わんだふるはうす 聖夜のルコント青山本店に行く
PART4

ブッシュ・ド・ノエル
クリスマス・プディング
フルーツケーキ
anan 1978

イギリスのクリスマスを描いた名作といわれるディケンズの「クリスマス・キャロル」の中で、クリスマス・プディングをオーブンから取り出す場面があります。ヒイラギを1枝差してブランデーの青い炎に包まれたプディングは、どんなご馳走にも負けない素晴らしいものでした。ヒイラギはキリストの茨の冠を、赤い実はキリストの血を表現しています。ひいらぎはクリスマスに欠かせない木としてプディングだけでなく、枝を編んで輪を作ったり、カードに描いたりします。家から家にクリスマスキャロルを歌って歩き、カードを交換したりするのも英国から生まれた風習。古き良き時代の面影そのままに、クリスマス・プディングは、各家庭に代々伝わる作り方で作られ、フルーツケーキと共に人々に愛されてきたお菓子なのです。2007年12月24日、ワンダフルハウスは、青山1丁目にあるパティスリー・ルコントとブラッスリー・ルコントで、フランスやイギリスに古くから伝わる素朴で可愛らしいケーキを味わいながら、楽しいイブを過ごしたのでした(^Q^)

青山ツインビルのエスカレーターを降りると…
クリスマスツリーがありました!\(^○^)/ ツリーの右側にフランス菓子のパティスリー・ルコント。
この場所まで、東京メトロ銀座線・半蔵門線「青山1丁目」ツインビル側改札から10数秒。都営大江戸線「青山1丁目」改札からでも1分かかりません。
ルコントは、フランス菓子店ですが、この中にイギリスのクリスマスケーキがあるのです。 それは、こちらでございます。
「フルーツケーキ Cake aux Fruits」(ホール3675円 カット420円)10数種類のフルーツをラム酒に数ヶ月間漬け込んで焼き上げた最高級のフルーツケーキ。「これをください!(^O^)/」
イギリスのクリスマスケーキは、いろいろなドライフルーツを入れたフルーツケーキ。円形に焼き上げたフルーツケーキを、マジパンで包み、シュガーペーストでカバー(アイシング)します。日本のように目移りするほどの種類は無く、フルーツケーキとクリスマスプディングと、スパイスが効いたドライフルーツの小さなタルト「ミンスパイ」がイギリスのクリスマスのお菓子と言えます。
ツリーの左側にあるフランス料理のブラッスリー・ルコントで、今買ったフルーツケーキと、予約していたクリスマス・プディングをいただくことにしました。
フルーツケーキの箱を開けてみましょう。おっ!(^O^)\ リボンが4つ葉のクローバーみたいな結び方。これが”ルコント結び”です。
「フルーツケーキ Cake aux Fruits」(3675円)箱を開けた途端、クラクラするほど強烈なラム酒の香りが…(@o@)
ほぅ、なるほどなるほど…φ(..)メモメモ フルーツケーキがカットされました。
もともとはイギリスで生まれ、フランスでもその名残りから「ケーク Cake」と呼ばれるドライフルーツをたっぷり入れた焼き菓子。イギリスでは、「フルーツケーキ」という呼び方はせずに、「チェリーケーキ」「カラントケーキ」など混入しているフルーツ名をそのまま使う呼び方をします。あの岸朝子さんも著書「東京五つ星の手みやげ」の中で紹介している逸品です。
赤・緑・黄色のドレンチェリー、乾燥プルーン、干しアンズ、干しブドウ、オレンジピール・・・10数種類のフルーツをラム酒に数ヶ月漬け込んで焼き上げました。生地の製法は、いわゆる”パウンドケーキ”と呼ばれる配合です。
パティシエ・シマの島田シェフによると、ルコントのフルーツケーキのルーツは、フランス・ブルターニュ地方にあるそうです。島田シェフがブルターニュ地方を旅行した時、お土産としてフルーツケーキが多くの場所で売られているのを見て、ブルターニュ地方がフランスで最もイギリスとの歴史的なつながりが深いと感じたそうです。5〜7世紀にイギリスから移住したブルトン人(ケルト人)が住むのがブルターニュ地方なのです。
