わんだふるはうすcuisine francaise JJに行く
クリスマス・イルミネーション・ディナー編

東京ミッドタウンは、今年2度目のクリスマスを迎えています。「大切な人の幸せを願う誰もがサンタクロースである」というコンセプトのもと、自分の大切な恋人や友人や家族を想う、ミッドタウンに訪れるすべての人が幸せになりますように…。そんな想いを込めて今年もクリスマス・イルミネーションを中心とした様々なイベントを展開しています。2008年12月、東京ミッドタウンにあるジョエル・ブリュアンさんのお店「cuisine francaise JJ キュイジーヌ・フランセーズ・ジェイジェイ」をワンダフルハウスが訪ね、クリスマス・イルミネーション付きディナーを堪能してきました。メニューの数々を順番に紹介いたします。

クリスマスも目前になり、ものすごい人出です…おおっ!あれは!?(^O^)\ キリコツリーです!\(^O^)/
東京ミッドタウンのメインツリーであるKIRIKO Tree。江戸切子をモチーフにした高さ8mのツリーは伝統と技術の結晶。音と光の演出で、月明かりや情熱的な炎などを表現しています。ツリーの中に入って上を見上げると、鏡面の世界が広がり、永遠に続く世界観を見ることができます。そして10分に1回、満天の星空が広がります。
ん? あのイルミネーションは何でしょう?(^‐^)\
シャンゼリゼ・イルミネーションです!\(^○^)/
日仏交流150周年を記念して、世界で最も美しいと言われるパリのシャンゼリゼ・イルミネーションが今年は東京ミッドタウンで見る事ができます。さくら通りと外苑東通り沿いの街路樹に約4万球のLEDを散りばめ、まるでシャンパングラスの並木を歩いているような、ロマンティックな空間になっています。
白い光が上から下へ…まるで雪が降っているようです。 おっ、2階建てバスです!(^O^)\ヤッホー
見どころは、雪が降る様をイメージした「スノーフォール」。実際にパリで使用されていたLEDを譲り受けて飾り付けています。木に巻きつけるだけのイルミネーションが主流の中、シャンパン型に彩られた“デザインされたイルミネーション”を見ることができます。
ん?人がたくさん集まっていますよ(^-^)\ あそこにもツリーがありますね。
うわーっ! 銀河が浮かび上がったような…あれは何でしょう?(゚O゚)\
あっ!真ん中に何か出ましたよ?
星座に変わった!
また1つ星座が生まれました。
次々と星座が誕生しています。
2000m2にも及ぶ広大な緑地に出現した無限大の銀河…これはスターライトガーデンです。ガーデン全体にイルミネーションを展開。6つの冬の星座や銀河が浮かび上がり、幻想的な空間になっています
次の星座は大きそうですよ。
6つの冬の星座(北斗七星、カシオペア座、ふたご座、ぎょしゃ座、オリオン座、おうし座)が次々に浮かび上がり、各星座の1等星は大きく明るくなっています。
ものすごい星座が誕生しようとしています。
あーっ! 星が流れた!?(゚O゚)\
こっ…これは?(゚O゚)\
流れ星です!
回転しています!
30分に1回、スペシャルコンテンツとして流れ星が立体的に流れるようです。
う…美しい…(゚O゚)\
うわーっ!強烈な光が!(>o<)\
芝生全体が一瞬、幻想的なブルーの光に包まれた後、流れ星と星座は消えていきました。
おお…星が少しづつ消えていく…(゚O゚)\
星が全部消えて真っ暗に…ブラヴォー!\(^○^)/…素晴らしいショーでした!
ん?何か文字が浮かんでいますよ?(^-^)\ エアー・フランス!
そうだ、フランス料理を食べに行きましょう 〜/(^Q^)/
「こんばんは! 〜/(^O^)/」「これはこれはワンダフルハウス様…」
「今夜は寒いのを我慢してテラスでいただきましょう 〜/(^Q^)/」
「寒いので温かいスープをください!(^O^)/…そうですね…コンソメはありますか?」「メニューにはございませんが、スープ・オー・トリュフのベースとなるスープですので、いつでも御用意できます」「では、コンソメで!(^O^)/」「メインはどうしましょうか?本日はジョエルがワンダフルハウス様のために“ヴォー veau”を用意しておりますが…」「ヴォー?(゚O゚)\」「仔牛です」「いいですね!ローストにしてください!」「かしこまりました」
「ワンダフルハウス様、今、パラソル・ヒーターを点けますので少々お待ちください」「パラソル・ヒーター?」「ストーブでございます」
「おっ、ストーブが点きました!(^O^)\」

Amuse bouche

「ワンダフルハウス様、アミューズの“Poelee de seiche sauce tapenade 甲イカのポワレ ソース・タップナード”でございます」
「ソース・タップナード?(゚O゚)\」「タップナードとは、ケッパー、オリーブ、アンチョビ、ニンニクをミキサーにかけてピュレ状にしたもので、プロヴァンス地方の伝統的なソースです」
「タプナードという名前は、ケッパーを意味するTapeno(タプノ)に由来しています」
今の時期の身の分厚い甲イカは非常にジューシー。口の中に旨みが広がる最高の一品です(^Q^)
「残ったタップナード・ソースは、バケットに塗ってお召し上がりください」「バケットにソースが染み込んで、生地がジューシーになって…言葉に出来ないほど美味です!(^Q^)
コンソメが運ばれてくるまで、先ほど見てきたキリコ・ツリーを紹介します。
キリコ・ツリーは、今も伝統を受け継ぐ「伝統工芸士」の方々の協力を得て制作されています。様々な伝統の文様を基本に、新しい組み合わせや構成により、現代の江戸切子を創り出すことに成功しました。
秀逸の技と光の反射が織り成す東京都伝統工芸品「江戸切子」。江戸時代後期、江戸大伝馬町のビードロ屋、加賀屋久兵衛が手掛けた切子細工が今日の江戸切子の始まりと言われています。町民文化の中で育まれた江戸切子は、江戸時代の面影を色濃く残し、優れた意匠や技法の数々は、現代に至る160年以上もの間、切子職人たちによって受け継がれてきました。当時からよく使われた切子模様が一般的に「江戸切子」と呼ばれているものです。
おっ、中に人が入っていますね(^-^)\
ツリーの中に入って、“永遠に続く世界観”とやらを見てきましょう。

Soup

「お待たせしました。ワンダフルハウス様、“Consomme double aux xeres コンソメ・ドゥーブル・オー・ケレス”でございます」「コンソメ・ドゥーブル・オー・ケレス?(゚O゚)\」「ダブル・コンソメ・スープ シェリー風味でございます」「ダブルコンソメ?」
ポテトチップスのコンソメパンチの味付けや、インスタントの固形スープとしてコンソメは生活に根付いた味であるといえます。しかし、本当の意味でのコンソメを知っている人は、果たしてどのくらいいるのでしょうか?
