コシノジュンコ

デザイナー

1939(昭和14)年、大阪生まれ。文化服装学院デザイン科在学中に、最年少で装苑賞を受賞。以後ファッションデザイナーとして活躍。’78年にパリコレクションに初参加。以来、東京とパリで年2回のコレクションを発表し、現在に至る。’85年中国北京市で、’90年ニューヨークのメトロポリタン美術館で、’94年にベトナムのハノイでショーを催す。

文化服装学院に入ったジュンコさんは2年の基礎コースを1年で終え、飛び級で小池千枝さんの担当するデザイン科へ進む。当時のデザイン科はファッションを志す若者の憧れの場所。ジュンコさんと同級の9期生には、高田賢三、松田光弘、金子功、北原明子ら、後のファッション界をリードする人材が揃っていた。

小池千枝先生とコシノジュンコさんの対談
小池 ”花の9期生”と呼ばれた中でも、あなたが初めて装苑賞をとりましたね。
コシノ ええ、どういうわけか。19歳で最年少受賞でした。
小池 その次の回がケンゾーさんで。賞品はたしかミシンだったと思うけれど、あれどうした?
コシノ あの頃のミシンってかさばるじゃないですか。それを私、3台ももらったんです。受賞した前の回が佳作の1位で、受賞のときは佳作の2位にも入っていましたから。4畳半の部屋に3台も置けないので、親のところに送ったんです。
小池 装苑賞はデザイン科の中でも競い合っていたでしょ。
コシノ ええ。でも、私にしてみればデザイン科に入れたことのほうが嬉しかった。試験を受けて選ばれた70人ですから、入った途端にプロ意識が湧いてくるんです。隣にケンゾーさんがいて、前に金子さんが座っていて、みんな素朴な格好しているけれど、意識はプロなんですね。
小池 そういう誇りを持たせるのも、デザイン科を設立した目的なんです。入りたい人を全部入れちゃうと育たないのよ。
・・・・・・中略・・・・・・
小池 松田光弘さんがあとで言っていたわよ、9期はいろんな個性がいるからまとめるのに苦労したって。あの人、早稲田大学を卒業して入ってきたから、ちょっとおとなだったでしょ。ファッションショーやろうと言ったら、ジュンコさんの意見はこうで、金子さんは別のこと考えている。ひとつのこと決めるにも大変だったんですって。
コシノ 在学中にファッションショーをやったんですよね。それも学校の中だと素人くさいからと、お金もないのに銀座のヤマハホール借りて。
小池 学生が外でショーやるなんて前例がないでしょ。学校から文句が出たら私が責任とるつもりだったのよ。でも、あなたたちはファッションショーに、世界で初めて光と音楽を使ったのね。
コシノ 当時はまだモデルさんが番号札を持って歩くだけでしたから。
小池 お金がないから白い布に照明を当てて色をつけたり、会場の雰囲気を出す音楽を流したり。いま、世界中でやっているショーの形式は、あなたたちが文化の円形校舎の9階(デザイン科の教室)で考え出した。このことは私にとっても誇りなんです。
クロワッサン1996年11月10日号(No.456)「気になる人と気になる話 師弟 小池千枝さん+コシノジュンコさん」より

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