わんだふるはうすcuisine francaise JJに行く
黒トリュフ・フェア
ロッシーニ
PART 2

「大人になったら豚肉屋になるつもりだったのに、間違えて作曲家になってしまった」。子供時代をソーセージの本場ボローニャで過ごしたジョアキーノ・アントーニオ・ロッシーニ(Gioachino Antonio Rossini 1792年2月29日〜1868年11月13日)は、早くから美食の本能に目覚め、豚肉屋への憧れを抱いて育ちながら、歌劇「セビリアの理髪師」や「ギョーム・テル(ウィリアム・テル)」などのオペラ作曲家として、19世紀前半の初期ロマン派のオペラ界を制覇します。そして1820年代のパリで、黄金時代を築いていた天才料理人アントナン・カレームとの出会いがロッシーニを本物の美食家へと鍛え上げました。ロッシーニは、カレームが認めたほどの食通・美食家で、マカロニ調理の達人であり、生のパスタの産地を見分けられるほどの目利きでした。彼が考案したとされる「トゥヌルド・ロッシーニ Tournedos Rossini」は、現在でもレストランのメニューに見ることができます。2009年1月、東京ミッドタウンにあるジョエル・ブリュアンさんのお店「cuisine francaise JJ キュイジーヌ・フランセーズ・ジェイジェイ」をワンダフルハウスが訪ね、ぺリゴール産フレッシュ・黒トリュフをふんだんに使用した「牛フィレ肉のロッシーニ風」を19世紀のスタイルで作っていただきました。メニューの数々を順番に紹介いたします。

トリュフは極めて不思議な魅力を持ち、最も香り高く、確かな徳を備えている。まさに料理の「Diamant noir ディアマン・ノワール」(黒いダイヤモンド)である。シェフの口の中でトリュフは贅沢な感触、豪華さそのものを意味する。料理にとってトリュフは、裁縫にとっての刺繍に等しい。(レイモン・オリヴェ)
トリュフはぺリゴール料理の香り高き魂である。トリュフがフォアグラに対するは、真珠が宝石箱に対するがごとし。(キュルノンスキー)
冷たく表面が粒々にして、根も無しに生えてくる驚くべき黒トリュフは、神秘的に成長するので大地にとって無縁なもののように見える。(コレット)
私がこれを書いている現在(1825年)、トリュフの栄光は頂点に達しているといえよう。アントレがそれ自体どんなに美味しいものであったとしても、トリュフの味つけがなければ格好がつかない。“プロヴァンス風トリュフ”の話を聞くだけで生唾が出るのを感じない人がいるだろうか。(ブリア・サヴァラン)
(紀元前の)人々は学者たちにトリュフの正体を尋ねた。2000年の議論を経た後でも、学者たちは最初の日と同じように答える。「何もわからない…」。トリュフそのものに尋ねたらこう答えた。「私を食べ、そして神を崇めよ」。トリュフの歴史を書くことは、世界文明史を書くことを意味する。(アレクサンドル・デュマ)
トリュフが調味料に、美食家を恍惚境に導くための輪光のような働きをします……トリュフはキノコのモーツァルトです。(ロッシーニ)
「今週は、“牛フィレ肉のロッシーニ風”をロッシーニのオリジナルでお願いします!(^O^)/」
Festival de la truffe noire du Perigord
ぺリゴール産黒トリュフ・フェスティヴァル
+サービス料10%
Salade d'hiver a la truffe noire
フレッシュトリュフのサラダ
6300円
Ueufs brouilles a la truffe goujonnettes
トリュフのスクランブルエッグ
6300円
Croustade de truffe “Imperiale”
トリュフとフォアグラのパイ包み焼き
18900円
La soupe aux truffes noire en croute feuiletee
トリュフのスープ パイ包み焼き
8400円
Dorne de turbot fourree de truffes noire ,et sa mousse
sauce a la creme fleurette et sauce perigord
天然ヒラメのトリュフ風味 2色のソース
8400円
Tournedos “Rossini”et sa garniture
