わんだふるはうす、ラトリエ・ド・シマに行く

L'ATELIER DE SHIMA

1784年、革命前のフランスに生まれた”フランス菓子の祖”といわれるアントナン・カレームの時代からシャルロット、ジュレ、ババロア、ブラン・マンジェ、プティング、ムース、スフレ…など、たくさんの素晴らしいお菓子が存在しました。しかし、それらは王侯貴族らごく限られた階級の人々を楽しませるために作られたものだったのです。現在、望めば誰でも美味しいお菓子が食べられるようになったのは大きな喜びです\(^○^)/ 2007年3月10日、フランスの伝統菓子を大切にし、その技術を伝えるパティシエ 島田進さんのお店をワンダフルハウスが訪ね、フランス菓子の素晴らしさを教えていただきました。

テレビ局や大使館、豪邸が建ち並ぶ東京都千代田区麹町。舌の肥えた住民相手の、いい蕎麦屋や、いいパティスリーが点在する通りがあります。右手に「ラトリエ・ド・シマ」、その先に「パティシエ・シマ」が見えてきました。 ワンダフルハウスは、「ラトリエ・ド・シマ」でチョコレートとケーキをいただくことにしました(^Q^)
「ラトリエ・ド・シマ」は、ショコラトリー(Chocolaterie チョコレート専門店)。「パティシエ・シマ」のサロン・ド・テ(Salon de The フランス語で喫茶店)も兼ねているので、店内で、ケーキやお茶をいただけます。 店に入ってみましょう。 おおっ!(^O^)\ オーナーパティシエ自身が店頭に出て、お客さんと談笑しています。日本では珍しい、ヨーロッパのサロン的な雰囲気が漂う店ですね。あちらのオーナーパティシエこそアンドレ・ルコント氏の片腕だった島田進さんでございます。
島田進さんは1946(昭和21)年11月、三重県尾鷲市生まれ。地元の高校を卒業後、画家を目指して神戸で働きながら絵の勉強に励んでいました。当時はフランスへ行くのが容易ではなかった時代。1968年に師事していた画家の勧めで上京。フランス語を勉強しながら働ける場所ということで、六本木にオープンしたばかりのルコントに入社。ここで本格的な菓子作りに取り組むうちに、フランス菓子の面白さにとりつかれ、いつしかフランス行きの目的が絵の勉強から菓子の修業へと変わりました。1971年、念願のフランスへ。パリの「ブッタ」「ダロワイヨ」、スイス・バーゼルの菓子学校「コバ」で飴細工を学び、パリに戻って「ベッケル」で働き、3年間の修業を終えて帰国。銀座の「マキシム・ド・パリ」のシェフ・ド・パティシエを2年半務め、再びルコントに戻り、ルコントさんの片腕として活躍。1988年「シェ・シーマ」をオープン。1998年にオーナーシェフとして「パティシエ・シマ」をオープン。2004年「ラトリエ・ド・シマ」をオープン。2005年、現役パティシエとしては日本で初めてフランス政府から「シュヴァリエ勲(農事功労彰) Chevalier de I'Ordre du Merite Agricole」を受章。長年フランスの食文化の普及に貢献してきた方だけに贈られる勲章で、受賞時はフランス大使館で大規模なパーティーが催されました。
アンドレ・ルコント氏は、1931年フランス・フォンテーヌブロー生まれ。13歳で菓子職人の修業を始め、1956年ホテル・ジョルジュサンクのシェフパティシエに。1963(昭和38)年、ホテルオークラに招聘されて来日。1968(昭和43)年、東京・六本木に日本初のフランス人パティシエによるフランス菓子専門店「A.ルコント」を開店。ワンダフルハウスは1981(昭和56)年に六本木店2階のサロン・ド・テで初めてお会いして以来、最も尊敬するパティシエになりました。その時、奥の厨房を仕切っていたのが島田さんです。ムッシュ・ルコントは、1999(平成11)年に68歳の生涯を閉じるまで、流行を追うようなお菓子は作らなかった、伝統を重んじる本格派でした。
昭和の時代に発行された洋菓子本には、ムッシュ・ルコントと島田さんはコンビで載っていました。ガトー・ミルティーユのホール、ガトー・カシスのホール共に、現在のルコント、パティシエ・シマのラインナップから外れています。「島田さん、ガトーミルティーユのホールを作ってください(^O^)/」「いいですよ。いつですか?1週間後?わかりました」 ミルティーユとは、ブルーベリーのことです。