フランス式の作り方は、イギリスほど長期間フルーツをお酒に漬け込まずに使うこと。イギリスのフルーツケーキは、ブランデーを使うものが多く、アイルランドやスコットランドになるとウィスキーが圧倒的に多いです。
いろいろなドライフルーツをラム酒で漬け込み、数ヶ月間熟成させたものをフレッシュバターをたっぷり使ったパウンドケーキに仕立てました。時間と手間をかけた大人向けのフルーツケーキです。
それぞれのフルーツが、たっぷりラム酒を吸い込み、ジューシーな食感になっています(●^Q^●) あまりにも有名なルコントのフルーツケーキに続きまして、全く知られていないルコントのクリスマス・プディングを紹介いたします。
メディアに登場するのは1978年12月に発売されたアンアンのクリスマスケーキ特集以来30年ぶり2回目。ネット初登場。 1968年にパティスリー・ルコントが開店して39年目のクリスマス・イブに、ワンダフルハウスが初めて店頭で買うことに成功しました。日本国内で最も入手難易度が高いクリスマスケーキの登場です。
ここは千鳥ヶ淵のほとり。皇居の深い緑に囲まれ、都心とは思えない静かな環境ですね(^O^)\
千代田区一番町。内堀通りをはさんで千鳥ヶ淵公園の向かいに佇む「英国大使館 BRITISH EMBASSY」。1872年(明治5年)明治政府が英国政府に好意の印として永久貸与した3.5ヘクタール(10500坪)の広大な敷地を有しています。おっ!(^O^)\歩道の横の並木は桜で、戦後、初代駐日英国大使をつとめたエスラー・デニング卿が1957年(昭和32年)に離日した際に日英親善の印として、しだれ桜20本を寄贈し、大使館前に植樹したものです。他にも千鳥ヶ淵公園や大使館の敷地内外に植えられた桜の中には、1898年(明治31年)当時の英国公使サー・アーネスト・サトウが、東京の人々への贈り物として植えた桜もあるのです。 1872年(明治5年)英国公使館として建てられた建物は赤レンガで造られ、当時と同じ種類の赤レンガが今でも外壁に見ることができます。重厚で格調高い建物なので、あたかもイギリスにいるような気分になりますね(^O^)\ 1872年から1968年までの96年間、日本にクリスマス・プディングの作り手はいませんでした。
1868年(昭和43年)12月17日、六本木にフランス菓子店「パティスリー・アンドレ・ルコント」開店。クリスマス・プディングは本来イギリスのものですが、英国大使館から注文を受けて日本で初めて作りました。
「クリスマス・プディング Christmas Pudding」(イギリス大使館特注品 店頭非売品)1968年のルコント開業以来、長年に渡って事務所から直接イギリス大使館、ごく数人の日本人顧客にだけ納品されていた”秘密のクリスマスケーキ”。ワンダフルハウスが存在を特定し、交渉の末に買うことができました\(^○^)/ 店のマネージャーでさえ存在を知らなかったほどの商品なので買うのは至難の技ですが、ここ青山一丁目にある本店とブラッスリー・ルコントで11月下旬〜12月上旬に予約すれば買える可能性もあります。値段は5250円でした。
「おーっ!?日本語のパンフレットが…これは意外です(゚O゚)\」 青山通りをはさんでルコント青山本店の向かいには、広大な赤坂御用地が…クリスマス・プディングは皇室御用達クリスマスケーキでもあったのです。
「うわーっ! 小さい! アンパンぐらいの大きさしかありません(゚O゚)\」
イギリスの作家チャールズ・ディケンズ(1812〜1870)が幼少時から親しみ、名作「クリスマス・キャロル」の中に大いなる共感を込めて描いてみせたクリスマス・プディングのお味は?