レストランのコンソメは、二重にダシをとるから「ダブル・コンソメ」「コンソメ・ドゥーブル」「コンソメ・リッシュ」などと呼ばれています。
Consomme double aux xeres
コンソメ・ドゥーブル・オー・ケレス
ダブル・コンソメ・スープ シェリー風味
大きな寸胴鍋に丸鶏と牛肉と牛骨と野菜を煮込んでブイヨンを作り、さらに牛肉と野菜を加えて煮込む…先に取ったブイヨンにブイヨンの材料を加えて煮るという手間のかかったコンソメスープ「ダブルコンソメ」。仕込みから完成まで丸2日かかる本物のコンソメの登場です。
La Soupe aux truffe noire du Perigord en croute
ぺリゴール産黒トリュフのスープ パイ包み焼き
8400円+サービス料10%
キュイジーヌ・フランセーズ・JJのコンソメ・ドゥーブルは、スープ・オー・トリュフ・アン・クルートのベースになってるスープなのです。スープ・オー・トリュフ・アン・クルートは、コンソメ・ドゥーブルにトリュフ、フォアグラなどの具を加えて作ります。
かつて、この日本で、本物のコンソメを作った男がいました。
1982年7月〜1983年6月にかけて、文藝春秋の白黒のページに連載された作品が、1987年にオールカラー化されて単行本になりました。伊丹十三さんが対談相手の家を訪問し、辻調理師学校フランス料理主任教授 水野邦昭先生にサポートしてもらいながら3つ星レストランの本格的な料理を作ります。その調理過程が全篇通じてカラー写真で紹介され、出来た料理をゲストと対談しながら食べる、という写真レシピ付きグルメ対談集。ゲストも超豪華。玉村豊男さんをオープニングに、次に各分野の第一級の知識人たちを配置し、最後に辻静雄さんと対峙する、という極めて映画的な構成になっています。料理は1回の対談につきオードブル→ポワソン(魚料理)→ヴィアンドゥ(肉料理)の順にフルコースで出し、12回の対談で36種類製作しています。そのほとんどが、水野先生が修業したピラミッドやポール・ボキューズの料理でした。コンソメは、フィナーレとなった文藝春秋1983年6月号に掲載された種村季弘さんと辻静雄さんとの対談中に登場しました。
「黄金色に輝く、澄み切ったコンソメ…(^O^)\」
伊丹十三氏「今回は最終回なので何か記念碑的な大作に挑戦しようということになり、その結果決定したのが、この“コンソメ”なのである。なぜ、たかがフランス風 澄まし汁程度のものが大作であるのか?」
素晴らしい色です!\(^O^)/
コンソメ作りは、アクを取る作業が無いのが特徴です。それは、最初に入れた卵白の成分がアクを包んで浮き上がってくるからなのです。
伊丹十三「では、次の料理を出しましょう。これがちょっとしたポトラッチなので…」
種村季弘氏(国学院大学教授 ドイツ文学者)「なんです?」
伊丹十三「コンソメなんですがね」
種村季弘「ほぅ」
「おおっ!これは!?(゚O゚)\」
伊丹十三「これが大変なことだったんですよね。まず最初に5リットルのブイヨンを作るんですが、この材料というのがですね、牛のスネ肉5キロ、牛の足の骨2本、鶏のガラ20羽分、鶏2羽。それにニンジン5本、タマネギ5個、それにセロリですね。これを10時間ぐらい煮てから冷やしますとゼリー状に固まる。今日はこのゼリー状からスタートしたわけですね。まず最初、牛のイチボ肉(お尻から太腿にかけての赤身の肉)2キロを細かく賽の目に切りまして、それにタマネギとニンジンの薄切りを加え、そこへ卵の白身10個分、トマト・ペーストを混ぜ入れ、全体を手で万遍なくかき混ぜる」
種村季弘教授「手でね」
「うわーっ!コンソメに江戸切子が浮かんだ!?(゚O゚:)\」
伊丹十三「ええ。そこへ、さっきのゼリー状のブイヨンを加えて火にかけて、そろりそろりと熱してゆきますと、ゼリーが溶けて液状になり、さらに卵の白身がちょうどシャブシャブのアクのような感じで不純物を抱きかかえて表面に浮かんでくる。最終的には、この表面に浮かんだアクの厚みが3センチくらいになったかな、スープの表面が恐ろしく小汚い厚い膜に覆われるわけですよ。そして、その膜を取り除くと、驚くべし、今そこにお出ししました黄金色の澄み切ったコンソメができている、こういう寸法なんです」
種村季弘教授「ふーん。今おっしゃったので何人前です?」
永遠に続く世界観の登場です。
キリコ・ツリーの中に入り、上を見上げると鏡面の世界が広がり、音楽と光の演出によって、永遠に続く世界観を見ることができます。
伊丹十三「結局14カップ分できましたね」
辻静雄氏(辻調理師専門学校校長)「1人前いくらについたの?」
「き…綺麗です(゚O゚)\」
伊丹十三「1人前2000円(1983年当時)ですね、材料費が」
辻静雄校長「ということは、レストランでは大体その3倍だから6000円か」
伊丹十三「ということは、そんなコンソメは存在しないということですね。6000円のコンソメなんか注文する客がいるわけはない(笑)」
種村季弘教授「ふーん。吉行淳之介さんの小説が、材料沢山使って、まるでコンソメ作るみたいだって誰か言ってたけど、なるほど、それでわかりますね」
伊丹十三「“夕暮まで”は14年かかったといいますから…」
種村季弘教授「確かにコンソメだ」
「Consomme コンソメ」はフランス語で「完成された」という意味を持った料理です。
辻静雄校長「料理人にとっても、こういうコンソメを作る機会っていうのは滅多にないわけですよね。だから“作ったら作れる”というのと、“いつも作ってる”というのは全然別な話なんです。作ったら作れると思ってたって、作らなきゃ作れなくなっちゃいますよ
種村季弘教授「なるほど。すると、しょっちゅうやってなきゃならないんですね」
華美を旨とするフランス料理の中でも、一切の装飾がなく、それでいて技巧の極致を感じさせるコンソメこそが最高のフランス料理であるといえます。
辻静雄校長「そう。しょっちゅうやらなきゃならない。そして、しょっちゅうやるためには、そういうものを注文してくれるお客さんを持っていなくちゃならない」
種村季弘教授「なるほどね」
