フランス菓子 Maison Wenikoの四季

Torche aux marrons alsacien
トルシュ・オー・マロン・アルザシアン
(アルザス風 モンブラン)

2011年10月第4週

わんだふるはうす、メゾン・ベニコへ行く

「おっ、今日はモンブランがありますよ!(^O^)\」
「ハロウィン用のポティロン(かぼちゃ)がディスプレイされています」 「これが有名な笠間の栗です!」
「こんにちは!(^O^)/」「これはこれはワンダフルハウス様…」
「こちらが新作のトーショーマロンでございます」「これがアルザス風モンブラン?…初めて見ました!」
「ワンダフルハウス様、当メゾンのモンブランはココット入りでございます」
「ココット入りモンブランとは珍しい! 私はこれを見て、パティシエ・シマの島田進シェフが考案したクレーム・アンジュやクレーム・シマ(クレーム・ブリュレ)を思い出しました」
クレーム・アンジュ
パティシエ・シマ
クレーム・シマ
(クレーム・ブリュレ)
パティシエ・シマ
「フロマージュ・ブランを使ったフランス・アンジュ地方の家庭菓子であるクレーム・アンジュや一流レストランのデザートであったクレーム・ブリュレを、1980年代にココットに詰めてテイクアウトできるように考案し、フランスに先駆けて発売したのが、Wenikoシェフの師匠である島田進さんなのです
Torche aux marrons alsacien
トルシュ・オー・マロン・アルザシアン
栗のタルト アルザス風
420円
2011年9月
モンブラン アルザス風
525円
2011年10月
「先月、エグランティーヌのコンフィチュールを使ったフェルベール・スタイルのトルシュ・オー・マロン・アルザシアン(栗のタルト アルザス風)を日本で初めで市販したのに続いて、モンブランタイプのトルシュ・オー・マロン・アルザシアンも発売しました。Wenikoシェフも快挙を成し遂げたのです!\(^○^)/」
Torche aux marrons
トルシュ・オー・マロン・アルザシアン
アルザス風 モンブラン
525円
「メゾン・フェルベールのトルシュ・オ・マロン・アルザシアンが日本でテイクアウトできるようになったのは大きな喜びです
「クレーム・マロンをこんもりと絞った上に、クレーム・シャンテイがちょん、と絞られているその形がタイマツに似ているからトルシュ・オ・マロンと名付けられたアルザス風モンブラン
Confiture d'eglantines
コンフィチュール・デグランティーヌ
野ばらの実のコンフィチュール
「数あるアルザスのトルシュ・オ・マロンの中でも、コンフィチュール・デグランティーヌ(野バラの実のコンフィチュール)を使うのがクリスティーヌ・フェルベール流。上に載ってる渋皮煮とクレーム・ド・マロンを茨城県笠間市産の栗を使って自家製で作り上げるのがWeniko流というわけです
「未知なる『アルザス茨城モンブラン』の断面を見てみましょう。上から笠間栗の渋皮煮→クレーム・シャンティ→コンフィチュール・デグランティーヌ→笠間栗のクレーム・ド・マロン→クレーム・シャンティ→一番下のクリーム色の層は何でしょう?」
「フランス式モンブランの土台は白いメレンゲ、と様式が決まっているものですが、メゾン・ベニコのアルザス式トーショーマロンの土台は違うようですよ?」
「栗のタルトと同じく、甘さをかなり抑えてあります。土台のクリーム色の層はサクサク感があり、ビスキュイ・ア・ラ・キュイエールとは違いました
「これはクリーム色のメレンゲです! 白いメレンゲとは異なる、優しい食感と自然な甘みがあります」
上 種子島糖
下 Sucre en poudre bio
シュクレ・アン・プードル・ビオ
(オーガニック・グラニュー糖)
「そのクリーム色のメレンゲには、メゾン・ベニコの焼菓子やコンフィチュールに使われている種子島糖やオーガニック・グラニュー糖に通じる色合いと素材感と甘味がありました」「フランスでは生活にBiologique(ビオロジーク。略してビオ。英語でオーガニック)な知識を取り入れることが流行しているのでございます。21世紀のフランス農業の切り札はビオロジーク、有機農作物なのです。フランスは2008年以降、ビオロジーク農業に毎年1200万ユーロ(約15億円)の予算を投入しているのでございます」「なるほど、ビオロジークか…」
「おおっ!? ビオな焼菓子群の中央に、タイマツ似た孤高のアントルメが!?(゚O゚)\」
「ワンダフルハウス様、笠間栗を使ってお作りしましたトルシュ・オ・マロン・アルザシアンのアントルメとガトー・バスク・オ・マロンでございます」
Torche aux marrons de la Kasama
トルシュ・オー・マロン・ド・ラ・カサマ
笠間栗のモンブラン アルザス風
「日本における栗の大産地、茨城県笠間市の名を冠したアルザス風モンブランのアントルメの登場です」
「モンブラン(白い山)と呼ばれる菓子の本質を見極め、さらにそれ以上の物を求めていた私の目の前に、笠間栗のトルショー・マロン(栗のタイマツ)と呼ばれるアルザス・スタイルの和風モンブランが現われました(゚-゚)\」