イギリスの代表的なクリスマス菓子「クリスマスプディング」。ドライフルーツがたっぷり入った蒸し菓子ですが、なんとシチューがそのルーツとされています。1066年、ノルマンディー公ウィリアム1世載冠式のクリスマス会食で初めて出された肉のシチューが庶民の間にも祝日のメニューとして広まります。これが時代とともに干しプラムやハーブを加えたものになり、さらに肉や野菜のかわりにドライフルーツと砂糖を使った甘い煮込みに変化して、現在のようになりました。今の形になった18世紀頃は、英国では砂糖やフルーツは贅沢品で、プディングは豊かさの象徴でもあったのです。
ところで、クリスマス・プディングの正統的な食べ方は? ほぅ、コニャックをケーキの上にかけ火を点けてフランべ…これは凄い!\(^O^)/ コニャックとはフランス西南部シャラント川沿いの地域で産した葡萄を使用して蒸留されたブランデーのこと。繊細な味が持ち味です。 ん?こんなに小さいのに6〜8人分にカットするとは…食べ足りないのでは?
チャールズ・ディケンズ(1812〜1870)は、子供の頃には父親が税金を納めることができなくなって、一家をあげて牢屋に入るような、ロンドンの下町のひどく貧しい家庭に育ちました。ジャーナリズムの使い走りのような仕事から始まって、次第に小説家として頭角を現していくのですが、数ある作品の中で、現在でも熱心に読まれているのが「クリスマス・キャロル」であることは、いうまでもありません。
クリスマス・プディングがお皿にサーブされました。
チャールズ・ディケンズの名作「クリスマス・キャロル」は、打ち続く人生の荒波のおかげですっかり人間嫌いとなり、孤独のうちに人生の終わりを迎えようとしていたスクルージ老人が、次々と目の前に現われる3人の精霊たちから幻を見せられ、もう一度人間らしい温かい気持を取り戻すというお話。迫り来る死をめぐって、もう一度人生の再生へと向かう物語です。
色はダークブラウン。リンゴやオレンジにシナモン、ナツメグなどのスパイスやオレンジピール、レーズンのようなドライフルーツなど豪華な中身。小麦粉は入らず、卵と少量のパン粉がつなぎとなります。
お金持ちなのに、ケチで意地悪なスクルージはクリスマスが大嫌い。そんなスクルージのところにクリスマス前のある日、過去・現在・未来の3人の精霊がやってきて、いろいろな時代のクリスマスの光景を見せます。クリスマス・プディングが登場するのは、現在の精霊に連れられて行った貧しい家のクリスマス。子供たちが待っているテーブルに蒸したてのプディングが運ばれる場面です。
クリスマス・プディングが8人分にカットされました。
精霊が見せた幻の中では、詰物をした鵞鳥を前に一家が歓声を上げています。誰もがこのご馳走に我を忘れて舌鼓を打っている間、母親だけはデザートに供するプディングの火の通り具合が気がかりで、そわそわしています。調理中に誰かが裏塀を乗り越えて持って行きはしないか、蒸し釜から取り出す時に形が崩れてしまうのではないか、そんな心配がもとで母親は落ち着かないのです。
温めたブランデーに火が点けられました。「ワンダフルハウス様、フランべの準備ができました」 「それでは、お願いします」
ブランデーをふりかけて火を点ける瞬間、クリスマス気分は最高に盛り上がります。
「うわーっ! ブルーの炎が…これは凄い!(゚O゚)\」
『大丈夫!パッと立ちのぼる湯気!プディングは蒸し釜から取り出された。洗濯屋のような匂いがする!それはふきんだ。料理屋とお菓子屋が並んでいる隣りに洗濯屋がひかえているような匂い!それがプディングだった。1分とたたないうちにクラチット夫人はプディングをささげ、――上気した顔を誇らしげにニコニコさせながら入って来た。固くしっかりしていて、点々のある弾丸のようなプディング。4分の1パイントの半分のそのまた半分のブランデーは、ぽっぽと燃えている。そして、てっぺんにはクリスマスのヒイラギが差してあった』(チャールズ・ディケンズ「クリスマス・キャロル」村岡花子訳 新潮文庫 より)
「すごい…すご過ぎる…(゚O゚)\」
『わぁ、よかった!すごい湯気だな!プディングが鍋から取り出されました。洗濯日みたいな匂い。ありゃプディングだ!30秒もするとカミさんが入って来ました――ホッペを真っ赤にして、どんなもんだいというようにニコニコ笑いながらプディングを抱えています。ぽつぽつまだらの大砲の玉みたい。固くしまって火のついたブランデー小さじ1杯の海の中で燃えて、てっぺんには飾りにヒイラギの枝が差してあります』(チャールズ・ディケンズ「クリスマス・キャロル」小池滋訳 新書館より)
「消えた…(゚O゚)\」 小さいプディングにも火がつけられました。
す…素晴らしい!\(^○^)/ブラボー!!