深い琥珀色のコンソメは、これ以上無いくらい澄みきっています。この濁りの無いスープこそがコンソメの完成された点であるといえます。
最後にシェリー酒を加えるのですが、シェリー酒はコンソメに入れるのではなく、スープ皿の方にチョチョッと入れて、その上にコンソメを注ぐのです。そして胡椒をサッとふって、フレイヴァーが増したところをいただきます。
「ん?コンソメの中に何か光が閉じ込められているような気が…?(^-^)\」
「うわーっ!コンソメが光った!(゚O゚)\」
伊丹十三「コンソメなんか作ってると、こういう気になるんです…肉とか野菜とかいう蒙昧な物質の闇の中に、旨味という光が閉じ込められているのだ、その光を我が手で解放してやるのだ、とね」
伊丹十三「コンソメから旨味という光を解放することを夢見たりすることは、ある種の世界観の投影であって…」
「おおーっ!白い点々が動いた!(゚O゚)\」
「周りの色が変わった!(゚O゚)\」
「まるで巨大な万華鏡の中に迷い込んでしまったような感じです!」
伊丹十三「この1年、フランス料理を教えていただいて感じたことは、フランス料理というのは錬金術と重なるのではないかということだったわけです…つまり、フランス料理というのは、ものを煮詰めて煮詰めてソースを作っていきますよね。ものの背後に本質が隠されている、というか、何か究極的な旨味のようなものが潜んでいてね、それは抽き出すことが可能なのだ、と。それを抽き出すことが料理なのだ、と。こういう思想は錬金術と重なりませんか? 錬金術というのは物質の中から至高なるもの、至全なるもの、最高善なるものとしての金を抽き出そうということでしょう? これ、ソースの思想と非常に似ているように思うんですが」
辻静雄校長「あのね、フランス料理と一口で言いますけどね、最初はね、魚も肉も全部チャンコ鍋だったわけよ。中世においては要するに支配階級だけが牛でも豚でもいいとこを食べて、あとの残りを内臓でもなんでも被支配階級がいただくわけですよね。で、それを煮込むわけです。魚だろうが、肉だろうが、貝だろうが、同じ鍋に放り込んで食べちゃっていた。それが、魚は魚だけ、肉は肉だけというようになってきたのは割合新しいんで、17世紀ですね」
「うわーっ!ブルーに変わった!(゚O゚:)\」
キリコ・ツリーの内部は、10分に1回、満天の星空が広がります。光と音楽の演出で、月明かりや情熱的な炎などを表現しています。
種村季弘教授「はあはあ、やっぱりルイ王朝ですね?」
辻静雄校長「そうです」
種村季弘教授「なるほど。デカルト的な考え方というのは物を分節化していきますからね。つまり初めは未分化でごった煮だった物を一つ一つに分けていく。そしてその分けたところでエッセンスを抽き出したり、そのエッセンスを組み合わせたり、組み合わせることによって複雑な味を作り出したり、というのはデカルト的な考え方であって、やっぱりこれは17世紀ですね」
辻静雄校長「まあ、萌芽が17世紀。それが料理の仕事の方法として一般化するのが18世紀」
種村季弘教授「はあはあ、なるほど、ロココの」
辻静雄校長「そうです。たとえば魚のダシをとろうという考え方ね。魚の骨を野菜と一緒に煮てですね、水を入れて、お酒を入れて、煮込んでいって漉す。それをもとにして味を作っていくというのは、大体18世紀なんですね」
伊丹十三「なるほど、そうしてソースというものが成立していく、と…今、たまたま、ダシという言葉を使われたのでお尋ねするんですが、同じダシといっても日本のダシとフランスのソースとでは、おそろしく違うような気がするんですがね。フランス料理じゃ、肉の上に肉から作ったソースをかけて、どんどん厚塗りにしていきますよね。しかし、日本じゃ、むしろそういうやり方は、もの本来の味を損なうという風に考えるわけで、どうも、よって立つところの思想がまるで違っているように思うんですがね」
「今度はオレンジに変わった!(゚O゚:)\」
辻静雄校長「あのね、それはこういうことなの。つまり、伊丹さんはフランス料理を肉の上に肉のソースという厚塗りの世界だというふうに捉えられた」
伊丹十三「ええ。足し算の世界といいますか、構成への意志といいますか、そういうものとして感じたわけですが…」
♪ものすごい音楽が鳴り響き、一瞬のうちにイエローに…♪
辻静雄校長「ところがね、僕は逆に引き算だと思うの。ソースっていうのは消去法なんですね。最初は今言ったように要するにチャンコで、何もかも入っていた。ところが、そこから次第に…」
種村季弘教授「マイナスしていくんだね」
辻静雄校長「そう。これをとってもいい、これをとってもいいって、ずっと引き算していって、その引き算の結果、18世紀ぐらいになって出てきたのが、ソースなんです。」
伊丹十三「なるほど。その引き算が日本人の我々から見ると足し算に見えてしまうのは、やっぱり我々がチャンコという厖大なる足し算の集積から出発してないからかしらん」
辻静雄さんの食事会でコンソメを召し上がったことがある作家 大岡玲さんは、このように語っています。
『辻静雄さんがお元気だった頃、東京・青葉台の御自宅で素晴らしい食事会が開かれていました。親父(詩人 大岡信氏)が親しくさせていただいていた関係で僕も数回伺いました。さしわたし6メートル、幅一間ほどもあるテーブルに集うのは料理の精度が保てる最大の人数である10人。厨房に立つのは辻調理師専門学校の(水野邦昭主任教授など)錚々たる先生方です。ある時、フランス料理の会で、前菜に続いてコンソメが出ました。これが深みがあって舌にズッシリくるのだけれど、そのくせスーッと上品に消えて、下手なコンソメ特有の金気っぽい酸味のいやな感じが残らないものでした。まるで喉の内側をやさしく撫でられるようなんです。この会では、我々が平らげた料理を辻さんが講評して点数をつけます。すべてのコースが出された後、辻さんは「今日のコンソメは、いいね。ほとんど100点だ。でも、もうちょっと直せば120点あげてもいい」(これ以上なんて、あるのか…?)僕も他のゲストも怪訝な顔をしていたと思います。すると辻さんはスッと厨房に消えて、再びコンソメを携えて戻って来ました。それを一口食べて唖然呆然。それは喉どころか胃まで撫でられたと錯覚するような凄いものだったんです。「何をされたんですか?」と思わず訊いたら、辻さんはニヤッと笑って「胡椒の量を調節しただけ」と答えました。辻さんに「何点」と言われて、教授がハーッと畏まって頭を下げるのは、まったく裏付けがあってのことでした。なにしろ、新聞記者から一転、婿養子として料理学校を任された時、アフリカ産の鯛を1000枚おろし、フランス料理の研究書を700万円分フランスで買い集めて読破した人です。有無を言わせぬあの凄さを目の当たりにしてからは、「ものをよくご存知ですね」などと、たまに人に言われると、全力で否定したくなります。本物に触れるということは怖いことです』
