小人(こびと)横浜の港に、日本のおばあちゃんや親類の人たちがいっぱい迎えに来ていた。ユリとマリは小声でささやき合った。 制服横浜のサン・モール学園。ユリは2年生に、マリは1年生に通い始めた。 べラ優等生は胸に花の形のバッジをつけるのだった。ユリは、そんなバッジをもらったことがない。数学がきらいで、あんまりわからないので、先生の隣に座らされたことはあるけれども……。 仕事学校から帰ると、おしゃれして元町のジャーマンベーカリーへ行って、アイスクリーム食べて。そんなユリに、ある日近所に住んでいたおばさんから、思いがけない話が――。 洋服いろいろなデザイナーとも知り合いになった。ユリは自分の服をコシノさんに作ってもらっていた。マリは金子さんという若い男のデザイナーに。 イタリアン・ガーデンある日、仮縫いをしながら、金子さんがきいた。 |
孤独な青年がいた。デザイナーの、まだ卵だった。山口県の家をあとに大都会東京に来て、絵の学校(セツモードセミナー)と文化服装学院(エコール・ド・クチュール)に通ったが、恋人はいなかった。ココ・シャネルに恋していたし、いつか自分が有名デザイナー(グラン・クチュリエ)になるという途方もない夢を描いていた。 孤独な少女がいた。透きとおる白い肌と不思議な瞳の色が、横浜に住んでいてさえも一際異国的で、心を開き合える相手はいなかった。この美しい少女はモデルだった。まだ雛だったけれど、もっと有名に、もっと美しくなりたいと熱望していた。 Boy meets girl物語の発端は、週刊誌の小さなファッションページの撮影だった。お互い別の雑誌で名前は見たことがある。卵と雛では、それほど華やかなページをあたえられるわけでもないが、以来何回か顔を合わせる機会があった。――ある日、少女が言う。 ね、洋服つくってくれない?(きっとコシノさんより安く縫ってくれるだろう。ELLEに出てたような可愛い服、いっぱい!) うん、いいよ。(え、俺に注文してくれるの!? もちろん喜んで、とびきりのオリジナルデザイン。生地は下北沢で買おう。が、待てよ、財布はほとんど空っぽだ。しかしこの素敵なチャンスを逃せるか。友達に借金しても質屋に行ってでも、いちばんいい生地買わなくちゃ。) 立川ユリ。ほんもののモデル。だがそれ以上に彼女は、青年の魂を揺り動かす魅力を持っていた。彼女をイメージしながらデザインを考えると、次から次にVOGUEでもSeventeenでも見たことがないほどチャーミングな服が創れるのだった。 金子功サン。静かな男(ヒト)ね。少しおとなしすぎる。デートに誘ってくれればいいのに。――初めての服が出来上がった日に、金子サンと初めてふたりきりで会った。(わッ、ELLEより可愛い服だ!) 袖ぐりが小さくて腕が細ぉく見えるとてもスマートな、プリントのワンピース。仕事に着て行った。装苑の編集の女性やほかのモデルたちが「それどこの? ね、教えて、教えて」と騒いだ。 「金子功のプリント絵本」より |
始めて知ったヨコハマは’50年代(フィフティーズ)で、ユリがいて、基地(キャンプ)があったりNY(ニューヨーク)風のバーがあったりした。ジュークボックスがブレンダ・リーやコニー・フランシスの歌を流した。ジャーマン・ベーカリーやイタリアン・ガーデンで待ち合わせるデートが最高のおしゃれ。 「金子功のブラウス絵本」より |
国道16号線。左に桜木町駅が見えます。前方の首都高横羽線と、JR根岸線の陸橋左側に「みなとみらい21」が姿を現します。 | よこはまコスモワールドの大観覧車「コスモクロック21」が見えました!\(^O^)/ |
おおっ! 綺麗です!(^O^)\ まるで花火です!\(^○^)/ 15分ごとに点灯されるイルミネーションで、花火のように輝くコスモクロック21。ベースの色は季節によって変化していて、春はグリーンイエロー、夏はブルー、秋はゴールド、冬はピンクレッドになります。 |
馬車道 | |
右に見えます高層マンションは、2001年にできた「横浜シティタワー馬車道」。1980〜90年代は「丸井横浜関内店 馬車道館」があった場所です。カールヘルムのショップも入っていて、なじみの店員もいたので、ワンダフルハウスもよく通いました。 |
市庁舎前 | |
このまま直進して、R16から尾上町通りに入り、突き当たると、右手に横浜市役所、目の前に「横浜スタジアム」が。ここを右折して日本大通りに入ります。 | 横浜スタジアムのある横浜公園から横浜港を結ぶ「日本大通り」。横浜港が開港 されたとき、通りを挟んで外国人居留地と日本人街に分けられたことから、名付けられました。 明治12年に設計された日本初の西洋式街路で、贅沢に広い道の両側にはオープンカフェやギャラリー、横浜開港資料館などの歴史的建造物が建ち並んでいます。前方の関内駅南口交差点を左折して… |
横浜スタジアム前 | |
横浜スタジアム沿いに直進します。 | 左折すると「横浜赤レンガ倉庫」。本牧は真っ直ぐ。 |
中華街西門 | |
左手に「中華街(公式、ぐるなび)」の西門が見えました(^Q^) ここからが”本当の横浜”です。 |
西の橋 | |
首都高速湾岸線の下をくぐります。左折すると山下公園。 |
元町 | |
