フランス菓子 Maison Wenikoの四季

2011年1月
ガトー・バスク・オー・ほしいも
コンベルサシオン・オー・スリーズ

バスク地方はフランス南西部〜スペイン北東部にまたがった地域で、以前は独立国家でした。現在はフランスの3地方、スペインの4県で構成されています。バスク地方のお菓子といえば、クッキー生地にチェリージャムやカスタードクリームをはさんだ「ガトー・バスク」。ガトー・バスクはエスペレットの近くカンボ・レ・バンで17世紀に生まれました。当時は、とうもろこしの粉とラードでできたクッキーのようなものだったそうです。18世紀になると「Biskotxak」という名で呼ばれ、バスク人の家族の間で作られるようになります。その後どんどん進化してプルーンや無花果などの季節のジャムを間に挟むようになり、特にブラックチェリーのジャムを入れたものが有名になりました。19世紀にカンボ・レ・バンに住む女性が、これを作ってバイヨンヌに売りにいったところ、大変好評になり、バスク人が作るお菓子として「ガトー・バスク」と名付けられました。19世紀末にカスタードクリームが入ったものが現れ、21世紀には茨城県水戸市フランス菓子 Maison Weniko」の焼菓子職人「紅子(Weniko)」によって干し芋と焼き芋ペーストを間に挟んだ「ガトー・バスク・オー・ほしいも」が作られました

2011年1月第3週

わんだふるはうす、メゾン・ベニコに行く

「おおっ!?」
「ついにショコラ用冷蔵ショーケースが導入された!(゚O゚)
「しかし、中はまだ空っぽです!(゚O゚)「来週はサロン・デュ・ショコラに行くので無理ですが、2月4日のグランド・オープンの日までにはショーケースをショコラで埋められるように頑張ります」
2月4日がグランドオープンということは…メゾン・ベニコはまだ仮オープン中だったのです。
「2月4日までにはマカロンも作ります」「パリ風ですか?(^-^)/」「はい」
「パリのマカロンは飽きてしまったし、どこでも売ってるので地方のマカロンを!(^O^)/」
マカロン・ド・ナンシー
オーボンヴュータン
店頭未発売品
「以前、オーボンヴュータンの河田勝彦シェフからアルザス・ロレーヌ地方ナンシーの修道院で産まれたマカロン・ド・ナンシーをいただいたことがあって、表面はひび割れてカリッとしているのに、中はものすごくねっちりしていて美味だったのです(^Q^)」
「ん?コンフィチュールの瓶に貼ってあるシールが変わった!(゚O゚)
「ベロ(Wero)にデザインしてもらいました」
「このシールはお洒落です!\(^O^)/
「おっ?このような光景はオープン以来初めて目にしました(^O^)\
「オープンから1ヶ月半以上が経過して、ついにお菓子が全種類揃ったのです!\(^○^)/
「これは新作ですね。ケーク・オー・ほしいも・メープル?」干し芋とリンゴキャラメリゼのケーキが先週で終わってしまったので、今度はメープル風味で作ってみました」「干し芋とリンゴのケーキはもう出さないのですか?(^-^)/」「リンゴは紅玉でないと思うような味が出ないから今シーズンは終わりです。秋にまたやります」
開店からあるケーク・オ・ショコラ。これは定番として1年中置くそうです。
ブルターニュ地方のそば粉を使った薄いクッキー「ガレット・サラザン」。ざくっとしたバターリッチな生地にそば粉の素朴な風味がとてもよく合っています。
「ブール・ド・ネージュ(雪の玉)」なのに茶色っぽいのは、有機肥料のみを用いた農園で丁寧に栽培された砂糖キビを原料として作られたキビ糖をまぶしてあるからです。
ロッシェ。これはWenikoさんのお母様ヨーコさんが好きだった軽井沢にあった不二屋で売っていたメレンゲをフランス菓子にアレンジして再現したものだそうです
フロランタンとは「フィレンツェの菓子」という意味で、カトリーヌ・ド・メディシスがアンリ2世のもとへ嫁ぐ際にイタリアから伝えたお菓子。クッキー生地にキャラメルでコーティングしたアーモンドスライスをのせて焼き上げます。
フランス語で瓦を意味するチュイル。焼き上がってまだ柔らかいうちに、丸い型に巻きつけてくるんとカーブをつけました。サクッとした軽やかな歯ごたえが魅力の薄いクッキーです。
ショーソン・オー・ポンムに代わって発売されたショーソン・バナーヌ・ショコラ。チョコバナナパイです。
「これは珍しい!コンベルサシオン・オー・フレーズ。苺のコンベルサシオンです!(゚O゚)
「ガレット・デ・ロワもまだあります。1月末まで販売するそうです(^-^)\」
「おっ?先週までは3150円だったのに1000円値下げして買いやすい価格になりました\(^○^)/ 大きさを18cmから15cmに小さくしたそうです
「今年は間に合いませんでしたが、来年はベロさんデザインのオリジナル・フェーヴとオリジナル王冠を出してもらいたいものです(^-^)\」
「おおっ!?これは!?(゚O゚)
「試作を重ねていたガトー・バスク・オー・ほしいもがついに商品化された!(゚O゚)
Cake aux hoshiimo maple
ケーク・オー・ほしいも・メープル
(干し芋とメープルのケーキ)
420円
それでは新作を味見してみましょう。干し芋とリンゴキャラメリゼのケーキに続く、干し芋ケーキシリーズ第2弾「ケーク・オー・ほしいも・メープル(干し芋とメープルのケーキ)」から。
ミニ・クグロフ型で焼かれているので、裏側の方が見慣れた感じがしますね。
このクランブルがメープル風味なのです。
「バターケーキの中に干し芋が! 干し芋の甘味とほのかに香るメープルがベストマッチです!(^Q^)」
Chaussons de banane au chocolat
ショーソン・バナーヌ・ショコラ
(チョコバナナパイ)
367円
ショーソンというのは、このような餃子型のようなパイのこと。
丸く切ったパイ生地の中にクリームやフルーツを挟み、二つ折りにして焼き上げたものです。