「濃厚でありながらスッキリした後味…極上のコンソメスープです!(^Q^)」
コンソメの魅力は、スープが澄み切っていることだけではありません。ブイヨンを取った素材の旨味が凝縮されているので、スープそのものの美味しさを味わうことが出来るのです。
辻静雄さん「素人をごまかすのは、赤ん坊の手をひねるようなもの…。土台に骨をたくさん使った(安っぽい)コンソメと、肉を惜しげもなく使ったコンソメの差。それから、昔は澄ますのに卵白だけではなく、全卵、ある時は卵黄だけ使っていたのだが、こうして色々な程度のコンソメがあるとすると、この最上のものをいつも口にしている人でないと、これらの微妙な差がわからないのだな。いや、私ならわかるという人もいるかもしれないが、御用心御用心。一体どこで、どうしてそんなにいいのを召し上がってこられたのですか、と聞き直したくなる」
本の中では、貴族的で辛辣きわまりない批評性を発揮した辻静雄さんでしたが、実際はとてもやさしい方だったそうです。

Viandes

「伊丹さんは次にブランケット・ド・ヴォー・ア・ランシエンヌ(仔牛のクリーム煮 古典風)を出してきたわけですが…おっ、ジョエル・ブリュアンさんが来ました!(^O^)\」「ワンダフルハウスサン ブランケット・ド・ヴォー ヨリ モットスゴイモノ ツクッテアゲマシタ(^_-)〜☆」「ブランケット・ド・ヴォーより、もっと凄いものですって!?(゚O゚)\」
伊丹十三さんは、文藝春秋誌に「フランス料理を私と」を連載するにあたって、前年の1981年、ルコント六本木店を訪れていました。友人であり、当時のフランス料理アカデミー日本支部会長であり、後に映画「タンポポ」にも友情出演してもらったアンドレ・ルコントさんからアドヴァイスを受けていたのです。フランス料理とフランス文化について徹底的に語り合う伊丹氏とルコント氏…その横のテーブルでケーキを食べながら二人の会話を盗み聞きしていたのが、当時18歳のワンダフルハウスでした。ちなみに、食べていたケーキはルコントさんが作ったものではなく、島田進さんが作ったものでした。
「ワンダフルハウス様、“Cotes de veau rotie a l'ancienne コート・ド・ヴォー・ロティー・ア・ランシエンヌ”でございます」
アンドレ・ルコント氏の友人であり、ルコント氏亡き後、フランス料理アカデミー日本支部二代目会長の座を継いだジョエル・ブリュアン氏。レストラン・ポール・ボキューズ本店を訪れた辻静雄氏にも料理を作ったことがあるジョエル・ブリュアン氏が、仔牛を使った究極の古典料理を見せてくれました。
「コート・ド・ヴォー・ロティー・ア・ランシエンヌ?(゚O゚)\」
Cotes de veau rotie a l'ancienne
コート・ド・ヴォー・ロティー・ア・ランスィエンヌ
仔牛背肉のロースト 古典風
12000円+サービス料10%
北海道産の仔牛のコート(背肉)を、ゆっくり、時間をかけてローストしたものです。フランスのおばあちゃんたちが作っていたような昔風の料理です。
種村季弘教授「さっき、フランス料理と日本料理は発想が違うとおっしゃったけど、何が日本料理かということも問題ですよね。日本料理といっても関東と京都じゃ随分違うし…たとえば寿司屋なんか、つまり江戸で発達したものは男性的ですね。スパッと包丁で切って切れ味だけ見せるところがある」
辻静雄校長「まあ、ほとんど江戸の末期でしょ。現在我々がやっている日本料理は」
仔牛の肉は、繊維がやわらかく、もともと火が入りやすい肉質。強火でローストすると、表面がガチガチに固まってしまうので、ソフトな火力でやさしく火入れする必要があるのです。
種村季弘教授「天明頃からですね?」
辻静雄校長「ええ。だって昆布のダシって随分新しいもので…」
「おっ?コートの上に何か乗っていますよ?(^-^)\」
仔牛のコートは普通1枚250グラムで、2人分あります。それ以上に薄く切ると、ローストしている間に乾いてしまうのです。
種村季弘教授「昆布のダシは、いつ頃からなんでしょうか?」
辻静雄校長「17世紀の終わりから18世紀の初めでしょ。それまでは昆布ダシは知らないでいた。一部では使っていたかもしれませんけど」
「高級食材 モリーユです!」
モリーユ茸(morille)は、西洋キノコの中で最も高価なもの。日本では網笠茸(アミガサタケ)と呼ばれ、網目模様のカサが特徴です。
種村季弘教授「やはり、水産業の発達ですかね?」
辻静雄校長「それと、もう一つは船ですね」
伊丹十三「交通ですか?」
辻静雄校長「そうです」
モリーユのクリームソースが添えられています。仔牛の肉が白っぽいから、ソースも付け合わせも万事白っぽく仕上げるのです。
種村季弘教授「ということは、食べ物というのは情報量ですね。コミュニケーションの量。それは、ローマだってそうでしょう。遠い植民地から珍しい食べ物を持って来るのもコミュニケーション。だから、コミュニケーションが豊富なら、山海の珍味も色々手に入るし、今まで単品だけで食べていたものが、色々な物と組み合わさって、複雑な、綜合的な味が出てくる」
伊丹十三「その代わり、閉じた共同体というのは崩壊していく」
フランス人なら見ただけで舌なめずり(^Q^)する仔牛肉。ローストした仔牛肉というのは、こういう色をしたのが最高なのです。ローストする前は、もっと白っぽい、ミルク色をしているのです。