八甲田牛フィレ肉のロッシーニ風 トリュフ・フォアグラと共に
15750円
Dessert a la truffe
トリュフのスペシャル・デザート
2940円
「ぺリゴール産フレッシュ黒トリュフ…相変わらず神秘的でエッチな匂いです! 〜(~Q~)」
フランス南西部の内陸の地方ぺリゴールはラスコーの洞窟をはじめとする旧石器時代の遺跡が数多く残る中、緑豊かな丘と、のどかな村が続く美しい地方です。中世の面影が残るこの地方の中心地ペリグーは、美食の街という名にふさわしく、市場が立つと様々な食材が並び、大変活気に溢れます。ぺリゴールで誰もが思い浮かべるのが「トリュフ」。“黒いダイヤモンド”との別名を持つキノコの歴史は古く、古代ローマ時代にまで遡ります。フランス古典料理が確立された18世紀には「トリュフ」は珍しく貴重なものとされ現在に至ります。
「トリュフは古代ローマ時代に発見され、18世紀からフランスで食べられるようになりました。そして、“トリュフ好きはエッチ好き”と、媚薬であると信じられていたのです(^-^)」
「確かに中まで真っ黒で、コロンと丸くて、薬のように不思議なものではあります(゚-゚)\」
「おおっ!?米です!(゚O゚)\ ジョエルさん、どうしてトリュフに米が付いてるのですか?」「トリュフハ オコメト イッショニ シマッテ アリマス。キョウハ トリュフノ リゾット タベサセテ アゲマス(^_-)-☆」「トリュフのリゾット!?しかもフレンチで!?(゚O゚)\」
フレッシュのトリュフは香りを逃がさないように米や生卵と一緒に密閉容器に入れて保存しているそうです。密閉する時に生卵と一緒に入れると、卵の殻の気孔からトリュフの匂いが移ります。その卵を使ってスクランブル・エッグにすると、素晴らしいトリュフ風味のスクランブル・エッグが作れます。

Amuse bouche

「ワンダフルハウス様、アミューズの“Milles feuilles au fondant de foie gras et aux fruits secs フォンダン・フォアグラのミルフィユ ドライフルーツ添え”でございます」「フォンダン・フォアグラ?(゚O゚)\」
1813年2月6日、ヴェネツィアの大劇場フェニーチェ座でロッシーニの堂々たるセリアが初演されました。ロッシーニの出世作「タンクレーディ」です。これによってロッシーニの名声が一気に全イタリア、さらには広くヨーロッパ各地に知れ渡ることになります。
ロッシーニは伝統的イタリアオペラ様式の完成者と目され、オペラ・セリア(真摯な歌劇)、オペラ・ブッファ(喜歌劇)、オペラ・セミセリア(中間的な性質の歌劇)、ファルサ(単幕の軽喜劇)の表現可能性の極限を示しました。
「フォンダンとは、フォンダン・ショコラでお馴染みの通り、“とろりととろける”という意味です」
「タンクレーディ」の個々の音楽を見ていくと、なんといってもタンクレーディ登場のアリア「Tu che accendi questo core」(というよりもモデラートの部分「Di tanti Palpiti(こんなに胸騒ぎが)」の方が通りが良いでしょう)が最も魅力的です。不安と期待を胸に密かに祖国に戻って来たタンクレーディの様々な感情が、キリリとした旋律と和音の微妙な色彩の変化で見事に表現されています。
「おーっ! つまり、フォアグラのムースですね! しかも、ドライフルーツとナッツが乗っててミルフィーユ仕立とは、お菓子っぽい造りです!(^O^)\」
ロッシーニはタンクレーディの上陸場面のために大アリア「Di tanti palpiti(こんなに胸騒ぎが)」を書きますが、初演前々日に、美貌と才能と気まぐれの絶頂にあったプリマ・ドンナのアデライーデ・マラノッテから自分のアリアが気に入らないと言われ、歌うのを拒ばれます。ロッシーニは宿屋で注文したリゾットを待つわずか4分間で新たなアリア「Tu che accendi(燃え上がらせるあなた)」を作曲したといわれています。このアリアの別名は「aria dei risi(米のアリア)」。リゾットを注文してから出てくるまでの間に、あわてて書き上げたからです。
ドライフルーツとナッツが乗っててミルフィーユ仕立て…お菓子っぽい味です!(^Q^)
