菓子の数々。AL CAFFE(喫茶店)で気軽にいただけて、テイクアウトもできるようになりました。
安井さんは、フェリス時代、フランス語にも熱中。少女の遊び心とロマンティシズムからだが、フランス語を発音するのが大好きで、特に「nuage ニュアージュ(雲)」という言葉が好きだった。このフランス語を軸に、ファッション、音楽…と、パリ風なものにどんどん染まっていった。
「こんばんは!(^O^)/」「これはこれはワンダフルハウス様…お待ちしておりました」「おおっ!上段左から2番目のケーキが光っていて見えない!(T_T)\ ん?下段一番右のホールケーキが売り切れていますね」
「横浜なんかにくすぶってないわよ!」 1957(昭和32)年、18歳。フェリスから東京の文化学院油絵科に進んでから、かずみさんの青春は一気に爆発し、拡大する。必死に受験勉強したのに芸大に落ちた試練から、人生に対して積極的に出て行くようになる。女流画家を夢見て銀座で個展まで開いたのに、ある日「もう絵はやめたわ」と宣言し、あれよあれよという間に作詞の道に。この時期にキャンティがオープンし、川添梶子や加賀まりこに出会う。「かずみ、あなたはいい女になれるわよ」と梶子夫人に言われて以来、夫人を手本に、衣食住から恋愛、洋の東西の文化の違いまで、マルチ角度から女磨きをした安井さん。キャンティに入りびたるため23歳で東京にアパートを借り、 1965(昭和40)年、25歳「おしゃべりな真珠」(歌・伊東ゆかり)でレコード大賞作詞賞を受賞。その翌年、ローマで青年実業家と2人だけの結婚式を挙げる。半年間もヨーロッパを回っての新婚旅行を終え、ニューヨークで1年半ほど暮らしたある日、「パリに服を買いに行って来ます」と夫に告げて家を出たのが、彼女にとっての離婚宣言だった。
「光っていたのは”カマンベール”。空白の部分には”パリブレスト”がございましたが、本日は完売してしまいました」 「おおっ! 見慣れないホールケーキがある。一体これは?(^O^)\」「ヴァレンタインデーのためのチョコレートケーキ”ヴァレンチーノ”でございます」「これは珍しい! これをください!(^O^)/」
1967〜68年冬のパリ、人生からはみ出してしまったその夜、アネモネを飾り、シャンペンとくるみを買って、小さなアパートで自立の門出に乾杯した彼女は、翌日、これからの暮らしに必要最小限なもの、レコードプレイヤーと2枚のレコード(スカルラッティとフランソワーズ・アルディ)、2ダースのハチミツ石鹸を買い整えた。人生のどんな時も、いや、大変な時ほど、花と音楽と酒、それに清潔な環境を自分のために用意したかずみさんだった。そうしておいて、この時の彼女は、徹底的に自分を引き裂き、切り刻み、この身勝手は何者なのかと、孤独の淵に身を置いた。日本の誰にも居所を知らせず、仕事を中断し、友人にさえ助けを求めず、裸の自分と向き合ったこの2年間を経て、かずみさんは大人になった。
ワンダフルハウスは、1階カフェの奥の個室に案内されました。安井さんが亡くなる1週間前に過ごした場所です。「おや、この縞模様のケーキは?(^-^)\」
1969(昭和44)年、30歳で帰国。その時の彼女は家もお金も仕事も恋も、もちろん夫もなく、文字通りゼロからの出発。そして不思議とそれが恐くなかったという。色々なエッセイに彼女自身が書いていることであるが、2年間のパリの孤独が「所詮人間は一人。何者でも何様でもない」ことを教えてくれたからだ。生き延びるために猛然と仕事をしてプロ意識に目覚めます。生涯で4000曲もの作詞をした彼女の最多忙期がやってくる。
「〜♪明日の悲しみを知らない あなたおしゃべりな真珠〜♪」 これは25歳、レコード大賞作詞賞を受賞した「おしゃべりな真珠」の最初のフレーズ。結婚、離婚を経て、孤独の何たるかを知った5年後、明日の悲しみを身を持って知った人気作詞家は、詩の領域を広げると共に、より鋭く深い人生を作詞に込めるようになる。
「〜♪格子戸をくぐりぬけ 見上げる夕焼けの空に〜♪」この日本情緒あふれる「わたしの城下町」は、パリから帰国し、改めて自分が日本人であることに目覚めたかずみさんが作った大ヒット曲。小柳ルミ子はこの曲で歌手デビューし、レコード大賞最優秀新人賞を受賞。160万枚の大ヒットとなり、1971年のオリコン年間シングル売上チャートで第1位を記録。
