わんだふるはうす、パティシエ・シマに行く

カルメリット
(タルト・エクレール)

「Carmelite カルメリット」…正式名を「カルメル山の聖なるおとめマリアの跣足修道会」と呼ばれるカルメル会は、12世紀の後半、聖書にその美をうたわれるパレスチナのカルメル山の泉のほとりに集まった隠遁者たちに端を発し、13世紀に修道会となりました。1950年にフランスで発行された古典製菓本「TRAITE DE PATISSERIE MODERNE」(トレテ・ドゥ・パティスリー・モデルヌ)を見ると、同名の菓子「Carmelite」が掲載されています。この聞き慣れない名前のお菓子は、カルメル会修道女の形を模したエクレアのタルト。フランスでは1979年にMOFパティシエ クロード・ボンテ氏が作ったのを最後に絶滅してしまいました。2009年9月、フランス伝統菓子の本来の魅力や文化を伝えていくのを目標にした「クラブ・ドゥ・ラ・ガレット・デ・ロワ」会長 島田進さんのお店「パティシエ・シマ」をワンダフルハウスが訪ね、カルメリットを日本で初めて作っていただきました。

パティシエ・シマ
「こんにちは! 金曜限定のエクレアをください!(^O^)/」
ラトリエ・ド・シマ
エクレアは、フランス人は買ったらすぐに歩きながら食べてしまいます。日本人ならばサロン・ド・テで落ち着いて味わいたいものです。
Eclair au moca
エクレール・オ・モカ
315円
金曜日限定商品
Eclair au caramel sale
エクレール・オ・キャラメル・サレ
315円
金曜日限定商品
金曜日しか味わえない、とびきり美味しい2つのエクレアの登場です。
Eclair au moca
エクレール・オ・モカ
315円
金曜日限定商品
「シュー生地の塩気が、フォンダンとモカクリームの豊かな甘さを引き出しています(^Q^)」
Eclair au caramel sale
エクレール・オ・キャラメル・サレ
315円
金曜日限定商品
「トッピングされたゲランドの塩の粒がキャラメル味のアクセントになっています(^Q^)」
エクレール・オ・モカ エクレール・オ・キャラメル・サレ
まだ食べ足りないので、おかわりをください!(^Q^)/10個でも20個でも大丈夫です!
Carmelite
カルメリット
(Tarte Eclair)
(タルト・エクレール)
特注品
「ワンダフルハウス様、おかわりでございます」「ん?(^-^)\」
「おおっ!? こ…これは…エクレア!?(゚O゚)\」
「エクレアが17個もあります!(゚O゚)\」
「下はタルト台になっています…これはエクレアのタルトです!(゚O゚)\」
「このようなお菓子は初めて見ました!(゚O゚)\」
「シュー生地とタルト…まるで、ご飯の上に焼きそばが載ったような…これは炭水化物と炭水化物の戦いです!(゚O゚:)\」
Carmelite
カルメリット
製作 クロード・ボンテ
1979年
Carmelite
カルメリット
製作 島田進
2009年
「ピエール・エルメ氏の前のFAUCHONの製菓主任であり、フランス最高のMOFパティシエであり、日本にフランス菓子を広めた男…クロード・ボンテ氏がTRAITE DE PATISSERIE MODERNE(トレテ・ドゥ・パティスリー・モデルヌ)のルセットを忠実に再現したのが左の作品。島田シェフのは自分流にアレンジしてあります!(゚O゚)\」
クロード・ボンテ氏(Claude Bonte)は1928年12月18日フランス・ルーアン市生まれ。15歳から修業を始め、1961年フランス最優秀製菓職人賞(MOF)授賞。1964年製菓主任としてFAUCHONに入社。1974年、社団法人日本洋菓子協会連合会の招きにより初来日。1980年代半ばにかけて現代フランス菓子大講習会の講師として日本各地で技術指導を行ない、現在まで続くMOFパティシエ製菓講習会の先駆けとなりました。フォション退社後は、パリでレ・アントルメ・ド・フランスを開店。現在は引退しています。
「星のようなシルバーのドットが輝いていますよ?(゚O゚)\」
シルバーの粒は「アラザン」といって、砂糖とコーンスターチを混ぜて球状にし、食用銀箔で覆ったもの。フランス語で「銀」という意味です。
フランスで絶滅し、日本では初めて作られた「カルメル会修道女」という名前のクラシックなお菓子の登場です。タルトの上に長さの違うエクレールを重ねて周りにクレーム・オ・ブール(バタークリーム)を絞り出して飾ったお菓子です。
エクレールは修道女の身体を表し、クリームは修道服の飾り襟を表現しています。
「コーヒーとチョコレートのフォンダン。そしてバタークリームの飾り…これは、パリや東京で流行している“ある菓子”に似ていませんか?(゚O゚)\」
Religieuses
ルリジューズ
特注品
パリや東京で流行している“ある菓子”とは、「ルリジューズ」です。流行しているのはフランボワーズや苺、ローズ風味のピンクや赤のカラフルなものですが、本来はこのようなショコラとモカの組み合わせが基本なのです。
シルバーの粒「アラザン」が輝いています!
