「222年前の今日=1789年7月14日、パリのバスティーユ監獄がフランス市民軍によって襲撃されました。いわゆるフランス革命勃発の日です。この日のことを日本ではパリ祭といったりするようですが、フランス人は「Le Quatorze Juillet (ル・キャトーズ・ジュイエ)」と呼ぶそうです。Quatorzeは14、Juilletは7月…ということで単に7月14日という意味しかありません。2011年のキャトーズ・ジュイエは水戸のフランス菓子店メゾン・ベニコで過ごすことにしたのです」 |
2011年Maison Wenikoパリ祭スペシャルパッケージ 1050円(スペシャルプライス) 限定30個 |
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「ハート型のサブレが飾られたタルトレット・リンゼル(リンツァー・トルテ)やプティ・マドレーヌ…普段は売っていないお菓子が混ざっています!(^O^)\」 |
パート・ド・フリュイ 杏と青リンゴ |
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「パリ祭スペシャルセットのトリを飾るのはパート・ド・フリュイですか(^-^)\」 |
Pate de fruits パート・ド・フリュイ (フルーツゼリー) 4個入 525円 |
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「パート・ド・フリュイというのは、フルーツのピューレをペクチンで固めたフランスの伝統的なゼリー菓子でございます」 |
パート・ド・フリュイ 4個入 525円 |
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フランボワーズとパッションフルーツ | 青リンゴと杏 |
「これがフランスのフルーツゼリーですか? 表面にはザラメ糖がたっぷりまぶしてあって、見た目はかなり甘そうですね…(゚-゚)\」 |
Pate de fruits d'abricots パート・ド・フリュイ・ダブリコ アプリコットのフルーツゼリー |
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「杏のフルーツゼリー…パート・ド・フリュイ・ダップリコです!」「ワンダフルハウス様、アプリコットやリンゴ、マルメロ、洋梨にはペクチンが多量に含まれておりますので、ゲル化してゼリー状となる性質が高いのでございます。昔(1970年代前半まで)はフルーツゼリーを作るのは、この種のフルーツに限られ、しかもペクチンの添加も行なわず、砂糖をフルーツの倍量使用し、20~30分以上も煮続けて作っていました。この方法で作ったフルーツゼリーは、香りもビタミンも失われた砂糖味の強いものができたものでした」 |
「今日(1970年代後半以降)では、リンゴから工業的に抽出したペクチンや、レモンから抽出したクエン酸を加えているのでございます。コンフィチュールを作る時と同様に、パート・ド・フリュイの場合も酸味のあるフルーツほど美味しいフルーツゼリーができるのでございます」「パート・ド・フリュイの糖度はかなり高そうですね?(゚-゚)\」「ゼリーはあまりにも濃すぎるので、糖度計で計っても正確な数値が示されないのでございます」 |
Confiture d'abricots コンフィチュール・ダブリコ アプリコット・ジャム 1050円 (限定3個) |
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「今度はコンフィチュール・ダップリコですか?(^-^)\」「ワンダフルハウス様、間もなく革命記念日のお菓子が焼き上がります。その前にこちらのコンフィチュールを御賞味ください」「革命記念日のお菓子ですって!?(゚O゚)\」 |
