フランス菓子 Maison Wenikoの四季

おけさ柿のガレット・デ・ロワ クリスティーヌ・フェルベール風
おけさ柿のコンフィチュール クリスティーヌ・フェルベール
PART5

2011年11月第4週

Galette des rois aux okesa-kaki “Christine Ferber”
ガレット・デ・ロワ・オゾケサ-カキ “クリスティーヌ・フェルベール”
おけさ柿のガレット・デ・ロワ クリスティーヌ・フェルベール風
ガレット・デ・ロワ、コンフィチュール製作者 Weniko
王冠製作者 WeRo
おけさ柿生産者 本間美智代
2011年11月22日 Maison Weniko
おけさ柿以外全て特注品 
「本間るみ子さんの佐渡の御実家で収穫された八珍柿(おけさ柿)を使い、クリスティーヌ・フェルベールさんのルセットによるシナモン風味の小豆コンフィチュールが島田進さん直伝のガレット・デ・ロワに組み入れられ、ヴェロさん制作の王冠を配置…史上空前のガストロノミーなガレット・デ・ロワの完成を記念して、1980年代の東京で買ったコンフィチュールについて語っています」

2005年のコンフィチュール・ブームの時よりも
1980年代中期、バブル前夜の東京の方が、もの凄いコンフィチュールが集まっていた

Confiture de châtaignes d'Ibaraki de yasato au rhum et à la vanille
コンフィチュール・ドゥ・シャテーニュ・ディバラキ・ドゥ・ヤサト・オ・ラム・エ・ア・ラ・ヴァニーユ
茨城県産八郷栗とラム酒とバニラのコンフィチュール
製作 Weniko
Maison Weniko
特注品
今回の特注の番外編として、特別に作ってもらったメゾン・ベニコの『栗とラム酒とバニラのコンフィチュール』に話を戻しましょう」
茨城県産八郷栗とラム酒とバニラのコンフィチュール
Maison Weniko
「これを見てボンヌ・ママンの『コンフィチュール・シャテーニュ・ヴァニーユを思い浮かべた人はコンフィチュール初級者で、45歳以上の人でアンジェリーナの『リンゴと洋梨とクルミ』のコンフィチュールを思い浮かべた人はコンフィチュール中級者ということになりましょう。『あっ、’80年代に新宿伊勢丹のエディアールのブティックで買ったConfiture extra patates douces rosesに似てるわ』と感じた人…その人こそ安井かずみさん級のコンフィチュール上級者です」
八郷栗とラム酒とバニラのコンフィチュール
Maison Weniko
「バブル前夜の新宿伊勢丹に一瞬だけ現われて消え去ったHEDIARDの『コンフィチュール・エクストラ・パタート・ドゥース・ロゼ』を覚えている人がいるだろうか? ラベルには『Sweet Potato Jam』という英語表記もあった。しかし、それはただのパタート・ドゥース(サツマイモ)を使ったスイートポテトジャムではなくて、パタート・ドゥース・ロゼ(ヤム)を使ったヤムジャムだった。店員からヤムとは山芋の一種と聞いた」
八郷栗とラム酒とバニラのコンフィチュール
Maison Weniko
1981年に渋谷西武で買ったボンヌ・ママンの『コンフィチュール・シャテーニュ・ヴァニーユ』には栗きんとんを連想させる味と香りがあった。1984年に新宿伊勢丹で買ったエディアールの『コンフィチュール・パタート・ドゥース・ロゼ』には、ほのかな甘みと滑らかな舌触りがあり、山芋の一種なのにマロンクリームに似た風味があった。2011年に水戸のメゾン・ベニコに特注した『コンフィチュール・シャテーニュ・ラム・ヴァニーユ』は1981年にルコント六本木店で食べたモンブランの味がした。その時、傍らに伊丹十三さんが座っていた。彼もコンフィチュール上級者だった