ルリジューズは「修道女」という意味のお菓子。近世に作られたとされていて、オリジナルは大型のピエスモンテでした。現代のものは小型のプティガトーサイズで、雪だるまのように大小2つのシューを重ねます。
1979年
ルリジューズは島田シェフの師匠であるアンドレ・ルコント氏が日本で最初に紹介しました。
ラトリエ・ド・シマの店内に飾られている穏やかに微笑むルコントさんの写真には、1979年8月28日の日付が。当時のルコント六本木店は、六本木通りと首都高に面していて、1階に売場があり、2階に厨房とサロン・ド・テがありました。ワンダフルハウスは1981年に18歳でデビュー。ルコントさんが厨房からケーキを一杯に盛ったトレイを「オイシイヨ〜(^Q^)」などど言いながら持ってきてくれて、一つ一つ説明してくれました。その時はトレイの上にあるケーキは全てルコントさんが作ったものだと思っていました。後でわかったことなのですが、その頃、ルコントさんはケーキはもうほとんど作っていなくて、六本木のサロンで伊丹十三さんや黒柳徹子さん、安井かずみさん、岸田今日子さんら…客と談笑している時に島田さんたちが青山1丁目の店で作っていたのでした。現在の東京には存在しないハイレベルなサロンでした。
製作 島田進
1979年
製作 島田進
2008年3月
写真の中にルリジューズがありました…左から2列目の一番後ろです。ルリジューズは、1980年代の東京の都心で遊んでいる人たちでも知ってる人はほとんどいませんでした。その後、ルコントでも廃番になって、近年のフランス菓子ブームでやっと知られるようになったのです。
ルリジューズ
製作 島田進
1979年
上がショコラ
下がモカ
上がモカ
下がショコラ
同じ1979年に作られたルリジューズでもモカとショコラが上下逆転したヴァージョンも存在していたようです。
2008年4月
「2008年のゴールデンウィーク中、ルコントで突然ルリジューズが復活した時は驚きました!(゚O゚)\」
Religieuses au Grand-Marnier
ルリジューズ・オー・グランマニエ
525円
ルコント
「オレンジのリキュール グランマニエ風味だからオレンジ色だったのです!(゚O゚)\」
「銀の粒『アラザン』が輝いています!(゚O゚)\」
「中のクレーム・パティシエールはオレンジ色ではありません。グランマニエがしっかりと効いています(^Q^)」
Religieuses
ルリジューズ
製作 クロード・ボンテ
1979年
Religieuses
ルリジューズ
製作 島田進
2009年
「これが古典的なルリジューズです! 現代のルリジューズは上2段だけのミニサイズになってしまったのです!(゚O゚:)\」
クロード・ボンテ氏が再現した「ルリジューズ」は、ピエスモンテという超大型サイズの工芸菓子で、細長いエクレールを何本も立てて台形に作り、上に大中小サイズのシューを3段重ねます。つなぎ目にバタークリームを絞って、修道服の襟やヒダを表現し、これで修道服を連想させているのです。ルリジューズの基本生地はパータ・シュー、クレーム・パティシエール、フォンダン、クレーム・オ・ブール。風味はモカとショコラが基本です。
Religieuses
ルリジューズ
製作 クロード・ボンテ
1979年
Carmelite
カルメリット
製作 クロード・ボンテ
1979年
「つまり、エクレアを立てて並べるとルリジューズ。タルト台に横に並べるとカルメリットになるというわけですね(゚O゚)\」
Carmelite
カルメリット
Carolines au chocolat
カロリーヌ・オ・ショコラ
「端っこの方のエクレアは小さいですね…おーっ!…よく見るとこれはエクレアではありません…これはカロリーヌです!(゚O゚)\」
Carolines au moca
カロリーヌ・オ・モカ
プティフールサイズの小さいエクレアのことをカロリーヌというのです。
Michel Foussard
ミッシェル・フサール
1980年
「ジョエル・ロビュション氏の片腕であり、ジャン・ポール・エヴァン氏の上司であり、島田進シェフも指導を受けたMOFパティシエ ミッシェル・フサール氏です!(゚O゚)\」
