昔、インドに旅して、我が憧れのジプシーたちの発祥がインドだと知った。インドには、胸しめつけられるような美しい色彩や、優しい形が溢(あふ)れていて、旅は刺激に満ちていた。
黒い髪と黒く大きな瞳の、痩せに痩せた女の褐色の膚(はだ)に、額の紅やキラララ輝いて音を立てる腕輪がよく似合っていた。
裸足の細い足首で鳴るアンクレットや、撓(しな)やかな躰(からだ)を包む絹や木綿、濃密な香の匂い、……すべては、自らを飾る歓びを知る女たちの、永く積み重ねた知恵のようにも思えたし、あるいは、身を飾る楽しみが女の本能だということを謳(うた)いあげる詩のようにも見えた。裸足で暮すような貧しい娘たちが、パリ女よりもコケットで、豪華に見える身の飾り方を知っている。ガラスの腕輪や黄色い野の花の小束くらいで、貴婦人のように誇らかに装うのだ。
ヨーロッパでは、いつもジプシーたちの哀しく艶(あで)やかな嬌態に魅せられる。幾枚も幾枚も重ねるペティコート、持っているかぎりの装身具(アクセサリー)すべて身につけて、黒い縮れ髪なびかせて、性悪そうな目つきで男を睥睨(にら)む。そう、カルメンの目だ。
あんな女に愛されてしまったら男は身の破滅……彼女が死んでくれるまで、心の安らぐときなどない。媚態や嫉妬や涙や怒りや、それに優しく寛(ひろ)く海みたいに深い心や、あらゆる贈りもので男を酔わせ苦しめる。そんなジプシーのイメージや、インドの詩(うた)が、いつも心に懸(かか)っている。考えてみれば、それは世界中の女の誰もが生れながらに持っている、共通の魅力にも結びつく。
いつも祭りのように華やいで、いつも恋し愛していたい、すべての女たちにインドの生地の肌ざわりを贈りたい。(金子功)
アンアン1987年2月20日号(No.565)より