ワンダフルハウスは茨城県近代美術館のストラスブール美術館展 パティスリー焼き菓子フェアに寄ってからメゾン・ベニコにやって来ました…「おお!がらりのタルトがある!そして今年もパリ祭セットを発売したのか!(^O^)\」 |
「こんにちは!(^O^)/ おおっ!?この牛柄のテーブルクロスは何だ!?(゚O゚)\」 |
「アルザス在住の画家ギー・ウンテライナー(Guy Untereiner)さんの牛柄のナップ(テーブルクロス)です! Wenikoシェフ(Akiko-san)がメゾン・フェルベールでの修業を終えて帰国する際に寄せ書きしてもらったものですね(^-^)\」 |
「これはこれはワンダフルハウス様…県立近代美術館の『ストラスブール美術館展 パティスリー焼き菓子フェア』はいかがでしたか?」「クルートとコラボしてクグロフとベラベッカを出したのが良かった」「クルートさんにはアニョー・パスカルも焼いてもらったのでございますが…」「私が行った時は売り切れだったようです」 |
Moutons de Pâques ムートン・ドゥ・パック 復活祭の羊 Maison Weniko 2011年4月 特注品 |
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「アニョー・パスカルは昨年のパックにWenikoシェフに作ってもらったから、もういいかなと思います」「あれはクリスティーヌのルセットでございましたね。今年のパックには、小さいサイズのアニョー(左)にコンフィチュールをお付けして店頭販売いたしました」 |
「メゾン・フェルベールでは羊の他に魚の型でも作るのでございます」「魚の型というと…ショコラですか?」「いいえ、魚の型でこれと同じビスキュイを焼くのでございます」「それは初めて聞いた!」 |
「卵白も卵黄もしっかりと泡立てる別立て式で、バターは入らず、小麦粉だけで仕上げたビスキュイ生地のため、焼き上がりはフワフワ感とサックリ感が両立した軽妙な口当たり。卵の香りがプーンと漂うやさしい味わいです」 |
「それから、数多いフェルベールさんのおばあちゃんのルセットの中から、Le gâteau au chocolat de Marthe ma Grand-mere(アルザス風チョコレートケーキ)を紹介したのも良かった」 |
「フェルベールさんの『○○○ de Marthe ma Grand-mere』のルセットの中には、2世代前のアルザス地方菓子の神髄が隠されています」 |
「辻静雄さんが1970年代に婦人雑誌で紹介したオーベルジュ・ド・リルの料理写真と共に、現在では失われてしまったアルザス文化として、非常に興味深いですね」 |
「おおっ!? ブレデレの左側に見えるパイは近代美術館には無かった!」 |
「これは新作です! アーモンドパイをください!」 | |
森茉莉さん「私が花嫁というあまり食べたがってはならないことになっている境遇になった頃、即ち大正の初期に、西洋菓子屋がパイというものを売り出した。風月堂や明治屋、モナミなぞのメニュウにはPieとなっている。神田三崎町の仏英和女学校でフランス人のスウル(童貞女)から、フランス語だけを習っていた私にはPieはピーとしか読めない。ピーと書いてパイとは何事だと、私は理不尽な怒りを発しながら、口では淑やかに『パイを下さい』と仰言る」 |
Feuilletés florentins aux amandes フィユテ・フロランタン・オ・ザマンド (アーモンドパイ) |
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「これは1970年代後期~1980年代初期にレストラン・ル・セレブリテで出していた伝説のプティ・フール・セックの一つ、ミッシェル・フサールのサブレ・フロランタンのフィユタージュ版。パート・フィユテにフロランタンをのせて焼いたものです。セレブリテではジョエル・ロブションの料理の後にミニャルディーズで出てきました。作っていたのはミッシェル・フサールとスーシェフのジャン・ポール・エヴァン。チョコレートをかけたものもありました」 |
「このパイで肉や魚を包んでクルート(crêtes)にしてみたいですね。アラン・シャペルのスペシャリテFeuilleté aux crêtes et rognons de coq(雄鶏のトサカと腎臓 折りパイ添え)の菱形のパイに匹敵する見事な出来映えです」 |
「ところで、ブレデレの袋の中にマカロンに似た菓子が入っていたが、あれは何なのだろう?」 |
「特異なアルザス菓子Anis bredelas(アニス・ブレドラ)でございます」 |
「Anis bredelasとは、アニスのマカロンでございます」 |
「おお…パリのマカロンとは全然違う! アニス・ブレドラはパン・デピスに近いです」 |
Anis bredelas アニス・ブレデラ Anis bredeles アニス・ブレデレ Maison Weniko 2012年7月14日 |
