レストラン マダム・トキ

Restaurant Madame Toki

代官山、旧山手通り。西郷橋に面したコロニアル風の洋館「マダム・トキ」。一軒家レストランがまだ珍しかった1978(昭和53)年に開店。三谷幸喜氏作のTVドラマ「王様のレストラン」の舞台「ベル・エキップ」という設定で使われたレストランでもあります。ドラマそのものの雰囲気で優雅にフレンチを味わえます。隣には1976(昭和51)年に開店したパティスリー「ラ・コロンバ」も併設。デザート感覚のガトーとクロワッサンやコンフィズリーも置いている本格派です。

その美しいコロニアル様式の館の前を通ると、誰もが立ち止まらずにはいられない高級フレンチレストラン「マダムトキ」。旧山手通り沿いという抜群のロケーションを誇ります。向い側にはヒルサイドテラスやデンマーク大使館が。金子さんがビギグループに移籍し、ヒルサイドテラスに拠点を移した1980年には、既にこの地にあったわけです。金子さんは、この頃からの顧客と思われます。 ベルエキップの門の撮影は、ここで行なわれました。ガラス戸の向こうは「Madame Toki」のデザートブランド「LA COLOMBA」。こちらの方が2年早くオープンしたようです。他のドラマでも、「妹よ」(1994年)で、和久井映見が予約したレストランとして、「おいしい関係」(1996年)で、唐沢寿明が働いていたレストラン「アバン・クレール」として、「愛し君へ」(2004年)では、藤木直人と黒谷友香が出会ったレストランとして度々登場しています。
西郷橋。欄干や照明のデザインがレトロで、マダム・トキの洋館と見事に調和しています。西郷隆盛の弟である、西郷従道邸(現在の西郷山公園)を流れていた三田用水に架かる橋として建造されました。 現在は三田用水は無くなり、下は車道になっています。見上げると、恐ろしいほど重厚な建物であることがわかります。
西郷山公園からマダムトキを望む。「東京ラブストーリー」「29歳のクリスマス」「ロングバケーション」など、ドラマに何度も登場したことで有名な西郷山公園。元は旧西郷従道邸の一部で、昭和56年5月28日開園。公園名の由来は「西郷山」という通称が近所の人に親しまれていたところから。旧山手通り沿いの高台から、山の斜面になっている所にあるので、眺めが素晴らしく、目黒の街並が一望できます。20mの落差をもつ人口の滝もあり。

KANEKO ISAOとマダム・トキ

アンアン1991年8月9日号(No.785)に掲載された、記念すべきKANEKO ISAOの初広告「街の小さな店(ブティック)で。」金子さんは小道具を用いて、ブティック風の演出をしていますが、壁や窓枠,、椅子などからマダム・トキで撮影されたことがわかります。KIはブランドを立ち上げた初期からマダム・トキとは密接な関係を保っていたわけです。
KIの広告第2弾は、アンアン1991年11月1日号(No.796)に掲載された「装いのよそ行き。」金子さんは背景に屏風を置いたりして、ここがレストランであることを隠そうとしていますが、椅子の曲線でマダム・トキであることがわかります。
アンアン1992年2月21日号(No.811)に掲載された「祝う日の服。」は、またしても屏風を使って、前作の流れを継承。前2作とは違う椅子が登場しましたが、これもマダム・トキの椅子です。
アンアン1992年5月15日号(No.822)「愛するひとの。」屏風を使った最後の作品。今まで使用した2種類の椅子が登場。屏風の馬の絵は、後にカールヘルムでプリントになったものに似ています。
アンアン1992年9月4日号(No.837)「憧れて恋して愛。」 ついに屏風が外されてレストランらしくなってきました。この作品から店内の各所でポイントを変えて撮影されることになります。
アンアン1992年11月6日号(No.846)「優雅で地味で。」 撮影場所が1階メインダイニングを離れて、螺旋階段が素敵な2階ダイニングルームへと移動しています。
アンアン1993年3月5日号(No.862)「無言の告白。」 いよいよ、撮影場所が屋内を離れて、建物の外に出てきました。
アンアン1993年5月28日号(No.873)「教会に行く服は愛人に逢う服。」ついに、金子さんはモデルをメインエントランス前に立たせました。上から順番に見ていくと、最高潮の盛り上がりを感じさせる広告です。
アンアン1993年8月27日号(No.885)「鈴蘭祭りの思い出」。2年間に渡って掲載されたKANEKO ISAO最後のanan広告。最終作品では、再び店内に戻っています。こうして並べてみるとストーリーを感じさせる広告でした。

金子功のいいものみつけた
(1991〜1994年版)