こちらが、現在発売されてる島田進シェフの本「フランス菓子の伝統と芸術性 次世代に伝えたい定番と創作」(2625円)でございます。アマゾンで買えます
「おっ、あれは何でしょう?」 パティシエの必需品「パレット」です。これでチョコレートやクリームを延ばしたり、削ったり、表面を平らにしたり、ケーキを切り取ったりするのです。
ここに飾ってある鉄のパレットは、もう捨ててしまってもいいほど、使い込まれて薄くペラペラになってしまいました。しかし、島田さんは大事に飾ってあります。このパレットこそ、アンドレ・ルコント氏が初めて菓子作りの道に入った時、有名な厨房道具店「モラ」で購入したパレットなのです。それから50年余り、ルコントさんはすり減ってペラペラになっても、叩いて歪みを直してまで使い続け、愛用してきたのでした。そして、島田さんが独立する際に、愛弟子を抱きしめ、何よりも大切にしていた、このパレットを贈ったのです。
ケーキの見本が運ばれてきました。ここにないものも頼めば「パティシエ・シマ」から持って来てくれます。「ガトー・フランボワーズと、(ここにはありませんが)タルト・タタンをください!(^Q^)/」 「おおーっ! こ…これは凄い!(゚O゚)\」「クラブ・ドゥ・ラ・ガレット・デ・ロワ Club de la Galette des Rois」会長でもある島田さんが、フェーヴのコレクションを見せてくださいました。
「ほぅ、いろんなフェーブがありますね。精巧に出来ていて、見ていて飽きません(^O^)\」「イエス像があるかと思うと、ポセイドン像もあるし、動物や車などもあります。最近はコレクターもいますよ。ガレット・デ・ロワは、フランスでは1月になると、パン屋さん、お菓子屋さん、レストランが競ってお店に並べます。食べる時は、大勢で集まって、人数分に切り分けて食べます。自分の取ったひと切れにフェーブが入っていたら、その人が王様(女王様)になり祝福されます。そして、次のガレット・デ・ロワのパーティーを開かなくちゃいけないんです。だから1月中は次々にパーティーですよ」「やべぇ〜(^-^;)」「でも、その年は幸運に過ごせるといわれているんですよ。元々は宗教的なお菓子ですが、日本だったら結婚式のパーティーなどに使っても楽しいんじゃないでしょうか」「それは、盛り上がりそうですね!\(^O^)/」「ガレット・デ・ロワと似たお菓子でピティビエ(Pithiviers)というのもあります。中身は同じくクレームダマンド。でも、フェーブは入れずに、周りを花びらのように作り、切り分けやすくしてあります。何人分にでも切り分けられるガレット・デ・ロワとはちょっと違いますね」
フランスで昔から新年のお祝いに欠かせないのがガレット・デ・ロワ。「王様のお菓子」という名の伝統あるケーキで、1月6日の公現祭の日に食べる、パイ生地の中にアーモンドクリームをはさんで焼いたシンプルなお菓子です。お菓子の中から陶器でできた人形やオブジェが現われます。昔はそら豆(フランス語でFEVE)が入っていたことから「フェーヴ」と呼ばれています。
ワンダフルハウスは、モナリザのフェーブが気に入りました。フランス・ロワール地方には1万個以上も集めた美術館(Musee de Blain)もあるそうです。
ケーキと飲み物が運ばれてきました。 「アイスティー(ジャルダンブルー)」420円。「ジャルダンブルーJardin bleu」とは、「青い庭園」という意味。木苺の甘酸っぱい香りに矢車菊とひまわりの花を散りばめたフレーバーティーです。
ルコント青山本店 パティシエ・シマ
「ガトー・フランボワーズ」473円。フランボワーズのバタークリームを使用したルコントのスペシャリテ。1968年の創業当時、まだ日本で木苺が知られていなかった頃から発売していた商品です。「フランボワーズ framboise」は英語ではラズベリー、日本語では木苺のことです。 「フランボワーズ」420円。ルコント創業の1968年に入社した島田シェフの「フランボワーズ」は、やはりルコントと同じ形でした。
