わんだふるはうす、「ブラッスリー ルコント」に行く

1970年代初めの六本木に、わずか1年数ヶ月の間だけ存在した「アンアン六本木編集室」。編集室に出入りしていた人々は、当時最先端を行くセンスエリートであり、彼ら御用達の店は、川添梶子さんのいた「キャンティ」や、アンドレ・ルコントさんがいた「ルコント洋菓子店」などでした。それから9年後の1979年6月28日、29日の両日、カーター米国大統領を始め主要国首脳の参加を得て開催された、日本における初の主要国首脳会議(東京サミット)で出張料理人として活躍したルコント氏(その時の菓子は、愛弟子の現パティシエ・シマオーナーシェフ島田進さんが担当)。昭和天皇の料理番だった秋山徳蔵氏とも親交が深かったムッシュ・ルコントのフランス料理とは、どのようなものだったのだろうか? 2006年9月16日、ワンダフルハウスは「ブラッスリー・ルコント」でスーパーデザート付きフルコースランチを堪能してきました(^Q^)

こちらは、青山ツインタワー地下1階。ルコント青山本店の向かいにブラッスリー・ルコントがございます。
今日は、コースランチをいただきましょう。店に入ります… キッシュです! ルコントのキッシュは大変美味(^Q^) 具は日替わりで、本日のキッシュはセップ茸でした。和名は「西洋まつたけ」。丸みのある笠の形が特徴で、イタリアでいうところのポルチーニです。
ガラスケースの中には、フランスの家庭的なお惣菜が…(^Q^)\ 好きなものをお皿に盛り合わせて、店内でもいただけます。右側の10種類のお惣菜、上段左より「ジャガイモとゴボウのソテー プロヴァンス風 525円」、「インゲンとヘーゼルナッツのロックフォール和え 630円」、「鯵のエスカベージュ(油で揚げてから酢に漬ける調理法がエスカベージュ。白ワインビネガーをベースにしたものの中に漬け込むので柔らかい酸っぱさ)735円」、「にんじんのサラダ 420円」、「choux braiser(キャベツと豚バラ肉を煮たもの)420円」、下段左より「エビのドリア 1155円/1個」、「ラタトゥイユ(夏野菜のプロバンス風煮込み)525円」、「オリーブのマリネ 420円」、「紫キャベツの赤ワイン酢マリネ 420円」、「ポテトグラタン 420円」。値段は「エビのドリア」以外は100g単位です。左側には「ラザニア 840円」、「ロールキャベツ 1050円」、「イタリア産 生ハム 1050円」などが見えます。おや? 左上の竹籠でできた壷は何でしょう?
ケーキです!\(^Q^)/ ん? 左下にある食パンのような形のお菓子は何でしょう? ワンダフルハウスはダイニングルームに着席し、オレンジジュースと3500円のランチコースを注文しました。エスカレーターの向こう側に見えますのがティールームでございます。
ランチコース
(11:30〜14:30)
Menu A
2000円
Memu B
3500円
パン
Soupe du Jour
本日のスープ
Soupe du Jour
本日のスープ
Entree Choix
前菜
(2〜3種類から1品選べる)
Plats
メイン料理
(下の3種類から1品選べる)
Poisson du jour 魚料理
Viande du jour 肉料理

