わんだふるはうす、桜の名所 段葛を行く
(鳩サブレー PART2)

源頼朝が建立した鶴岡八幡宮は、鎌倉幕府の象徴。現在は鎌倉のシンボルとなっています。表参道の段葛(だんかづら)は鎌倉きっての桜の名所。桜が満開になった2006年4月1日(土)、ぼんぼりに灯がともり幻想的な段葛を、ワンダフルハウスが訪れました。


わんだふるはうす、豊島屋本店に行く
PART2

目の前に弁慶が現われました。 義経号です!\(^O^)/
ワンダフルハウス御用達ベーカリーショップの登場です。御成通りに本店がある、天然酵母パン工房「KIBIYAベーカリー」段葛店の「Come va?」。オーナーであり、ジャズシンガーであり、ジャズクラブ「ダフネ」も経営する牧野竜太郎さんが、あのベンチに座って語っています。店名の「Come va?」は、イタリア語で、come(どのように)+va?(行ってる?)=「調子どう?、元気?」という意味になります。 入場無料のパイプオルガンコンサートも開催されるカトリック雪ノ下教会。休日の昼下がりにバッハの名曲をタダで聞くことができます。
豊島屋本店に到着しました。今回は、2階にある「鳩巣(きゅうそう)」という名のギャラリーを紹介いたします。
店先に飾られている鳩のオブジェ。誰の作品なのかわかりませんが、なかなかのものです。
おやっ? 店の前に本物の鳩がいますよ。 「鳩サブレーは、こちらでございます」と鳩に案内されて、店に入ることにしました。
世界中から集めた鳩のコレクションが飾られている「鳩巣」という展示スペース(9時〜17時開館)は、1階の売場の左手の階段を上った2階にあります。
こちらが、世界中から集めた鳩のコレクションが飾られている「鳩巣」という展示スペースでございます(9時〜17時開館 入場無料)。創業時の店舗は、段葛を挟んだ斜め向いにありましたが、関東大震災で倒壊。その後すぐに現在の場所に移り、白壁に縦格子の店舗(写真左)を建てて営業を再開、平成になってから現在の店舗に建て替えられました。旧店舗の白壁に縦格子のイメージを受け継いだ和風でモダンな造りが見事です。本店裏に、徹底的に”鎌倉式”にこだわった甘味処「豊島屋菓寮 八十小路(はとこうじ)」が年内のオープンを目指して工事中です。
右下のツリーをくわえた鳩はアメリカ製。他は全てドイツ。 真ん中の灰皿のみイタリア。カップ&ソーサは全てスペイン。
ブルーのはイタリア。透明なのはフランス。 いよいよ、日本の鳩の登場です。鳩のワールドカップのようです。
ワンダフルハウスは、これが一番気に入りました。日本製で、段葛をテーマに作られたものです。鳩の表情がいいですね。
こちらは「鳩のつぶやき」といいまして、鳩サブレーの誕生秘話が、ストーリー仕立になったものです。鎌倉在住、故・那須良輔画伯の絵と共に、こちら(豊島屋のホームページ)で見ることができます。
那須良輔画伯が描いた鳩。 ジャン・コクトーと親交が深く、生前は葉山在住で、鎌倉霊園に眠る詩人・堀口大学(1892〜1981 明治25〜昭和56)の「鳩」という詩がありました。長女・堀口すみれ子さんの直筆です。
「窓のまえを 一羽の鳩が飛んだ
心のうえを あなたの思い出がすぎた
はとのはばたきが 空気に穴をあけた
おもいでの嘴が心臓に血を流させた
窓のまえを 一羽の鳩が飛んだ
心の上を あなたの思い出がすぎた
 父の詩 すみれ子」
ご自身も詩人であり、エッセイストでもあり、「ミセス」「家庭画報」など婦人雑誌でも活躍中の堀口すみれ子さんは、「私のはやま道」(2004年10月かまくら春秋社発行)という著書もございます。
こちらは、豊島屋本店用地から出土した、鎌倉時代の遺物でございます。この辺は、「若宮大路周辺遺跡群」という遺跡になっているのです。