このフォンダン・フォアグラは、生のフォアグラをピュレにしてから、卵や生クリームでのばして、低温のオーブンで湯煎にかけてプリンのように火を通したものです。
では、4分間で調理できるリゾットとは何でしょうか? 溶かしバターに残りご飯を入れて揚げて、パイのように切り分け、おろしたパルメザン・チーズをかけていただく「Risotto al salto(揚げリゾット)」ではないか、といわれています。生米にスープを足して炊きあげる一般的なリゾットであれば、調理に15分を要するからです。

Hors d'oeuvre

ワンダフルハウスがトリュフに付着した米を発見してから15分が経過しました…「ワンダフルハウス様、“Rizotte de truffe noire fraiche リゾット・ドゥ・トリュッフ・ノワール・フレーシュ”フレッシュ黒トリュフのリゾットでございます」
フレンチでリゾットを一品料理として提供することは、まずありません。しかし、ジョエル・ブリュアン氏は、ここで出してくれたのです。
Rizotte de truffe noire fraiche
リゾット・ドゥ・トリュッフ・ノワール・フレーシュ
フレッシュ黒トリュフのリゾット
「おおっ!予想以上に凄いリゾットが出てきましたよ!(゚O゚)\」
炒めたお米にスープを吸わせながら美味しく煮る、イタリアを代表するお米料理「リゾット」。ロッシーニが好んで調理していたリゾットはトリュフを使ったものではなく、牛の骨髄を使ったものでした
「Risotto alla Rossini(リゾット ロッシーニ風)」
60グラムのバターを新鮮な牛の骨髄90グラムと共に火にかけて溶かしたら裏漉しし、500グラムの米とスプーン1杯の塩で調理を始める。米が油分を全て吸収しきらないうちに、野菜と滋養に富んだスープをスプーン数杯加えながら、絶えずかき混ぜる。さらに5分経過したら、小匙2杯のスープを再び入れ、よく洗ったキノコ12個の薄切りと、種を取って細切れにしたトマト4個分を加える。絶えずスープを足し、仕上げにおろしたパルメザン・チーズ200グラムを加える。キャスロールを火からおろし、卵の黄身2個を混ぜ合わせ、5分間放置してから、おろしたパルメザン・チーズを別に添えて供する。
ここで、高木さんが通りかかって、お皿をジーッと見つめています…「ん?(^-^)\ この黒トリュフのリゾットは私も始めて見ました」「マ…マジですか!?(゚O゚)\」
キャビア、フォアグラと並ぶ世界三大珍味の一つ「トリュフ」には黒トリュフと白トリュフがあり、黒トリュフはフランス・ペリゴール産、白トリュフはイタリアのピエモンテ・アルバ産が特に最高級品として珍重されています。
ロッシーニにとって最高のトリュフは、ノルチャの黒トリュフとピエモンテの白トリュフでした。イタリアから送ってもらったり、パリのイタリア食品店で購入していました。他の産地のトリュフについては何も語っていないことから、フランスで最高のぺリゴール産黒トリュフよりも優れていると考えていたようです。
「ジョエルもなかなか引き出しを多く持っているようで、自分もこの皿を見たのは初めてです」。レストラン・ジョエルとcuisine francaise JJで20年以上働いている高木さんが初めて見たぺリゴール産フレッシュ黒トリュフのリゾット。
黒トリュフはイタリア、フランス、イタリア、スペインで採れますが、白トリュフはイタリアのごく一部でしか採れないないため、収穫量が圧倒的に少なく、黒トリュフの何倍もの高値で取引されています。
「これは、日本のフランス料理史に残る傑作です!(゚O゚)\」
フランス料理界の巨匠ジョエル・ブリュアン氏が初めて見せてくれた「ぺリゴール産フレッシュ黒トリュフのリゾット」の登場です。
イタリアの友人たちからノルチャ産の黒トリュフを大量に入手したロッシーニは、早速パリの有力者たちを正餐に招いて御馳走しましたが、台所でトリュフを薄切りにするのは、ロッシーニ自身の役目でした。それをとても重要な仕事と考えていたのです。
「おおっ!?お茶漬け用の海苔です!(^O^)\」
「よく見ると、これもトリュフですよ!(゚O゚)\」
「お米が、しっかりアルデンテです!\(^O^)/」