和牛サーロインのグリエ
(2人以上から。1人につき+1050円)
Desserts
シェフおすすめデザート
コーヒー・紅茶・エスプレッソから1品選べる
前菜とデザート付きの3500円のランチコースにしましょう。14:30以降はティータイム。ランチは予約の必要はありませんが、ディナーは前日までの予約制です。店内の雰囲気は、向かいにあるティールームを少しだけ高級にしたような感じですね。軽食も豊富にあり、アットホームな雰囲気がメニューにも店内にも感じられます。東京メトロ・都営地下鉄「青山1丁目」駅改札から30秒という最高のロケーションで、待ち合わせにも便利です。「ブラッスリー」とは、軽い食事やお酒が飲めるフランスの庶民的なレストランのこと。パリジャンは普段の外食には大衆食堂の「Bistrot ビストロ」。友人や恋人と食事を楽しむ時は、レストランとカフェの中間的存在Brasserie ブラッスリー」。記念日や誕生日の特別な食事は「Restaurant レストラン」と、使い分けて利用しているのです。
オレンジジュース。おっ、このコースターは向かいのティールームでもおなじみのやつですね。 19世紀末のパリ・モンマルトルに実在したミュージックホール(高級キャバレー)“ムーラン・ルージュ”。描かれている男達の中には、画家のロートレックや音楽家のサティなどがいるはずです。当時のパリには、国籍・人種の壁を越えて”エコール・ド・パリ”と呼ばれる多くのアーティストが集まり、新しい芸術、思想、文化の発信地として栄えていました。このコースターには、そんな時代の香りを感じさせます。
パンとスープが運ばれてきました。ワンダフルハウスは「かぼちゃのポタージュ」の色合いの美しさに感激しました。ウィンナーコーヒーのように、最後にホイップクリームを浮かべたようです。ただそれだけで、ビロードのような舌触りと、清涼感あふれる美しい色のポタージュが出来る…これがケーキ屋のポタージュ…ルコントマジックです!\(^O^)/ まずは一口…カボチャから出た甘味と、ケーキ屋のレベルの高い生クリームのコクのあるまろやかな甘味が溶け合ってます!)^Q^( フードもファッションもすっかり秋に移り変わっているこの季節にピッタリのスープでした。
前菜は2〜3種類から選べます。ワンダフルハウスが選んだのは「サワラのカルパッチョ」。サワラ(鰆)の旬は、文字通り春とされていますが、これは瀬戸内海での話で、駿河湾や伊豆では秋、相模湾では冬から春といったように、地方によって旬が違います。地中海沿岸では、生のサワラに一塩したものをオリーブオイルで食べるとか。軽く燻したサワラにタップリ野菜に程よい酸味のバルサミコ…とっても美味でボリュームも満点)^○^( メインは肉と魚から選べます。こちらは本日の魚料理で、爽やかなグリーンのソースがプレートのアクセントになっている「鮮魚のポワレ ソースピストゥー」。プロヴァンスなど南仏ではポピュラーな緑色の「ピストゥソース」。グリーンピースと松の実を使った香り高いソースです。魚は上から時計回りにマトダイ、イトヨリ、黒鯛。的鯛(マトダイ)の学名は、ギリシャ神話の最高神の名を冠した「ゼウス・ファベル Zeus faber」。背ビレが立派な威厳のある魚で、フランス語ではサン・ピエル。フランス料理の素材としては定番で、 肉は白身で味は美味…ワンダフルハウスは、ブラッスリーの名に似合わぬ本格フレンチに脱帽しました。
デザートが運ばれてきました\(^Q^)/ 「ワンダフルハウス様、この中から1つか2つお選びください」「もちろん2つ(^Q^)v お勧めのものはありますか?」「1日限定5個のウフ・ア・ラ・ネージュと、現在パリで流行っておりますパリジィはいかかでしょうか?」「いいですね! その2つをください」
デザートとエスプレッソがサーブされました。
おおーっ! これがフランスでは定番のデザート「Oeuf a la neige ウフアラネージュ」(630円)ですか。1日限定5個のレア物をゲットしました!\(^○^)/ フランス語で「ウフ Oeuf」は「卵」、「アラ a la」は「〜のようなもの」、「ネージュ neige」は「雪」。訳すと「雪のような卵」=「淡雪卵」という意味だそうです。ウフアラネージュはメレンゲを牛乳の中で茹でて火を通し、その牛乳でアングレーズソースを作り、そのメレンゲをあしらうというフランスでは定番のデザート。カリカリしていて少し硬いのに、口に入れるとフワッと崩れて溶ける感じがします。下のソースは、クリームアングレーズといって、これもフランスではポピュラーなもの。このアングレーズソースをアイスクリームマシーンに入れて凍らせるとバニラアイスになるそうです。写真では見えませんが、バニラビーンズが浮んでいます。
これがパリで流行ってる「Parizi パリジィ」(360円)ですか。上はパン生地、下はタルト、中身はオレンジマーマレードとチョコレートを合わせたものだそうです。ん…これは)^‐^(? オレンジの爽やかな酸味とビターチョコのほろ苦い甘さが優しく溶け合う大人の味わい…ワンダフルハウスは、この味を既に体験していました。鎌倉のロミユニコンフィチュールで買った「Orangette オランジェット」は、オレンジとビターチョコの組合せで、まさに、これと同じ味です!
いがらしろみさんは、高校時代から田園調布にある「今田美奈子お菓子教室」に通い、短大入学後に日本初のフランス人パティシエによるフランス菓子店「ルコント」にて販売のアルバイトを経験。質の高い洋菓子に触れたことで、さらにお菓子の世界にハマったそうです。「私の舌が出来上がったのは、この時代なんです。良いものをたくさん知ると、ダメなものがよくわかるんですよ」。短大卒業後はルコントに就職。販売から製造へ移り、ルコント退社後に渡仏。パリの「ル・コルドン・ブルー」を主席で卒業。帰国後は「ル・コルドン・ブルー代官山校に勤務し、2002年にromi−unieとして活動を開始。カフェのメニュープランニングやフードイベントを手掛け、2004年、鎌倉に「Romi−Unie Confiture」を開店しました。
ワンダフルハウスがフランス菓子の奥の深さに感動していると「ワンダフルハウス様にプレゼントがございます」という声が…「オオッ!この壷の中身は?(^O^)\」 「こっ、これは…銀のぶどうのかご盛り 白ららに似ている!(^Q^)\」「ワンダフルハウス様、こちらはクレメダンジュでございます」
クレメダンジュ(クレームダンジュ)が壷からお皿に盛られて運ばれてきました。クレメダンジュは、牛乳を乳酸醗酵させて軽く固めただけのふんわりしたフレッシュチーズ「フロマージュ・ブラン」に生クリームでコクを出し、メレンゲを加えてさらにふわふわにしたもの。ルコント特製の蜂蜜とブルーベリーソースでいただきます…水分がかなり残っていて、この甘味とふわふわの食感は快楽的…(~Q~) 一口頬張るだけで幸せになります↑)^Q^(↑
ごちそうさまでした。それでは、今日食べたお菓子の復習をしましょう。
先ほどいただいた「Oeuf a la neige ウフアラネージュ」(イートインのみ 630円)がありました。形が崩れやすいのでテイクアウトはできないそうです。日本ではまだブレイクしていないお菓子ですが、一度食べてみる価値はあります。 「Parizi パリジィ」(367円)。ロミユニやフェルベールのコンフィチュールに慣れ親しんだ人には、定番的な味だと思います。上がパンで下がタルトというのは珍しいですね。
それでは、「Parizi パリジィ」の味を再現してみましょう。向かいのルコント本店でクロワッサン(210円)を買い… 鎌倉のロミユニで「タルティネ・オランジェット」(750円)を買いました。原材料はオレンジ、グラニュー糖、チョコレート、オレンジの皮のシロップ漬け、洋酒。アルコール分は飛んでますので、お酒が飲めない人でもOKです。
「Parizi パリジィ」と同じ味です!(^Q^) オレンジピールのコンフィチュールとビターチョコレートの組合せは、とても相性のいい組み合わせ。本場フランスの香り高き、ジューシーなテイストを楽しめます。焼き立てのトーストにも合います。
ブラッスリー・ルコント パティシエ・シマ
現在は、洋菓子店のショーケースで、よく目にするようになったクレーム・ダンジュ(アンジュ)を日本で初めて販売したのが、ルコントさんの愛弟子だった、パティシエ・シマの島田進シェフです。東京・麹町にあるパティシエ・シマの「クレーム・アンジュ」(577円)は、フランス・アンジュ地方の伝統的な田舎家庭菓子をベースに島田シェフが考えたオリジナルケーキ。フランスのフロマージュブランに北海道の濃厚なクリームを混ぜ、やさしい口あたりに仕上げてあります。
島田進さんは1946(昭和21)年11月、三重県尾鷲市生まれ。地元の高校を卒業後、画家を目指して神戸で働きながら絵の勉強に励んでいました。当時はフランスへ行くのが容易ではなかった時代。1968年に師事していた画家の勧めで上京。フランス語を勉強しながら働ける場所ということで、六本木にオープンしたばかりのルコントに入社。ここで本格的な菓子作りに取り組むうちに、フランス菓子の面白さにとりつかれ、いつしかフランス行きの目的が絵の勉強から菓子の修業へと変わりました。1971年、念願のフランスへ。パリの「ブッタ」「ダロワイヨ」、スイス・バーゼルの菓子学校「コバ」で飴細工を学び、パリに戻って「ベッケル」で働き、3年間の修業を終えて帰国。銀座の「マキシム・ド・パリ」のシェフ・ド・パティシエを2年半務め、再びルコントに戻り、ルコントさんの片腕として活躍。1988年「シェ・シーマ」をオープン。1998年にオーナーシェフとして「パティシエ・シマ」をオープン。
日本ではフレンチレストランのデザートとして知られていた「クレーム・アンジュ」。島田シェフがシェ・シーマ時代にガーゼに包んだままココットに入れて販売しました。泡のように軽く、クリーミーな舌触りのフレッシュなチーズケーキです(^Q^) 酸味を極力抑えた甘い香りのフランボワーズソースが口の中でとけ合うと、舌の上で素晴らしいハーモニーが奏でられます(^♪^) こちらで買えます。 