中にはクレームダマンドショコラとバナナが。ショーソンは普通のパイ生地よりもサクサクしていて脆いようです。バターもたっぷりなので風味豊かです(^Q^)」

Tuile coco
チュイール・ココ
472円
「ほぅ、メゾン・ベニコのチュイールはココナッツ風味ですか」
Tuiles aux Amandes
チュイール・オ・ザマンド
2415円
ルコント
2007年6月
「チュイールといえば、私は昨年9月に閉店したルコントのチュイル・オ・ザマンドを思い出します」
「私はルコントのアーモンドのチュイルをポテトチップス代わりに食べていました(^Q^)つU」
ルコントのチュイル・オ・ザマンド
「1枚食べ始めると、無くなるまで止まらなくなる…この形は実に危険です(^Q^)つU」
「チュイールとは薄焼きクッキーのポテトチップス版です(^Q^)//(()トントン♪」「チュイールとポテトチップスを同格に扱う客がいるなんて…」
「ワンダフルハウスさん、チュイールのようなプティ・フール・セック(小さな焼き菓子)は、パティスリーではスポットの当たらない地味なお菓子ですが、レストランでは最後に出てくる最も重要なお菓子なのですよ」「チュイールがレストランでは重要なお菓子ですって?一体あの魚は何者なのでしょう?(゚-゚)\「私はニースの超高級ホテル『ル・ネグレスコ』前の海岸で長年生活してきましたが、昨年末にニースから泳いで水戸にやって来たのです」
Le ChanteclerのPetit four
1985年
「なぜコートダジュールから水戸に来たのですか?(゚-゚)\「『オテル・ネグレスコ』内のミシュラン1つ星レストラン『シャンテクレール』のデセールに見切りをつけたからです。1979年に前年のフランス最高料理人ジャック・マキシマンをシェフとして迎えた時は、たちまちのうちに話題となり、世界中からグルメたちがマキシマンの料理を求めてやって来たものでした。この写真は1980年代に3つ星となったシャンテクレールのプティフールです」「おおっ!全盛期のジャック・マキシマンの皿にチュイールがある!(゚O゚)\
ブーン…そうでしたか。実は私もカンヌの街から山側に8kmほど上ったムージャン村の水車小屋から飛んで来たのです」「“ムージャン村の水車小屋”というと…昔のミシュラン3つ星レストラン『ムーラン・ドゥ・ムージャン』!」ブーン…そうです。ジャック・マキシマンの若い頃のことなら、よく覚えていますよ。彼はムーラン・ド・ムージャンのロジェ・ヴェルジェの下で働いていましたからね。その後、2つ星レストラン『ラ・ボンヌ・オーベルジュ』で3年間働いた間に、見事3つ星レストランに引き上げ、1978年にフランス最高料理人に選ばれて、オテル・ネグレスコに引き抜かれたのです」
Le Moulin de MouginsのDesserts
1985年
「あのミツバチは、なぜカンヌから水戸に来たのだろう?(゚-゚)\」「ブーン…現在は1つ星となったムージャン村の水車小屋の小菓子に見切りをつけたからです。この1980年代のデセールの写真を見てください」「おおっ!全盛期のロジェ・ヴェルジェの皿にチュイールがある!(゚O゚)\
「皆さん、もし世界で一番美味しい料理を食べたければロアンヌのトロワグロの店へ、もし世界で一番美味しいお菓子を食べたければ、水戸のメゾン・ベニコに行きなさい」「あのヘビはどこから来たのでしょう?(゚-゚)\「私はジャン・トロワグロが生きていた頃からロアンヌの駅のホームの下に住んでいました。だから駅前にあったオテル・レストラン『トロワグロ』は子供の頃からの遊び場だったんです」
