わんだふるはうす イタリアンガーデンに行く

イタリアンガーデン。かつては、GIたちで溢れたアメリカンバーの老舗。立川ユリと立川マリが青春時代を過ごした1950〜’60年代の横浜には、紛れもなく本物のアメリカがあった。本牧のベースキャンプが中心だった。ブルースとロックの世界。’50年代に根付いた本牧の基地文化は、’80年代の若者・ワンダフルハウスをも惹きつけた。本牧はいつの時代も先を走っていた。

クレイジーケンバンドのCD「ソウルパンチ」にオマケで付いてるDVD「横山剣の本牧ライフスタイル」。剣さんが指差す場所にイタリアンガーデンがありました。
1997年に消え去ってしまった本牧の象徴的な景色が動画で見れるVTRを紹介いたします。フジテレビで1994年1月14日に放送された「ワーズワースの庭で」。第38話の「懐かしの’70年代大冒険」で、高見恭子さんがイタリアンガーデンを訪れていました。 「なんか”本牧”って感じ」(ベニスの方を見て)「ここはレストランかな?」。ベニスの隣りの「こうさいどう」という瀬戸物屋さんらしき店も見えますね。
イタリアンガーデンを開いたのは、ジョージア州出身のイタリア系アメリカ人ハリー・コーベットさん。船乗りでした。ハリーさんは日本で恋に落ち、そして結婚。陸(おか)に上がり、1958(昭和33)年に仲間とレストランを本牧に作ります。それが、このイタリアンガーデンでした。イタリアンガーデンには米軍兵だけでなく、石原裕次郎など日活の映画スターたちも訪れていました。ユリさんやマリさんと同様に、彼らのお目当ては当時の日本では珍しかった最新のアメリカ音楽。アメリカでヒットした曲が1週間後にはイタリアンガーデンでかかっていました。
「あれっ、なんか…アメリカっぽい!」この看板を見る限り、当時の営業時間は19:00〜27:00 水曜休だったようです。このVTRが撮影されたのは1993年の12月。当時のオーナーは、現IGのオーナー八木さんでしたが、高見さんや撮影クルーが来店したことを覚えていませんでした。たぶん、店は店長に任せて八木さんは遊んでいたのだと思います。 「なんか、いい! ここ好き!」入口の右側にコインロッカー、左側の壁のポスターをご覧ください。”MOJOS”という文字が見えます。前方のドアを開けると…
「なんか70年代の扉を開けるような感じ」右側にタバコの自販機。 階段を降りて地下へ。「うわーっ! この匂い、お伝えしたいですね。なんか…バーの匂い」
ここが、剣さん言うところの”伝説の地下室”です。店に入ると前方にバーカウンター。「(床を踏んで)ここ、ガタガタしてる」。左に曲ると… テーブル席。店内は、かなり広いです。さらに左に曲ると…
突き当たりにビデオプロジェクターがあって、’70年代のアメリカンロックのライブ映像が流れています。あそこがステージで、クレイジーケンバンドは、ここで発生したのです。高見さんは、左のカウンターに座ります。 「なんか、いいなぁ〜。昔そのまんま。10代の時に戻ったみたい」 おっ! あのスロットマシーンは?
ボロボロになりましたが、現在もIGにあります\(^O^)/
本牧名物の四角いピザが登場しました。高見さんの後ろに見えますメニューにご注目。
’93年当時のメニューと見比べると違いますが、これも閉店時にイタリアンガーデンから運び込んだものだそうです。ワンダフルハウスは、7upとミックスピザを注文しました。
セブンアップ(500円)。学生時代のワンダフルハウスにとって、7upは、スプライトとも三ツ矢サイダーともキリンレモンとも違う、アメリカを感じさせる味のサイダーでした。東京で売ってる店は少なくて、青山の紀ノ国屋で350mlの輸入缶を買っていました。当時、国産の缶ジュースは250mlで、缶のサイズにもアメリカを感じたものです。 八木さんと昔の本牧の話をしていたら、この写真集(1970年代 横浜・横須賀外車ストリート)を見せてくれました。おっ、右下の写真は懐かしい! 鉄条網で囲まれ、日本人はオフリミットだったPX(Post Exchange 米軍専用スーパー)ですね。当時八木さんが乗ってたアメ車も載ってました。