「こちらのコンフィチュールは茨城県産フレッシュ・アプリコットとフランス産セミ・ドライ・アプリコットを使ってお作りしました」 |
「物凄いとろみがあります!このようなコンフィチュールは初めて見ました。そしてこの黄色っぽい具は?(゚O゚)\」「とろみの部分が茨城県産フレッシュ・アプリコット。黄色い具がフランス産セミ・ドライ・アプリコットでございます」 |
アプリコットのコンフィチュール 1050円 (限定3個) |
オランジェットとアブリコ 840円 |
「フランス産セミ・ドライ・アプリコットは、5月に発売しましたオランジェットとアブリコに使われているものと同じでございます」 |
「おお…あの杏のショコラ…」 |
「あれは柔らかくてジューシーでしたよ(^Q^)\」 |
「内側にはアプリコットの蜜が封じ込まれていて…」 |
「保存が効かず、少しずつ仕込むので、出来立てが食べられます。外国製のショコラとは鮮度が全く違います」 |
Confiture d'abricots コンフィチュール・ダブリコ |
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「これがコンフィチュール・ダップリコ…素晴らしい!(^O^)\」 |
「ワンダフルハウス様、革命記念日のお菓子…フレッシュ・アプリコットのパイが焼き上がりました」「おお!(゚O゚)\」 |
Tarte alsasienne d'abricots タルト・アルザシエンヌ・ダッブリコ フレッシュ・アプリコットのパイ アルザス風 |
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「一瞬のことでしたが、私は確かに見ました! クリスティーヌ・フェルベール流のコンフィチュールが茨城県産フレッシュ・アプリコットのタルトに組み込まれる瞬間を。そしてそれはルコントでもルノートルでもドンクでもレンガ屋でもフランス茶屋でもマダム・トキでもパティシエ・シマでもオーボンヴュータンでも見ることができなかった…日本におけるフランス菓子の革命だったのです!(゚O゚:)\」 |
「続いて、フレッシュ・ブルーベリーのパイも焼き上がりました!(^O^)\」 |
「先ほど食べたフレッシュ・ラズベリーを使ったコンフィチュールで作ったタルト・アルザシエンヌ・オー・フランボワーズ(タルト・リンゼル)を加えて…」 |
「ルバーブ、アプリコット、ブルーベリー、フランボワーズ…4つの旬のフレッシュな茨城県産フルーツを使ったアルザス風タルトが、1年のうちのほんの一瞬だけ並び立った…奇跡的な瞬間をキャッチしました!(^O^)\」 |
「フレッシュアプリコットのパイ(タルト・アルザシエンヌ・オー・ザブリコ)がカットされました」 |
「これは先ほど、焼きたてのタルト・オー・ザブリコにふりかけていた…このお酒は何でしょう?(゚-゚)\」 |
「ワンダフルハウス様、アルザス最大のワインメーカーWalfberger(ヴォルフベルジェール社)の豊富な品種を誇るオー・ド・ヴィー(フルーツブランデー)の多彩なラインアップの中の一つ、オー・ド・ヴィー・アブリコでございます」 |
「オードリー・アブリコ? その人はオードリー・ヘップバーンの娘さんですか?(゚-゚)\」 |
「オードリーではなくて、Eau de vie(オー・ド・ヴィー)でございます。完熟したアルザス特産のアブリコを時間を掛けて蒸留し、アブリコ独特の芳醇な完熟風味を見事に再現したこだわりのオー・ド・ヴィーでございます。 新鮮なアブリコの浸漬、蒸留による柔らかい自然の風味がございます」 |