TroisgrosのDesserts
1985年
「このギャルソンのセンスが表現されたフルーツデザートを御覧なさい」「おおっ!?これはフランボワーズソースの上にクリームをのばしたものです。この模様は凄い!(゚O゚)\「これはテーブルサービス…つまりギャルソンが客の目の前で、スプーンでデザイン模様をつけたのです。模様は一皿ごとに全部違ったんですよ」「おおっ!?上の皿の一番左の菓子は…チュイールです!(゚O゚)\
「あなたはロアンヌの方でしたか。私たちはアルザスのメゾン・フェルベールの庭からやって来たコクシネール(てんとう虫)の兄弟です」「あなた方は兄弟でしたか。で、お名前は?」「偶然にも私はジャン、弟はピエールで、名字はトロワグロ…アルザスのトロワグロ兄弟と申します」「このテントウ虫の名前がトロワグロ兄弟ですって!?(゚O゚)\
JaminのPetits fours
1985年
「私たち兄弟は1985年に1回だけパリへ行ったことがあります。その時は3つ星を取得したばかりの『ジャマン』で食事しました」「おおっ!全盛期のジョエル・ロビュションの皿にチュイールがある!(゚O゚)\「私もジャマンに行ったことがありますが、ジャマン時代のロビュションのデセールといえば、グラタン・ド・フリュイ・フレ(フルーツのグラタン)なんかもあって、ミッシェル・フサールの影響が濃かったな」「ミッシェル・フサール氏といえば、ル・セレブリテ時代のジョエル・ロビュション氏の片腕であり、ジャン・ポール・エヴァン氏の上司であり、Wenikoシェフの師匠である島田進さんも指導を受けたMOFパティシエ です!(゚O゚)\」「ジャマンにあって、セレブリテになかったもの…それはクレーム・フロワド・キャラメリゼ・ア・ラ・キャソナード…つまりクレーム・ブリュレだよ。セレブリテでは、まだポ・ド・クレームだったんだ」「ジャマンのクレーム・ブリュレは340フランの高額コースにしか組み込まれてなくて、アラカルトでは注文できなかったんです」
ミッシェル・フサール氏が第4回フランス菓子大講習会(1980年9月〜10月)で作った4種のチュイール
1 Gross tuiles グロス・チュイール
2 Tuiles aux amandes チュイール・オ・ザマンド
3 Tuiles aux oranges チュイール・オー・ゾランジュ
4 Tuiles noix de coco チュイール・ノワ・デ・ココ
5 Rochers noix de coco ロッシェ・ノワ・デ・ココ
ジャン・ドラベーヌ氏、クロード・ボンテ氏、ジャン・ミエ氏に続いて、4番目に来日して講習会を行なったミッシェル・フサール氏の登場です。1980年当時のフサール氏はホテル日航パリのミシュラン2つ星レストラン「ル・セレブリテ」の製菓長でした。料理長はジョエル・ロブション、部下にジャン・ポール・エヴァンがいて、その黄金時代にWenikoシェフの師匠である島田進さんも短期研修を受けていたのです。当時は、伝統と格式を重んじていたフランス菓子業界にも新しい時代の波が押し寄せていて、フサール氏はパリの最先端をいくヌーヴェル・パティスリーの第一人者でした。1980年9月22日から10月19日まで全国で行なわれた講習会では、最先端の菓子だけではなく、チュイールのような伝統菓子も作られました。
ミッシェル・フサール氏が第4回フランス菓子大講習会(1980年9月〜10月)で作った作品
Caroline au chocolat
カロリーヌ・オ・ショコラ
Caroline au cafe
カロリーヌ・オ・カフェ