’80年代の東京にフェルベール式コンフィチュールに近いものが存在していた
西ドイツBassermannのHimbeerkonfitüre

Confiture de le 14 Juillet 2011
“Framboises d'Ibaraki et Myrtilles d'Ibaraki”
コンフィチュール・ド・ル・キャトーズ・ジュイエ・2011
“フランボワーズ・ディバラキ・エ・ミルティーユ・ディバラキ”
2011年7月14日のコンフィチュール
“茨城県産ラズベリーと茨城県産ブルーベリー”
1260円
Maison Weniko
2011年7月14日発売
「1981年、渋谷西武のガストン・ルノートル氏のブティックで、日本で初めてフロマージュ・ブランを使ったガトーである『シュス・フリュイ』を買った。カットしてみると、土台のパート・サブレとキルシュのシロップをたっぷりと浸したビスキュイ・ヴィエノワーズ・オ・ザマンドの層の間にフランボワーズのコンフィチュールが薄く塗られていた。周りはクレーム・バヴァロワーズとクレーム・シャンティイとヨーグルトに近い謎のレアチーズを混ぜて泡立てたフワフワのクリームで覆われ、上面は苺とメダリオン・ショコラ、側面はクラックランで飾られていた。ミニッツリピーターやトゥールヴィヨンのような非常に複雑な工程で組み立てられた機械式時計を見た気になり、日本の洋菓子との違いに驚いた。初めて食べたフランボワーズのコンフィチュールとフワフワの謎のレアチーズ入りクリームの美味さにショックを受けた」
フロマージュ・フレ ラ・ヴィエット
フロマージュリー・フェルミエ愛宕店
「ルノートル以外に、日本ではまだフロマージュ・ブランを輸入できなかったので、’86年に本間るみ子さんが日本初のチーズ専門店『フロマジュリー・フェルミエ』をオープンするまで、誰も『シュス・フリュイ』の正体を見抜けなかったのである」
「私はフランボワーズのコンフィチュールを増量することを企て、ルノートルのブティックで『Confiture de framboises』を買い、シュス・フリュイに塗って食べてみました。ガストン・ルノートル氏の母親が息子に伝えた手作りの製法で作られたコンフィチュールは、上品でソフトな味わいでしたよ」
Tarte au chokolat “Pave de Tokyo”
タルト・オ・ショコラ “パヴェ・ド・トウキョウ”
東京の石畳タルト
製作 島田進
パティシエ・シマ
特注品
「’81年、渋谷西武のルノートルのブティックで『ガトー・エトワール』というパリのエトワール広場にちなんだショコラのアントルメを買った。中央の凱旋門のある位置にメダリオン・ショコラが配され、そこから12の大通りが放射線状に延びている様を模して、ガナッシュ(チョコレート+生クリーム)の上にふりかけたココアの上に12等分に筋を入れてあった。底のラム酒のシロップを浸したジェノワーズ・ショコラにパータ・グラッセが塗られていた。このパータ・グラッセはココアバターの代わりに植物性油脂を使ったチョコレートの一種で、チョコレートと違って硬く固化しないので仕上げ用に利用するということだった。日本では洋生チョコレートが、これに当たると言えた」
東京の石畳タルト
パティシエ・シマ
特注品
「1990年代初期、島田進氏がシェ・シーマで『銀座の石畳タルト』を発売するまで、ルノートルのガトー・エトワールは’80年代最高の生チョコを使ったガトーだった」
コンフィチュール・ド・ル・キャトーズ・ジュイエ・2011
Maison Weniko
「新宿伊勢丹のアンドレ・ルコント氏のブティックで金色の包装紙に包まれて瓶が全く見えなかった『フランボワーズ・ジャム』を買った。洋酒入りかと錯覚するほどの芳醇な味と香り、あまりにも濃厚でハードな味わいだった。不思議なことにルコントの『フランボワーズ・ジャム』には酒が全く入っていなかったのに、同じ伊勢丹で買ったミセス・ブリッジスの『RASPBERRY EXTRA JAM WITH SHERRY』より酒が効いているように感じた。シェリー酒の風味を抑えることが英国のジャムの伝統なのだと感じ、ルコントの濃厚なフランス風コンフィチュールとは解り易い対比だった」
コンフィチュール・ド・ル・キャトーズ・ジュイエ・2011
Maison Weniko
「私はルノートルのガトー・エトワールにルコントのフランボワーズ・ジャムを塗って食べたりしていた。その後、東京で買えるフランボワーズのコンフィチュールを全て制覇したが、ルコントのフランボワーズ・ジャム以外はパンチの弱い、同じような味わいだった。1984年のある日、渋谷の西村フルーツパーラーで、それまでに見たことのない奇妙な形の瓶を目にした。手に取って見ると『Bassermann』『Himbeer』というドイツ語が目に入ってきた…それは2000年代に“フェルベール式”と呼ばれることになるコンフィチュールとの最初の出会いだった」
コンフィチュール・ド・ル・キャトーズ・ジュイエ・2011
Maison Weniko
「バッセルマンのジャム瓶は上下がテーパードしていて細く、中央部の両側がほっぺたのようにふっくら突き出ていて、おたふくの顔のような、一度見ただけで忘れられなくなる強烈なインパクトのあるデザインだった。ラベルには『Himbeer』というドイツ語の他に『Raspberry』という英語表記もあったので『これは西ドイツのラズベリージャムだな』ということはすぐにわかった」