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「この地味なマカロンこそ、浦和時代の河田勝彦氏がフランス一周地方菓子取材旅行から帰国した際に、日本に初めて紹介したアルザス地方菓子Anis bredelasだったのです。ルセットも写真も載っていなかったので、長い間、幻の菓子となっていたものです」 |
Anis bredelas Maison Weniko |
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河田勝彦シェフが1976年に日本に紹介したアルザス地方菓子 (原文のまま) |
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Anesbredlas これはアニスのマカロンです。 Biraweckeas フルーツのショーソンです。昔、クリスマスから1月中旬にかけての時期にだけ食されていた菓子です。 Jungfraukeichlas ベイニュの一種です。 Kaffekrang コーヒーと一緒に食べるブリオッシュのみを指します。 Knepfes これもベイニュの一種です。 Knepfi ベイニュに変わりありませんが、パン生地を揚げたのみで、菓子として取り扱うべき品物ではないでしょう。 Milckstriwles これは、パートに砂糖をふって焦がしたもの。 Schakelas アマンド入りの小さいクレープです。 Chaleth シャルロット・ドゥ・ポンムです。 等々、読みにくい名前ですが、このような伝統的菓子が、まだまだ残っているようです。 |
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「上記の菓子のうちAnesbredlasとBiraweckeasとKaffekrangについては、河田勝彦氏の2作目の著書『フランス伝統菓子』(中央公論新社 1993年)にもアルザス地方菓子に触れている58ページに引き続き出てくる。 あまり知られていないが、アルザスの地方菓子をいくつか列挙すると、アネスブレドラ(Anesbredlas アニス風味のマカロン)、ビラヴェカ(Biraweckas 昔はクリスマスから1月中旬まで食べたという、生の果実またはドライフルーツのパイ)、カフェクランツ(Kaffekrantz コーヒーとともに食べるブリオッシュ)など、数え上げればきりがないのである。 Anesbredlasとは、本日、Wenikoシェフに作ってもらったAnis bredelas(Anis bredeles)である。Biraweckeasは、2010年にベラウェカ・トラディショナルとしてオー・ボン・ヴュー・タンで商品化された。Jungfraukeichlasとは綴りの通り、スイスのユングフラウ地方から伝わったベニエ。1976年のKaffekrangは誤表記で、1993年に出版した2作目の著書『フランス伝統菓子』でKaffekrantzと訂正したのだろうが、本当はKaffee krantzが正しいのだろう。KnepfesとKnepfiというベニエについては、フェルベールさんのおばあちゃんのルセットBeignets de Pommes de ma Grand Mereを分析してみてわかった。Milckstriwlesとは…」 |
Milckstriwles | |
「先ほどのアーモンドパイからアーモンドスライスを外すと、Milckstriwlesになります」 | |
河田勝彦氏「Milckstriwles これは、パートに砂糖をふって焦がしたもの」(1976年) |
Beignet alsacien ベニエ・アルザシアン オー・ボン・ヴュー・タン |
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「Schakelasは、フェルベールさんのルセットの中にSchankalas(シャンカラ)として出ていました。Schenkelesという表記も見受けられます。河田勝彦氏の3作目の著書『ベーシックは美味しい』(柴田書店 2002年)に掲載されたBeignet alsacien(ベニエ・アルザシアン)=Schakelas=Schankalas(シャンカラ)だったのです」 |
Beignet alsacien(ベニエ・アルザシアン) Schankalas(シャンカラ) オー・ボン・ヴュー・タン |
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クリスティーヌ・フェルベール氏「これはカーニバルに祖母や母がたくさん作ってくれたシャンカラ。ポンと丸い一口サイズの愛らしいベニエです。シャンカラとはアルザスの方言で、“ご婦人の小さなお尻”という意味。その名の通り、きれいな真ん丸に膨らみます」 |
「オーボンヴュータンのシャンカラにはフランボワーズ・ぺパンのコンフィチュールがサンドされています。店のPOPに『Beignet ville alsacienne』と書いてあるように、ストラスブールみたいな都会のパン屋や菓子屋で売っているような洒落たシャンカラなのです。これに比べると、フェルベールさんのシャンカラはいかにも家庭的で、生地にアーモンドパウダーと細かくすりおろしたレモンの皮を混ぜ、シナモンシュガーをまぶしただけの素朴なものとなっています」 |