「カロリーヌとはプティ・フール・エクレール。つまり、ちびエクレアです。小さい分、味を濃くしなければならないので、フォンダンが全体にかけられているのが特徴です」
ミッシェル・フサール氏が第4回フランス菓子大講習会(1980年9月〜10月)で作った作品
Petits fours fraise
プティ・フール・フレーズ
Petits fours madeleines
プティ・フール・マドレーヌ
「プティタルトフレーズ。苺のちびタルトです。アントルメのタルト・オー・フレーズ、舟形のバルケット・オー・フレーズと共に3種類作られました」 「マドレーヌとプティマドレーヌ。同時にフィナンシェも大小作られました」
「これは何ということでしょう!1981年にレストラン・ジャマンを買い取って独立したジョエル・ロビュション氏は、1982年にミシュラン1つ星→1983年に2つ星→1984年に史上最速で3つ星に登りつめましたが、その全盛期に出していたプティフールはル・セレブリテで作っていたものと同じだったのです「つまり、その頃のミシュランはまだクラシックな料理や菓子を評価していたということじゃないかな」
「刻んだココナッツが見える…ミッシェル・フサール氏と同じ製法です。1979年にル・セレブリテの厨房でミッシェル・フサールから島田進さんに伝わった製法が、そのままWenikoシェフに受け継がれていたのです」
「ワンダフルハウスさんは日本人だから御存知ないかもしれませんが、1980年代後半〜90年代初頭にかけて、フランスの3つ星クラスのレストランでフール・ア・ラ・ミニッツ…つまりチュイルなんかを焼きたてのホヤホヤの状態で出すのが流行したんです」
「チュイルは湿気やすく、割れやすく、香りが逃げやすいので、客から注文が入る度に焼いていたのは最高の贅沢だったんです」
「薄くパリパリに焼き上げたメゾン・ベニコのココナッツのチュイール。焼きたてがすぐ店頭に並ぶメゾン・ベニコの焼菓子は、フランスの3つ星クラスのレストランのフール・ア・ラ・ミニッツに限りなく近いとも言えます」
「運良く焼きたてのホヤホヤに巡り会えたら、買ったその場で食べてしまうことが最高の贅沢といえましょう(^Q^)つU」
Roche
ロッシェ
472円
「続いて登場したのは、閉店してしまった軽井沢の不二屋洋菓子店のメレンゲ菓子を再現したものです(^O^)//(()トトトトトーン♪」
「おーっ! ロッシェという名の通り、外側は岩のようにゴツゴツしている!(゚O゚)
「ゴツゴツした外見とは裏腹に、内側はシュワーッと溶けそうな繊細な生地でできています!(~O~)\」
「メレンゲの中にチョコレートとアーモンド入り。軽井沢の思い出の洋菓子が、水戸のメゾン・ベニコでフランス菓子として復活しました!\(^Q^)/」
ガトー・バスク・オー・ほしいも
3675円
「試作を重ねていた『ガトー・バスク・オー・ほしいも』の商品化第1号の登場です!見事な焼き色です!(^O^)//(()トトトトトーン♪」
「カットした途端、ボロボロに崩れてしまいそうな、サブレのような生地…これがバスク生地(パータ・バスク)です!
「Wenikoシェフが忙しいので、素人の私がカットしたら、右半分がボロボロに崩れてしまいました。 おおーっ!?クレーム・ダマンドと焼き芋ペースト入りのしっとりしたWeniko風クレーム・ド・バスク(バスク・クリーム)の中に丸干し芋の厚切りが!(゚O゚)\
ガレット・デ・ロワ・オー・ほしいも
特注品
「こちらも、素人の私がカットしたら、上のパート・フィユテがボロボロに崩れてしまった…ガレット・デ・ロワ・オー・ほしいもに続くスペシャリテが完成したのです!\(^○^)/」

