わんだふるはうす、ルコント青山本店&パティシエ・シマに行く

ガトー・ミュゲ
ガトー・バスケット

ヨーロッパの北国では春の訪れを告げる花 スズランを5月1日の前夜に摘みに行く風習があります。フランスでは5月1日を「すずらん祭」(La fete du muguet)といい、愛する人に鈴蘭のブーケを贈ります。街角に立つ鈴蘭売りが「Fleurissez-vous,mesdames,voila le muguet」(スズランの花のように美しく‥)と呼びかける光景は春のパリの風物詩となっています。愛する人とは異性間のアムールだけでなく、親子、同性の友人など好意を抱いている人を指し、それぞれに親愛の情を込めて贈るわけです。ミュゲはミュスク(musc じゃ香)から出た言葉で、スズランの香りが高いことを示し、その花言葉は「幸福を取り戻す、純粋さ、デリカシー」を意味します。結婚式で花嫁がスズランを手に持つのは幸福のシンボルだからなのです。お菓子屋さんの店頭にはスズランの鉢植(Pot de muguet)やスズランをデザインしたアントルメ、プティガトーが並び、鉢はヌガーやチョコレートで作り、中にクリームをつめます。昔は飴細工のスズランを飾っていたのですが、最近はプラスチックを用いるようです。
最近では、持っている人をあまり見かけなくなった籐籠のピクニック・バスケット。昭和の時代にはピクニックだけでなく、遠足、運動会、海水浴、春・秋の行楽に大活躍したものでした。そしてそんな時代の日本のケーキ屋さんにはピクニック・バスケットの形をした「ガトー・バスケット(ガトー・パニエ)」というケーキがあり、ルコント六本木店で売られていたものは本格的なフランス菓子でした。2008年5月1日、元ルコント総製菓長 島田進さんのお店「パティシエ・シマ」をワンダフルハウスが訪ね、ガトー・ミュゲとガトー・バスケットを作っていただきました。