「バッセルマンのラズベリージャムは、驚いたことにほとんどソース状になっていて、ラズベリーの果実の形は残っていなかった。メゾン・ベニコのコンフィチュール・ド・ル・キャトーズ・ジュイエ・2011の上層部より、スプーンに盛られた中層部のテクスチャーに似ていた…」
コンフィチュール・ド・ル・キャトーズ・ジュイエ・2011
茨城県産フランボワーズと茨城県産ブルーベリーのコンフィチュール
Maison Weniko
「’80年代、西ドイツのバッセルマンのKonfitüre(コンフィテューレ)だけはフランスのグラン・エピスリーやミシュラン3つ星レストランのコンフィチュールに比べると、圧倒的に柔らかくて軽かった」
コンフィチュール・ド・ル・キャトーズ・ジュイエ・2011
茨城県産フランボワーズと茨城県産ブルーベリーのコンフィチュール
Maison Weniko
「プチプチしたHimbeer(ヒンベア)の種と緩いGelee(ジェレー)が入り混じった世界…その時、ドイツのKonfitüre (コンフィテューレ)の精神性を見た気がした」
コンフィチュール・ド・ル・キャトーズ・ジュイエ・2011
Maison Weniko
「1984年に渋谷の西村フルーツパーラーで買った西ドイツのバッセルマンのヒンベア・コンフィテューレにはフランスのフランボワーズ・コンフィチュールやイギリスのラズベリー・ジャムには無かったみずみずしいフレッシュ感があった」
Casino de Paris
カジノ・ド・パリ
製作 島田進
パティシエ・シマ
特注品
「私はバッセルマンのヒンベア・コンフィテューレのソース状でフレッシュ感のある性質を利用して、ルコントのフロンビエールとルノートルのカジノの全面コーティングを試みてみた」
カジノ・ド・パリ
製作 島田進
パティシエ・シマ
特注品
「フランボワーズのコンフィチュールで渦巻き模様を出したビスキュイ・ルーレが美しいアントルメは、パティシエ・シマの島田進氏がルコントの総製菓長時代(1970年代後期~1980年代中期)に作っていた『フロンビエール』の再現品。ルノートルでは『カジノ』という商品名でグロゼイユのコンフィチュールを使っていました」
カジノ・ド・パリ
製作 島田進
パティシエ・シマ
特注品
「キルシュ風味のバニラ・バヴァロワの中に刻んだフルーツが入っているのがルコントのフロンビエールで、具の入っていないタイプがルノートルのカジノだった。ところでフロンビエールとは、どんな意味だったのだろうか?」「ワンダフルハウス様、それはプロンビエール(Plombiere)のことでございましょう。1858年7月21日、フランス・ヴォージュ地方にあるプロンビエールという温泉地でナポレオン3世とカブールが会見しました。この時に供されたアイスクリームが、地名を取ってプロンビエールと名付けられたのでございます。これはレ・ダマンドによって作られたCrème fouettée(クレーム・フーエッテ=現在のクレーム・シャンティイ)を混ぜてマルムラード・ダブリコでナッペしたものでございます。このように、アイスクリームに砂糖漬けフルーツが入ったものをプロンビエールと呼び、菓子に対しても、またクリームの中にフリュイ・コンフィが入ったものに対しても、そう呼ぶことがあるのでございます」
「このお菓子を最初にショーケース越しに見た時の感動は忘れられません。小さく薄いロールケーキにジャムを巻き込んである。しかも、この部分はパーツの一部にしか過ぎない…こういう菓子の表現一つにもフランス菓子の真髄が表われていたのです」
Casino de Paris
カジノ・ド・パリ
製作 河田勝彦
オー・ボン・ヴュー・タン
「ルノートルのカジノがグロゼイユのナパージュでコーティングされている…1980年代にパティスリーとコンフィチュールに造詣が深い人なら密かにやっていたことを、オーボンヴュータンの河田勝彦氏もやっていたようです」
カジノ・ド・パリ
オー・ボン・ヴュー・タン
「1984年、私はルノートルのカジノにバッセルマンのヒンベア・コンフィテューレを塗りながら、『間もなくコンフィチュールの世界に、モードの世界で言えばココ・シャネル級の変革者が現われるだろう…その人はもちろん女性で、ドイツ的な場所から現われる』と予感した。フェルナン・ポワンが料理を軽く、続いてガストン・ルノートルが菓子を軽くしたように、コンフィチュールも軽く変革すべき時期に来ていた」
カジノ・ド・パリ
オー・ボン・ヴュー・タン
「ビスキュイ・ルーレの中にグロゼイユのジュレとフランボワーズのコンフィチュールを巻き込み、キルシュ風味のバヴァロワの下にフランボワーズのムース…これがオーボンヴュータンのカジノですか」
カジノ・ド・パリ
オー・ボン・ヴュー・タン
「1984年の渋谷に一瞬だけ現れ、すぐに消え去った、“20年早く世に出たフェルベール式コンフィチュール”=バッセルマンのヒンベア・コンフィテューレ。その一瞬を捕らえることができた私は、ルノートルのカジノに塗って食べた。ちなみに、オーボンヴュータンのカジノ・ド・パリとほとんど同じ構成の『オルジバル』というガトーを1986年に自由が丘のダロワイヨで食べた。その前年、代官山のレストラン・パッションでもデセールで出てきて、それにはフランボワーズ・ソースまで添えられていた。実はカジノの表面をフランボワーズ・コンフィチュールでコーティングした増量版は1980年代中期の東京で密かに流行っていたのだ」