「ビール工場の他に食品工場も多い街コルマール(Colmar)は、フルーツも豊富にあり、多くのフルーツ缶詰、お酒ではオー・ド・ヴィー(Eau de Vie)というフルーツ・ブランデーを製造しています。キルシュ(kirsch)という黒サクランボの透明な蒸留酒オー・ド・ヴィー・スリーズは特に有名です。ヴォルフベルジェール社の蒸留所もコルマールにあります。伝統の技に裏打ちされたオー・ド・ヴィーの製造過程を簡単にご紹介しましょう。収穫された新鮮な果実は、種を除き破砕してすぐにマッシュにされ、20℃に保たれたステンレスの発酵樽で発酵させます。4日から10日置くと、果皮に付いている天然の酵母が糖分をゆっくりとアルコールに変えていきます。これを蒸留釜に入れて蒸留するのですが、 ヴォルフベルジェール社ではポットスチルを用いた蒸留法とコラムスチルを用いた近代的蒸留法を独自に組み合わせていることが特徴です。伝統的蒸留法では、2日間に渡る長い加熱時間により強い香りが抽出され、持続性があり、ふくよかなオー・ド・ヴィーが生まれます。 近代的蒸留法では、蒸留時間が短いため、新鮮で果実本来の華やかさを持つオー・ド・ヴィーとなります。こうして2種類の方法で蒸留したものをそれぞれ数年間に渡って熟成させ、巧みにブレンドし、強く長い香りと洗練されたフルーティさを合わせ持つ製品に仕上げていくのです」 |
「このアブリコの他にもミルティユ(ブルーベリー)、キルシュ(自社所有農園の65ヘクタール、22000本の桜より収穫された黒サクランボ)、ソヴァージュ・フランボワーズ(野生のフランボワーズ)、ポワール・ウィリアム(ポワールの最高の産地であるアルザス・オート・アルプス、ヴァレー・デュローヌ地方より収穫されたウィリアム種の洋梨)、ミラベル(アルザス・ロレーヌ地方特産のフランス最高のミラベル)、クエッチ(西洋スモモ)、カシス、マール・ゲヴルツトラミネール(ゲブルツトラミネール種のブドウ)、そしてホップ(ビール)…これらのオー・ド・ヴィーは全てアルザスの大地とヴォルフベルジェール社の技によって生み出された逸品なのです」「ビールのオー・ド・ヴィーなんてあるのか!? ところで、どうしてそんなに詳しいのですか?(゚-゚)\」「ビールのオー・ド・ヴィーは世界的にも珍しく、貴重なのです」「ルードヴィヒ・コクシネール博士は学生時代、Walfbergerの蒸留所でアルバイトをされていたのでございます」 |
「完熟したアルザス特産のアプリコットを時間を掛けて蒸留し、アプリコット独特の芳醇な完熟風味を見事に再現したこだわりのオー・ド・ヴィーを、焼きたての茨城県産フレッシュ・アプリコットのタルトの上から惜しげもなく注ぎかけた…日仏のフルーツ王国 アルザスと茨城の陽光が育てた革命的なタルトの登場です」 |
Petit Madeleines a la Mari Mori プティット・マドゥレエヌ 森茉莉風 |
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「ワンダフルハウスさん、先ほどのPetit madeleinesは、WenikoシェフがParisのFauchonで買った型で、森茉莉さんのエッセイ『貧乏サヴァラン』をイメージして焼いたものでした。このTarte alsasienne d'abricotsも、森茉莉さんのエッセイ『杏のタルトレット』をイメージして焼いたものなんですよ」「森茉莉の『杏のタルトレット』をイメージして焼いたとは…巴里祭に相応しい!(^O^)\」 | |
「失われた時を求めて、過去を自分の掌でさわり、たしかめ、ふたたび現在の中に再現しようとした、素晴らしいフランスの作家の、マルセル・プルウストが愛した、彼が幼時に母親や叔母の家で味わったプティット・マドゥレエヌ。」 森茉莉「お菓子の話」(『貧乏サヴァラン』)より |
ルコント青山本店のタルトレット 閉店前日の2010年9月25日に撮影 |