ミックスピザ(1000円)。イタリアンガーデン伝統の四角くて薄いピザの登場です。まずは一口… 昔と同じ味です!\(^Q^)/ 何故四角いのかは諸説あります。1958(昭和33)年開店当時のイタリア人料理人が元潜水艦乗りで、艦内で作っていたピザが四角形だったから(丸型より四角い方が潜水艦の厨房という極端に狭いスペースでは沢山並べられる)。開店当時のオーブン型が四角かったからなど。いずれにしても、このピザは、まだ日本にイタリア料理の萌芽さえなかった時代に現われた、国内で最古のピザの一つです。
ここで、1984年に出版された「金子功のワンピース絵本」の中の「あのとき、十四才と十六才」を見てみましょう。この8ページに渡る作品は、金子さんが、モデルのジョディとジュンを、16才の立川ユリさんと14才の立川マリさんに見立てて、横浜市内の各所で撮影した作品だったのです。時代設定は1950年代後半ですね。左の写真、窓の中にエンブレムが見えます。エンブレムの文字を拡大すると「The Veterans of Foreign Wars」…略して「V.F.W」…ここは、イタリアンガーデンの隣りにあった米軍の退役軍人クラブです。ベースが返還されて数年後の1980年代半ばから日本人も入店できるようになりました。1984年の夏、金子さんは本牧に来て、撮影場所として、V.F.W入口前の階段を選んだのです。
後方に見える船は、入場者が減少したために2006年12月25日で営業を終了した氷川丸です。1930(昭和5)年竣工の氷川丸は、優美な船型とアールデコ様式のインテリア、一流シェフの料理などのサービスから”北太平洋の女王”と呼ばれ、主にシアトル航路で活躍しました。戦時中は病院船、終戦時は外地からの復員船としても運用され、戦前戦後で北太平洋を238回横断後、1960年に引退して横浜港に係留されました。今後は日本郵船に譲渡され、保存される方向のようです。 金網のフェンスとMPの詰所のような建物が見えます。ここは本牧のエリアワンですね。この写真が撮影されたのは、ベースが返還されてから2年後の1984年。当時のエリアワンは米軍の施設が撤収されて、フェンスはあったものの出入り自由。広大な空地で束の間のアメリカを楽しむことができました。
この写真は、本牧のイタリアンレストラン&バー「リキシャルーム」の店頭で撮影されました。この旧店舗は、イタリアンガーデン同様、地上げによって2002年に取り壊されてしまいました。ハリー・コーベットさんが作ったもう1つのレストラン「リキシャルーム」。そこは、本牧ベースキャンプの米兵たちのオアシスでした。
現在のリキシャルーム。2003年に新しく建ったマンションの半地下に等価交換方式で再オープン。2006年8月31日にママが引退したために一旦閉店しましたが、3ヶ月間の休業の後、12月7日に娘さんが後を継いで再オープンしました\(^O^)/
「金子功と立川ユリが初めてデートしたのがイタリアンガーデンであり、べべという店名は立川マリが名付けたんですよ」「俺達の知らないことまで知ってる…」と絶句する”本牧の生き字引”八木さん。金子さん達より下の世代である八木さんは、イタリアンガーデンやべべの開店当時の客であったユリさんやマリさんの伝説を知らなかったのでした。「ところで、ワンダフルハウス君、今度パシフィコ横浜ムーンアイズのショーやるんだけど来ない? イタリアンガーデンのTシャツ復刻するよ」「そのTシャツは欲しい! それでは、行かせてもらいます」
続く

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