父親は、このプディングは結婚以来の最大の成功だと静かに言い、母親は安堵と満足に包まれます。かくして一家の団欒は完璧なものとなります。子供の1人が今夜のご馳走はスクルージさんが寄付してくださったからだと言い、全員が彼の健康とクリスマスを祝して乾杯します…その光景をそっと陰から見つめていたスクルージは、自分の凍てついた心が少しずつ溶けかかっていることを感じるのです。
クリスマス・プディングの中に何を入れるかは、地方によっても、家によっても違いがあります。たいがいは干しブドウやドライフルーツ、アーモンドやシロップ漬け、ミックスピールなど、とにかく目につく限りの保存用の果物を大量に準備して、パン粉と一緒に混ぜておきます。ここにスウェットといって、牛や羊の脂肪を刻んで加えます。卵と黒ビールを混ぜて全体をねっとりとさせて、ラム酒を振りかけたり、シナモンやナツメグを加えて香りを出します。こうして出来上がった本体に練り粉をかけてナプキンで覆い、1日くらい寝かせ、これをナプキンで覆ったまま5時間ほどかけて蒸します。「クリスマス・キャロル」で”洗濯屋のような匂い”がするとあるのは、実はこの白いナプキンからの連想だったのです。まだ湯気のたっている熱々のプディングを、なんとか形を崩さないようにお皿に移すことに成功すると、最後にヒイラギの枝を突き刺し、ブランデーをパッと振りかけて火をつける。一瞬ですが、青い炎が立ち上がり消えます。暗い室内でこれをやると、いかにもクリスマスの雰囲気が盛り上がる仕組みになっています。
この儀礼めいた座興の後にプディングを切り分けるのですが、つけ合わせにブランデー入りの生クリームを添えたりしてもいいのです。このあたりは家ごとに独自の流儀があるようです。
おっ、この色は?(^O^)\ チョコレートが入っているのでしょうか? 匂いは、ブランデーとスパイスが効いていて、うまく言い表わすことができないほどの複雑な香りがします。 どっしりと重く、濃厚でスパイシー!(^Q^) ミンスミートを入れて蒸し、さらに熟成させているので非常に濃厚な味わい。1切れで十分な満足感を得られます。チョコの味はしません。チョコレート色でもチョコは入っていないそうです。元々は挽肉と牛脂、スパイスで作られた肉の保存食だったミンスミートですが、今はドライフルーツとバター(もしくは牛脂)で作られることが多いようです。
クリスマスプディングを食べること…それは、イギリスの国民的風習であります。そして、本物のクリスマス・プディングとは?…それは日本にありました。
クリスマス・プディングの感動の余韻が残る中、ワンダフルハウスは1冊の古い雑誌を取り出しました。フルーツケーキの残りをいただきながら、ページをめくってみましょう。 29年前のアンアン1978年12月20日号。
おっ!(^O^)\ 山口百恵さんがポッキーの広告に出ていたとは…隣りの「世界のクリスマス・ケーキ」のページをご覧ください。 右ページは、スウェーデンの「クランツカーカ」というクリスマスケーキ。「花冠」という意味で、六本木のスウェーデン・センター地下にあった「ストックホルム」というレストランがアンアンのために特別に作ったケーキで、市販していた商品ではありません。
左ページは、キャンティ飯倉本店のツリーや雪だるまの形をした「クリスマス・ビスケット」。
「レストラン・ストックホルム」は、1971年に開店した、日本でただ一つのスウェーデン料理「スモーガスボード」専門店。六本木スウェーデンセンターの地下にありましたが、現在は赤坂東急プラザに移転しています。 「スモーガスボード」とは、日本でいうバイキングのようなもの。 1700年代より始まった歴史ある北欧の伝統料理で、60種類以上もの料理が並びます。