わんだふるはうす、パティシエ・シマへ行く

1968年にルコント六本木店で発売されたモンブランの復刻品
製作 島田進(パティシエ・シマ)
特注品
栗のケーキとしてお馴染みのモンブラン(Mont Blanc)。フランス語を直訳すると『白い山』の意味。アルプスの秀峰モンブランに由来しての命名です。1968年のある日、22歳の島田進さんは、神戸で絵の勉強をしながら働いていました。ある日、雑誌で見たルコントのクロワッサンが、ずっと心に残っていて、上京した際に働きたい旨を手紙で伝えます
OKの返事をもらって働き出した時期、六本木のルコントはオープンして間もない話題の店。一番人気のモンブランを求めて、連日50メートル近い行列が続いたそうです。その頃の日本のケーキ屋さんのモンブランといえば、スポンジの上に、栗とは名ばかりの白餡やサツマイモをつなぎに使った黄色いクリームを絞っただけのスタイルが主流でした」

わんだふるはうす、ルコント青山本店へ行く

左 ルコントの初代モンブラン
中 ルコントの3代目モンブラン
右 パティシエ・シマのモンブラン
フランス産の栗の渋皮煮は、マロングラッセに近いイメージなんですが、これを使ったマロンペーストを日本にいち早く取り入れたのはアンドレ・ルコント氏でしょうね」と語る島田進シェフ。ルコント初代のモンブランは、メレンゲにビスキュイ・ア・ラ・キュイエールを乗せた台に、生クリームとフランス産のマロンクリームを絞り出した本格的なフレンチスタイルで、それまでの日本のモンブランとは、かなり異なっていました」
1968年にルコント六本木店で発売されたモンブランの復刻品
製作 島田進(パティシエ・シマ)
特注品
「フランスでは、もともとデザートとして食べられていたようです。19世紀に書かれたエコール・ド・キュイジーヌという料理の本には、ピュレ・ド・マロンの名でリング状のマロンペーストの窪みにホイップクリームを絞り出したデザートが載っています」と語る島田進シェフ。
渦巻き状に焼いたムラング・イタリエンヌを土台に使い、中にクレーム・シャンティを詰め、外側に本格的なクレーム・ド・マロンを絞る…これがフランス式モンブランです」
コニャックの香りがプーンと漂っているのは、メレンゲの上のビスキュイ・ア・ラ・キュイエールにコニャックのシロップが発売当時と同じ位、たっぷりと吸わせてあるからです」
ルコントの3代目モンブラン
630円
ルコント青山本店
「1900年に出版されたモンタニエ・サレの著書『グラン・キュイジーヌ』には、同じデザートがモンブランの名で記載されています」と語る島田進シェフ。ルコントの3代目モンブランは初代に比べてクレーム・ド・マロンの量がかなり増えました。
初代に比べると、かなり分厚くなったメレンゲ。その上のビスキュイ・ア・ラ・キュイエールの層はコニャックのシロップの量が控えめで、乾いた感じがします。
モンブラン
472円
パティシエ・シマ
「ルコント初代モンブランの正統的な進化形であるパティシエ・シマのモンブラン。南仏ラングドック地方アルデーシュ県産のパテ・ド・マロン(マロンペースト)で作ったクレーム・マロンは表面にしか使われていません。中に仕掛けが隠されているのです」
