フランス菓子 Maison Wenikoの四季

2011年7月
ストラスブール在住のWiand夫人が1979年夏に焼いた
伝説のタルト・アルザシエンヌ・ア・ラ・リュバルブ

フランスの東部、ドイツと国境を接するアルザス地方の首都ストラスブール。ドイツとの国境地帯にあたるアルザス・ロレーヌ地方は中世以降の長い歴史の中で、独仏間の抗争の地として分割と併合を繰り返してきたことはあまりにも有名です。普仏戦争に敗れたフランスは1871年、この地方を失い、第一次大戦の勝利で再びフランスに復帰したものの、第二次大戦中は再びドイツに編入され、1944年11月、ようやく連合軍の手で解放され、今日に至っています。こうした苦難の歴史を歩んできたこの地方も、現在ではフランス第二の経済地域として発展し、その異質の文化の融合が醸し出すエキゾチックな雰囲気によって、フランス国内でも最も人気の高い観光地の一つとなっているのです。ストラスブールから見れば、フランスの首都パリよりも、ドイツのボンやミュンヘンの方が直線距離ではいくらか近く、スイスのベルン、チューリッヒへの距離は、さらにその半分ほど。こうした立地条件にあるストラスブールのお菓子は、その味わいにも形にも、多分にドイツ風の影響が見られ、それはパリのお菓子のように都会的に洗練されつくしたものでもなく、純粋のドイツ菓子のようにゲルマン的な堅実さによって作り上げられたものでもない、牧歌的な、こだわりのないのどかさといったものを表しています。ストラスブールのお菓子屋に並ぶ菓子類は、一言で言えばとても素朴で、家庭で作るお菓子につながる温かみにあふれています。また、アルザス地方のお菓子の50%にはキルシュが使われているといわれ、お酒とお菓子の結び付きがとても強いといえましょう。お菓子屋さんのウィンドーをのぞいてまず目に飛び込んでくるものはリンゴ、アプリコット、ミルチーユ(こけもも)、ミラベル、クエッチ、ルバーブなどを使ったタルト類。アルザスのメゾン・フェルベールで修業した水戸のフランス菓子店Maison Wenikoのオーナー・シェフWenikoさんが作るタルトも、タルト生地にあふれんばかりにぎっしりと材料を詰め込んで、クリームを流して焼き上がるといったアルザス・スタイルのもので、一つの作品を創造しようとする肩ひじ張った芸術的意識が少なく、のびのびとしたおおらかさを感じさせます。

2011年7月第1週

わんだふるはうす、茅ヶ崎へ行く

「こんにちは!(^O^)/」
「私がワンダフルハウスです(^-^)」
「いよいよ待ちかねた夏の大バカンス(グランドバカンス)の季節の到来です。フランス人が、これほど庶民の全てまで夏のバカンスを楽しめるようになったのは、そう古い歴史はないそうですが…私が子供の頃(1960年代か70年代初め)に生活の質(カリテ・ド・ヴィ)大臣というポストができてから、フランス国民の全てがバカンスを取れるかどうかを気にかけるほど大事な年中行事になってきたように思います」
茅ヶ崎パークポイント
「といっても、旅行をすればかなりの費用がかかるので、夏いっぱい別荘や友人や親や親類の家で過ごしたり、夏だけ部屋や家を借りたり(海岸やバカンス地にたくさんある)、若い人たちはヒッチハイクや、てくてく歩きの旅行や…それぞれ予算に合わせて夏のバカンスを過ごしていますが…フランスの家庭の主婦たちは、一年中家計のやりくりの中からバカンス貯金を必ずしている人も多いようです」
「私の最高のバカンスの過ごし方は、茅ヶ崎の一中通りにある岩倉具威(ともたけ=音読みでGUJO)さんのサーフショップ『ロック・ガレージ・アンド・スポーツ』のサーフ・スクールに参加することです。波が来たタイミングで押してくれるので乗りやすいのです」
「スクール終了後は、ショップの向かいにある、GUJOさんの叔母様にあたる岩倉瑞江さんのお店『 スポーティフ』のカフェでのんびり過ごします。サッカーのキング・カズのマダム三浦りさ子さんがイメージキャラクターを務めているお店です。右はGUJOさんのマダムで、プロサーファーでインターFMのDJでもある堀内尚子さんです」
BLTサンド
800円
sportiff cafe
カフェ・スポーティフのBLTサンドを食べながら思い出すのは、1979年の夏休みのことです。高校2年生だったワンダフルハウスは、スポーティフの前身である『カフェ・ブレッド・アンド・バター』で、同じBLTサンドを食べていました」
「1979年の夏といえば、GUJOさんの御祖父様と加山雄三氏が建てた伝説のホテル『パシフィック・パーク・ホテル』が、まだあそこにあって、営業していた時代でした」
マンゴーキウイパフェ 800円
マンゴーオレンジジュース 550円
sportiff cafe
「デザートも食べて満腹になったら、開高健記念館へ移動します」
「ここがラチエン通りにある開高健記念館です」
「ん?こんな所にテレビがありますよ?」
「おおっ!?」
「このサントリーの洋酒のCMも1979年の夏に放送されていたのか…懐かしいなぁ…」
「『時間の贈りものは、ここにあります』ですって!?」
「開高健さんといえば、メゾン・ベニコのWenikoシェフがシェフ・パティシエールを務めていたcuisine francaise JJの前身であるレストラン・レンガ屋の常連でした。開高さんはフランス料理にも造詣が深く、レンガ屋のオーナー稲川慶子さんとの対談などは日本のフランス料理史に残る傑作といえましょう」

わんだふるはうす、メゾン・ベニコへ行く

「これが開高健の言う“時間の贈りもの”だったのか!(゚O゚)\」
1979年
「茅ヶ崎にカフェ・ブレッド・アンド・バターがあり、パシフィック・パーク・ホテルがあり、銀座と代官山にレストラン・レンガ屋があり、開高健が出演したサントリーの洋酒のCMが流れていた1979年夏に発売された婦人誌に載っていた『フランス・アルザス地方 ストラスブールのお菓子作り』…このような形で日本に初めて本物のアルザス地方菓子が紹介されました」
タルト・ア・ラ・リュバルブ
製作 Wiand夫人
1979年
Wiand夫人のタルト・ア・ラ・リュバルブの再現
製作 Weniko
2011年
「1970年代に老婦人だったマダム・ビヤンドのルバーブのタルトのルセットをよく見ると、’70年代のものよりも、ずっと以前のものであることがわかります。つまり、これは母親から教わったルセットだったのです」
「21世紀の軽いスイーツ群とは比べ物にならない…フランスとドイツ両方の重々しい歴史と文化と精神性を纏った、あまりにもデモーニッシュな菓子の登場です。戦前(第一次世界大戦前)ドイツだった頃のアルザスの家庭の主婦のルセットで焼いた直径30cmのタルト・ア・ラ・リュバルブの材料を、そっくりそのまま3分の2の量に縮小して、ヴェニコシェフが直径21cmのタルトに仕上げました」
「ヴァカンスの夏の昼下がり、みんなそれぞれ本を読んだり、うとうとしたり、編み物をしたり…のんびり過ごしている午後、水戸のフランス菓子店メゾン・ヴェニコのヴェニコシェフのお菓子に歓声をあげて集まるのも、ヴァカンスの楽しい光景の一つだと思います」
続く

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