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「実は私はフレッシュの杏を使ったタルトをいただくのは今回が初めてなのです。1981年にルコント六本木店で初めてタルトレット・アプリコットを食して以来、日本人である私にとっての杏のタルトというのは、常にドライ・アプリコットを使ったものでした。しかし、森茉莉さんは1922年に1年間渡仏してパリのホテル・ジャンヌダルクに住んでいた時に、すぐ近くあったカフェ・ラビラントに毎日通って、杏のタルトを食べていました。帰国後、1987年に亡くなるまで、東京でその味を求め続けましたが、夢が叶うことはありませんでした」 | |
森茉莉『私は一匹の肉食獣であって、というと恐ろしいが、他人(ひと)の好意にも、着るものにも、首飾りにも、硝子で出来たいろいろなものにも、すべて食いしん坊の子供のようによくばりなのである。それも人にあげるのは余り好きでなく、貰うのが好きなのだ。よくばりたいものの中でも西洋料理と甘いものが特別に好きで、朝から晩まで欲しがっている、というのが真実(ほんとう)のところである』 |
「2010年9月25日…閉店前日のパティスリー・フランセーズ・アンドレ・ルコント青山本店」 | |
『山にいる鳥の中で食いしん坊で有名な杜鵑(ホトトギス)の雛が、顔より大きな、嘴(くちばし)というよりも、体中が全部口になった感じで絶えまなく餌を要求し、気の毒な鶯の母鳥(杜鵑の母親は鶯の巣の中に卵を生みつけてどこかへ行ったのだ)が休む暇なく飛び廻り、かけずり廻って、その大きな開けたままでいる嘴へ毛虫や青虫を投げ込んでは又餌を探しに飛び去るのを映画で見た私は、心の中で感心した。そうして、“まるで幼い時の自分だ”と想ったのだ』 |
「おっ、タルトレットの復刻版がありますよ!(^O^)\」 |
「’80年代はタルト・アマンディーヌも加えて7種類揃っていたのですが、いつの間にかアプリコットとチェリーだけになってしまいました」 | |
『その杜鵑の雛のように口は開いてはいないが、「もっと、もっと」と言い通しで、おかずや菓子を要求した幼い時の私が、花嫁というあまり食べたがってはならないことになっている境遇になった頃、即ち大正の初期に、西洋菓子屋がパイというものを売り出した。風月堂や明治屋、モナミなぞのメニュウにはPieとなっている。神田三崎町の仏英和女学校でフランス人のスウル(童貞女)から、フランス語だけを習っていた私にはPieはピーとしか読めない。ピーと書いてパイとは何事だと、私は理不尽な怒りを発しながら、口では淑やかに「パイを下さい」と仰言る』 |
「もう時代遅れになってしまったのでしょうか?」 | |
『三田台町の夫の家の茶の間の隣の小間(こま)に、風月堂の真白なボール箱が置かれ、舅の妾であるお芳っちゃんがその蓋をとりのけると、私は花嫁という名称を持つ人間であることの手前、牙を隠した狼のように、おとなしく控えていた』 |
「しかし、これが一番ルコントさんらしい菓子でした」 | |
『ドイツのお伽噺に出てくる狼が、メリケン粉を塗って白くした前脚を扉の間から出して仔羊たちに向かい「お母さんだよ、開けてお呉れ」と言った時のように、控えめなやさしい手を、夫や弟たちの後から杏子のパイの方に延ばした』 |
「杏がねっとりと艶を帯びて、外側はこんがりと焦げ、中の方はムニャムニャしていますね(^-^)\」 | |
『杏子や林檎が、ねっとりと艶を帯びて、外側はこんがりと焦げ、中の方はムニャムニャしているメリケン粉を焼いた皮の間にはみ出さんばかりに挟まっている、あの美味しい焼菓子は、やっぱりパイではなくタルトレットである』 |
Tarte d'abricots タルト・ダッブリコ パティシエ・シマ |
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「続いて登場したのは、全盛期のルコントの総製菓長を務めたパティシエ・シマの島田進さんが焼いた杏のタルトです。洋酒に漬け込んだドライ・アプリコットを4分の1にカットして綺麗に並べてあります(^-^)\」 | |