「トリュフとコンソメの味…イタリアン・レストランのリゾットよりもあっさりしています!(^Q^)」
トリュフの微塵切りを入れ、鶏のブイヨンで炊いたリゾット。 仕上げにバターが入り、 上にはトリュフの薄切りと短冊切りがたっぷり乗っています。
「口に中いっぱいに広がるトリュフの香り…美味です!(^Q^)」
トリュフほどではないにしろ、フォアグラの歴史も古く、古代ローマ時代にまで遡ることができます。当時のフォアグラはイチジクで肥らせた鵞鳥から採られていました。

Viande

「ワンダフルハウス様、“Tournedos Rossini et sa garniture トゥールヌド・ロッシーニ・エ・サ・ガルニチュール”(八甲田牛フィレ肉のロッシーニ風 季節の野菜のガルニチュールと共に)を19世紀のエスプリでどうぞ」
フォアグラもトリュフ同様、長い空白期があって、ローマ時代以降に文献に登場するようになったのは15〜16世紀。フォアグラが近代美食家の口に入るようになったのは、トリュフ入りフォアグラ・パテが考案された18世紀後半からのことなのです。
Tournedos Rossini l'esprit du ]\e siecle
トゥールヌド・ロッシーニ レスプリ・デュ・ディズヌヴィエーム・シエークル
トゥールヌド・ロッシーニ 19世紀のエスプリで
(特注品)
ここで、東京で最高のサービスマンと言われている高木さんが再び登場…「ワンダフルハウスさん、ロッシーニは有名な料理なのですが、意外と知らないんじゃないかな〜てのが、フォアグラはソテーではなくてクラシック・スタイルはフォアグラのテリーヌを温めたものを乗せていたんですよ」
フォアグラのパテ(テリーヌ)の考案者については、いくつかの説がありますが、1780年頃、ジャン・ピエール・クローズという料理人の考案した「Pate a la Contades」(コンタード風パテ)をもってフォアグラの栄光が始まるとされています。
「ロッシーニにフォアグラのテリーヌ!?…こんなの初めて見ました!(゚O゚)\」
コンタード侯爵から宴会用の珍しく美味な料理を作るように命じられた料理長ジャン・ピエール・クローズが一夜で考え出したフォアグラ・パテは、フォアグラ史を根底から塗り替え、美食家たちにフランス革命に匹敵する震撼をもたらしたのです。
「これも、日本のフランス料理史に残る傑作です!(゚O゚)\」
さらに、ジャン・ピエール・クローズのフォアグラ・パテにトリュフを加えるという改革がニコラ・フランソワ・ドワイヤンという料理人によって行われ、「Pate de foie gras truffe」(トリュフ入りフォアグラ・パテ)が誕生しました。
トリュフです!かなりデカいです!(゚O゚)\
フォアグラとトリュフの“宝石箱と真珠のようにふさわしい”(by キュルノンスキー)組合せは、美食家の食卓に欠かせないものになったのです。
フォアグラのテリーヌはポワレすると溶けてしまうので、牛フィレ肉の余熱で温めたものです。
ロッシーニ生誕頃に産み出された、この最高の贅沢品…トリュフ入りフォアグラ・パテはロッシーニの好物となっただけでなく…
いい具合に溶けていますね!(゚O゚)\
「ロッシーニ風」と呼ばれる、トリュフとフォアグラを組み合わせた様々な料理の源となったのです!
「ほぅ、これが“トゥルヌド ロッシーニ”ですか…(゚O゚)\」
トゥルヌドは、フィレ肉の上等な部位ですから、そのステーキを「ロッシーニ風」と称するには別な条件が必要です。それが肉に乗ったトリュフとフォアグラ。この組み合わせをロッシーニが頻繁に料理へ用いたことから、「トリュフとフォアグラの組み合わせ」を「ロッシーニ風」と呼ぶようになりました。ロッシーニは世界3大珍味のうち2つの食材を自分の料理の基本素材にしたのです。
「凄いボリュームです!(゚O゚)\」
一般に「ロッシーニ風」とは、「トリュフとフォアグラの組み合わせ」とされていますが、当然のことながら、現代のものはトリュフ入りフォアグラ・パテのことではなく、あくまでフォアグラのエスキャロップ(薄切り)のポワレ(ソテー)にトリュフの薄切りを乗せたものです。この組み合わせによる料理で絶品と讃えられているのが「トゥルヌド・ロッシーニ」なのです。
