わんだふるはうす HCS2006 に行く
PART2

ホットロッド。アメリカン・カーカルチャーの重要な一角を占めるカスタムカーの世界。日本のホットロッド・カスタムカーシーンを牽引しているムーンアイズが、毎年12月第1日曜に開催しているイベント「YOKOHAMA HOT ROD Custom Show」。2006年12月3日(日)、ワンダフルハウスはパシフィコ横浜で行なわれた第15回ヨコハマ・ホットロッド・カスタムショー2006に行ってきました。

やっと八木さんを見つけました。あそこがIGのブースです。 おおっ! ムーンアイズの黄色いジャンパーを着た、あちらの御方は…もしや?(^O^)\
「IGのソフトクリームは最高!\(^Q^)」と語る、こちらの御方こそ、HCSの主催者であり、ムーンアイズ社長の菅沼さんです。クレイジーケンバンドの横山剣さんがリスペクトしている本牧の3大重鎮の中の1人です(他の2人はCHIBOさんと八木さん)。
菅沼さんは、1955年横浜市神奈川区生まれ。大学生だった1976年の夏休みに、アルバイトで貯めた10万円で解体寸前の’60年式サンダーバードを購入。その後、お金が貯まるごとに色を塗り、タイヤを替え…翌’77年の春休みには走れる状態にします。菅沼さんにとってサンダーバードを走らせる場所こそ本牧だったのです。’70年代後半、雑誌「ポパイ」の影響でアメリカン・カルチャーがブームになり、ベースのあった本牧は、”ホットロッド”というアメ車文化の象徴的な場所でした。菅沼さんは’78年にアメリカの大学に留学。4年後に帰国し、本牧に店をオープンしました。
こちらが、ムーンアイズのブースです。 HCS2006の会場だけで限定販売されたラットフィンクのビートニック・バンディット。
キャップ、Tシャツ、スウェット…カジュアルなウェアが豊富です。
こちらの商品は、ムーンアイズエリア1yahoo楽天でも買えます。
わんだふるはうす私物
ムーン ジップアップ パーカー
(7140円)
ムーンアイボールTシャツ(USA版)
(3360円)
ワンダフルハウスも、もちろん持ってます。2着ともバックプリントに、でかいアイボールが。
「八木さん、ソフトクリーム売れてますね」 「おぅ! ワンダフルハウス君、よく来たねぇ」「おおっ! 隣りの美しい女性は?(^O^)\」「店を手伝いに来てくれたIGのお客さんだよ」 おっ!(^O^)\よく見ると2人の間に男性が見えます。IGの月曜日のマスター「虎さん」です。八木さんは火曜〜土曜の勤務。日曜は「ジミーさん」が店にいます。
「おおっ! このTシャツは…イタリアンガーデンの○○周年記念の時に作られたTシャツを復刻した…(何周年だか忘れた)…お洒落です!\(^O^)/
ワンダフルハウスはTシャツを買いました。
わんだふるはうす私物
2800円(IG)
いよいよ、THE MOJOS(モジョーズ)のライブが始まるみたいです。
THE MOJOS!\(^O^)/ 背中を向けてる人が… CHIBOさんです。
CHIBO(チーボー)こと竹村栄司は、1947年横浜本牧生まれ。1960年代当時、日本で最新の音楽情報発信地であった横浜が生んだ日本ロック黎明期の伝説的ヴォーカリスト。「ゴールデンカップス」と共に横浜を代表するブルースバンドだった「パワーハウス」のリードヴォーカル&ベーシスト。加部正義(G)、陳信輝(D)と3人によるバンド「ミッドナイト・エクスプレス」のメンバーとしてキャリアをスタート。加部が「ザ・ゴールデンカップス」の前身である「平尾時宗とグループ&アイ」に移籍したため、陳は途中でギタリストに転向し、バンド名も「ベベス」に変えている。このバンド名「べべス」はIGの2階にあるシャッフルの前身の店であったロック喫茶「べべ」から取った。この店名「べべ」は客であり、当時の人気モデルであった立川マリが、憧れていた女優ブリジッド・バルドーから取って名付けた。「べべ」のオーナーは何代か変わっていて、最後のオーナーがCHIBOである。やがて、陳(G)、竹村(Vo)に、柳ジョージ(B)、野木信一(D)のメンバーが揃い、バンド名を「パワーハウス」に改め、1969年3月に「バック・イン・ザ・USSR」でデビューし、同年4月にアルバム「ブルースの新星〜パワーハウス登場」(写真のCDはワンダフルハウスの私物。左から陳・柳・野木・CHIBO)を発表する。POWER HOUSE解散後、1971年にPOWER HOUSE BLUES BANDを結成。1980年からCHIBO&The Bayside Street Band、2004年からTHE MOJOSを率い、実に40年にもわたり活動を続ける本牧のロッカー&ブルース・ミュージシャン。