辻静雄校長「うん。だからね、知らないということは幸福なんですよ。情報を与えられるということが、人間の不幸の始まりなんです」
伊丹十三「つまり、進歩、発達の始まり」
種村季弘教授「まだ次がある、まだその次があるんじゃないかという…」
辻静雄校長「ええ」
JJでメインの肉料理をアラカルトで注文すると、「Garniture ガルニチュール」(付け合わせ)が別皿で出てくることがあります。 おっ?(^-^)\
辻静雄校長「日本料理とフランス料理を比べてみますと、日本料理っていうのは器を替えますでしょ? この料理には、この器って。ところが西洋じゃ器替えないのね。一つのデザインで最初から最後まで押し通す。そしてまた、押し通せるだけの数を持っているというのが力の誇示になるわけですね」
伊丹十三「やはり西洋では人間を超えたところに、たとえば全ての料理は同じデザインの皿で出す、というような統一的な原理というか、秩序を構築して、それに従う。日本では人間の実感というか、感覚に沿って融通無碍(むげ)に器を替えていく、ということですか」
辻静雄校長「種村さんは、どう思われます?」
先ほどの2階建てバスです!(^O^)\ヤッホー ピラミッドやポール・ボキューズでもお馴染みのグラタン・ドフィノワです。
「Gratin Dauphinois グラタン・ドフィノワ」は、東フランス・ドフィネ地方特有の郷土料理で、「ポム・ド・テール」(ジャガイモ)の薄切りを牛乳と共にグラタンにしたものですが、そこは一流レストランのこと、牛乳には卵と生クリームを加えたリッチなものになっています。寒い真冬のテラス席でいただく熱々のグラタン・ドフィノワ。フウフウ(^3^)〜しながら食べているうちに心底まで温まり幸せな気分に。そして何よりも美味しいのです(^Q^)
辻静雄校長「種村さんは、どう思われます?」
種村季弘教授「僕は、そういう日本式の食べ方のほうがフレキシブルでよろしいのではないかとね(笑) まあ、ヨーロッパの食事見てますと、システムが崩れないことが前提になってますね。ローマ帝国ならローマ帝国、キリスト教的な社会ならキリスト教的な社会。それが絶対崩れないという前提のもとに料理も成り立ってる。ところが、日本の場合には、無常というものが早くから徹底しちゃってて、明日どうなるかわからないんだ、というような…」
辻静雄校長「なるほど、無常で説明しますか…うん、それ、なかなかいいですね。説明として」
「メインの皿のガルニチュールを見てみましょう」
種村季弘教授「ただね、フランス料理というのも一言でフランス料理と言い切るのが、なかなか難しいんで、たとえば伊丹さんがよくフランス料理というのは中心性が大変強いといわれますよね」
伊丹十三「ええ。真ん中に肉がドーンとあって、その周りに放射状に野菜が飾られているとかね」
グリーンアスパラガスとオレンジ色が鮮やかなニンジンのピュレ。
種村季弘教授「その中心性というのは、おそらくローマの都市像が原型なんでしょう。つまり、真ん中があって、植民地に至る道があって、いったん事があれば植民地に出かけて行って掠奪して持って来る、と。つまり、ペトロニウスの小説にも出てくるように、遠い植民地から山海の珍味を吸い上げるような、帝国主義的な部分ですね。これはローマというか、ラテン的なものですね。ところが、フランス料理というのはラテン的なものだけで出来ているのじゃなくて、ラテン的なものが入ってくる前のもの、ブルターニュとか、あちらのほうの、非常に幻想的なケルト的なもの、あるいはまたヨーロッパがまだ森だった頃の森の信仰といったようなもの、森の中のポッカリ空いた空き地で魔女たちが集まって、もう滅び去った古い信仰をそこで祝うというような伝統ですね。そういう古いものと後になってローマからやって来たローマン・カトリックとかローマのシステムとかがね、いつも共存しながら、どちらかが表に出ると、どちらかが地下に入るという関係で、ずっと二重構造でやってきたわけですからフランス料理も当然その二重構造を宿してなきゃならない」
このようなプティ・ポム・ド・テール(ミニ・ジャガイモ)やプティ・オニオン、シャンピニオン(マッシュルーム)といった、フランスの田舎のおばあさん風の付け合わせを「Garniture Grand-Mere ガルニチュール・グラン・メール」といいます。
辻静雄校長「そうなんです。フランス料理というのはキリスト教的なものだけでは説明がつかない。古いヨーロッパもケルトも全部入ってる。そういうものとして捉えなきゃいけないわけで、これは日本料理の場合も同じです。その土地その土地の土着の料理と、それから町人文化の中で洗練され、研ぎ澄まされてきた料理とを一緒にして日本料理と断じてはいけないところがあるでしょ」
仔牛のコートがカットされました。
伊丹十三「なるほど。このシリーズで僕らがフランス料理とか日本料理とか言ってたのは、フランス料理のキリスト教的な部分と日本料理の町人文化的な部分だったわけですか」
表面はカリッ、中身はシットリと焼き上げられた仔牛の肉はジューシーでミルクのような味わい(^Q^)
ジョエル・ブリュアン・シェフは師匠のポール・ボキューズ・シェフ同様、骨付きのまま仔牛の肉をロティします。仔牛だから身はやや白く、肉質はごくごくやわらか。脂肪にまみれていないから優しい香りが生きていて、食べている者をウットリさせるほど。美味しい料理とは、選び抜かれた素材と考え尽くされた調理によって生まれる、それを証明してみせるような凄い一皿でした。
辻静雄校長「ええ。それでまあ、フランス料理をやっておられるうちに、どうもこれはキリスト教的なものだけではない、もっとその下に横たわるものがありそうだ、ということで、それが錬金術じゃないかと考えられたんだと思うんですが、問題はね、そりゃ確かにフランス料理というのは一見錬金術的な技術を駆使しているかのように見えるけどね、それがフランス料理の特質かどうかということになると、さあ、どうだろうか。確かに今ここにあるコート・ド・ヴォー 一品を見れば、肉があって、肉やクリームや野菜から作ったソースがかかってて、いかにも錬金術的に見えるかもしれないけど、それは僕は別の切り方をするわけ。つまりね、たとえば今ここにタケノコがあってワカメがある。これでもって若竹煮を作る。それも昆布のダシで作るとしますね。この場合、つまり日本料理の場合には、材料そのものを作るのに時間がかかっている。ところがフランス料理の場合には、元の材料は牛なら牛をぶっ殺したままですぐに使うけど、作る時に時間がかかってるというわけ」