『「シラノ」の中に出てくる麺麭屋(パン屋=ブーランジュリー)のラグノオが、「卵、三つ四つ手に取りて、こんがり焼くや狐色、タルトレットの杏子入り‥‥」 なぞと即興詩を書きちらしながら、それを書いたそこらの紙で包んで渡したタルトレットこそ、私の最も欲しがる杏子のタルトレットである』 |
「杏の先端にバーナーで焦げ目をつけて、かっこよく仕上がっていますね(^-^)\」 | |
『ラグノオは実際にはいない人物であるが、私は十八世紀の「シラノ」のような男のいた頃のフランスの麺麭屋の造らえた杏子入りタルトレットが口に入れたい。つまりタルトレット・ダップリコである。タルトレット・ドゥ・ポンム(林檎入り)もいい。私はブリア・サヴァランの舌を持っているのだから、それを口に入れる資格がある。私はそう信じている』 |
「これは感覚の鋭い人でなくては解らない世界なのですが、森茉莉さんはアンドレ・ルコントさんのタルトレット・ダッブリコにも、島田進さんのタルト・ダッブリコにも『ノン・メルシィ』と言ったのではないでしょうか?」 | |
『それもである。それも、その十八世紀の麺麭屋が、私のために特別に皮に練り込む卵黄も、杏子、若しくは林檎も豊富(たっぷり)にして焼いたタルトレットがお望みである。ここで、この原稿紙の上で喋っている分には、巴里の菓子造りの名人に聴えるはずもないし、十八世紀の菓子職人に知れる筈は勿論ないのであるから、言いたいことを言うわけである』 |
「森鴎外の長女 森茉莉さんに『メルシィ』と言われる杏のタルトなど、今までの日本のパティスリーには存在しなかったのでしょう。そこで、2011年のフランス革命記念日を記念して、島田進さんの弟子であり、アンドレ・ルコントさんの後を継いでフランス料理アカデミー日本支部の2代目会長を務めているジョエル・ブリュアンさんのレストランCuisine Francaise JJのシェフ・パティシエールを務めた経歴を持つWenikoさんに、フレッシュの杏を使ったタルトとコンフィチュールを作ってもらったというわけです」 | |
『スモッグで一杯の、末世の東京の、アメリカのどこかの爺いがラジオの中で喋っているような「トッキョー」の、どこやらの菓子屋の、水気のない、冷え固まったアンズのパイは「ノン・メルシィ」である。 「フランスの昔の菓子造りの名人の焼いたタルトレットを与えよ」と、杜鵑の雛の私は心の中で大きな口を一杯に開けるのである』 |
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「森鴎外の長女 森茉莉(1903~1987)さんは、16歳でフランス文学者の山田珠樹氏と結婚し、1922年に1年間渡仏してパリのホテル・ジャンヌダルクに住んでいました。ホテル・ジャンヌダルクは、上に“ホテル”と付けているのが滑稽なほどのボロ下宿で、ギリシャ人、中国人、ブルターニュの男、パリの奴ら、パリの気狂い博士などが住んでいました。下宿のすぐ近くにラビラントというカフェがあり、19世紀末にパリ大学の教授を務めた文芸批評家のオーギュスト・エミール・ファゲ(1847~1916)に可愛がられて、ファゲが印税を譲ってやるために同棲していた女性と臨終の床で結婚式を挙げた時に立ち会ったというエドモンというギャルソンがまだ働いていました。森茉莉さんはカフェ・ラビラントに毎日通って、杏や林檎のタルト(パイ)やクレーム、エスプレッソ、生ハムをはさんだプチパンのサンドウィッチ、日替わりのグラス(アイスクリーム)なんかを食べながら、夫や夫の友人が語るフランス文学、パリの芝居、オペラ、オペラコミック(ミュージカル)、美人女優の話を聞いていました。それは、フランスの香気、パリの香い(におい)の溢れる楽しい時間だったそうです」 |
「クリスティーヌ・フェルベール流のデモーニッシュなコンフィチュール・ダッブリコをたっぷりと塗りたくったタルト・ダッブリコ」 |
「ヨーロッパでも西欧でもない『欧羅巴』の神と悪魔の美学を日常の観察の細部に出入りさせて紡いだ森茉莉さんに相応しい杏のタルトだと思います」 |