「金子功のいいものみつけた」は、アンアン1991年4月19日号から1994年12月まで月1回のペースで連載されました。服はすべてKANEKO ISAOブランドで、撮影場所は半分以上がマダム・トキでした。KIの初広告「街の小さな店(ブティック)で。」(1991年8月9日号)より4ヶ月早く「いいものみつけた」が先行していたわけです。 
作品番号1「カフェフラッペは、好きですか?」(1991年4月19日号)’90年代の「いいものみつけた」は、いきなり、マダムトキのメインエントランス前から始まっていたのです。モデルは正面に立っていますが、カメラは横から。 作品番号7「手編みは懐しいお祖母さんの遺産。」(1991年10月11日号)壁の色、窓枠の形と色がマダムトキのものと一致しました。代官山の敷地内にこんなに葉っぱが密生している場所があるとは驚きです。
作品番号6「パリの蚤の市で買ったという古着。」(1991年9月13日号)モデルの立ち位置は、「教会に行く服は愛人に逢う服。」のタイトルページと全く同じ。こちらの方が先です。 作品番号8「みんなココ・シャネルの生徒だった。」(1991年11月8日号)メインエントランスから入って、内側から撮った写真だと思います。
14 15 16 19
左・作品番号14「懐しいアンティックのケープ。」(1992年5月15日号)モデルの立ち位置は、メインエントランス右側。 左・作品番号16「レストランで知ったこと。」(1992年7月10日号)作品タイトルに相応しいイメージを演出するため、メインダイニングで着席しての撮影。
右・作品番号15「リボンは、永遠のマジック。」(1992年6月12日号)モデルの立ち位置は、メインダイニング窓側。 右・作品番号19「化粧室の秘密に憧れる。」(1992年10月9日号)こちらもタイトル通り、化粧室で撮影。花瓶がテーブルに置いてあるものと同じ。この花瓶は現在でも使われております。
20 21 22 24
左・作品番号20「花柄はシルクロードの西に東に。」(1992年11月13日号)メインダイニングの隅に配置されたバーカウンターで撮影。 左・作品番号22「レースの肩かけ衿は古き時代の愛。」(1993年2月5日号)1階メインダイニングの角テーブルにて。
右・作品番号21「外は雪、のクリスマスに着た服。」(1992年12月11日号)タイトルのイメージに相応しい窓のある、2階ダイニングルームで撮影。 右・作品番号24「小花プリントの重層構造的イデー。」(1993年3月12日号)1階メインダイニングの丸テーブルにて。
25 26 27 28
左・作品番号25「ループの飾りがついた切り替え。」(1993年4月9日号)モデルを門の鉄柵の内側に立たせて撮影。 左・作品番号27「クラシックな花模様に憧れた。」(1993年6月11日号)モデルをメインエントランス正面に立たせて、カメラも正面から撮影。アンアン1993年5月28日号「教会に行く服は愛人に逢う服。」の撮影ポイントと同じです。発売日が近いので、同じ日に撮影した可能性があります。ただ、カメラマン(久米正美)とヘアメイク(伊藤五郎)は同じですが、モデルは違います。
右・作品番号26「お菓子の好きなパリ娘。」(1993年5月21日号)これ以上、作品タイトルに相応しい撮影ポイントはありません。モデルをラ・コロンバのガラス戸の内側に立たせて撮影。 右・作品番号28「レースのハンカチーフ。」(1993年7月9日号)メインエントランス横にモデルを座らせて撮影。27作と同じモデルで撮影位置も同じ。連チャンで撮ったようです。
29 31 32 33
左・作品番号29「鈴蘭祭りを思い出す。」(1993年8月13日、20日合併号)メインダイニング窓側に戻って来ました。 左・作品番号32「イギリスに生まれ育ちたかった。」(1993年11月12日号)最後の3回分は、オーソドックスにメインダイニングで撮影されました。
右・作品番号31「レースのハンカチーフ。」(1993年10月8日号)再び、外へ。壁に貼りつけられた文字は
「Madame Toki
14−7 hachiyamacho
shibuyaku.Tokyo」
右・作品番号33「最初の黒は優しい黒です。」(1993年12月10日号)こちらもメインダイニング。
35
作品番号35「エプロンの乱れは貴婦人のエレガンス。」(1994年2月11日号)最後はメインダイニングのテーブルと椅子に座って。「金子功のいいものみつけた」は、この後、45作「ちょっとお婆さんみたいに。」(アンアン1994年12月9日号)まで連載が続きましたが、マダムトキでの撮影は、これが最後となりました。しかし、この後、意外な雑誌に、マダム・トキで撮影された広告が一度だけ掲載されたのです。

FIGARO JAPON 1995年5月20日号 

「いいものみつけた」の35作から1年3ヶ月後、フィガロジャポンのKANEKO ISAOの広告「MISS DAISY’S TEA TIME」で、マダム・トキが撮影の舞台になりました。しかもモデルは、ユリさんとフランク。これは、マダムトキで撮影されたファッション写真の集大成、そして最高傑作になりました。1階ダイニングルームで撮影。 螺旋階段を上った2階ダイニングルームで撮影。ところで、フランクとは何者なのでしょうか? 本名は、Frank O’Connor(フランク・オコナー)。 イギリス出身で、1980年代半ばにファッションモデル兼俳優として来日。金子さんのお気に入りのモデルとなり、1990年代前半からショーや雑誌広告のモデルとして起用。アンアンには、1992年8月14日/21日合併号のピンクハウスとカールヘルムの広告「いつも心は青空の太陽。」(撮影・篠山紀信)で初登場。現在もテレビドラマやコマーシャル、広告、雑誌などで被写体として活躍中ですが、その一方でフォトグラファーとしても活躍中。最近では、10月1日〜10日に鎌倉で行われた「第9回 極楽寺・稲村ガ崎アートフェスティバル」に「WAGASHI&STONE PHOTO」という作品を展示していました。日本人の奥さんと鎌倉市長谷の自宅で英会話教室「Hip Talk」 も開いています。
マダム トキのホームページはこちら
店内図と店内の写真がウェディングのページにあります。
一軒家レストラン倶楽部
マダム・トキ

百科事典に戻る