厚さ2cmほどの牛フィレ肉を4枚用意し、周りを細紐で縛って形を保つ。塩胡椒をふり、バターで両面を返し焼きする。トゥルヌドと同じ厚さのパンのクルトン4枚をバターで揚げ、食卓へ出す皿に並べる。それぞれのトゥルヌドの上にバターで返し焼きしたフォアグラのエスキャロップ1枚とトリュフの薄切り3枚を乗せ、クルトンの上に並べる。肉の焼き汁にカップ半杯のマデラ酒(フランス料理の場合)かマルサラ酒(イタリア料理の場合)を混ぜてトゥルヌドにかける。熱いところを供する。
モッレージ「マルケの歴史的・民族的料理」
トリュフ
フォアグラのテリーヌ(普通はポワレ)
鹿フィレ肉
ブリオッシュ
↑\(^○^)/↑
牛フィレ肉は、背骨の内側にそってサーロインに包まれて左右に1本ずつある棒状(細長い円錐形)の肉。最上の部位の一つとされ、脂肪が少なく、肉質のキメが細かくやわらかいのが特長。輪切りにしてステーキやヒレカツに用いられます。最も太い部分をシャトーブリアン、次をトゥルヌド、細い部分をフィレミニョンといいます。
トゥルヌドをソテーし、濃縮肉汁をかけた揚げクルトンの上に置く。それぞれのトゥルヌドへバターでソテーしたフォアグラのエスキャロップを乗せ、その上に数枚のトリュフの薄切りを飾る。マデラ酒とトリュフ・エッセンス入ドゥミグラスでデグラッセした焼き汁をかける。
エスコフィエ「料理の手引き」
「このソースは何でしょう?…微塵切りにした黒トリュフが入った茶色いソース…これは“sauce perigueux ソース・ペリグー”です!」
ソース・ペリグーは、フォン・ド・ヴォーに、マデラ酒を加えて煮詰め、微塵切りにしたトリュフとトリュフのジュースを加えたソースです。ちなみにペリグーとは、トリュフやフォアグラの産地で名高いベリゴール地方の都市の名前ぺリゴールに由来しています。
「ガルニチュール(付け合わせ)を見てみましょう」
「ヨーロッパの松茸といわれるセップ茸です!(゚O゚)\」
季節の野菜とグラタン・ドフィノワです。
「おおっ!?ヒジキです!(^O^)\」 「よく見ると、これもトリュフですよ!(゚O゚)\」
「トリュフを取り外してフォアグラのテリーヌを見てみましょう」
1822年、ロッシーニが訪れた頃のウィーンは、パリと並んで世界で最も豊かに食べることのできる都市でした。時代の寵児としてメッテルニヒや上流社会から厚いもてなしを受けたロッシーニは真の美食に目覚めます。フォアグラのテリーヌのような高級珍味やパリ仕込みの美食は、まだイタリアでは知られていなかったのです。ウィーン宮廷やメッテルニヒ家の食卓に普及していたのは、アントナン・カレームに代表される近代フランスの美食だったのです。
フォアグラのテリーヌはフライパンでソテーすると熱で溶けてしまいます。
ウィーンのロッシーニ熱は、ロッシーニが去った後も10年余り続きました。1824年にウィーンを訪れたドイツ人哲学者ヘーゲルは、たちまちロッシーニ・オペラの虜になります。ヘーゲルは、錚々たるイタリア人歌手の声の素晴らしさに圧倒され、彼らの“火のような強烈なワイン”に比べれば、ベルリンの歌手は“粗野で薄弱なビール”のようなものだと印象を述べています。ロッシーニの音楽についても最大級の賛辞を呈しており、2回見た「セビリャの理髪師」をモーツァルトの「フィガロの結婚」より優れているのではないかとさえ思ったほどです。
テリーヌ型で温めたものをスライスして乗せるか、肉の余熱でも温めることができます。
ヘーゲルは、書簡に次のように書いています。「ロッシーニの音楽が何故ドイツで、とりわけベルリンで悪しざまに言われるのか、今よくわかります。それは、ビロードが貴婦人のために、フォアグラ・パテが美食家のために作られるように、ロッシーニの音楽がイタリア人歌手の喉のために書かれているということなのです」。
大哲学者ヘーゲルが、ロッシーニの音楽を語るにあたって例に引いたフォアグラのテリーヌ…それは、1820年代のウィーンの食道楽を反映しているだけでなく、フォアグラのテリーヌが大好きになった食通ロッシーニの評判を聞き知ってのことだったのです。“Tournedos Rossini トゥルヌド・ロッシーニ”…19世紀前半の古典料理の精華の一つと見なされ、ロッシーニの名をフランス料理史に永遠に留める偉大な料理のオリジナルは、フォアグラのテリーヌを乗せたものでした。