1970年代にフランス中で流行った「モリーユ・ア・ラ・クレーム morilles a la creme」(モリーユ茸のクリーム煮)。モリーユをフォン・ド・ヴォーで煮て、フルーレットという薄い生クリームで和えたもの。モリーユの香りがしっかり染み込んだクリームソースは、甘さとまろやかさが引き出されていて本当に美味です(^Q^)
モリーユ茸は、珍しく春に採れるキノコ。繊細な美味しさを持っていますが、栽培することができず、採れる量も限られているので、とても高価。フランス産の乾燥モリーユを水に漬けて戻して使っています。
種村季弘教授「僕はこう思うんです。フランス料理が錬金術的だ、と。それは確かに錬金術的な伝統がありますし、錬金術と料理も同じように火を使うものだから、確かに錬金術的でしょう。けれど、僕はむしろフランス料理というのは錬金術的であることよりも、演劇的であることによって捉えたいですね。盛り付け方とか、色彩の配合とか、それをセレモニアルに出してくるやり方とかね…しかし、そういう意味じゃ日本料理も結構儀式的か(笑)」
辻静雄校長「そう。それは日本料理だって結構演劇的ですからね」

Dessert

「ワンダフルハウス様、宮本の“Chausson au kumquat ショーソン・オ・カムクワット”でございます」
cuisine francaise JJ のパティシエール宮本亜希子さんは、島田進さんのお店「パティシエ・シマ」で修業の後、フランス・アルザスのクリスティーヌ・フェルヴェールさんのお店「メゾン・フェルヴェール」で修業。帰国後、東京ミッドタウンのオープンと同時にcuisine francaise JJのシェフ・パティシエールに就任しました。
辻静雄校長「ところがね、僕は逆に引き算だと思うの。ソースっていうのは消去法なんですね。最初は今言ったように要するにチャンコで、何もかも入っていた。ところが、そこから次第に…」
種村季弘教授「マイナスしていくんだね」
Chausson au kumquat avec Glace a la vanille
ショーソン・オ・カムクワット・アヴェック・グラス・ア・ラ・ヴァニーユ
キンカンのショーソン
1800円+サービス料10%
「ショーソン・オ・カムクワット?(゚O゚)\」「金柑のパイ包み焼きでございます」
伊丹十三「僕がフランス料理から錬金術を感じたというのは、こういうことなんです。つまり、何かの統一原理でもって世界を説明しようという方向があるとしますね。この方向を逆に辿るのが錬金術である。つまり、この多様な現実を煮詰めていくと、何か一つの完全な形に至るであろう、と。そこがソースの思想と似ていると思っていたんですが、錬金術っていうのは、そういうものじゃないんですか?」
「おーっ!これは!?(゚O゚)\」
種村季弘教授「錬金術というのは、これは僕の解釈ですが、あるオカルト思想が金属を対象にした場合に出てくるものですね。もちろん魔術的な領域というのは広いですから、他にも植物を対象にすれば本草学とか、人体を対象にすれば医術とか、星を対象にすれば占星術ということになりますけれども、いずれにせよ、根本的な発想というのは、こういうことなんです。まず、世界の始まりというのは、光が瀰漫(びまん)する状態であった。世界は光で充満していた。これをプレローマというんですが、このプレローマを主宰していたのがソフィアという美しい女神です。美しい女神によって、この世界は光り輝いていた。ところが、これを地上の造物主が嫉妬したんですな。造物主は、この美しさを乗っ取ろうとして、ソフィアを物質の中へ落としてしまった。光を物質の闇の中に閉じ込めてしまった。ソフィアというのは御存知のように“知”という意味ですから、そうすると物質の蒙昧な状態の中に“知”が閉じ込められている、ということになる。そこで、この物質の闇の中から知の光を救い出して、この世界をもう一度プレローマの状態に戻すというのが錬金術の道士たちの役割なんです」
「キンカンのパイをショーソン・スタイル(スリッパの形)にしたものです!」
伊丹十三「キンカンのショーソンなんか作ってると、まさにそういう気がしますけど(笑)」
「メゾン・フェルヴェールでは、キンカンのコンフィチュール(ジャム)を作っています…ほぅ、これが金柑のピュレですか(^-^)\」 「パイの扉を開いて、“ジャムの妖精”クリスティーヌ・フェルヴェール仕込みのキンカンを見せてもらいましょう」
伊丹十三「フィユタージュ(折り込みパイ生地)という蒙昧な物質の闇の中にカムクワット(キンカン)という光が閉じ込められているのだ…」
「あーっ!スリッパの形になった!(゚O゚)\」
伊丹十三「その光を我が手で解放してやるのだ…とね」
「ほぅ、これが金柑ですか(^‐^)\ フェルヴェールさんのコンフィチュールのようにコンポートになっていますね」
伊丹十三「ただ、しかし、錬金術の場合、実際に現実にプレローマの状態が現出するとか、卑しい物質が凝って一つになって黄金になるとかいうことはないわけですよね。すべては、いわば空想の領域に属することであって、全く心的な体験ですよね。ユングが錬金術に関して大きな本を書いてますけど、結局、錬金術というのは心的な体験であるという。つまり、心の中で起こっていることなんだ、と…」
金柑が光った!(>o<)\
cuisine francaise JJ のパティシエール宮本亜希子さんは、島田進さんのお店「パティシエ・シマ」で修業の後、フランス・アルザスのクリスティーヌ・フェルヴェールさんのお店「メゾン・フェルヴェール」で修業。帰国後、東京ミッドタウンのオープンと同時にcuisine francaise JJのシェフ・パティシエールに就任しました。