右の2人は、クレイジーケンバンドのメンバーでもある信也さん(BASS)とガーちゃん(Rhythm G)。
ドラムはクレイジーケンバンドのツアーに参加したこともある森さん。
POWER HOUSE BLUES BAND時代からCHIBOさんをサポートしているリードギターの中屋さん。
おっ、あのブラックジーンズは?(^O^)\ MOJO JEANSです!\(^O^)/
この時、CHIBOさんは、なんと59歳。やばい…これが本物の不良です。
ホットロッド+パンクロック=これがカレージパンクです。
この日は、オリジナルの「ロックンロール中毒」など4曲を演奏。ストレートなロックンロールがカッコ良かったです。興味のある方は、CD「MOJOS ’05 本牧ロック化計画」でどうぞ。
1. 本牧ロック化計画
2. 黒ツヤ消しのスピードスター
3. DANGER ZONE
4. DO THE DOG
5. MELLOW DOWN EASY
6. ROCK’N ROLL 中毒
7. KNOCKIN’ON THE HEAVENS DOOR
8. BLUE SUEDE SHOES
9. ALL DAY & ALL OF THE NIGHT
10. A WHITER SHADE OF PALE
11. IMITATION NO SATISFACTION
12. MESSIN’WITH THE KID
13. I’M WISHING FOR TOMORROW
14. HOW MANY PEOPLE CRY?
15. BATMAN theme
ん? このマークは、CHIBOさんのタトゥーと同じ柄ですね。
おおっ! この車は?(^O^)\ これこそ映画「アメリカン・グラフィティ」で有名な”ロッドの中のロッド”1932年式 フォード デュース・クーペです!\(^○^)/ このような車のオーナーとは一体? その時、フェンスの向こうから「それ、俺のクルマ」という声が…
フェンスの向こう側には、CHIBOさんがいました。横山剣さんがリスペクトしている本牧の3大重鎮の最後の1人、本牧のボスの登場です。
「おっ、エンジンに目玉のマーク!(^O^)\ CHIBOさん、このデュースは、ムーンアイズで買ったんですか?」「そうだよ。部品とか探してもらえるからね。ずっと同じポルシェに乗ってたんだけど、今年これに買い替えたの」「本牧ドールでは、黒いフェラーリに乗ってたはず…」「あれは嘘!ポルシェだよ」「おおっ!(^O^)\ よく見ると、オートマ、パワステ、エアコン…装備は最新テクノロジーだ。値段はいくら位したんですか?」「600万」
よく見ると、フェンスの向こうは、”不良の総合デパート”「ブラックマーケット」のブースでした。その隣りがIGだったのです。ライブを終えたMOJOSのメンバーも集まっています。
おおっ! 上のパーカのバックプリントは?(^O^)\
デュースです!\(^O^)/ ブギーカフェ前に置いてあるハンバーガーの看板まで登場してます。
この髑髏のスウェット・パーカはカッコいい! これをください!(^O^)/
わんだふるはうす私物
4800円(ブラックマーケット)
CDもください!(^O^)/
いよいよ、MOJO JEANSの登場です。
髑髏と血の滴るようなロゴにワルっぽさを感じさせます。しかし、ディテールは、いたってシンプル。尾錠(バックストラップ)が付いていて、昔のVANのコッパンのようなシルエット。「CHIBOさん、ジーンズもください!(^O^)/」
「ワンダフルハウス君、このジーンズは、いい仕上げしてあるから、裾上げするなら、同じステッチにして欲しいんだ。直し屋教えるよ。ここは試着できないから、ちゃんと試着してから買った方がいいよ。今度店においで。店には紺(インディゴ)もあるから」「さすがCHIBOさん。こだわりがあります\(^O^)/ では、今度ブラックマーケットに行かせてもらいます」
1958(昭和33)年、本牧にイタリアンガーデン開店。3年後の1961年、立川ユリ16歳でモデルデビュー。その時、立川マリ14歳、CHIBO14歳。果たしてCHIBOさんは、ユリさんとマリさんを知ってるのでしょうか?(この続きは、後日、BLACK MARKETのコーナーで)
いつの間にか、ショーの終了時刻(17:00)になってしまいました。THE MOJOSは、意外なことに、金子系バンドでもあった…ワンダフルハウスは感動的なイベントを後にしました。
ヨコハマ・ホットロッド・カスタムショーは、毎年12月第1日曜日に、パシフィコ横浜で開催。来年は皆さんも是非どうぞ。

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