1970~80年代、パティスリーのコンフィチュールは
ガトー・フロマージュに塗って食べていた

ルコントの4種のガトー・フロマージュ(チーズケーキ)
パティスリー・フランセーズ・アンドレ・ルコント青山本店
「1970年代から’80年代にパティスリーやエピスリーのブティックでコンフィチュールを買っていた人たちは、ガトーやケークに直接塗って、あるいは洋酒で溶いてソースにして食べていました。特にガトー・フロマージュ(チーズケーキ)とコンフィチュールは最も相性が良いことを知っていました」
Mousse marbrée caramel framboises
ムース・マーブル・カラメル・フランボワーズ
パティスリー・フランセーズ・アンドレ・ルコント
「ルコントのムース・マーブルは、マーブル模様のビスキュイにマーブル模様のキャラメルのムースとフランボワーズのコンフィチュールという構成。これにルコントのラズベリージャムを塗って増量してしまう私のような人は、単なる『濃い味好きな人』とバカにされていました。ルノートルの『Confiture oranges ameres』か『Confiture oranges tranches』を選ぶような人が通だったのです。『フランボワーズとオランジュ・アメール(ビターオレンジ)、フランボワーズとトランシュ・オランジュ(スライスオレンジ)のコンフィチュールの組み合わせは合う』…’80年代の六本木のルコントのサロンや飯倉のアルカフェ・キャンティでは、客の間でこのような会話が交わされていました」

Mousse au fromage blanc et aux myrtilles
ムース・オ・フロマージュ・ブラン・エ・オー・ミルティーユ
(レア・チーズ・クラシック)
Pâtisserie Française André Lecomte
「ルノートルのシュース・フリュイのルコント版がムース・オ・フロマージュ・ブランでした」
Mousse au fromage blanc et aux myrtilles
Brasserie Lecomte
「1932年創刊のアメリカの週刊誌『New York』で1973年11月チーズケーキブームの加熱ぶりが紹介されました。『ニューヨーク市民はそれぞれ自分が最高だと思う贔屓の店を持っていて1日に1万個のチーズケーキを食べ尽くしている。ある映画スターはヨーロッパロケ中ずっとニューヨークのお気に入りの菓子店から航空便でチーズケーキを取り寄せていた…』。その2年後の1975年、ノンノでも『チーズケーキ専科』という特集が組まれ、日本にもチーズケーキブームが飛び火してきたのです」
「当時の日本で発売されたチーズケーキはフランス菓子の系譜ではなく、ドイツ・オーストリア・スイス系が主流。フランス菓子店ではブームに応えて、当時のシェフたちの創意工夫で創られたものでした」
「色が黄色っぽい…フロマージュ・ブランだけではなく、クリームチーズも使っているようです」
「いかにも独墺的。ドイツ・オーストリアのKäsekrem(ケーゼクレーム=チーズクリーム)の手法をアレンジしているようです」
「柔らかなムース・オ・フロマージュとコンフィチュール・ド・ミルティーユが舌の上でトロリと溶けて、風味豊かな絶品でした」
続く

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