「ご覧の通り、ベニエ・アルザシアン(シャンカラ)とは、日本のあんドーナツと同じような、ただの揚げパンです。河田シェフがイーストを使っているのに対し、フェルベールさんはイーストを使っていません」 |
「最後に出てくるChalethとは、アルザス在住のユダヤ人がPessa'h(ペサハ 過越祭)に食べるChaleth aux pommesのことです。レイネット種のリンゴとイースト菌無しのパンとオー・ド・ヴィーに浸したレーズンとシナモンを使ったシャルロット・オー・ポンムです」 |
Anis bredelas アニス・ブレデラ Anis bredeles アニス・ブレデレ Maison Weniko |
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「爽やかなアニス香を漂わせる貴重なマカロンにクリームやコンフィチュールはサンドしない方がいいと思います」 |
「アニス・シードは見えないので、アニスはパウダーで入っているようです。アニスには食用増進や消化不良などの治療効果があり、日本の暑い夏には向いているお菓子といえましょう」 |
Anis Bredelas à la Soeurs Macarons アニス・ブレデラ・ア・ラ・スール・マカロン Anis Bredeles à la Soeurs Macarons アニス・ブレデレ・ア・ラ・スール・マカロン Maison Weniko 2012年7月14日 |
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「おおっ!? このヒビ割れたマカロンは!?…ロレーヌ地方の中心都市ナンシーの伝統菓子マカロン・ド・ナンシーですか?」「いいえ、違います。こちらも特異なアルザス菓子Anis bredelas(アニス・ブレドラ)でございます」 |
「アルザスの修道院で修道女が焼いたようなマカロンですね」「Wenikoシェフが3年前にワンダフルハウス様からいただいた『島田進さんが再現したルコントさんの初代マカロン』のお礼に焼いたと申しております」「ルコントさんの初代マカロンとは懐かしい! あのマカロンは河田シェフにも差し上げたのです。そうしたら、数ヵ月後にマカロン・ド・ナンシーをいただいて…菓子職人はもらった菓子には菓子で返礼するのかと、感動したものです」 |
上 アニス・ブレデラ・ア・ラ・スール・マカロン Maison Weniko 2012年7月 下 マカロン・ド・ナンシー(非売品) AU BON VIEUX TEMPS 2010年7月 |
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「このヒビを見ていたら、2年前に河田勝彦シェフからいただいたマカロン・ド・ナンシーを思い出しましたよ」 |
Macaron de Nancy Les Soeurs Macarons AU BON VIEUX TEMPS |
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「ロレーヌ地方ナンシーの銘菓Macaron de Nancyまたの名をLes Soeurs Macaronsでございますね」「スール・マカロン?」[ロレーヌは食通家を喜ばせる所として、アルザスと対比される地方でございます。この地方は東方の新しい文化を一番に取り入れ、パリ・ヴェルサイユとの関係を密接にした地方であるだけに、今もって、この土地はParc de Lorraineと呼称されています」 |
上 アニス・ブレデラ・ア・ラ・スール・マカロン Maison Weniko 2012年7月 下 マカロン・ド・ナンシー(非売品) AU BON VIEUX TEMPS 2010年7月 |
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「おー! よく見ると、共通しているのは表面がヒビ割れていることだけで、この2つは全くの別物ですね」「ワンダフルハウス様、実際にロレーヌの呼び名が使われたのは19世紀中期で、現在はAlsaceと範囲を広げて呼ばれていますが、料理・菓子を区別する上で、ロレーヌとアルザスとは、明確に区別しなければいけません。ロレーヌの中心都市ナンシーはフランスの甘味目録を表しているといっても過言ではないくらい、多種多様な菓子の揃っている町でございます。その筆頭に挙げられる菓子としてMacaronがございます。この地方独特の伝統的なものでLes Soeurs Macaronsとして今日も残っています。この菓子については1860年頃の作家Charles Monselet(シャルル・モンスレ)がナンシーの町を紹介しながらLes Soeurs Macaronsを描写したくだりがございます」「聞かせてもらいましょう」「ナンシーの美しい街並みは、その凱旋門の隅々から、市役所、司教会、公会堂等の大きな建物の柱廊や欄干、愛の彫像、花のポットまで、ヴェルサイユやトリアノンの縮図であるとさえいえます。大きな建物を囲む、巨大な金色の棚は金工師ジャン・ラムーの作であり、まったくこの町は18世紀当時の相貌を失っておらず、町の中には新しい家々は無く、それらは全て城塞外に拡がっています」 | |
