平田暁夫

モディスト(帽子デザイナー)

1925(昭和元)年、長野県飯田市生まれ。’40年に上京し、14歳で銀座の帽子店に弟子入り。戦後、帝国ホテルのアーケードで帽子制作。’55年に独立し、「アトリエ・ヒラタ」設立。’61年の第5回ファッション・エディターズ・クラブ賞受賞を機に翌年渡仏。パリで3年間ジャン・バルデ氏に師事し、日本人で初めてオートクチュールの伝統的な帽子制作の手法を習得。’65年帰国し、西麻布に「Hauto Mode HIRATA」設立。’71年、平田暁夫帽子教室を開校し、「Boutique Salon COCO」開店。以後、教室で後進の指導にあたるほか、美智子皇后や雅子さまをはじめとする皇室関係の帽子も手掛けている。パリコレや東コレなど数多くのデザイナーの帽子も担当。’94年9月には、初歩向けの本「帽子」(婦人画報社)を出版。’95年、70歳の誕生日を記念してのフランスでの個展では巨匠と絶賛された。帽子デザイナーとしての名声は、モードの本場パリでのほうが遥かに高い。


平田暁夫さん、金子さんを語る。

ピンクハウスの服には、ロマンティックな帽子より、むしろ素朴な帽子のほうが不思議と合うんだよ

自分の主張をくずさない、そのしつこさには感激するね。色にしろスタイルにしろ明確なんですよ。僕も長年、彼のショーの帽子を作るお手伝いをしているのだけれど、彼の求める色がなかなかそろわないことがあってね……。ピンクハウスの赤とかピンクの色は、僕から見ると違いがよくわからない。むしろファンのほうがよっぽどよく知っているわけだ。だから「このへんで我慢してくれよ」と言ってもなかなか納得してくれない。逆を言えば、ここまでこだわりが強いからこそ、今では一つの風俗になってしまったピンクハウスを作り上げられたんだろうね。

装苑1992年7月号「ピンクハウス物語」より


平田暁夫 雑誌掲載データ(主なもの)

雑誌名 発行年月日 ページ数 内容
pumpkin 1990・08・10 「ハンサムウーマン」 15回 市瀬恭子(平田暁夫夫人) 森瑤子との対談 
ミセス 1991・06 父への贈り物 花嫁の父 ウエディングハットに思いがすべて込められて 平田暁夫さん、石田欧子さん父娘
週刊文春 1992・02・13 Tea Time  帽子で咲かせる本物の実力と夢
FOCUS 1992・02・28 自由に楽しんでかぶればいい 帽子デザイン50年、平田暁夫の「帽子だけの展覧会」
サライ 1993・07・01 生活見直し術 かつて日本人の頭に欠かせなかった帽子 使い方次第でイメージ一変 これが帽子の楽しみ方
文藝春秋 1993・09 平田暁夫「森瑶子さんと帽子」
サンデー毎日 1994・10・30 娘とわたし 親と子の情景 第36回 平田暁夫(モディスト)石田欧子(ブティックサロン・ココ勤務) 
週刊文春 1995・08・10 仕事場探険隊 261回 平田暁夫 20人のスタッフと作る「髪の毛の一部のような」帽子
ELLE JAPON 1996・05 Fashion News 春のギンザで出会う、日本を代表する2つの個性(三宅一生プロデュース、プリーツプリーズ。春の新作に帽子デザイナー平田暁夫が参加。
クロワッサン 1996・07・25 「私についての物語 95回 平田暁夫さん」 失われかけている本物の技術。伝統的な帽子作りを継承できる世代を育てたい。
1998・12・10 何の問題もない夫婦なんて、この世に存在しない。いろいろあったけれど、私たち「夫婦」です。「僕らは、ふたりでひとりなんです」「ふたりで一人前と、言うべきね」市瀬恭子/平田暁夫
女性自身 2001・02・13 美智子さま・雅子さま 35年間デザインを手がける平田暁夫さんが、今語る初めて明かすこの「お帽子」に秘話あり。
クロワッサン 2001・04・10 新しい服の買い方と着方のすべて おとなの流行Q&A 新しい服で新しいレストランに出かけよう! 夫婦でおめかし、夫婦でデート 平田暁夫さん/市瀬恭子さん 
家庭画報 2001・06 「父から娘へ」 エレガンスの継承 オートモードの手法と精神を受け継ぐ 平田暁夫/石田欧子
メイプル 2001・09 「日用の美 41回」 ちょっと不良風? 僕のいつもの帽子 オートクチュールの帽子の第一人者、平田暁夫さん。愛用の帽子を手に、帽子の上手なかぶり方について…。
2001・10 「日用の美 42回」 アトリエで履いている竹の皮で編んだ草履
2001・11 「日用の美 43回」 生涯の贈り物。銀のブレスレット(フランスの帽子のクチュリエ、ジャン・バルデスから贈られたもの)

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