元町交差点。前方に山手トンネルが見えてきました。左手には、ハマトラ発祥の地「元町ショッピングストリート」があります。 『学校から帰ると、おしゃれして元町のジャーマンベーカリーへ行って、アイスクリーム食べて。そんなユリに、ある日近所に住んでいたおばさんから、思いがけない話が…。「わたしのところへきて、やってみない?」 その人は、ファッション・モデルのクラブの人だった。』(立川ユリ物語より) この門をくぐって、少し歩いて右側にあったパティスリー「ジャーマンベーカリー」は、もうありません。跡地は「エクセルシオールカフェ 横浜元町通り店」になっていました。 1970年代に入ると、立川ユリさんと立川マリさんの後輩である「サンモール インターナショナルスクール Saint Maur International School」の生徒達が「フクゾー FUKUZO」の服をカジュアルに着こなし始めます。地元・元町商店街で買った服をお洒落に着こなす感覚に、フェリス女学院の生徒達が注目し、彼女達も元町で買い物するように…フクゾーの服に、「ミハマ MIHAMA」のペタンコ靴と、「キタムラ Kitamura」のバッグを組合せて、お嬢様風ファッションを作り上げ…神戸発のニュートラに対して、こちらは横浜発のトラッド、ハマトラが誕生したのです。しかし、それ以前にも、この辺にはお洒落な人はいたようで、安井かずみさんなどは、フェリス女学院中・高等部在学中の1950年代に、後にハマトラと呼ばれるスタイルを確立していたのでした。 |
元町五丁目東 | |
目の前に2つの山手トンネルが見えてきました。左は下りの「第一山手トンネル」。右は上りの「第二山手トンネル」。昔は山手トンネルは「山手隧道」と「本牧隧道」と別の名前が付いていました。明治44年に横浜電気鉄道(大正10年に市電になる)本牧線が開通した際に、右の「本牧隧道」ができて、昭和3年に左の「山手隧道」が完成。本牧隧道は路面電車(市電)専用に使っていましたが、昭和47年に市電が廃止されると、道路が一般車両に開放されて、トンネルの名前も「第二山手トンネル」と改称されたわけです。 |
山手トンネル入口 | |
「本牧に行く途中の山手トンネルは、僕にとってあの頃に戻れるタイムトンネルみたいなものなんです」と語るのは、イタリアンガーデンが生んだ東洋一のサウンドマシーン、クレイジーケンバンドの横山剣さん。フェリス女学院は左側。立川ユリ・マリ姉妹が子供の頃に何度も通った、山手トンネル(通称「麦田トンネル」)に入ります。 |
麦田 | |
トンネルを抜けると、麦田、もうすぐ本牧で、そこはアメリカでした…というのはワンダフルハウスが学生だった頃の話で、大学2年だった1982年に米軍接収地が返還されて以降は、そんな感じは薄くなってしまいました。ユリさんとマリさんが住んでいた1950年代から60年代は本牧の全盛期で、朝鮮戦争やベトナム戦争で米軍兵が街中に溢れ返り、大いに賑わっていたのです。当時は、本牧が日本で一番最初にアメリカ文化が入ってくるエリアでした。 |
山手公園入口 | |
立川ユリさん、立川マリさん、そして”べラ”こと入江美樹さんが通った「サンモール インターナショナルスクール」は、山手公園の向こう側。入江美樹さんは、1944年8月14日、神奈川県横浜市生まれ。母親は料理研究家として活躍された入江麻木さん。ロシア人の血が混じったクオーターで、サンモール在学中に「装苑」のモデルに選ばれ、ファッションモデルとして活躍。1964年、日本・カナダ・イタリア・フランス合作のオムニバス映画「白い朝」の勅使河原宏監督が担当した部分に出演。ちょうどその年(1964年)、勅使河原宏監督の「砂の女」がカンヌ映画祭に正式出品されてカンヌ入り。同行したメンバーは、「砂の女」の宣伝プロデューサーもしていた「レストラン キャンティ」のオーナー川添浩史氏と梶子夫人、 篠田正浩監督の非公式招待作品「乾いた花」に出演していた加賀まりこさんなど、今考えると超豪華。指揮者・小澤征爾氏と結婚後は家庭を守ってきたヴェラさんも、ユリさんと同じく、現在はファッションデザイナーとして活躍しています。 |
鷺山入口 | |
昔の本牧っぽい店が見えてきました。 |
このロゴマークは懐かしい! 横浜フリーウェイ428のロゴ入りトレーナーやトートバッグは、’80年代前半、学生の間で流行りましたね(^‐^) この建物は、以前工房だった所みたいです。 |
山手駅入口 | |
ここを右折(写真右)すれば、JR根岸線山手駅。 |
本牧一丁目 | 大鳥小学校入口 |
ここはもう本牧です! イタリアンガーデンは、次の信号過ぎて左側。 | 前方左側がイタリアンガーデンです…おやっ!? |
イタリアンガーデンがあった場所には、マンションが建っていますね。店は無くなってしまったのでしょうか? | ん? マンションの反対側にブルーのネオンが… |
「IG」…「Itarian Garden」の頭文字です! 暖簾は守られていました\(^○^)/ イタリアンガーデン最後のオーナー八木さんが、名を残すためにオープンさせたピザバー「IG」で、本牧名物の四角いピザをいただきましょう(^Q^) | |
IGの2階に見えるお店は、ロックバー「Shuffle シャッフル」。以前の店名は「Bebes べべス」。その前は「Bebe べべ」。「べべ」は、ブリジッド・バルドーが好きだった立川マリさんが名付けたお店であり、高橋咲さんの小説「本牧ドール」の舞台になったお店です。 |