底から、イタリアンメレンゲ↑マロンクリーム(コニャック入り)↑クレーム・シャンティ(中にコニャック風味のシロップをたっぷり吸わせたビスキュイ入り)↑マロンクリーム(コニャック入り)↑クレーム・シャンティ↑マロングラッセ。
「おおーっ!? クレーム・シャンティの密度が緩い! これは”エアー・イン・モンブラン”です! ワンダフルハウスは、今まで食べたモンブランの中で最大の衝撃を受けました。気泡を多く含んだ軽い味わいと食感のクレーム・シャンティに、焼きメレンゲのシャリッとした食感と香ばし味わいが加わり、香りや食感のコントラストが強く、食べた後の満足感はかなり高いです」
島田進シェフ「国産栗を使った和風のモンブランなど、日本人の嗜好に合わせてアレンジできるのがモンブランの魅力ですが、私はフランス菓子らしさは守ります。たとえば、コニャックの使い方。現代フランス菓子は、アルコール使用を控える傾向がありますが、私はリキュールやブランデーなどのアルコール類は、奥行きを出すために有効な”お菓子の香水”だと考えています。目に見えないけれど高価なところも香水とアルコールはそっくりです。素材を生かすためにアルコールが邪魔になるという意見もありますが、アルコールとうまくアリアージュさせて素材を生かすことが大切です。アルコールを使いこなすことによって、大人のフランス菓子の味わいが生まれるのです」
モンブラン(クレーム・ブリュレ入り)
472円
パティシエ・シマ
期間限定品
「こちらは2008年10月~11月にかけて、2ヶ月間だけ限定発売された特別仕様モンブラン。形もクレーム・マロンの絞り方も定番品とは全然違います」
「クレーム・シャンティの中に、パティシエ・シマのスペシャリテであるクレーム・ブリュレ入り。土台はメレンゲではなく、ビスキュイ・ア・ラ・キュイエールに変更されています」

再びメゾン・ベニコへ

1900年に出版されたモンタニエ・サレの著書『グラン・キュイジーヌ』に、リング状のマロンペーストの窪みにホイップクリームを絞り出したデザートが『モンブラン』の名で記載されている…モンブランで有名なパリのサロン・ド・テ『アンジェリーナ』が1903年に開店した…これら2つの要素を考え合わせると、1900年代初頭にフランスでモンブランが誕生したことになります。冷蔵ショーケースが存在しなかった当時、モンブランはテイクアウト的なガトーではなく、サロンで食するデセールであったわけです
2006年に出版されたクリスティーヌ・フェルベール日本初の著書『小さなジャムの家』に、アルザスの栗で作ったマロンペーストの下にホイップクリームとエグランティーヌのコンフィチュールを絞り出したデザートが『トルシュ・オ・マロン・アルザシアン』の名で記載されている…『小さなジャムの家』取材当時メゾン・フェルベールで修業していて、自作の和風コンフィチュールが掲載されたWenikoシェフのパティスリー『メゾン・ヴェニコ』が2010年12月に開店し、初めて迎えた2011年秋に和栗のトルシュ・オ・マロン・アルザシアンが誕生した…
フランスで現代的なモンブランが誕生してから110年経った今日でも…ガトーの冷蔵ショーケースが存在しないこの店では、アントルメのモンブランはテイクアウトのガトーと言うより、サロンで食するデセールと言った方が相応しいようです
「おお!? 寝かせるとシャルロットに似ています!」