『遺跡の名称にもなっている「若宮大路」(段葛)は、言わずと知れた鶴岡八幡宮の参道で、寿永元年(1182)源頼朝が妻政子の安産祈願のため、自ら陣頭指揮を執り造ったと言われています。若宮大路は中世都市鎌倉の中軸線に当たり、大路周辺には頼朝の有力な御家人達が屋敷を構えていました。また若宮大路を挟んだ本遺跡の向かいは、北条時代には幕府の置かれた大変由緒正しい土地です。本遺跡(豊島屋本店用地)の発掘調査は、1997(平成9)年4月〜9月にかけて実施されました。その結果、鎌倉時代前期の大型の掘立柱建物1棟、土地を区画する堀や塀の柱穴列、複数のかわらけ溜り等が発見されました。また国産陶器を始め、宗・元といった中国から輸入した陶磁器類、櫛や下駄等、当時の人々が使っていた色々な種類の遺物も出土しました。その中には堀の埋土の中から積み重なる様に出土した折敷(御盆)、大量のかわらけ等、武家の酒宴に欠かせない物が多く見つかりました。発見された建物の柱の間尺や出土遺物等の調査成果から、本遺跡は武家屋敷の一角に当たっているようです。』
生前は鎌倉在住で、豊島屋とも懇意だった漫画家・横山隆一(1909〜2001 明治42〜平成13)の「鳩とフクちゃん」の絵がありました。「鳩サブレー」と「フクちゃん」のコラボレート作品です。 「フクちゃん」は、1936(昭和11)年、東京朝日新聞で連載がスタート。終戦後の1945(昭和20)年、地方新聞で連載が再開され、1956(昭和31)年、全国紙・毎日新聞朝刊で連載を開始、1971(昭和46)年に終了するまで、5534回の長期連載記録を樹立しました。1982(昭和57)年11月〜1984年3月までテレビ朝日でアニメも放送されました。
中央左下の展示物に注目してください。 「鳩サブレー」の初期の金型です。尾の線が2本の物は、3本の物より古いようです。
小説家・劇作家の久米正雄(1891〜19521 明治24〜昭和27)の句がありました。「日を浮べ 灯を浮べけり 菊の酒」。久米正雄は、「鎌倉ペンクラブ」会長として、鎌倉町会議員としても活躍。鎌倉文士のリーダー格でした。 豊島屋と懇意だった、演劇家・小説家・俳人の久保田万太郎(1889〜1963 明治22〜昭和38)の鳩の句がありました。「鎌倉の春 としまやの はとさぶれ」。
わんだふるはうす私物
ついでに、ワンダフルハウスが集めた鳩コレクションも展示いたします。まずは、ポールスミスのタオル地のカットソー。
同じく、ポールスミスのマルチストライプの鳩Tでございます。
こちらは、休憩所でございます。
創業時から店先に掲げられていた看板が飾られていました。「名物元祖 古代瓦煎餅 豊島屋」と書かれています。壊れた瓦を型どった「瓦せんべい」は、人気商品として昭和中期まで焼かれていましたが、専門の職人が亡くなり、後継者不在のため、幻の銘菓となりました。代わりに戦前まで高額商品だった「鳩サブレー」が、昭和30年代に入り、バターが豊富に出回るようになってからブレイクしたのです。左下の写真は何でしょう? 創業時の豊島屋は、鎌倉警察署の横にありましたが、大正12年の関東大震災が店を直撃、全壊してしまいました。この写真は、関東大震災の直後に、現在の店の位置に建てられた旧店舗です。よく見ると、入口の上に、左の写真の看板が掛かっていますね。
商品を入れる手提げ袋も、黄色地に白鳩を配したデザイン。鎌倉の販売店の手提げ袋には、「相州鎌倉」の印を付けて、鎌倉以外の販売店と区別しているのです。 窓から段葛の桜が見えますね。
桜が散り始めています。満開から1週間後の4月9日の写真です。 そろそろ、段葛に戻りましょう。
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