パシフィックパークホテル
Pacific Park Chigasaki

1965(昭和40)年、落成。ホテル、ドライブイン、ボーリング、プール、ビリヤード、サーキットを備えた遊び場。2000年夏のヒット曲サザンオールスターズの「ホテルパシフィック」で歌われているホテルに泊まりたいという声が全国各地から寄せられましたが、この時、既にパシフィックホテルはもう無かったのです。 「パシフィックパークホテル」は、上原謙さんと加山雄三さん親子が出資して建てられました。1988(昭和63)年の営業停止後、所有権が次々と変わり、横井英樹氏が営業を再会する話がありましたが、バブル崩壊で流れてしまいました。1997年末までは廃虚となったパシフィックパークホテルを見ることができたのですが、年明けと共に解体工事が始まり、翌1999(平成11)年3月18日、リゾートマンション「パシフィックガーデン茅ケ崎」として生まれ変わりました。数奇な運命を辿ってマンションとして生まれ変わった「パシフィックパークホテル」。去りゆく夏の思い出のように金子さんたちの心にも残っていることでしょう。

湘南一の偉容を誇っていた。今見ても斬新な建築物だ。

当百科事典の「伊藤五郎」さんの項目にこのような文章が出てきます。『その宇野(亜喜良)さんとの仕事を通していろいろな遊び友だちと知り合っていき、そこでムゲンが登場し、ビブロスが登場し、昼も夜もない、寝てるんだか起きてるんだかわからない生活がはじまっていったのね。翌日の撮影のためのカツラをアシスタントにつくらせておいて、ぼくはムゲンで遊び、そのまま寝ないでカツラを持って仕事に行くっていうこともあった。湘南にパシフィック・ホテルができた頃だから、夜通し遊んで、そのままみんなで海に行っちゃったりね。』当時の売れっ子クリエイター達の生活振りが窺えますが、金子さんも例外ではありませんでした。

金子功が衣裳デザインを手がけた、平凡パンチ女性版1号(1966年6月10日発行)の誌上映画「地球最後の女」。ホテルがオープンした翌年にロケが行なわれた。パシフィックパーク・ホテルの他に葉山マリーナ、豊島園もロケに使われている。当時最先端の遊び場だったのだろう。 相模湾を一望できた地上10階のレストランは、大展望の穴場でした。おそらく金子さんたちも撮影終了後に行ったことでしょう。螺旋階段がお洒落です。当時としては珍しい高層のホテルで、広いプール、部屋ごとに色調が違うなど本当に斬新なホテルでした。

パシフィックガーデン茅ヶ崎

R134沿いに建つ「パシフィックガーデン茅ヶ崎」。相場より高い価格設定でしたが、道路を渡り、松林を抜ければ、烏帽子岩を正面に望める茅ヶ崎ヘッドランドビーチという絶好のロケーションで人気を呼び完売となりました。思い出のホテルの跡地ということでそれにひかれて買った人も多いそうです。湘南の伝統と歴史に裏打ちされた素晴らしいマンションです。

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