そして、もちろん、安井かずみといえば恋の詞。「〜♪今日まで二人は 恋という名の 旅をしていたと 言えるあなたは 年上の女(ひと) 美し過ぎる あゝあゝ それでも 愛しているのに〜♪」沢田研二の「危険なふたり」(1973年)をはじめ、「〜♪やめろと言われても 今では遅すぎた 激しい恋いの風に 巻き込まれたら最後さ〜♪」西城秀樹「激しい恋」(1974年)など次から次へとヒットしました。恋の詞は、かずみさんの現実の恋の後にいくらでも生まれた。文字通り、仕事も恋も猛烈にした30代だった。「20代では早過ぎる。40代では遅過ぎる。30代こそ本気で男と恋愛しなければ」これが彼女の持論だった。恋愛することに30代の女の存在意義がある、とさえ考えていたのだ。そして、自分から恋を仕掛けた。「私はどうも個では成立しない。男と相対することで成り立つみたい」とつぶやきながら。そこから生じるエネルギーを仕事にも振り向けた。生きて愛した証明として、書いて、書いて、書きまくった。30代からの彼女の男性観はとてもシンプルで、相手の社会的付帯条件は一切不問。好ましいと思えるセンスと心の持ち主なら、どんな男性とでもフェアに恋をした。この自由さは、ニューヨーク時代にモノにしたという。自立した女ならではの心意気だ。
「ズコット ZUCCOTTO」(特注品)。加藤和彦・安井かずみ夫妻が六本木のアートフルな一軒家でパーティーを催す際には、キャンティに来店して、ズコットとネスラードをホールで買っていました。「ここのお店とは古いおつきあいなの。お菓子ともそれは長いお友達同士よ。本格的なお菓子には懐かしい思い出がいっぱい。ホームパーティーなどには、ネスラードやズコットをホールで買うの。ブランデーの香りがあふれる大人の味っていうところね」と安井さんが語ったズコット。残念ですが、もう何年も前に作られなくなってしまいました。しかし今回、キャンティ飯倉本店がWONDERFUL HOUSEのために特別に復刻してくださったのです!\(^○^)/ 「ズコット」は、イタリアの僧侶が被る帽子に似せた形のトスカーナ地方のお菓子。スポンジにたっぷりブランデーをしみ込ませ、中にはホイップクリーム、チョコレートやナッツ類がたっぷりと詰まっていて、アイスクリームのように冷やし固めて作ったものを、ワンダフルハウスの来店時に合わせて解凍してくださったのでした。
川添夫人からの究極の学びは、いい女になるためには、”自分が好きになれる自分になること”という大前提をクリアしなければならないことを知ったことだった。そしてある日、彼女はスルリとこの難関をくぐり抜けた。真に愛する男性が現われた途端、自分が愛しくてたまらなくなったのだ。1977(昭和52)年、38歳。8歳年下の音楽家、加藤和彦氏と再婚。自著「TOKYO人形」の出版記念パーティーで出会って、3日後に暮らし始めたという熱烈な恋愛で結ばれたカップルだった。「30代、女であることを執拗に続けてきたからこそ、夫となる人と出会えた。出会いたいエネルギーをお互いに持っていなければ、この結婚はなかったわ」
「彼は自分の食べたいものを意志を持って決め、それを作る。人生のこと、旅行のこと、部屋のインテリアのこと、今晩の夕食のことを常に2人で競争で発想しあっている。私が部屋に花を飾れば、加藤は部屋に巨大な植木を運び込む。そこに2人だけのハーモニーが生まれる。彼が曲を作り、私が詞を作る。2人でビスコンティを見て、イタリアンレストランでキャンティを飲む。そこに同じレベルの文化が生まれる。健康と魂の高揚…この2つが私の人生で一番必要なものだけど、彼がいなければ、その意味さえなくなってしまうわ」と安井さん。

「朝、寝起きの悪い僕を、彼女が淹れたてのコーヒーの香りで起こしてくれる。テニスで鍛えた軽やかな身のこなし。彼女はペパーミントグリーンのテニスウェアがよく似合う。今日はまだ肌寒いというのに半袖のTシャツ。”おはよう!” 少しハスキーな声が僕の耳元でする」と加藤さん。
全面に白い粉砂糖と黒いココアをふってあり、美しいツートーンカラーの縞模様になっています。外側のジェノワーズ(スポンジ)には、たっぷりとマラスキーノ酒をしみ込ませ、2種類のクリーム(生クリーム+溶かしたチョコレート+刻んだへーゼルナッツ、生クリーム+刻んだチョコレート+刻んだアーモンド)を詰めた、手の込んだタイプ。
アルフレックス社の大きな革張りのソファがセットされたリビングは、ミラノスタイルで統一され、親友の画家・金子國義の油絵や、画学生時代から憧れていて、パリで実際に会ったこともあるダリのレリーフやリトグラフがまるで小さな美術館のように効果的な照明のもとで語りかける…イーセンアーレンの18世紀英国調の机、リビングルームから道路側に向かって張り出したサンルーム…六本木の独特な住空間には、キャンティのお菓子も度々登場し、さらに充実していった。 「たとえ小さな家の中にも、常に音楽や文学があること。そして何より美術などアートの世界に満たされて暮らしたい。それらがあることによって、その家の空間が広々と豊かに感じられるのは、実に不思議だわ」
