隠居光枝

隠居光枝(いんきょみつえ)さんは、1981年に駒沢短期大学英文科を卒業後、(株)ピンクハウスに入社。新宿丸井ヤング館→ラフォーレ原宿→新宿伊勢丹→’83年よりピンクハウス・ラフォーレ原宿店店長。アンアンに、たびたび登場し、カリスマ的な人気を誇った。’85年8月カールヘルム青山店店長となり、1980年代後半に、結婚のため、退社された。
隠居さんがピンクハウスのカリスマ・ハウスマヌカンとして果たした役割は大きい。立川ユリさん(インゲボルグのイメージキャラクター)、大橋歩さん(DM、ポスターなどのイメージイラストレーション)、奥田瑛二さん(カールヘルムのイメージキャラクター)とともに、1980年代のピンクハウス急成長の原動力となった一人である。

隠居さんが登場した雑誌
ピンクハウス時代
アンアン1983年7月15日号(No.388)「ハウスマヌカン特集号」
アンアン1983年9月2日号(No.394)「全国9大都市ハウスマヌカン100人の意見」
アンアン1983年10月7日号(No.399)「ファッション界就職・転職情報」
アンアン1984年2月24日号(No.418)「ただいまハウスマヌカン募集中」
アンアン1984年11月30日号(No.456)「この服が売れると思うな」(白黒)
アンアン1985年3月8日号(No.469)「ひとり暮し特集号」(自宅ロケ)
アンアン1985年6月14日号(No.482)「サザビーの木のテーブル」(自宅ロケ)
カールヘルム時代
アンアン1986年1月31日(No.513)「南青山物語」文中に登場
オリーブ1986年3月3日号(No.86)「男の子のおしゃれショップ」(セリフのみ)
ホットドッグ・プレス1986年3月25日号(No.140)「コーディネイト名人になる店」

ファッション界で自分の希望する職場につく方法。

ananの中の”金子功のいいもの見つけた”が、私大好きだった。赤いシルクのスーツにブーケのコサージュ、それにジージャン……なんて組合わせを見たときなんかは、わあ素敵だなあって。
でも、ユリさんのイメージがとても強かったので、大人っぽい人しか着られないのかとずっと思ってたんです。
大学を卒業したら、すぐにアトリエに電話をかけて、面接を受けることになったんですけれど、ちょっと悩んでしまったのね。その頃私は20歳だったけど、それだと若すぎるかな、なんて考えて。で、履歴書には24歳ってウソを書いてしまったの。あとでバレて笑われました。
洋服の知識はなかったけど、働きながら少しずつ覚えてます。

アンアン1983年10月7日号(No.399)より


南青山物語

(連載第2部 23)

文・絵 林 真理子 

高樹町の交差点近くに、「カールヘルム」のブチックがある。
ここの店長のインキョさんは、南青山一、いや東京でいちばん綺麗なハウスマヌカンではないだろうか。ピンクハウスにいた頃、よくアンアンにも登場してきたから知っている人も多いはずだ。
透きとおるような肌に長い髪。おまけにとても親切で、このあいだはお得意さんだけにくれる手帳を、一度も買い物をしたことがない私にくれた。本当にいい人だ。
初めて会ったのは、今年の夏頃で、六本木のとある喫茶店で偶然紹介された。私と一緒にいた友人が、彼女の知り合いだったのだ。その時、シルクのブラウスが話題に出た時、彼女の口から思わぬ言葉が出たのである。
「シルクもいいけど、洗たく代がバカにならないものね。私、高梨クリーニングに毎月相当使ってるわ」
高梨クリーニング…、高梨クリーニング…。どこかでよく聞く名前だ。よく考えてみたら、うちから歩いて1分の店ではないか。
「もしかしたら、インキョさん、東麻布に住んでない」
「そうよ。高梨クリーニングから歩いて30秒ぐらいのとこ」
1分プラス30秒、つまり私とインキョさんのうちはそれほど近いことになる。そういうことの好きな私は、さっそく次の日、高梨クリーニングのおばさんのところへ聞きにいった。
「ねぇ、お客さんでインキョさんって人いない」
「ああ、あのキレイな人ね」
「やっぱり、いたんだ」
これだけで満足して帰るのだから、私もわりといい性格である。
ところで、ハウスマヌカンという言葉は、もうすっかり日本語になったような感があるが、ブチックに勤める男の人たちは何て言うか知ってましたァ?
そう、ハウスマヌカン・オムっていうんだと。私が人生相談のページを持っている「ミンクス」という雑誌のグラビアに彼らがのっていた。私がいちばん気に入ったのは、メンズ・バツの渋谷丸井ヤング館に勤めている峰松雅彦さんだ。
私はインキョさんというハウスマヌカンのお友だちはできたので、今度はハウスマヌカン・オムの方とお友だちになりたいものだと思う。よろしく!
・・・・・・後略・・・・・・

東麻布の地図

アンアン1986年1月31日号(No.513)より


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