パティシエ・シマ
美しい深紅色です! フランボワーズのジュレでお皿がデコレーションされて出てくるので、レストランのデセールのよう。なんだか得した気分になります\(^O^)/ 下の方からご覧ください。底は、フランボワーズのシロップを塗ったビスキュイ。フランボワーズのリキュールも混ざってます。その上の層は、フランボワーズのムース。中央の色の濃い部分はフランボワーズのジャムですね。その上に色の濃いムース層があり、その上と側面がフランボワーズのバタークリームで覆われています。一番上にはフランボワーズのジュレが塗ってあります。口に含むと、全層に使われているフランボワーズの味が凝縮されて、酸味が心地良い洗練された味です(^Q^)
ルコント
ルコントのは外見は似ていますが、”銀紙”にジューッとシロップが染み出るほどビッチョリ系。お味も濃厚です(^Q^)
フランボワーズを使ったフランス菓子を紹介いたします。ロミユニコンフィチュールの数多いフランボワーズ系のジャムの中でも、フランボワーズ特有の酸味と甘みを存分に楽しめる「Les Deux レ・ドゥー」(650円)。フランボワーズとはちみつのジャムです。ワンダフルハウスは、パンに塗るだけでなく、スプーンでそのまま食べてます。
いがらしろみさんは、高校時代から田園調布にある「今田美奈子お菓子教室」に通い、短大入学後に日本初のフランス人パティシエによるフランス菓子店「ルコント」にて販売のアルバイトを経験。質の高い洋菓子に触れたことで、さらにお菓子の世界にハマったそうです。「私の舌が出来上がったのは、この時代なんです。良いものをたくさん知ると、ダメなものがよくわかるんですよ」。短大卒業後はルコントに就職。販売から製造へ移り、ルコント退社後に渡仏。パリの「ル・コルドン・ブルー」を主席で卒業。帰国後は「ル・コルドン・ブルー代官山校に勤務し、2002年にromi−unieとして活動を開始。カフェのメニュープランニングやフードイベントを手掛け、2004年、鎌倉に「Romi−Unie Confiture」を開店しました。
合わせるパンは、ワンダフルハウスがいつも買ってるルコントの「パン・ド・ミ Pain de mie」がいいですね。(1斤735円、ハーフ367円) フランボワーズ の芳醇な香りと、蜂蜜の上品な甘さ…お、美味しい!(^Q^) これだけでも立派なスイーツになります。
ルコント パティシエ・シマ
ルコントのタルト・タタンは、アントルメをカットしたものです。丸型の大きなホールのケーキのことをフランス語で「アントルメ entremets」といいます 。 パティシエ・シマでも以前はアントルメで出していたそうですが、お客様の「切りにくい」という声に応えて、このようなプチ・ガトーに変更したそうです。
パティシエ・シマ
シナモンパウダーをふった生クリームがついてきました\(^O^)/ 下から、しっかり焼き上げたタルト生地、クレーム・パティシエール、カルヴァドスで風味をつけたリンゴ。パート・シュクレのサクサク感とクリームの旨味がリンゴをうまく引き立てています。素晴らしいハーモニー!洗練された味わいです!(^Q^)
パティシエ・シマでは、オープン当初から長野県の農家のリンゴを使用しているそうです。時期によって紅玉、サンフジ、フジを使い分け、品種に応じて砂糖やレモン汁の分量を変えているとのこと。かつては、タルト・タタンを造る場合、酸味が強く、実がしっかりとした紅玉(こうぎょく)で造るのが理想でした。しかし、今では生食が中心になり、ジューシーで甘く歯応えのいいリンゴを作る農家が増えてきたため、生産量が減少してしまいました。このタルト・タタンは、身が固く、水分のちょうどいいサンフジを使用。紅玉に比べると、若干酸味が足りないので、砂糖の量を抑え、レモンの分量を多くするという工夫を凝らしてるそうです。サンフジのように、“サン”と付いてるリンゴは、袋をかけずに太陽の光に当てて完熟させたものであり、特に美味しいのです。
ルコント
