KANEKO ISAO

”PINK HOUSE”のルーツを追うと、こんなデザインになるのです。”金子功クラシック”かな?

”PINK HOUSE”をヒットさせたデザイナーの金子功さんが、’90年の秋、ひっそりと”KANEKO ISAO”ブランドを出しました。ショーも記者会見もなく、ぱらりと展示会のお知らせがきただけのデビューでしたが、’91年の2月、東京・青山のひっそりとした骨董通りに、品のいいブティックをこれまたひっそりとオープン。続いて大阪・心斎橋、京都BMDにオープンした道路に面した店もひっそりとした通りにあるそうです。
「私はデザインはできるけど、商売はまるで素人。売り方も宣伝も下手で……」
というのが金子さんのひっそりブランドの言い訳。”PINK HOUSE”は有名なビギグループに属していますが、”KANEKO ISAO”は彼自身のまだ無名の会社のブランド。でも、ぼちぼち地方にも販売網が広がり、博多ビブレ、広島SOGO、名古屋松坂屋など、全国10店舗で展開中ですが、
「せめて20店舗にしたいですね」
と経営者的な顔ものぞかせます。
「”PINK HOUSE”よりも、そのお姉さんブランドの”インゲボルグ”に似ていると言われます。でもどちらもルーツをたどると”KANEKO ISAO”ブランドになるのです。つまり私が基本的に好きなものの原点なのかな。初めはうんと違うイメージの服を作るつもりだったのに、なんだか似てきてしまって……」
確かにデザイン上の共通点はありますが、一線を画するのは色で、セピアからエクリュに至るまでの茶系統がテーマカラー。”PINK HOUSE”のかわいい赤とは違う、懐かしい人の面影に似た優しい色です。
「田舎で漠然とデザイナーを夢見ていたころ、そのきっかけとなったのは、たった5冊ほど持っていたフランスのモード誌”ジャルダン・デ・モード”でした。その中に”カフェフラッペ”と題した茶色の服ばかりを集めたページがあって、それが古いアルバムのように頭の中に焼きついてしまったのです。こんな服を作りたいと思っていた願いが、このブランドのベースになっているのかもしれません」
金子功クラシックで彩られた、この優しい服たちは、いくつになっても夢見がちな永遠少女に似合いそうです。

KI青山店 KI青山店の店内
KANEKO ISAO青山店(1991−1994)
骨董通りのカールヘルム青山店があった場所に作られたため、KHは2階に移動した。(左側の階段を上がると、KHだった。) 独立後の1994年8月、青山通りのWW&KI路面店がオープンしたため、骨董通りの店はpowderが入った。

装苑1992年1月号「SO−ENが好きな服 第1回  KANEKO ISAO  思い出のカフェフラッペ」より

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