アルカフェ キャンティ

変わりゆく六本木にも変わらない顔があります。六本木が閑静な屋敷町であった時代に創業した店。終戦後の占領時、六本木にアメリカ進駐軍の施設があった時代にオープンした店。時代が変わり、六本木に行くことが最高にお洒落だった時代に生まれた店。キャンティはそんな時代にオープンしました。人や文化を自然に受け入れる懐の深さが今でも残っている六本木の老舗をワンダフルハウスがご案内いたします。


わんだふるはうす 年末の外苑東通りを行く
(六本木交差点→飯倉片町)

2005年12月末、世界屈指の繁華街、六本木交差点。待ち合わせスポットとしてお馴染みのアマンドが見えます。六本木店は1963(昭和38)年オープン。1階がカフェ、2階がレストランになっていて、ケーキは30種類ぐらいあります。 地下鉄の始発が出る朝5時(土日は6時)まで営業しています。地下鉄日比谷線六本木駅が開業したのは、東京オリンピックのあった1964(昭和39)年。アマンドは前年にオープンしていたのでした。 六本木通りを右折して外苑東通りをロシア大使館方面に向かいます。
アマンドの隣りにあるシシリア。六本木に米軍施設があった1954(昭和29)年に開店した老舗イタリアンレストラン。 店内の壁は、落書きだらけで、歴史を感じさせます。 開店当時からメニューにあった長方形のピザが有名。アンアンの編集部が六本木にあった1970年代初頭、シシリアのピザを出前でとっていたそうです。アンアンの専属デザイナーだった金子さんも食べていたわけですね。
店内は1950年代の雰囲気が漂っています。オーナーの堀井克英さんは横浜・本牧(ほんもく)のレストラン「イタリアンガーデン」の出身。かつて、本牧にはエリアと呼ばれた米軍家族居留地区がありました。当時、エリアで人気だったのがイタリアンガーデンのアメリカ人コックが作り始めた薄くて四角いピザ。イタリアンガーデンは閉店してしまいまいたが、「IG」という店が、そののれんを受け継ぎました。 ミックスピザ(730円)。イタリアンとは違うアメリカンなピザ。ワンダフルハウスが今まで食べたピザの中で、文句なくNo.1の味です(^Q^) 金子さんとユリさんにとっても思い出があるピザでもあります。学生時代を横浜で過ごしたユリさんの遊び場がイタリアンガーデンでした。金子さんとの初めてのデートもイタリアンガーデン。そして、アンアン専属デザイナー・モデル時代の思い出も沢山詰まっているピザなのです。
ワンダフルハウス御用達の花屋を紹介いたします。1892(明治25)年創業の「ゴトウ花店」。大正9年に日本で初めて輸入品種の洋花を扱いました。一店舗の花屋として国内ではおそらく並ぶもののない広さだと思います。面積160坪、天井高7メートルの広々とした空間に足を踏み入れると、そこはまさに百科繚乱。ご覧のように、ニューヨーク・マンハッタン五番街の高級ショップのような店構えで、売り場もセンス良くディスプレイされています。日本の洋花の歴史がここにあります。「花キューピット」を日本国内で普及させたのも、この店なのです。フラワーアレンジメントのスクールも盛況、ここでウエディングもできます。通販もあり。
後藤午之助(うまのすけ)さんが明治25年に「花午」という屋号で創業しました。大正時代に「後藤洋花店」と改称すると共に、大使館の外国人客のために「U.GOTO FLORIST」という通称を付けました。とにかく普通の花屋ではありません。客は椅子に座り、コーヒーを飲みながら専門のフローリストに対応してもらう…。アンアン六本木編集室の目と鼻の先にあった、これほどの花屋を金子さんが見逃すとは思えません。後の金子さんのフラワープリントに最も影響を与えた店と言っても過言ではないでしょう。店を1周するだけで何かを感得したような気になります。花とは人にエネルギーを注ぐ存在なのでしょう。ワンダフルハウスは、以前、店内で生前の安井かずみさんを度々お見かけしました。安井さんの六本木の自宅近くにあるため、散歩の途中に立ち寄っていたようです。店は1995年に現在の形にリニューアルされましたが、それを見ることなく、94年に逝去されました。アンセリウムやアネモネがお好きなようでした。
「西ノ木」跡地