伊丹十三「プレローマを夢見たり、物質から金を作り出すことを夢見たりすることは、ある種の世界観の投影であって…」
暑い!(>o<:A おっ、グラス・ア・ラ・ヴァニーユ(バニラ・アイス)です!(^O^:)\
種村季弘教授「プロジェクトですね?」
一口いただきます!(^Q^:) 寒い!(>Q<)
伊丹十三「ええ、プロジェクトしてるにすぎない、と…」
速攻で食べて、室内に逃げ込みましょう…パイのサクッとした食感と共に、キンカンの風味がストレートに押し寄せてきます。そしてキンカンの酸っぱくて、甘くて、ほろ苦い味が強烈な寒さと共にグングン襲ってきました…
伊丹十三「ただね、自分の世界観を物質に対してプロジェクトしていくのが西洋だとすると、これは日本と随分違うんじゃないか。日本では心的な過程を徹底的に物質にプロジェクトするというようなことはなくて、むしろ逆に、物の方を心の次元にもってきちゃうんじゃないか、物に心を込める、とか、そういう形でね。たとえば、スパッと切られた刺身なんてものは、単なる魚の肉の断片ではなくて、切られることによって心を込められ、心を込められることによって生命を与えられた、もはや物質ならざるものでしょ?」
「イヤー、寒かった((((:゚O゚)))ガクガクブルブル」「ワンダフルハウス様、温かいコーヒーをどうぞ」
種村季弘教授「それはアニミズムですね。庶物信仰というか、物には神がすでに宿っている、あらかじめ魂が入っているものとして扱っていますね。しかし、錬金術の考え方というのは、プリミティヴな段階では、まさにそれなんですよ。つまり、物の中にすでにして存在するアニマ…アニマというのは男性の心に宿る女性像。女性のそれの場合はアニムスといいます…アニマなり魂なりを、閉じ込められた状態から解放してやるんだという…」
伊丹十三「あ、なるほど、そうか」
「コーヒーのアロマを感じます!\(^O^)/」

「アロマ」と呼ばれるコーヒーの香りの成分には、DNAの酸化や心臓の老化を妨げる抗酸化作用のある物質が300種以上含まれていると言われています。その効果は1杯のコーヒーでオレンジ3個分。しかし、効果があるのは淹れたてのコーヒーの香りだけで、5分もすると効果が無くなってしまいます。コーヒーは集中力と持久力を増すため、肉体的にも精神的にも効用のある飲み物です。また、脳をリラックスさせ、眠気や疲労感を取り除き、さらに思考力をアップさせます。

辻静雄校長「日本料理とフランス料理というのが、伊丹さんが考えておられるほど図式的に対立していないというのはね…うん、じゃあ、たとえばステーキの話をしますね。ステーキにはレアという食べ方がある。これ誰だってフランス料理だと思いますよね。ところがフランス人は、レアっていう食べ方知らなかったの、19世紀まで。フランスでは古代ローマから連綿と、肉というものは一度煮たものを焼いていたわけです。フランス人がレアを覚えたのはイギリス人からでね、ナポレオンの頃は全部ウェル・ダンだった。ナポレオンはカリカリの肉を食べていたの。ところが、そこへイギリスから、血のしたたるビーフ・ステーキという食べ方が入って来た。しかし、入って来て、それを受け入れたということは、血のしたたる方が美味いという受け皿があったわけです。つまり、いわゆるアローマという考え方がちゃんとあったんです」
「ワンダフルハウス様、こちらはシェフからのプレゼントです」「ん?この柑橘系のフレーバーは?(^Q^)\クンクン
種村季弘教授「香気ですね」
辻静雄校長「そう。フレイヴァーですね」
「これはオレンジのジュレですか?(^‐^)\」「キンカンのコンポートが入ったジュレでございます」
辻静雄校長「で、物のフレイヴァーを残して料理するということでいうなら、金柑の甘露煮だってそうなんで(笑) つまり、柑橘系の風味ですよね。風味というのがまさにフレイヴァーなんで、そういうふうに考えると、フランスも日本も同じことを目がけていると思うんだけどな」
「キンカンのコンポート、オレンジの果実、キンカンを煮た時の煮汁で作ったジュレ…」
種村季弘教授「だから根本的なところでは日本も西欧もペルシャも、あまり変わらないんじゃないでしょうかね…ちょっと話は変わるけど、さっき錬金術というのは、我々の内部のプロジェクションであるという話が出ましたよね。で、確かに料理も我々の内部のプロジェクションであるのでしょうけど、その内部というのには、心的なものだけじゃなくって、内臓感覚っていうようなものも入ってくるんじゃないか…」
伊丹十三「内臓感覚?」
「ごちそうさまでした。もう満腹で動けません)^○^(/」「ワンダフルハウス様、たった今、クリスマスツリーの飾り付けが終わりました」
金柑の名前の由来は、熟した果実が金色の柑橘だからそのまま「キンカン」になりました。中国原産で日本に渡来したのは鎌倉時代末か室町時代初期頃。キンカンは、ミカンの種類と考えられていましたが、キンカン類は、ミカンと比べると実が小さく、子房(しぼう)の室数が少なく、葉の葉脈(ようみゃく)が不明瞭で、葉の成分には精油が含まれているなどの理由により、ミカン属から分離して、現在はキンカン属に分類されています。和歌山県、高知県、宮崎県、鹿児島県などの暖地で栽培が盛んに行われていて、完熟期は12月〜2月。また、ミカンは皮を捨てて果実を食べますが、キンカンは皮つきのまま、砂糖漬や砂糖煮、薬用酒などに用いています
種村季弘教授「ええ。臓器感覚といいますか。料理というものは臓器感覚をしている」
伊丹十三「つまり満腹感とか、そういうことですか?」
「おおっ!(^O^)\」
種村季弘教授「それもありますけれども、あらかじめ臓器を外へ出しているようなレイアウトをしているんじゃないか。たとえば腸詰めの形は、腸を外へ出した形ではないか(笑) どうも、料理のレイアウトにおいて内部と外部が対応しているのではないか」
伊丹十三「へえ、ソーセージというのは、あれは腸の視覚化ですか(笑)」
「す…素晴らしい!\(^○^)/」