ラトリエ・ド・シマ
今日は5月1日…労働者の祭典の日(メーデー)ですが、フランスではフェット・デュ・ミュゲ(すずらん祭り)の日にあたります。
スズランの白く可憐な姿から“聖母の涙”などと呼ばれています。花言葉は「幸福の訪れ」。この日、フランスでは親しい人たちに幸せを願ってスズランの花を贈りあう習慣があります。
トントン…トントン…「私は普段は太鼓を叩いていますが、5月1日だけはスズラン売りに変身するのです。フランスでは、5月1日は花屋以外でも町中に一般人のスズラン売りが登場する日です。この日のスズラン屋さんたちは、近くの森へ行ったり、自宅の庭にあるスズランを採って売っています。即席スズラン屋になるには花屋から100m以上離れていて、根がない切り花のみの取り扱い。役所などに届け出る必要はなく、老若男女どなたでも大丈夫なのです」
Gateau muguet
ガトー・ミュゲ
特注品
「ワンダフルハウス様、ガトー・ミュゲでございます」「おおっ!? スズランです!(゚O゚)\」
この付け合わせは何でしょう? 店では売っていない焼菓子なので試作品かもしれません。
「1988年にルコント総製菓長の座を辞して以来、島田シェフが20年ぶりにガトー・ミュゲ(パトリシアンの鈴蘭バージョン)を作りました!(゚O゚)\」
1971年
パティスリー・フランセーズ・アンドレ・ルコント六本木店
シュー・パリジェンヌにクリームを絞りながら「女性への愛を込めて美味しいケーキを作ります(^_-)-」と語る、1971年当時のアンドレ・ルコントシェフ。後ろに写っている見習いの若いパティシエが38年前の島田進シェフです。見習いの中でも一番ベテランで3年目に入っており、スーシェフといったところでしょうか。
1971年
ルコント
2008年
パティシエ・シマ
「おーっ! 全く同じです!(゚O゚)\」
Patricien
パトリシアン
525円
ルコント
Gateau muguet
ガトー・ミュゲ
525円
ルコント
ルコントでは、このケーキは1年中売られている定番品ですが、4月中旬〜5月末まではスズラン柄の「ガトー・ミュゲ」という名になります。それ以外の時期は「パトリシアン」という名で、柄はバレンタイン・シーズンはハート柄になったり…
Patricien
パトリシアン
525円
ルコント
クリスマス・シーズンにはヒイラギが飾り付けられたりしますが、イベントのない時期は右の写真のような花柄になっております。花柄にも複数のパターンか存在するみたいです。
このケーキは、1968年のパティスリー・フランセーズ・アンドレ・ルコント開店時から売っている貴重なお菓子です。
しかし、開店から1970年代まで、このケーキの名前は「パトリシアン」や「ガトー・ミュゲ」ではなく…
「ガトー・ショコラという名前だったのです!(゚O゚)\」
1971年6月4日
都内の洋菓子店の合同試食会
クローバー
(六本木)
この人たちは全国から集まってきた1970年代のパティシエです。ワンダフルハウスはタイムマシーンに乗って、1971年6月4日に行われた東京の洋菓子店56店舗の合同試食会にやってきたのです 〜/(^O^)/ 「これはクローバーのケーキですね」
東京カド
(駒込)
ドンク
(青山)
「東京カドの高田壮一郎氏のケーキです。当時はエスワイル(神田小川町)の大谷長吉氏と並ぶ大御所でした」 「ドンクです。本業はパン屋ですが、ケーキも本格的。ワンダフルハウスは当時のドンクのルセットを所有していますが、ケーキは限りなくルコントのレベルに近いです。現在シェ・リュイ社長の平井政次氏の作品です」
ルコント
(六本木)
そしてルコントのケーキの登場です。当時まだ修業中だった島田進氏が作ったものもあります。 スズランのケーキがありました!名前は「ガトウ・ショコラ」と書かれています。
上段左からコンゴール(現在は廃番 島田シェフはコンゴーレと発音)120円、ババ(現在のポンポネット)120円、メレンゲ(現在は廃番 島田シェフによるとメレンゲ・モカが当時の正式名称で、後にコキーユ・ド・ムラングに改称)100円。
中段左からミックスフルーツパイ80円、スウリー120円、ガトウショコラ(現在のパトリシアンまたはガトー・ミュゲ)120円。
下段左からチョコエクレール100円、モカエクレール100円、スワン120円、タルトチェリー100円。
ガトー・ショコラをカットしてみると何層にも別れていました。口の中に含んだ瞬間、ふわっと溶けて、間に挟んだへーゼルナッツのバタークリームの香りがいっぱいに広がります(^Q^) サックリしてるけどふんわりモチモチ…普通のビスキュイとは違う、独特の食感があるこの生地は…「ダックワーズ Dacquoise」に近いです!
ダックワーズとは、フランス南西部のランド地方の町ダックスで生まれた、フランスでリッチな生地の代表格と呼べるものです。アーモンド粉をたっぷり使って焼き上げたメレンゲ生地で、プラリネクリームをはさむものが一般的な方法ですが、このケーキにはノワゼット・パウダー(ヘーゼルナッツ粉)を使用し、プラリネのムスリーヌ(Creme mousseline au praline)をはさんであります。
プラリネは、へーゼルナッツ・プラリネを使用。へーゼルナッツの風味がしっかりとして濃厚で美味しいのです(^Q^)
パティシエ・シマ ルコント
「中もルコントのとほとんど同じです(^-^)\」
1975年
1975年の雑誌にスズランのケーキを発見しました。
ガトー・ショコラ
パティスリー・フランセーズ・アンドレ・ルコント六本木店
「やっぱりそうでした…このケーキはパトリシアンでもガトー・ミュゲでもなかった…創業から1970年代まではガトー・ショコラだったのです!(゚O゚)\」
現在ではフランスでも日本でも絶滅してしまった菓子のオンパレードです。銀ダルの菓子職人はチャブ台の生活をしていて星一徹に似ています。 ローザー洋菓子店のショーケースを御覧ください。まだ冷蔵機能が付いていないタイプです。
ガトー・バスケット
200円
ルコント
1975年
ガトー・バスケット
特注品
パティシエ・シマ
2008年
「ムッシュ・ルコントとルコント靖子さんです!(^O^)\…おおっ!?このケーキは何でしょう?」「ワンダフルハウス様、ガトー・バスケットでございます」
ガトー・バスケット
特注品
パティシエ・シマ
2008年
1970年代に絶滅したフランス菓子「ガトー・バスケット」の登場です。
野原で花を摘んで籠にいけているシーンをイメージしてみました。
「おーっ!たくさん摘めましたね!(^O^)\」
白とピンクのバタークリームを星形の口金で絞り出して飾ります。
これはプティガトー・サイズですが、大きいアントルメもあったそうです。アントルメはバレンタインが終わって閑になった時期に、若いパティシエを遊ばせないように作らせていたとか。
星形の口金をつけた絞り出し袋にバタークリームを詰めて、ただひたすら点を連ねて絞り飾り出す…この単純な作業の繰り返しはかなりキツそうですね。
ハンドルの部分は「ガレット・オ・ブール」というエシレバターとゲランドの塩を使用した高品質なビスケットで出来ています。
籠の部分はマジパンで出来てます。シュー生地のものもありますが、こちらの方が古典的であり、本格的といえます。
グリーンのガトーをカットすると、キルシュ漬けのフルーツが宝石のように散りばめられています。
端っこのマジパンの分厚い部分が美味なのです!(^Q^)
真ん中の断面を見てみましょう。
砂糖、卵、小麦粉、溶かしバター、洋酒で作ったジェノワーズを2枚にスライスし。1枚のジェノワーズへクレーム・パティシエールを塗り、そこへキルシュに漬け込んだドライフルーツをふんだんに散らします。さらにクレーム・パティシエールを塗り、もう1枚のジェノワーズをかぶせます。マジパンで覆い、バタークリームで優雅に飾りを施し、ビスケットのハンドルを付けて出来上がり。
ザラザラしたキメの粗い生地ですが、アイスクリームが溶けるように口の中で溶けていきます。
「昔の菓子なので強烈に甘く、アルコールがかなり効いています!(^Q^)」