ワンダフルハウスは、ブラッスリー・ルコントでタルト・タタンのアントルメを買いました(4800円 要予約)。おっ!(^O^)\ 表面のカラメルがクレーム・ブリュレのようにパリパリと飴状になっていますね。これでは、素人が家に持ち帰って包丁で切っても飴が割れてしまいます。 お店で切り分けてもらいました。さすがにプロの仕事は違います!\(^O^)/
タルト・タタン」とは、ご存じの通り、リンゴのタルト(タルト・オ・ポム)の名前。フランスはオルレアン地方に住むタタン姉妹が、ある日誤ってリンゴのタルト製作中に生地とリンゴをひっくり返して作ってしまった…が、これが美味しくて、生地とリンゴを上下逆さまに焼くようになったというお菓子です。砂糖分が焼けて艶やかで香ばしいカラメル状になり、思いがけないおいしさができたエピソードが知られています。
フランスでは、このように濃くキャラメリゼするのが普通なようです。サクサク生地の上に角切りのリンゴがゴロゴロ入っていて、上はキャラメル色の飴でコーティング。タルトといいながらも、ご覧のように、リンゴがほとんどの部分を占めています。
こちらは、いがらしろみさんがタルト・タタンをイメージして創った「Tatin タタン」でございます。 りんご、バニラ、キャラメルと 発酵バターのジャム。フランス風のジャムは素材の組み合わせに特徴があり興味がそそられます。 白く固まってる部分は、キャラメルとバターの油脂分でしょうか? 黒い粒粒はバニラビーンズですね。
ルコントのブリオッシュ(210円)と共にいただきましょう。 リンゴが細くシュレッドされています。食感も味も楽しいジャムです!\(^Q^)/
ワンダフルハウスは、ショコラを買うことにしました。いっぱいあって迷いますね(^O^)\ 右隅にご注目。
「ラトリエ・ド・シマ」は「パティシエ・シマ」のショコラトリー(チョコレート専門店)として誕生。店内はチョコレートで一杯。チョコレート好きにはたまらない空間です。

チョコレートが3種類あります。真ん中にご注目。 ジューシーなオレンジピールを最高級チョコレートでコーティングした「ショコラ オランジェ Chocolat orange」。
ワンダフルハウスは「ショコラ・オランジェ」(840円)を買いました。
オレンジピールの美味しさを生かすため、バレンシアオレンジのシロップ煮の缶詰(フランス製)を使用しているそうです。島田さんが自分で切り分けて蜜を落とし、1本1本チョコレートをまぶしているそうです。 ものすごくジューシーです!(^Q^) 保存がきかず、少しずつ仕込んでいるので、外国製のオランジェットとは鮮度が全然違います。 
1週間後、島田さんがWONDERFUL HOUSEのためにチーズケーキを作ってくださいました。
フロマージュタイプのガトー・ミルティーユ(3700円 特注品)。 ルコントのタルト・オ・フロマージュ(5300円 要予約)と共に。この2つのチーズケーキは後日紹介します。
先ほどのパレットには、アンドレ・ルコントの頭文字”AL”の刻印がありました。ルコントさんは、根っからの職人で、昔気質の親方としては最後の世代に属する人でした。過酷さに耐えきれずに、皆辞めていく中で、「3年したらフランスに紹介するよ」というルコントさんの言葉に惹かれ、最後まで残ったのは島田さんだけだったそうです。そして、その頃にはミイラ取りがミイラになってしまったのでした。画家志望だった島田さんは、フランス菓子の美しさ、多様性、美味しさに魅せられ、のめり込んでしまったのでした。右の写真は、1979年の東京サミットの頃に撮影されたもの。ルコントさんが、菓子だけでなく、出張料理もやりたいと、マキシム・ド・パリにいた島田さんを呼び戻し、東京サミットでは、ジスカール・デスタン フランス大統領主催晩餐会で、ルコントさんが料理を、島田さんが菓子を受け持ちました。
そして、ワンダフルハウスも、ミイラ取りがミイラになってしまったのでした。ルコントとシマのケーキを食べ比べてるうちに、フランス菓子の美しさ、多様性、美味しさ(^Q^)に魅せられ、のめり込んでしまったのでした。 それでは、パティシエ・シマへご案内いたします。

戻る