右は「ゴトウ花店」。2,3軒隣りに、栗崎昇さんのサロン「西ノ木」が入っていたビルが見えます。店は地下1階にありました。アンアン専属デザイナー時代の金子さんは、編集部に寄ってから、「西の木」で毎晩ビールを2本飲んでから六本木の自宅に帰っていました。10代の山口百恵さんも出入りしていた伝説の店は、2000年代に入ってすぐに閉店してしまいました。六本木の町に、かつての活気がなくなり、ビルの上階にマッサージ店ができたりしたのが店を閉めた理由だそうです。「西ノ木」が入っていたビルの3,4軒先にエクセルシオールカフェがあります。 右がエクセルシオールカフェ。細い路地を挟んで4,5軒目のビルをご覧ください。
アンアン六本木編集部跡地
真ん中の細長いビルが、「マガジンハウス六本木ビル」。ここに1970年の創刊当時、アンアン六本木編集室がありました。このビルは、編集部が銀座の平凡出版(現在のマガジンハウス)本社ビルに移転した後に建てられたので当時の面影はありませんが…。堀内誠一、金子功、立川ユリ、立川マリ、立木義浩、篠山紀信、大橋歩、原由美子、淀川美代子…アンアン創刊当時のスタッフは、わずか2年足らずの年月でしたが、確かにこの地で青春時代を過ごしました。右の写真、2階が空白になっていますが、氷川きよしさんのファンクラブが入っています。
右端がマガジンハウス六本木ビル。左端のロアビルとマックの間にある路地にご注目。 路地の奥に1983年にオープンした「ハードロックカフェ東京」があります。ロックを聴きながら、ボリュームたっぷりのアメリカ料理を楽しめるレストラン&バー。店内には有名ミュージシャンのコレクションが飾られ、音楽ファンでなくても訪れる価値あり。来日したミュージシャンが立寄る店としても知られています。この店がオープンした頃、金子さんはまだ六本木に住んでいました。ワンダフルハウスがピンクハウスを買い始めたのも1983年。都内から神奈川の大学に通う学生でした。
左に「ドンキホーテ」六本木店、右にロアビル。前方の信号左側に伝説の店が今でも存在しています。 「ザ・ハンバーガー・イン」が見えてきました。
灯りが点いていません。今日はお休みのようです。 店の前に張り紙が…。へ…閉店しています!
\\(゜ロ\\)Ξ(//ロ゜)//
「ザ・ハンバーガー・イン」は2005年12月10日で、残念ながら55年間の歴史に幕を閉じていました。寂しいことです。カメラマンの横木安良夫さんのブログに1972年に撮影された「ザ・ハンバーガー・イン」の貴重な写真が載っています。
The Hamburger Inn
(2005年12月10日閉店)
在りし日の「ザ・ハンバーガー・イン」(2005年10月30日撮影)。1950(昭和25)年創業の老舗ハンバーガー・ショップでした。創業時は六本木の他の場所にありましたが、1965(昭和40)年、ここに店舗を移転。金子功、立木義浩…、当時のアンアンのスタッフはよく利用したものでした。さらに遡ること昔、この店にスポーツカーで乗りつけ、ハンバーガーを買って、食べながら颯爽と去って行く和製ジェームスディーン・赤木圭一郎を見て、子供の頃のショーケンがそのカッコ良さにシビレタそうです。マクドナルドが日本に進出したのはアンアンが創刊した翌年の1971年。その21年も前からアメリカのダイナー風な店構えでハンバーガーをメニューに揃えていたのです。お店の雰囲気やメニューは、オープン当初からほとんど変わっていませんでした。
六本木の喧噪を通り過ぎ、東京タワーが一段と大きく見え始めました。六本木AXISビル。4階のギャラリーで栗崎昇さんの「飾花の会」が開かれたことがあります。 飯倉片町交差点が見えてきました。
LAMBORGHINI ROPPONGI Audi Roppongi
交差点横にあるランボルギーニ六本木とアウディ六本木。
飯倉片町
高速の下をくぐると、右側にキャンティのある飲食店街の一角が姿を現しました。
左側は、外務省飯倉公館。 1960(昭和35)年にオープンしたレストランキャンティ飯倉本店に着きました。温かい飲み物と食事、そして甘い物をいただきながら1970年代の文化を振り返りましょう(^Q^)
続く
キャンティのホームページはこちら

戻る