カールヘルムが設立された1985年秋、クロワッサン9月25日号「どう着くずすか、心得ているのが、大人の服の着こなしだと思う」の企画で、金子さんのリクエストにより、奥田さんがモデルとして出演。このときの撮影が縁で、1987年までKHのイメージキャラクターをつとめることになる。服は代官山のプレスルームで買っていた。この時期、奥さんの安藤和津さんもインゲボルグを着ていた。
クロワッサン撮影時は、”金妻”(ドラマ「金曜日の妻たちへ・PART3」TBS系で8月〜12月)放映直前で、奥田さんの知名度は低かったが、この”金妻”と翌’86年のドラマ”男女7人夏物語”で大ブレイク! 一躍中年アイドルとなり、数々の女性誌にKHを着て登場することになるが、その宣伝効果は絶大だった。
スタイリスト金子功&モデル奥田瑛二は、3度コンビを組んでいるが、残された作品を見ると、ジャケット・スーツの着こなしの見本ともいえるほどにレベルが高い。
スタイリスト・金子功&モデル・奥田瑛二 作品リスト | |
著書名・雑誌名(発行年月日・号数) | 内容 |
クロワッサン1985・9・25 | スーツにスタンドカラーのシャツ、ブレザーにジーパン。英国調トラディショナルのスーツやブレザーを着くずす。NEW! |
メンズクラブ1987・3 | 広告「僕が近頃、気になる服」 |
金子功のピンクハウス絵本1987・10・11 | K・Hの男たち、発見。 |
「K・H(カールヘルム)の男たち、発見。」のコーナーで、モデルの一人として奥田さんが出演。金子さんはこのように語っている。
「カールヘルムを発足させたとき、着る人のイメージとして頭にあったのは彼のような男だった。具体的に名前を挙(あ)げてそう説明もした。
最初に知った頃の彼は、青年特有のハングリーな翳(かげ)を持つ男で、いかにも現代風な雰囲気を湛(たた)えていた。しかし、詰衿や袴など明治の書生っぽの姿も似合いそうな、彼は古き日本のエスプリも併せ持つ。まだ無名の彼を街のとある店で見かけ、その魅力を密かに讃(たた)えた。」
”街のとある店”というのは、キャンティ(麻布台にある飯倉本店)のことである。奥田さんは、1978年当時、住所・不定、職業・売れない俳優だったが、麻布狸穴町の犬養和子さん(安藤和津さんの祖父は犬養毅首相、父は犬養健法相)のマンションに転がり込んだときから運をつかみ、翌年結婚、主演で映画デビューしている。キャンティのオーナーと安藤和津さんのお母さまは親友なので、奥田さんもこの頃からキャンティに通い始め、そこで金子さんの目に止まったのだろう。
なお、安藤家のキャンティでの指定席は、地下、入って左手の席。壁を背にして座ると、クラシックでカラフルな作り窓が、目に入る。奥田さん個人は、アトリエに近い西麻布店にも通っている。