種村季弘教授「うん。でね、そういう内臓感覚が料理の方に向いたのがラテン系だとすると、それがメカの方に向いたのがゲルマン系です」
伊丹十三「メカといいますと?」
種村季弘教授「つまり、自動車とかカメラなどの精密機械とか、玩具とかカラクリとか、そういうもので内臓感覚を表現していく…」
伊丹十三「どうも破天荒な話になってきたね(笑) ははあ、だからドイツ料理は美味くないということになってくるわけか」
種村季弘教授「そうなんです。多分そのためにドイツではフランス料理が未発達であった。フランス的な料理がどうも発達しない。ドイツ料理というのは開拓者料理なんです。アラモの砦の連中が食べているような、いわば一種の宇宙食である。宇宙飛行士が食べる宇宙食。要するに食べられればいいのであって、食べた後にはすぐに働きに出なきゃいけない。これと逆なのが日本の醤油とか味噌、それから韓国のジャンなんかもそうなんだろうけど、ああいう、長い間一ヶ所に置いておくような…」
辻静雄校長「発酵の世界ですね」
種村季弘教授「そう、発酵の世界。ものを発酵させるためには農村文化で、一定の所に定住してるという条件が絶対必要ですね。逆に、遊牧民族であるとか、ドイツのように森林の中に入っていくためには、食文化は弁当的にならざるをえないわけで…だからね、西洋か日本かということで料理を考えるよりは、むしろ独身者的であるか、家庭的であるか、あるいは男性的であるか、女性的であるかということで料理を分けた方がすっきり頭に入るように思う。たとえば江戸前といいますけど、江戸というのは建築ラッシュの町ですから、大工さんの町で、従って非常に独身者的な町ですね。大工さんが仕事の合間にちょっと外へ出て何かおやつに食べるというので、たとえば蕎麦とかね、そういう単品の料理みたいなものが発達する」
伊丹十三「ははあ、すると、トンカツ、コロッケ、スパゲッティ、ライスカレーなんていう、いわゆる洋食が一品料理なのは、その名残りですか」
種村季弘教授「そう。独身者文化ね。で、大工たちの内臓感覚は、むしろ彼らの建てる家というメカの方に反映されてる。江戸の人間はドイツ人に似てるんじゃないか。従って料理も京都のような居住性の強い所の料理とまるで違う。いわば西部劇の料理ですよ」
伊丹十三「あのジョン・ウェインが森の中で焚き火して、ブリキの皿で豆なんか食べたりする…」
種村季弘教授「ええ。あと干し肉とかね、要するに弁当料理。女のいない空間における料理ですね。ですから、料理には本来、独身者要素と家族的要素と両方があると考えてみる。そもそも料理場というものは、本質的には家族的なものであって、独身者的なものではありませんね。しかし、そういうファミリアルな場の中で、果てしなく生命感覚を謳歌していくと、これはとめどがなくなって、肥満体になったりしてしまう。それを独身者の孤独とか死の感覚でもって分節化していくというので、料理というものが洗練されていくんじゃないかと思うんですね。家族的な連続しているものの中へ、何か不連続なものの契機を持ち込む。暴力とか死とかいう、そういうストレンジなものを持ち込んで、とめどのない生命の流れを途中でぶった切って造形していく。料理というのは、ある生命体の連続を包丁でぶった切ることが前提となっている。ですから料理というのは結合ですけど、その結合の前には切断がなきゃならないわけで、その切断の部分が独身者的な感覚、乃至、死の感覚なんじゃないかな」
伊丹十三「その独身者論でもって現代の我々の食生活を評すると、どうなりますかね。レストランで食べるなんていうのは…」
種村季弘教授「外食は独身者的でしょう。いや、それとも、この頃(1983年当時)では家族を前提にしてるのかな?」
辻静雄校長「ええ。この頃は家族単位の客寄せなんですね。なぜかというと、主婦が物を洗わずにすむ、台所を汚さずにすむ、そのためにレストランに行こうという考え方だからね」
伊丹十三「つまり、家族ぐるみ独身者になっている…」
文藝春秋1983年6月号に掲載された3人の対談は、この後も延々と続いています。ピラミッドやポール・ボキューズの料理を次々に再現して、最後に本物のコンソメを作って辻静雄に挑んだ伊丹十三。それは、日本人がフランス料理の真髄に迫った最高の瞬間でした。伊丹さんは、この対談を最後にフランス料理の世界からは足を洗い、翌年に公開した自身初の映画監督作品「お葬式」によって、映画監督の世界に足を踏み入れることになります。興味の赴くままに様々な分野の職業に分け入り、多彩な才能を発揮した男・伊丹十三にとって、「フランス料理を私と」は、ただの道楽だったのです。
レストラン・ポール・ボキューズでのスーシェフ時代、辻静雄さんに料理を作ったこともあるジョエル・ブリュアン氏。「フランス料理を私と」をレストランで再現するには、cuisine francaise JJこそ最もふさわしい舞台なのです。
それでは、最後にもっと凄いものをお見せしましょう。
辻静雄さんは1964年(昭和39年)初めての著書となる「フランス料理 理論と実際」(光生館)を刊行します。その直後に雑誌に掲載された、この「フランス料理入門」こそ辻氏の数多い著作の中でも、知られざる最高傑作であるといえるのです。そして、これは日本の雑誌に載った最初のフランス料理の記事でした。
フランス料理入門」の前半は、ホテル・オークラの小野正吉さんと料理写真の分野で第一人者の佐伯義勝さんと組んで、フランスのレストランのスペシャリテを日本で再現しています。後半は、私物のミシュラン創刊号や、なんと、当時のミシュランの編集長まで引っ張り出して、ミシュラン・ガイドを辻静雄流にガイドしています。「アメリカのTimeやLifeに載ってしまった調査員には辞めてもらったのですが、日本の雑誌ならいいでしょう(^-^)」と、喜んで顔出ししてしまったミシュランの編集長。ミシュランやレストラン・ガイド・ブックというものの本質は、この記事の中にあります。どうやら、辻さんの方が伊丹さんより上手だったようです。

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