ガトー・バスク・オー・ほしいも
バスク地方菓子としてフランス中に親しまれている名物がガトー・バスクです。現地の1970年代当時のルセットを紹介しますと、粉250g、卵黄1個、全卵1個、バター150g、砂糖150g、塩少々、以上の配量でパートを作っておきます。クレームは牛乳250cc、卵黄2個、砂糖60g、粉25g、ラム酒少々でクレーム・パティシエールを作ります。パートの3分の2を1cm厚さの円形に延ばし、この上にクレーム・パティシエールを入れ、残り3分の1のパートを延ばし広げ、焼き上げます。
丸干し芋
「黄金色に輝いている!…サツマイモを丸ごと干してしまうとは凄い!(゚O゚)\」
茨城県の特産品として日本中に親しまれている名物がサツマイモを切らずに天日にかける「丸干し芋」です。サツマイモが一番美味しくなるまで熟成させて、2時間ほどじっくりと蒸し、その場で皮をむいて冷まします。干すのは寒さが厳しい時期に2週間ほど。かつて、農家が商品にならない小さなサツマイモを使って自家用向けに作っていましたが、不作の年に販売したところ、口コミで人気が広まり、現在では1年先まで予約で埋まる人気商品となっています。
「これは何ということでしょう!?…『ガトー・バスク・オー・ほしいも』も黄金色に輝いています!(゚O゚)\」
バスク名物と茨城名物が融合して「ガトー・バスク・オー・ほしいも」が誕生した瞬間、不思議なことに全てのパートが黄金色に輝き出したのです。
「干し芋はコンフィチュールのように糖度が高いです!(^Q^)」
「砂のようにボロボロ感のあるバスク生地、クレーム・ダマンドと茨城県鉾田市産やきいもペーストを合わせたしっとりしたWeniko風バスククリーム、そしてコンフィチュール並みに糖度の高くホクホクした丸干し芋。日本人好みにアレンジされたガトー・バスクが、干し芋のメッカ茨城県で誕生したのです!\(^Q^)/」
日本一のほしいも産地である茨城県の中でも、1960(昭和35年)年に品種登録されて以来、一番の生産量を誇るのが「玉豊(たまゆたか)」種。全国の干し芋の約80%が茨城県産玉豊ほしいもとも言われています。寒さが厳しいほど芋の糖化が促進され、とっても甘い干し芋が出来上がるのです。
続く

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