「そして、この偉大な料理の裏には、アントナン・カレームの姿が見え隠れしています!(゚O゚)\」
この料理について、フランスの思想史家「ジャン・フランソワ・ルヴェル Jean-Francois Revel」(1924〜2006)は、著書「美食の文化史 ヨーロッパにおける味覚の変遷」(1987)の中で次のように記しています。「トゥルヌド・ロッシーニの調理法は、ロッシーニが筋金入りの食通であったことを今なお実感させる。見かけはシンプルだが、その背後に高級料理の技術がある。…」
「ブリオッシュの上に八甲田牛フィレ肉…」
「まず、揚げたクルトンに溶かした濃縮肉汁をかけなければならないが、これがまず第一に難しい…」
「見事な焼き加減です!(゚O゚)\」
稀少な地方特定品種「日本短角種」である八甲田牛は、青森県八甲田山山麓の豊かな自然の中で、のびのびと育てられた牛です。肉質は、濃厚な配合飼料で育った黒毛和種(一般的な和牛)のように霜降りではなく、牧草中心の餌を与えているため、赤身が多くてとてもヘルシー。黒毛和種の霜降り肉を「脂肪の旨味」というなら、八甲田牛はまさしく「赤肉の旨さ」といえます。
「フォアグラのテリーヌが見事に溶けています!」
「次いで、牛フィレ肉の上にフォアグラを1枚とトリュフを乗せる。最後にマデラ酒で鍋底についた旨味を煮溶かし、トリュフのエッセンス入りドゥミ・グラス・ソースを注いでソースを作る。この料理にはアントナン・カレームの姿がちらついている」
「とろけるようなフランス産フォアグラ・パテと、赤身の多い八甲田牛フィレ肉の相性が抜群! 一口食べた瞬間に今まで食べたロッシーニとの圧倒的な格の違いを実感するほどの深く薫り高い味わいです!(^Q^)」
「トリュフの上にセップも乗せると、さらに美味になります。この新たなる偉大な料理には、“Tournedos Wonderful House トゥルヌド・ワンダフルハウス”(牛フィレ肉のワンダフルハウス風)と名づけさせていただきます\(^Q^)/」
「Gratin dauphinois グラタン・ドーフィノワ」と名前の付いたジャガイモのグラタンは、各レストランによって、というより各料理長によって色々な作り方をしています。けれども、どんな作り方よりも、ピラミッドで出していたグラタン・ドーフィノワが、フランスの美味しいジャガイモの良さを最高に味わわせてくれたものでした。フェルナン・ポワン亡き後、ポール・ボキューズからジョエル・ブリュアンへと50数年来そのままの形で受け継がれているグラタン・ドーフィノワを紹介しましょう。
20世紀に世界一と言われたレストラン・ピラミッドが誇ったこの料理は、ぶっちゃけた話、一言で言えば“ただのジャガイモのグラタン”です。ところがこの料理は、調理長ギー・ティヴァル氏の下でスー・シェフ(副調理長)を務めていたムッシュ・クロードが、毎日ランチ前の仕込みの際に必ず自分で作っていたのです。スー・シェフが絶対に他の者にまかせなかったこの料理は、“ただのジャガイモのグラタン”とは言わせないほどの美味しさを持っていました。その作り方のポイントは、最初のニンニクの扱いから焼き上げまでの少しも気を許さない慎重な全ての操作段階にあったのです。ピラミッドの究極まで簡素化された料理は全てこの調子でした。
まず、グラタン皿を用意し(このグラタン皿は1人前用ですが、ピラミッドでは2人前用と4人前用のグラタン皿を使っていました)、ニンニクを2つに切り、切り口に包丁で細かく切り込みを入れて、グラタン皿の内側にこすり付けます。この時はニンニクの油が出てネチョネチョになり、細かいカケラがくっつく程度までこすり付けます。そして、グラタン皿をそのまま置いて、指で触ってみてもニンニクの油が付かない位まで乾かします。これで強過ぎるニンニクの香りを抜いてしまうのです。これはアルコールを燃やし、フランベして香りだけをとるのと同じ理屈だそうです。微塵切りにして加えれば香りや味が強過ぎる、かといってニンニクを入れないと料理全体の味が引き締まらない。こんな時にこそ、このような使い方をするのです。