クロード・ボンテ氏、ジャン・ミエ氏に続いて、3番目に来日して講習会を行なったミッシェル・フサール氏の登場です。当時のフサール氏はホテル・ニッコー・ド・パリのミシュラン2つ星レストラン「ル・セレブリテ」の製菓長でした。料理長はジョエル・ロブション、部下にジャン・ポール・エヴァンがいて、その黄金時代に島田シェフは短期研修を受けていたのです。当時は、伝統と格式を重んじていたフランス菓子業界にも新しい時代の波が押し寄せていて、フサール氏はパリの最先端をいくヌーヴェル・パティスリーの第一人者でした。1980年9月22日から10月19日まで全国で行なわれた講習会では、最先端の菓子だけではなく、カロリーヌのような伝統菓子も作られました。
ミッシェル・フサール氏は、1970年にペルティエ入社。1972年フォーションに移り、クロード・ボンテ氏の下でスー・シェフ。1976年、20代の若さでMOF受賞。1978年パリの日航ホテルのシェフ・パティシエ。その後、独立して、現在は引退しています。
ジョエル・ロビュション氏がセレブリテに在職していた期間は、さして長くありません。1979年から1981年末までのわずか3年足らずです。ロビュション氏がジャマンを買い取った時に、指揮下のセレブリテ厨房チームは分解しました。しかし、その間に彼と共に働いた若手達はその後も順調に伸びて、今では各所で実績を挙げています。
ミッシェル・フサール氏が第4回フランス菓子大講習会(1980年9月〜10月)で作った作品
Caroline au chocolat
カロリーヌ・オ・ショコラ
Caroline au cafe
カロリーヌ・オ・カフェ
プティ・エクレールの表面全体をフォンダンでグラッセするのが本来のカロリーヌなのです。小さいからフォンダンの割合を増やして味を濃くしてバランスをとっているのです。
左 Caroline au chocolat
カロリーヌ・オ・ショコラ
秩父宮家 特注品
右 Eclair au chocolat
エクレール・オ・ショコラ
368円
ルコント
「日本でカロリーヌは、めったに見かけませんが、皇室と大使館関係のパーティー用にルコントが作っています。この写真を見ると、普通サイズのエクレアが、いかに庶民的な食べ物であるかがバレてしまいます(^.^)(^○^)」
「下の方はフォンダンがグラッセされていません。これはやはり宮様の手を汚さないように配慮したものだと思います(^-^)\」
16世紀にイタリアのフィレンツェからアンリ2世のもとに嫁いできたカトリーヌ・ド・メディシスは、フランスに数々のお菓子を伝えたのは有名な話です。
「実はカトリーヌ・ド・メディシスは、カルメル会修道院にパンやお菓子のレシピを大切に保管させていたのです!(゚O゚)\」
カルメル会の修道女たちは、様々なパンやお菓子のレシピを秘蔵していました。ロレーヌ地方のナンシーに住み着いたカルメル会修道女によって、ナンシーのマカロンは18世紀に大成功をおさめましたが、フランス革命で1792年に憲法が修道会を廃止し、宗教的に迫害されるようになってしまいます。
カルメル会修道女たちは見つけられしだいギロチンで処刑されてしまいました。そんな時、二人の修道女が医者の家に逃げ込みました。かくまってくれた医者に、お礼の気持ちを込めてマカロンを焼いたところ、そのあまりの美味しさに医者が感動してフランス全土に宣伝して回ったからマカロンが広まったといいます。このナンシーのマカロンは砂糖を煮詰めてアーモンドパウダーなどの材料と合わせるのが特色で、平たい形で表面がひび割れています。
現在でもカルメル会修道院では一切が自給自足の生活なので、畑仕事などもしていて、クッキーやマカロン(もちろんナンシー・タイプ)を焼いて生活の糧としているのです。添加物など一切使っていないので素朴な味、というか修道院の菓子の味が本来の味なのです。
TRAITE DE PATISSERIE MODERNE
「Carmelite」(カルメル派修道女)
1 マンケ型にパートシュクレを敷き込む。
2 小豆または米を入れて空焼きする。
3 冷めたら型いっぱいにクレームパティシエールを詰める。
4 型の中に並べるのに都合が良いように少し細く長さの違うエクレールを並べて置く。
5 エクレールの間と縁の上に、星の口金を使ってクレームオブールを絞る。
この菓子はコーヒーまたはチョコレートで作る。
歴史的なアントルメがカットされました。
トレテ・ドゥ・パティスリー・モデルヌに載っているルセットでは、エクレアにはモカクリームとチョコクリーム、パート・シュクレの中はクレーム・パティシエールということになっていますが…
「おーっ!? 全然違います!(゚O゚)\」
「エクレアはモカもショコラも中はクレーム・パティシエールです!(゚O゚)\」