2007年クリスマス・イブ。キャンティ飯倉本店の個室。ルコント六本木店の客・伊丹十三さんは、この席から、あの景色を眺めながら映画の脚本を書いていました。飯倉と西麻布のキャンティのちょうど中間に六本木のルコントのお店があったので、ルコントの客は、キャンティの客でもあったのです。
ん? この箱は?(^O^)\ キャンティのクリスマスケーキの登場です。
キャンティの全盛期のクリスマスケーキ。上から時計周りに「パネトーネ」「ガトー・プリンセス」「ピネ・ド・ナターレ」。クリスマス・ビスケットも含め、4品とも当時実際に店で販売していた商品です。 4品のうち、現在は松ぼっくりの形をしたケーキ「ピーナ・デ・ナターレ Pina de Natale」(5460円)だけ売っています。アーモンドチョコで松ぼっくりを表現したイタリアのクリスマスケーキ。「パネトーネ」は、WONDERFUL HOUSEのために来年(2008年)作ってくれるそうです!\(^○^)/
右ページは、ドイツの「ヘキセンハウス」というお菓子の家のクリスマスケーキ。当時、白金にあった「カーベー・ケージ」の商品です。「カーベー・ケージ」は1972年白金にドイツ菓子とドイツパンのお店として開業。1997年赤坂に移転し、2007年で創業35年を迎えました。 左ページは、オーストリアの「ヴァイナハツ・クランツ・クーヘン。普段は高級パンとして作られるクルミ入りのデニッシュ風ペストリー。クリスマスは、これをクリスマスリースに見立ててドーナツ形にし、ロウソクを立てて祝うのです。ウィーン菓子店「デメル」で修業した横溝春雄シェフリリエンベルグ)が製菓長だった頃の「グロリエッテ」(新宿中村屋1階)のケーキです。
カーベー・ケージのシュトーレン。ドレスデンが発祥の地とされるシュトーレンは、ドイツのほかオーストリアやスイスなどのドイツ語圏の国で見られます。ラム酒に漬けたレーズン、オレンジピールなどのフルーツやアーモンド、クルミなどのナッツ類をナツメグやアニスなどのスパイスと共に発酵生地に混ぜ込んで焼いた素朴なお菓子。 ルコントの「シュトーレン」(Sサイズ2625円)。Lサイズ(3675円)もあります
ルコントの「シュトーレン」は、11月最終週に発売されます。1ヶ月くらい熟成させたクリスマス頃が、ちょうど食べ頃に。買ったら少しずつ食べていき、味の違いを楽しむことができます。クリスマスまでに食べきってしまうお菓子なので、クリスマス・イブには店頭から姿を消しています。その形は「幼児キリストのおくるみ姿」とも言われています。
ドイツでは各家庭で独自のレシピがあり、それぞれが自慢の味。かみしめるほどに味わいが出るのです(^Q^) フランスとイングランドのクリスマスケーキは、ルコント六本木店が担当しました。
1978年当時の「ブッシュ・ド・ノエル・グランマニエ」(Sサイズ3500円 Lサイズ ?円)これはLサイズ。ビスキュイにオレンジのリキュール「グランマニエ」が染み込ませてあります。 2007年現在の「ブッシュ・ド・ノエル・グランマニエ」(Sサイズ6300円 Lサイズ8925円)これはSサイズ。’78年製と見比べてみると、細かい飾りが違うだけで、本体は全く変わっていません。
「フルーツケーキ」(左1978年2000円 右2007年3675円)これも、29年もの歳月の流れを感じさせないほど、変わっていませんね。
「クリスマス・プディング」(左1978年2500円 右2007年5250円)ルコント歴27年のワンダフルハウスは、このアンアンを見て初めてルコントのクリスマス・プディングの存在を知ったのでした。