「さらにWenikoさんのタルトの特徴として、アンドレ・ルコントさんや島田進さんには無い“焼き色の濃さ”が挙げられます。これはル・スフレの永井春男シェフの影響が強く、いわばオーボンヴュータン的なのです」 |
「杏は、南仏のプロヴァンス地方で採れる6月下旬~8月が旬の果物。日本ではドライの杏がほとんどですが、フランスでは、完熟したもぎたての生の杏がマルシェや街の果物屋さんでよく見られます」 |
「日本の杏は7月過ぎが杏の収穫期ということです。杏の花言葉は「疑惑」。そのせいか杏の実は、とっても気まぐれなのです。お天気次第で実の熟す時期も異なり、大体、梅雨の明ける頃から多少黄味を帯びてきて、ある朝、農園中の杏が突然、黄金色に輝くとか。また、その実の時期は短く、短いが故に貴重なのです。桃よりも多少小さく、梅の実より少し大きい、ちょうど手のひらにのる大きさの黄色い実がフレッシュ・アプリコットなのです」 |
「一口頬張ってみると、お日様の香りと共に甘酸っぱーい杏の味が口中いっぱいに広がります(^Q^)」 |
「これが自然の中で育った旬の味。自然そのものの味がします。味はかなり濃厚。甘酸っぱい香りと共に、トロリとした舌触りが、なんとも素朴で、どことなく土の香りを感じさせます」 |
「森茉莉さんが言った通り…杏がねっとりと艶を帯びて、外側はこんがりと焦げ、中の方はムニャムニャしている!(^O^)\」「メルシィ…」 |
「ん? 今、どこからか…森茉莉さんの『メルシィ』という言葉が聞こえた気が…?」 |
「私が代わりにお礼を申したのでございます。マダァム・マリィ・モリが1922年にカフェ・ラビランドで召し上がったのは、このようなタルト・ダッブリコだったのでしょう」 |
L'horloge astronomique de la cathedrale de Strasbourg ストラスブール大聖堂の天文時計 |
「サン=テグジュペリの『Le Petit Prince(星の王子さま)』を訳したことで知られるフランス文学者 内藤濯氏(ないとう・あろう 1883年7月7日~1977年9月19日)の『星の王子パリ日記』の中には、ホテル・ジャンヌダルクに住んでいた頃の山田珠樹・森茉莉夫妻のことが頻繁に出てきます。内藤濯氏と山田珠樹・森茉莉夫妻三人は1923日3月21日、旅行の途中でアルザス地方を訪れ、ストラスブルグ大聖堂の中にある天文時計の前に立ちます」 1923年3月20日。六時半の汽車にのってナンシイに向う。---(略)-----八時近くになってストラスブルグに着く。 1923年3月21日。十時近くになって宿を出る。先ずカテドラールに行く。---(略)---河岸近くのレストーランで食事をしてから、同じく馬車でオランジュリー公園を通る。白鳥の休んでいる池のほとりでしばらく休みたかったが、山田の奥さんが人に見られるのをひどく気にするので残念ながら素通りをする。 |
アルザス地方にあるストラスブール大聖堂には14世紀から残る3つの天文時計が納められています。1つは1352年から1354年の間に作られたもので、これは16世紀初頭に止まってしまいました。2つめは1547年から1574年にかけて作られたもので、これは1788年あるいは1789年に動かなくなりました。一度にでなく、各部品がだんだんと止まっていったのです。その50年後、新しい時計がジャン=バプティスト・シュヴィルジュ(Jean-Baptiste Schwilgue )と30人の職工によって製作されました。これは2つめの時計が入れられていた容器に収められていています。多くの天文学的、暦法的情報が表現されていて、人形も取り付けられています。また復活祭の日を算出するために必要なコンプトゥスの機能を持つ、最初の完璧な機械であると考えられています。 |