次に、グラタン皿へブール・フォンデュ(溶かしバター)を薄く底一面に流します。この時のバターは熱過ぎても冷め過ぎていてもいけません。舌先で舐めてみて(^Q^)ちょっと熱いかな、と感じる位でないといけません。これは、先に塗りつけたニンニクの油がちょうどいい状態でバターと溶けて混ざり合う事を考えてあるのです。
牛乳、生クリーム、卵、ナツメグ、カイエンヌ・ペッパー、塩を混ぜ合わせてアパレイユ(混ぜ物)を作ります。ナツメグは生のアパレイユを口に含んだ時、かすかに効いているのかな、と思う位にすること。そうしないと火が通ってからでは強過ぎて味のバランスを崩してしまう怖れがあるのです。
以上の準備が出来ると、ジャガイモを0.5ミリ位の厚さで薄切りにします。これにも軽く塩・胡椒します。このジャガイモをグラタン皿に1cm厚さで入れ、その倍くらいのアパレイユを流し込みます。これを140〜150℃の電気オーブンで30〜40分間、8〜9分通りの火通しで、表面は少しだけキツネ色になる位に焼きます。1970年代のピラミッドの電気オーブンは、サーモスタット付きのオーブンでしたから、昼食をとっている間にしていました。これでお客さんに出す時に強火のオーブンに入れて焼き上げます(ピラミッドでは熱源が石炭でしたから、このカマドのオーブンで焼き上げましたが、もし電気オーブンなら220〜240℃で10〜15分間で表面に焼き色を付けて完全に火を通すことになります)。このグラタン・ドーフィノワの出来上がりは、やわらかいジャガイモの微かな舌触りが、卵豆腐と茶碗蒸しの中間くらいの固さのアパレイユと、どこからともなくといった感じで余韻を残すナツメグの香り、これが何とも言えないような感じで混ざり合っているのです。よくこすりつけたニンニクの油も中に混ざり合って、これらの味全体の引き締め役として欠かせないものなのです。日本料理でいいますと、“隠し味”とでもいうような感じの働きなのです。

Dessert

「ワンダフルハウス様、こちらが本日、宮本が用意しましたデセールでございます」「おおっ!?(゚O゚)\
「こ…これは?(゚O゚)\」
「ワンダフルハウス様、“Crepe suzette クレープ・シュゼット”のフランベです」
「ブルーの炎が!?(゚O゚)\」
扇形に畳んだクレープにオレンジのリキュール「グランマルニエ」をたっぷりかけて火を点けると、瞬間青い炎がゆらめいて、芳醇なオレンジの香りが心地よく鼻をくすぐります。
「これは凄い!(゚O゚)\」
「アイスが溶けてしまいますよ!(゚O゚)\
「炎に包まれてもアイスが溶けない…不思議です!(゚O゚)\
「炎が消えました!(゚O゚)\」
2月2日はクリスマスから数えてちょうど40日目。つまりイエス・キリストの誕生から40日目にあたるこの日は「Chandeleur シャンドゥルール」(クレープの日)という祝日です(休日ではありません)。新年のガレット・デ・ロワが終わると同時に、町中ではクレープが焼いて積み上げられたものがショーケースに並んだり、スーパーではクレープ粉やクレープパン(専用フライパン)、クレープを伸ばす木のトンボ棒などがセットで売り出され特設コーナーが設けられます。
フランスでは「Mardi gras マルディグラ」(謝肉祭の最終日)という祝祭日にもクレープを食べる習慣があります。マルディグラは、2月3日から3月9日の間の、その年のイースターの日に影響を受ける移動祝祭日で、2009年は2月24日です。
1月がガレット・デ・ロワなら、2月はクレープの月。フランス人は2月は2回以上クレープを食べるのです
原宿・竹下通りや縁日の屋台などで、畳んでもなお大きいクレープを頬張る子供のイメージに重なり、ふと気がつけば、いつの間にか“子供っぽいお菓子”のレッテルを貼られてしまった日本のクレープ。フランスでは大衆のおやつでありながら、食後を飾るデザートとしても一つの地位を確立しているのです。
「おおっ!?シロップが黄色いですよ!?(゚O゚)\」
メゾン・ポール・ボキューズ
「本来、古典的なクレープ・シュゼットのシロップは、もうちょっと茶色っぽいものなのです。ソースはかなり煮詰めてとろみを出し、砂糖がキャラメル状になって、このような色になります」