シャルル・モンスレ(1825~1888)はフランスのジャーナリスト・小説家・劇作家・詩人。ブールヴァルディエと呼ばれた遊び好きのジャーナリストの一人で、「食通の王」と呼ばれたほどの美食探究家だった。食通新聞『グルメ』の創設者。パリ風俗観察の雑文を多量に執筆した。 |
島田進シェフが再現したアンドレ・ルコント氏の初代マカロンに対する返礼品 製作 河田勝彦 |
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「私はナンシー町、そこに生まれた」「マ…マカロンがしゃべった!?」「かのリゴルグヮシュの自伝の最初の部分をシャルル・モンスレが引用したのでございます…えーと、続きは… この町に住んだ何人かの忘れることの出来ぬ人々を語ってみなければなるまいと思うが、ジャック・カローやスタニスラ王、ギューベルト、ビゼレクールの生涯については、かなり知られていることと思うのですが…。この町のいわゆる宮殿といわれる建物やペピニエールと呼ばれる公園は、世界のどこの公園や宮殿とも比較することが出来る位のものなのです。ペピニエール公園の中では、他のどこの庭園よりも背丈の高い芝草や、自由に伸びきった木々、ありのままの庭園の姿を見ることが出来るのです。音楽の催される時は、そこを貴婦人が散歩しています。さて、今私は全く静かなアッシュ通りを歩いています。大きな格子窓のある一軒の家の前で少し立ち止まって見上げると、Les Soeurs Macaronsと軒下に書かれています」 |
マカロン・ド・ナンシー(非売品) AU BON VIEUX TEMPS |
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「マカロン・ド・ナンシーは紙の上にのせて焼いてありますね」「このマカロンには、あるいわれがあるのです。カルパンやクァニケの名と共に、今ではもう、このマカロンの名を知る人も少ないことでしょう。この話は最初のフランス革命当時、いわゆる修道女の秩序が乱れていた頃に遡るのです」 |
上 アニス・ブレデラ Maison Weniko 2012年7月 下 マカロン・ド・ナンシー(非売品) AU BON VIEUX TEMPS 2010年7月 |
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「マカロン・ド・ナンシーは中が空洞になっています!」「革命のさなか、当然のことながら何人かの狼狽した修道女達は、保護してくれた有力者達の親切に報いるため、自分たちの身の潔白を祈りながら、一生懸命、栄養のあるマカロンの製造に励んでいました」 |
「きれいに2つに割れるものと、紙にくっついたままのものがありますね」「まもなく、彼女達の噂がナンシー全域、さらに郊外にまで伝わっていきました」 |
「フンワリとした中の柔らかさと、カリッと硬い表面のコントラストが凄い!」「人々はこの修道女達に同情し、またその献身に感動すると同時に、作られたマカロンの素晴らしさにも感動し、いつの間にかLes Soeurs Macaronsとこの菓子を呼ぶようになりました。彼女達の死後、その死を悼む人々は、この仕事を続け、この銘を伝えました。スタニスラス広場の角、アッシュ通りに面したLa Maison des Soeurs Macaronsのマカロンは、今でも食通の間で言われる如く、昔のように美味であり、美しい小麦色で、その歯触りは何とも言えぬデリカシーで人々に飽きを感じさせません。そしてマカロンの小箱には修道服を着た一人の尼僧のポートレートが飾られているのでございます」 |
「これは、おそらくNG品なのでしょう。しかし、この紙にくっついた“マカロンのおこげ”の部分にこそ、マカロン・ド・ナンシーの神髄が隠されているような気がするのです」「革命で迫害を受けながらも、石の鉢の中でアーモンドを砕いていた修道女たちのやり方が、223年後の革命記念日に姿を現したのでございましょう」 |
島田進シェフが再現したアンドレ・ルコント氏の初代マカロンに対する返礼品 製作 Weniko |
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「おー! スール・マカロン風アニス・ブレデレもパン・デピスに近い! マカロンにつきものであるアーモンドは使っていないようです」「こちらのアニス・ブレデラは、ストラスブール南方60kmにあるColmar(コルマー)の郷土菓子Pain d'Anis(パン・ダニス)に近いものでございます。Colmarには1970年代までは郷土菓子Flan Tarte Beignetが残っていましたが、現在では絶滅してしまったようでございます」 |
続く |