「1923日3月21日、森茉莉さんは、このオルロージュ・アストロノミーク(Horloge astronomique)=天文時計の前に立っていました」 | |
「複雑なグレゴリオ暦にしたがって復活祭の日を計算できる機構=コンプトゥス。ストラスブール大聖堂の時計にもそれが組み込まれました。復活祭は325年の第1ニカイア公会議で「3月21日当日あるいはそれ以降の最初の暦上の満月を過ぎた後の最初の日曜日」と定義されています。天文学的部分は非常に正確で、閏年や分点など様々な天文データを計算でき、単なる時計ではなく一種の複雑な計算機になっているのです。観光客はこの時計の精巧な外観しか見ることができませんが、その背後では並外れた機構が動作しており、この大聖堂の最も美しい見ものの1つとなっています。生き生きした人形たちが毎日違った時刻にムーブメントの中に出てきて、ある天使は鐘を鳴らし、別の天使は砂時計をひっくり返し、別の一連の人形は子供から老人までの一生を表現しており、死神の前を行進し、十二使徒がキリストの前を通り過ぎる…。この天文時計は公式の時刻だけでなく、太陽時も示し、他にも曜日(それぞれ伝説の神で表現する)、月、年、黄道十二星座、月の満ち欠け、太陽系の惑星の位置まで示し…全てのオートマタは午後12:30に一斉に動き出します」 |
「理論的にはフェルベール式コンフィチュールを1年間続けて食べ続けていくと、コンフィチュールのオルロージュ・アストロノミーク(Horloge astronomique)=天文時計が完成することになります。オルロージュ・アストロノミークでは、通常一年は十二宮を表す記号によって表現され、24時間の文字盤の内側に同心円として、または別の場所に小さな円として配置されます。十二宮を示す盤が時針の内側にあるならば、この盤自身も時針の動きにあわせて回転します。1年で1周する、十二宮上の太陽の位置を示す針が別に存在する場合もあります。この円は天球上の太陽の通り道である黄道、あるいは惑星の軌道や地球の軌道面を映したもの。地球の自転面は、その公転面に対して傾いているため、黄道面を時計の盤上に投影する際には中心をずらし、形を歪めます。立体投影図を作成するための投影点としては北極点を用います。黄道盤は23時間56分(うるう時間)で完全に1回転しますが、そのためだんだんと時針からずれていくことになります。日は時針か太陽が黄道盤を横切っている点から読み取ることができます。黄道盤は現在の星座、すなわち黄道上の太陽の場所を示しています。横切っている点は1年をかけて黄道盤上をゆっくりと動いていき、太陽は星座の間を渡って行くのです」 |
サイン(占星術) | 距星 | 記号 | 黄経 | 太陽が通過する期間(おおよそ) | ||
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白羊宮 | はくようきゅう | アリエス | おひつじ座 | 0~30° | 4月20日 | 3月21日~|
金牛宮 | きんぎゅうきゅう | タウラス | おうし座 | 30~60° | 5月20日 | 4月21日|
双児宮 | そうじきゅう | ジェミニ | ふたご座 | 60~90° | ~ 6月20日 | 5月21日|
巨蟹宮 | きょかいきゅう | キャンサー | かに座 | 90~120° | 7月21日 | 6月21日|
獅子宮 | ししきゅう | レオ | しし座 | 120~150° | 8月22日 | 7月22日~|
処女宮 | しょじょきゅう | ヴァーゴ | おとめ座 | 150~180° | 9月22日 | 8月23日~|
天秤宮 | てんびんきゅう | リブラ | てんびん座 | 180~210° | ~10月22日 | 9月23日|
天蝎宮 | てんかつきゅう | スコルピオ | さそり座 | 210~240° | 10月23日~11月21日 | |
人馬宮 | じんばきゅう | サジタリアス | いて座 | 240~270° | 11月22日~12月21日 | |
