パジャマ

眠っているあいだのことは何もわからない、などというのは
嘘である。無意識にもせよ、快適なベッドと気持のいい寝巻きで
眠っているときは、安らかで元気で幸せな時間を過ごしている。
気持のいい白いパジャマで目覚める朝はとても素敵な朝だ。

生地はごく安いキャラコのような木綿。これがいちばん着心地がいい。
新品のときはうすく糊がついていて、パリパリと爽やかである。が、洗うと驚くほど縮んで、柔らかく優しい感触になる。
たとえば、使い古したシーツの何度も水をくぐらせた柔らかさ。赤ちゃんのおしめのように柔らかい。二度ほど洗っただけでそういう手ざわりになってしまう。安い木綿地の素晴らしさ。
白で、トリミングが紺。赤もある。オーソドックスな、あまりにもオーソドックスなデザインである。デザインなどというより、単なるパジャマの”原型”みたいなものだ。
このシンプルなパジャマは、第一に着心地がいい、という点だけで大きな価値があるけれども――気分としては日本の浴衣の感覚で着る、そんな味わいにも価値があると思う。
もちろん洗いざらしで着ていいのだが、ときにはうすい糊をきかせてパリパリさせて着る。うす糊の浴衣を無造作に粋に着る気分のよさに通ずる、さっぱりとした快さを感じるだろう。木綿のよさには共通してこの感じがあるが……。
部屋の中を歩きまわってもおかしくない、そういうパジャマはありそうであまりない。この白は、(もちろん他人の前では困るけれど)朝起きてからしばらく着ていても全然おかしくないし、快適だ。
そう、この白いパジャマには”朝の気分”がある。太陽がいっぱいにさし込む朝の部屋で、アルフレックスのソファなどにあぐらをかいて、温かいミルクを飲みたいような……。
ひとりでいて、誰も見ていないからといって、だらしのない寝巻で部屋をうろうろするなどは言語道断。おしゃれの精神に反する極みのことである。
見た目にも爽やかで、自分自身の気分も明るい、というようなパジャマでこそ、少しのうろうろも許されるのだ。
寝るときにも、古いTシャツや「いいかげんな気持」で選んで何年も着ているヘンな寝巻は着てほしくない。眠れさえすれば何を着ても、では悲しい。
寝るということにも一所懸命でありたいし、でき得るかぎり快適にしていたい。――シルクのパジャマももちろんいい。が、日本で、若い女の子が毎晩シルクのパジャマというのも少しおかしなことだ。いろいろな意味でほどよい快適さの寝巻、を選ぶべきだと思う。
シルクは、よほど楽しいときか、特別な日の前の晩。ふだんはこんな木綿のパジャマが一番ではないだろうか。
柔らかいコットンの、まるで自分の皮膚のように感じられる肌ざわりで、ぐっすり眠りたい。

アンアン1981年1月21日号(No.276) 金子功のいいものみつけた No.58  「木綿のパジャマ」

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