「こ…これは凄い! パート・シュクレの中にパータ・シュー…タルトの中にもエクレアが隠されていたのです!(゚O゚:)\」
「タルトの中にエクレア…そしてエクレアの上にエクレア…このような構造のお菓子が存在するとは信じられません!(@o@)\」
これはエクレア版ルリジューズとしての顔も持っています。これは2段だけの構造ですが、もっと高く積み上げてエクレアのクロカンブッシュを作ることもできそうです。その場合、土台はヌガーで作って、下の方のエクレアは皮を固くして強度をアップさせる必要があります。
「パート・シュクレにパータ・シューを敷き詰め、隙間にクレーム・パティシエール・ショコラを流し込んであります!(゚O゚)\」
「パータ・シュー」(シュー生地)は、16世紀中頃、カトリーヌ・ド・メディシスと共にイタリアからフランスに渡った製菓職人ポプラン(Popelin)がフランスに持ち込んだとされています。生地を半焼きにして、生地の中身を取り出して詰め物をするというシュークリームの元祖ともいうべき料理が生まれまたのです。そして、そのルセットはカルメル会修道院に保管されました。
エクレアの起源については、19世紀初頭にフランスの菓子職人アントナン・カレームが最初に作ったといわれています。カレームは、シュー生地を長くのばした形で、チョコレートやコーヒーではなく、衣にカラメルを使ったようです。
「カルメリットの食べ方ですが、先端に見えるエクレアの切れ端を下のタルトと一緒に食べてみましょう…(^-^)」
「やはりエクレアとタルトの相性はイマイチですね。美味いことは美味いのですが、焼きそば定食を食べているような感じがするのです(-Q-)」
「今度はエクレアだけを食べてみましょう…」
菓子に使われる生地の中で、最も古いといわれているシュー生地を使ったお菓子には、カルメリットやルリジューズの他に菓子職人の守護神に捧げたサントノーレ、結婚式のクロカンブッシュなど、宗教的な由来を持つものがいくつかあります。これらはシュークリーム、あるいはエクレアを一つずつ分け合って食べることによって“平等”という意味合いを強く含ませている菓子ではないかと、島田シェフは推測していているようです。

「やはりエクレアはエクレアだけで食べた方が美味です!(^Q^)」
「エクレアを食べ終わっても、まだエクレアがあります!\(^O^)/」 「そして、このような無残な形になっても、天才料理人アントナン・カレームの技法が見え隠れしています!(゚O゚)\」
18、19世紀のフランス料理史をひもとくと、アントナン・カレームの名が必ず登場します。古典料理の基礎を築いた功労者として知られるカレームですが、初期は菓子職人として名を馳せ、大がかりな宴会に欠かせない手の込んだピエスモンテをいくつも手がけたのでした。発表する度に話題を呼んだ彼の作品には、高さ数フィートにも達する巨大なものや、道化がその上に乗って踊ることができるほどの頂上面積と頑丈さを持つものがあったそうです。建築関連の書物から発想を得て、寺院や神殿、噴水、ピラミッド、古代の遺跡などの建築物を得意とし、本物をそのまま縮小して再現してみせたといいます。作るのに数十日かかり、見せることに比重を置いたので、全く食べられないものもあったそうですが、時として悪趣味に堕したそれ以前のピエスモンテを豪華に演出し、洗練された形で後世に伝えることができたのは、大きな功績でした。
「底のビスケットの部分もサクサク…これは全部食べられるピエスモンテです!(^Q^)」
島田シェフは、カレームが築き上げた精巧で装飾的なピエスモンテを極限まで低く、単純化する事によって、21世紀にも通用する“低いピエスモンテ”を見せてくれたのです。
ピエスモンテの最盛期には、なんと二十数名の本物の楽団が中に入ることのできるような菓子のプレゼンテーションがあったり、トロイの木馬よろしく巨大ケーキの内部に暗殺部隊が隠れていたりした(゚O゚:)\…などという話も残っているようです。それに比べればタルトの中にエクレア、エクレアの下にエクレアが隠れていた…というのは素晴らしい話です。
ポプラン、アントナン・カレーム、クロード・ボンテ…歴史に残るパティシエによって生み出された技法が土台となり、現代的にシンプルで洗練されたデコレーションでカルメリット(タルト・エクレール、エクレアのタルト)が現代に蘇えりました。

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