カットしたものが運ばれてきました。ロイヤルミルクティーと一緒にいただきましょう。 かつて、ズコットはホールで8000円で売っていました。このお皿の上には、8等分にカットしたものが2ピースありますので、値段を付ければ2000円ということになります。
「ロイヤルミルクティ Royal Milk Tea」(800円)。ロイヤルミルクティーとは、紅茶の茶葉を少量の水とミルクで煮出した紅茶。紅茶にミルクをたっぷり入れたものではありません。
ワンダフルハウスの来店時に合わせてベストな状態に解凍してあります。クリームを詰めたらラップをして冷凍庫に2〜3時間おくとスポンジが安定して形がまとまるそうです。
つ…冷たい! アイスクリームみたいな食感です。そして強烈に洋酒が効いた深みのある味!コクもボリュームも大満足です!(^Q^) ロイヤルミルクティも煮出してあるので、コクがあって美味です!(^Q^)
2007年2月(冬シーズン)のケーキ
「安井かずみさんがホール買いしていたネスラードとは、どのケーキなのですか?」「苺のショートケーキと、苺のケーキ”フレジェ”にサンドされた、チョコレートでコーティングされたロールケーキがネスラードでございます」
上段5個 左から「カマンベール Camembert」(700円)、「ロンポワン Rond-Point」(550円)、「フィアドーネ Fiadone」(500円)、「マロンクレープ Marron Crepe」(600円)、「アウトーノ Autunno」(600円)
中段左から「キャンティ特製モンブラン Montebianco」(1200円)、「ショートケーキ Short Cake」(600円)、「ネスラード Neslard」(550円)、「フレジェ Furaisier」(550円)、「フーレ・ド・モカ Fourre de Moka」(450円)、「フーレ・ド・ショコラ Fourre de Chocolat」(450円)、「苺のクレープ Crespo di Fragoleto」(550円)
下段左から「ミモザ Mimosa」(480円)、「テンタジオーネ Tentazione」(500円)、「ティラミス Tiramis」(600円)、「カンパーニャ Campagna」(500円)
「ネスラードをホールでください!(^O^)/」

ここで、ノンノ1982年10月20日号「ノンノ屈指のケーキ好きが舌で探した必殺の66軒 ”教えてあげる! とっておきのケーキ屋さん”」を見てみましょう。 キャンティのネスラードが掲載されました。
「ネスラードを、この写真と同じように、お皿に盛り付けてください!(^O^)/」「かしこまりました」 「ワンダフルハウス様、こちらでよろしいでしょうか?」「おおっ!(^O^)\ 上出来!ノンノと同じです!\(^○^)/」
「ネスラード Nestlad」(ホール4300円 要予約) 安井かずみさんがホームパーティーの度に買っていたキャンティ飯倉本店のホールのネスラード。松本幸四郎さんも、はなまるマーケットのおめざ(2000年3月9日OA)で紹介していました。
「ん? これは何ですか?(^O^)\」 「ワンダフルハウス様、栗とピスタチオとマロンソースは飯倉本店からプレゼントさせていただきます」
す…素晴らしい!\(^○^)/ 予想以上に長くて食べ応えがありそうです(^Q^)\
キャンティのネスラードは、ワンダフルハウスが知ってるロールケーキの中で、最も美味しいロールケーキだと思います。
ロールケーキ特有の安っぽさが微塵も感じられません。
上にふりかけてあるのは、プラリネとチョコレート・スプレー。
「ネスラード Nestlad」(カット550円)コワントローに漬けた栗をココア入りのスポンジで巻き、チョコレートでコーティングしたロールケーキ。キャンティで開店以来47年間不動の人気を誇るケーキ。
中に入っているクリームは、栗の甘露煮を汁気をきって目の荒い漉し器で裏漉しし、マーマレード、シナモン、コワントローを混ぜ合わせたもの。 コアントローをタップリ効かせたマロンクリームとチョコレートの調和は舌をも震わせます(^Q^)
「ヴァレンチーノ Valentino」(5000円)。表面は艶のあるグラッサージュショコラで覆われ、ピカピカに仕上がっています。濃厚なチョコレートムースとヘーゼルナッツクリームの組合せ。
中身は、濃厚なチョコレートムースと、甘味を強く感じがちなへーゼルナッツクリームを組み合わせて味のバランスをとっています。
マイルドなミルクチョコレートと最高級のへーゼルナッツクリームのとろける風味がサクサクの土台とドッキング! 絶妙な味わいです)^Q^(
続く

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