静かに照明が落とされ、ワゴンの上に炎が燃え上がります。幻想的な炎のゆらめきの中、オレンジとリキュールの甘く気高い芳香が漂います。優雅な静寂が時の流れを包み込み、美味への世界へと優しく誘います。クレープシュゼット…それはまさしく“デザートの女王”なのです。
パティシエ・シマ
「この黄色いソースの裏には、宮本亜希子シェフの師匠である、島田進シェフの姿が見え隠れしています!(゚O゚)\」
パティシエ・シマ cuisine francaise JJ
「おーっ! どちらも真っ黄色です!(゚O゚)\
「アイスにもオレンジの実が入っていますよ」
「オレンジのリキュールが効いています!(^Q^)」
「クレープがカットされました」
素朴なお菓子クレープに、「シュゼット」という名前を付け、高級デザートに変身させたのは、19世紀〜20世紀半ばにかけて活躍したフランス人パティシエ「アンリ・シャルパンティエ」(1880〜1961)。意外なことに、クレープ・シュゼットは、大失敗から偶然生まれた料理だったのです。1895年、モンテカルロのカフェ・ド・パリにプリンス・オブ・ウェールズ、後のエドワード7世(1841〜1910)がやって来て、14歳の若きアシスタント・ウェイター、アンリ・シャルパンティエに「今までに食べたことのないデザートを!(^O^)/」というリクエストをしました。イギリスの皇太子のためにパンケーキに香り高いお酒をたくさんかけていたところ、加熱皿の中が燃えてしまいます(゚O゚:)\ 彼は破滅すると思い、恐れながら味見してみると…するとどうでしょう…炎の事故のいたずらによって、パンケーキは美味しくなっていたのでした\(^Q^)/ 幻想的な炎に包まれたパンケーキ、ブランデーやリキュールの醸し出すデリケートな味(^Q^)…殿下はお気に召した様子で、このデザートの名前を尋ねると、「クレープ・プリンセス」と答えたそうです。殿下は同席していた令嬢の名前から「クレープ・シュゼット」の方がいいと答えられ、この素敵なデザートの名前の由来になったと言われています。そして翌日、殿下はアンリ・シャルパンティエに宝石を散りばめた指輪とパナマ帽を贈ったのでした。失敗から生まれた料理と言えば、タルト・タタンが有名ですが、クレープ・シュゼットもそうだったとは、少し意外ですね。
グランマルニエがきつ過ぎても、苦味ばかり際立ってしまいますから、洋酒と果汁のバランスが大切なのです。
「果たして、中に具は入っているのでしょうか?」
「おっ、何も入っていません(゚O゚)\
「オレンジ果汁にグランマニエやコアントローが加わって濃縮され、クレープを高貴な味にしています!(^Q^)」
オレンジとアイスを乗せていただきます…ほのかに洋酒が香り、しみじみと大人の贅沢を実感させられるデセールです。
ワンダフルハウスが集めた資料によると1970年以前のフランスのレストラン・デセールのクレープには様々なものがありました。4つ折りにしたクレープの中にフランボワーズとクレーム・ダマンドをはさんでフランボワーズ・ブランデーでフランベする「Crepe a l'alsacienne クレープ・ア・ラルザシエンヌ(アルザス風クレープ)」、リンゴのプレザーブとカスタードクリームをはさんでカルヴァドスでフランベする「Crepe Normande クレープ・ノルマンド」、ラム酒を使ってフランベする「Crepe a la bonne femme クレープ・ア・ラ・ボン・ファム」、シャルトリューズ・ワインでフランベする「Crepe de chartreuse クレープ・デ・シャルトリューズ」、薄切りのパイナップルをはさむ「Crepe Georgette クレープ・ジョルジェット」、チェリー・ブランデーで香りを付けてシャンパンでフランベする「Crepe Simone クレープ・シモーヌ」…その他まだまだありましたが、次第に淘汰されてしまったようです。

Petit Four

「ワンダフルハウス様、コーヒーとプティ・フールでございます」
「このチョコレート・クッキーは何ですか?(^-^)\」「特製プラリネクリームをサンドしたサブレ・プラリネ・ショコラでございます」
「プラリネ(ヘーゼルナッツのペースト)たっぷりで、香ばしさと深みがあります!(^Q^)

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