なるほどなるほど…日本初のテナント集積型食料品フロア「東横のれん街」50周年記念商品として2001年に発売された、銀のぶどうの「かご盛り 白らら」(写真は季節限定の赤ぶどう味)はクレーム・ダンジュだったのですねφ(..)メモメモ 発売当初は量産できなかったために、扱っていたのは東急東横店と日本橋三越のみ。当時は、もの凄い行列ができて、すぐに完売した人気商品でした。
そして、マダム・トキのディナーのデザートに出てきた、イタリアの蒸留酒グラッパを使った白いムースもクレーム・ダンジュでしたφ(..) フレンチレストランでは定番の品だったのです。
ムッシュ・ルコント、本日は大変勉強になりました(^O^)/ それでは、また。

アンドレ・ルコント氏は、1931年フランス・フォンテーヌブロー生まれ。13歳で菓子職人の修業を始め、1956年ホテル・ジョルジュサンクのシェフパティシエに。1963(昭和38)年、ホテルオークラに招聘されて来日。1968(昭和43)年、東京・六本木に日本初のフランス人パティシエによるフランス菓子専門店「A.ルコント」を開店。ワンダフルハウスは1981(昭和56)年に六本木店で初めてお会いして以来、最も尊敬するパティシエに。1999(平成11)年に68歳の生涯を閉じるまで、流行を追うようなお菓子は作らなかった、伝統を重んじる本格派でした。この店の料理はルコント氏が遺した莫大なレシピ帳に基づき作られています。ブラッスリー・ルコントは、A・ルコントの料理が食べられる日本で只一つの料理店なのです。

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