このアンアンに載ってるクリスマスケーキは、今見ても古くない!(^O^)\ これこそ時を越えた本物です!\(^○^)/ 
普通の日本人が誰も「パティスリー」や「パティシエ」という言葉を知らなかった1970年代、既に東京の都心部には本物のクリスマスケーキが存在していました。当時は雑誌の黄金時代。アンアン編集スタッフの文化レベルも高く、ここに掲載されたパティスリーやレストランにプライベートで出入りしていたので、ファッション主体の雑誌でありながら、海外のクリスマス菓子の本質に迫ることができたわけです。ルコントのページのケーキを作ったのは、1978年当時ルコントの製菓長だった島田進さん。ライターは「金子功の絵本」を書いた日本の女性ライターの草分け三宅菊子さん。1968年のオープン当初から、三宅さんも金子さんも六本木ルコントの客でした。パティスリーは、いつの時代も都市文化の頂点に位置しているのです。
ヨーロッパのクリスマス菓子は、深い宗教的背景や長い歴史があり、日本の”クリスマスケーキ”のように甘く綺麗で可愛いだけの子供のお菓子ではありません。多くはスパイスやリキュール、フルーツをたっぷり使い、むしろ大人がディナーの後にじっくり味わうものなのです。クリスマス菓子には、キリストにまつわる逸話が残っているものが多く、それぞれの国の歴史や文化を反映しています。一年中で最も大事にされるクリスマス休暇を七面鳥料理とクリスマス菓子を囲みながら家族揃って過ごすのです。ヨーロッパのクリスマス菓子として有名なものに、フランスやベルギーで見られる「ブッシュ・ド・ノエル」、ドイツ語圏の「シュトーレン」「レープクーヘン」「ヴァイナハツメンナー」「ヴァイナハツクランツクーヘン」「ヘキセンハウス」、イギリスの「クリスマスプディング」「フルーツケーキ」、イタリアの「パネトーネ」「ピネ・ド・ナターレ」、スウェーデンの「クランツカーカ」、スペインの落雁に似た「ポルボローネ」やヌガー状の「トゥロン」など、私たち日本人が想像するクリスマスのデコレーションケーキとは全く違うお菓子があります。クリスマスの準備は1ヶ月ほど前から始まりますが、特に際立っているのはドイツやオーストリア、ベルギーなど。まず、クリスマスの4週間前の日曜日に、モミの枝などを丸く束ねた上に4本のロウソクを立てます。それから日曜日ごとに1本ずつ火を灯していくのですが、この期間をアドベント(待降節)といい、これに合わせてお菓子などを購入し準備を始めます。さらに、12月5、6日の「サン・ニコラ祭」という子供の祝日には、ベルギーではカソナード(赤砂糖)と4種類のスパイスが入ったビスケット「スペキュロス」、オランダではスパイス入りのビスケット「ペーパーノテン」や、「固い固い」という意味のライ麦入りビスケット「ターイターイ」などのお菓子が見られます。そしてクリスマスイブを迎えます。ドイツの家々には必ず「シュトーレン」や、「レープクーヘン」(はちみつ入りクッキー)でできたお菓子の家「ヘクセンハオス」が用意されます。また、普段からよく食べるバームクーヘンもチョコレートコーティングされ、ロウソクなどで飾られます。ベルギーのブリュッセル近郊では「クヌ」という菓子パンも登場。馬小屋に寝かされたキリストをかたどったもので、中央には必ずキリストの人形が置かれます。キリストにまつわる祭りは、この後1月6日のエピファニー(公現祭)まで続き、フランスでは新年をガレット・デ・ロワを囲んでお祝いします。それが終わると街のお菓子屋さんも、やっと一息つくことになるのです。

戻る