「外見はモンブランなのに、断面はシャルロット・オー・マロンに似ている! このアントルメは凄い!(゚O゚)\」
左からクリーム色のメレンゲ→笠間栗の渋皮煮を刻んだものが入ったクレーム・シャンティ→ラム酒のシロップを吸わせたビスキュイ・ア・ラ・キュイエール→笠間栗の渋皮煮を刻んだものが入ったクレーム・シャンティ→笠間栗のクレーム・ド・マロン→エグランティーヌのコンフィチュール。
「笠間栗のクリームと野バラの実のコンフィチュールと限りなくバヴァロアに近い食感のクレーム・シャンティとビスキュイ・ア・ラ・キュイエールとビオなメレンゲのトレボンマリアージュな組み合わせ。全ての断層を一緒に食べると、なぜかルノートルのシャルロット・オー・マロンを思い出しました
「栗をコニャックのシロップと香料に漬け込み、裏漉しして、よく練り合わせてペースト状にし、マロングラッセのような豊かな味わいのあるクリームにして六本木の街場へ…日本人の口へと伝えたアンドレ・ルコント氏のモンブラン。その後も1970年代後半から、フランスで修業した日本人シェフが続々と帰国し、フランス産の栗や和栗を用いたモンブランを発表しましたが、メゾン・ベニコのトルショー・マロンこそ1968年に発売されたルコントのモンブラン以来、実に43年ぶりに日本に出現した50年に一度のモンブランと言えましょう」
アルザスの野バラの実のコンフィチュールを茨城の笠間栗とマリアージュさせて、メゾン・フェルベールのトルショー・マロン・アルザシアンを水戸の街場へ…日本人の口へと伝える。43年経った現在でも、これは革命的な出来事であることに変わりありません」

再びルコント青山本店へ

シャルロット・オー・ポワール
パティシエ・シマ
「1976年、銀座のマキシム・ド・パリで行なわれた『ジャン・ドラベーヌ・フェア』で、ジャン・ドラベーヌ氏がジャン・ミエ氏から教わって、自分のレストラン『ル・カメリア』のデザートとして出していたシャルロット・オー・ポワールを日本で初めて披露しました」
1979年にデンマーク女王マルグレーテ2世のために
創作したアントルメ「デリス」
製作 島田進
特注品
シャルロット・オー・ポワール
パティシエ・シマ
「それを横で見ていたマキシム・ド・パリ製菓長の島田進さんが1978年にルコント総製菓長に就任するやいなや、すぐにシャルロット・オー・ポワールを作って売り出しました
1979(昭和54)年、代官山・旧山手通り沿いに建ち並ぶ代官山集合住居「ヒルサイド・テラス」にデンマーク大使館完成。同年、当時39歳のマルグレーテ2世・デンマーク女王陛下が来日し、アンドレ・ルコントさんと島田進さんが作った料理とお菓子がデンマーク大使館にケータリングされ、デンマーク女王に献上されました。女王は「ルコント」の味を堪能(^Q^) 島田進シェフ製作のショコラとキャラメルの創作アントルメ「デリス」を、ことのほかお気に召していただいたそうです。
’70年代半ばのマキシム・ド・パリのような、東京に社交界が存在していた頃の高級レストランのデザートをテイクアウト用のお菓子として、街場へ…庶民階級の口へ伝える…これは当時のフランス菓子の世界では革命的な出来事だったです
「ルコントでシャルロット・オー・ポワールが発売されたその時、東京でもヌーヴェル・パティスリー(新しいフランス菓子)という新しい扉が開かれ、マルジョレーヌやミロワール・カシス、サンマルク、カジノのようなデザート菓子が続々と発売されました」
「21世紀の新しいフランス菓子の世界、クリスティーヌ・フェルベール世代の扉が今開かれました」

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