ガトー・バスケット
ロワール洋菓子店
(奥沢)
100円
1974年
「このバスケットというお菓子、奥沢のロワール洋菓子店でも作っていたようです。

パティスリー・フランセーズ・アンドレ・ルコント青山本店
2008年6月、ワンダフルハウスはルコント青山本店を訪れました。
「ワンダフルハウス様、この中に’70年代の懐かしのケーキが1つだけ隠されております。本日1日だけの復刻でございます」「おおっ!? どれでしょう!?(^O^)\」
「ん?(^-^)\」 「おおっ?(゚O゚)\」
「バスケットです!(゚O゚)\」
ガトー・バスケット
525円(特注品)
ルコント
「本家本元のルコントが1日だけバスケットを復刻してきたのです!(゚O゚)\」
ガトー・バスケット
200円
ルコント
1975年
製作 アンドレ・ルコント
ガトー・バスケット
525円(特注品)
ルコント
2008年
製作 前田秀幸
現在のルコント総製菓長 前田秀幸シェフのガトー・バスケットの登場です。
「あれは…バスケット!?(゚O゚)\」
「ワンダフルハウスがオーダーした数より多めに作って、ショーケースに並べられていたのです!\(^○^)/」
しかし、バスケットが作られたのは結局この日だけでした。
「ハンドルはホワイトチョコレートで作ってあります。
「マジパンの折り畳み方が島田シェフとは違いますね。下の方から同じ方向だけに折り畳んであります。
「そして最大の違いはクリームに黄色を使ってきたのです!(゚O゚)\」
「ハンドルのホワイトチョコを食べてしまいました(^Q^)」
「いやー、綺麗ですねぇ(~O~)\」
ジェノワーズがかなりジューシーです。グランマニエのシロップを大量に打ち込んであります。
「具は全部ドライリンゴのようですね」
「口に含んだ時の陶酔感はたとえようもありません…痺れるような感動が口腔のみならず鼻腔から食道に伝わり、遂には全身を侵すのでした(~Q~)」
1979年
ラトリエ・ド・シマの店内に飾られている穏やかに微笑むルコントさんの写真には、1979年8月28日の日付が。当時のルコント六本木店は、六本木通りと首都高に面していて、1階に売場があり、2階に厨房とサロン・ド・テがありました。ルコントさんは厨房からケーキを一杯に盛ったトレイを「オイシイヨ〜(^Q^)」などど言いながら持ってきてくれました。それは驚くほどの美味しさで、その豊かな香りと濃密な味わいは、今も忘れることはできません。かくも強烈に舌を打ち、心に響くケーキのいくつかは、残念ながら今では味わうことができません。全てが軽くなってしまって、1970年代のルコントさんのような桃源郷に誘う菓子はほとんど姿を消してしまったのです。
「写真の中にガトー・バスケットがありました!…最前列中央、ティーカップの左横です」
1976年
パティスリー・フランセーズ・アンドレ・ルコント六本木店
中央の4個、上から時計回りにバスケット、グランマニエ、スリーズ、初代モンブラン…全て姿を消しました。マリニオン、バトー・マロン、ショコラティーヌなども姿を消し。現在残っているのは比較的軽いケーキが多いようです。
ヌーベル・キュイジーヌ・フランセーズ…素材の持ち味を生かした新しいフランス料理の流行は、1970年代のフランス菓子の世界にも影響を及ぼしました。砂糖やバタークリームを減らして甘さを抑えたお菓子が現れ、10年ぐらいの間に、お客さんの嗜好が随分変わったのです。今までのお菓子では味が重すぎる、という人がかなり増えたために、そうしたお客さんの新しい好みに合わせて軽いムースを多く使うことを思いつき、冷蔵機能付きショーケースの出現もそれを後押ししました。その流れは、お菓子と非常に密接な間柄にあるリキュール類にまで影響して、1980年代以降は昔に比べてリキュールの量もかなり控えめになってしまいました。ガトー・バスケットはヌーベル・パティスリー・フランセーズが台頭する以前の古い古いお菓子なのです。

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