磨羯宮 | まかつきゅう | カプリコーン | やぎ座 | 270~300° | 12月22日~ 1月20日 | |
宝瓶宮 | ほうベいきゅう | アクエリアス | みずがめ座 | 300~330° | 2月19日 | 1月21日|
双魚宮 | そうぎょきゅう | ピスケス | うお座 | 330~360° | 3月20日 | 2月20日
サイン |
記号 | 2区分 |
4区分 |
3区分 |
ルーラー |
基本的な意味 | 体の部位 | コンフィチュール |
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01白羊宮 | 雄性 | 火 | 活動 | 04-000-火星 (冥王星) | 粗野 | 頭部 | ? | |
02金牛宮 | 雌性 | 地 | 定着 | 02-000-金星 (地球) | 保守 | 顔面・首 | ? | |
03双児宮 | 雄性 | 風 | 変通 | 01-000-水星 | 鋭敏 | 肩・腕・手 | ルバーブ | |
04巨蟹宮 | 雌性 | 水 | 活動 | 00-001-月 | 感得 | 胸 | ブルーベリー、フランボワーズ、アプリコット | |
05獅子宮 | 雄性 | 火 | 定着 | 00-000-太陽 | 自信 | 背中 | ? | |
06処女宮 | 雌性 | 地 | 変通 | 01-000-水星 | 分析 | 腹部 | ? | |
07天秤宮 | 雄性 | 風 | 活動 | 02-000-金星 | 機転 | 尻 | ? | |
08天蝎宮 | 雌性 | 水 | 定着 | 09-000-冥王星(火星) | 情熱 | 生殖器 | 柿 | |
09人馬宮 | 雄性 | 火 | 変通 | 05-000-木星 | 冒険 | 太腿 | ? | |
10磨羯宮 | 雌性 | 地 | 活動 | 06-000-土星 | 自我 | 膝 | 柚子 | |
11宝瓶宮 | 雄性 | 風 | 定着 | 07-000-天王星(土星) | 独創 | 脚 | ? | |
12双魚宮 | 雌性 | 水 | 変通 | 08-000-海王星(木星) | 交感 | 足 | ? |
「巨蟹宮(きょかいきゅう)は、黄道十二宮の4番目。トロピカル方式では、獣帯の黄経90度から120度までの領域を占めます。つまり夏至から大暑の間、太陽はここに留まるのです。春分から秋分までの間、北半球では太陽は真東から北寄りの方角から上り、真西から北寄りの方角に沈みますが、夏至の日には、日の出(日出)と日の入り(日没)の方角が最も北寄りになります。なお、1年で日の出の時刻が最も早い日、日の入りの時刻が最も遅い日と、夏至の日とは一致しません。日本では、日の出が最も早い日は夏至の1週間前頃であり、日の入りが最も遅い日は夏至の1週間後頃なのです。また、北回帰線上の観測者から見ると、夏至の日の太陽は正午に天頂を通過ます。夏至の日には北緯66.6度以北の北極圏全域で白夜となり、南緯66.6度以南の南極圏全域で極夜となります。また、南半球では昼と夜の長さの関係が北半球と逆転するため、天文学的な夏至とは別に、慣習的に「一年中で一番昼が長く夜が短い日」のことを夏至と呼ぶことがあります。すなわち、南半球が慣習的な意味での夏至を迎える日は北半球での冬至に当たる日なのです。巨蟹宮の標準的な期間は6月21日~7月21日。この期間のメゾン・ベニコの旬のコンフィチュールはブルーベリーとフランボワーズとアプリコットとルバーブ。クリスティーヌ・フェルベール…彼女はノストラダムス以降、久しぶりに現われたコンフィチュール作りの天才で、その製法で作られたコンフィチュールは、自分が地球の歴史上、いつの時代を生きているのか、地球上のどの位置で生活しているのか…それを知っている人、知りたいと願う人のために作られたコンフィチュールなのです」 |
続く |