わんだふるはうす 聖夜のパティシエ・シマに行く

ブッシュ・ド・ノエル
パリ・エトワール
フルーツケーキ

ノエル…英語でいうクリスマスは、1年中の祝日の中では、一番家族的で、子供中心のお祭りです。レベイヨン(12月24日)の夜は、キリストの生誕を祝うミサに出かけ、帰ってから家族的な晩餐をしたり、翌日の25日には、子供たちがベール・ド・ノエル(サンタクロース)の贈り物を開けて大はしゃぎをしてから、一家揃って祖父の家を訪れて、にぎやかに昼食をいただいたり…と、久しぶりに祖父母や父母や親類が集う時でもあります。祖父母の家というのは、フランス人の言い慣わしでは、サンタクロースは祖父の家の暖炉の煙突から入って来て、子供たちへの贈り物を置いていくので、翌日、小さな孫たちがみんな贈り物をいただきに行くのだ…というわけです。そして祖母の心尽しの昼食をいただき、3時にはグーテ(おやつ)をごちそうになるまで、にぎやかに過ごします。レベイヨンの晩餐と25日のグーテと晩餐…そういう時に出るデザートがビュッシュ・ド・ノエルという薪の形をしたお菓子です。2007年12月24日、国内最高のフランス菓子職人である島田進さんのお店パティシエ・シマ」を訪ね、日本のトップ・パティスリーのクリスマスの世界を見せていただきました。

メリー・クリスマス!(^O^)/ いよいよ待ちに待ったクリスマス・イヴがやってきました。
予約していたクリスマスケーキをラトリエ・ド・シマで受け取りましょう。
メリー・クリスマス!(^O^)/ おおっ!?(^O^)\
パティシエ・シマのクリスマスツリーは、白いモンブラン型です!
素晴らしい!\(^○^)/
「こちらが、ワンダフルハウス様のクリスマスケーキでございます」「おおっ!(^O^)\ ”銀紙”でくるまれた方ですか?」「右側でございます」
それでは、ラトリエ・ド・シマのスタッフの皆さん、今年は大変お世話になりまして、有難うございましたm(__)m 来年もよろしくお願いいたします。良いお年をお迎えください!(^O^)/ パティシエ・シマにも挨拶していきましょう。
1998年10月にオープンしたパティシエ・シマ。今年で10回目のクリスマスを迎えました。ショーケースの光が大きなガラスに反射して、きらめく店内の様子は、若き島田シェフが修業を積んだルコント六本木店にそっくり。オープンのお祝いに駆けつけたアンドレ・ルコント氏が懐かしさからか、職人の厳しいまなざしを一瞬うるませたそうです。
メリークリスマス!(^O^)/
ショーケースに並んだアントルメとプチガトーは、どれを選ぼうか(^Q^)\…と、ついつい目移りしそうな鮮やかさ。にぎやかなクリスマスにこそふさわしい彩りです。
おっ! 定番のアントルメにヒイラギの葉っぱを差して、クリスマスケーキに仕立ててありますね(^O^)\
「ショコラF」(3675円)アーモンド・パウダーたっぷりのビターなチョコレート・ビスキュイの間にフランボワーズ・リキュール。「重いチョコレートケーキです。特別な時に食べてほしい。食後にコニャックやシガーを楽しむ感覚で」と語る島田シェフ。
「ロンポワン」(2100円)上は、さっぱりしたフロマージュブランのクリーム、下は濃厚なクリームチーズの2層になっています。周りのココアシュクレ生地との相性も最高!
おっ!? パリ・ブレストの真ん中の穴に赤い帽子が…どうやらサンタクロースが隠れているようです(^O^)\ そして、いよいよクリスマスケーキの登場です。
「エトワール・フレーズ」(3675円 カット420円)星型のパイの飾りがとってもキュートです!パティシエ・シマの定番「ムースフレーズ」に、天空から舞い降りた輝く星(エトワール)を飾った可愛らしいケーキ。苺とフランボワーズのソースを染み込ませたビスキュイと苺のクリームを重ねて仕上げた味わい深い作品です。
「ブッシュ・ド・ノエル」(3675円 カット420円)チョコレートとバニラのクリームをチョコレートの生地でサンド。フランボワーズ風味。
メインのショーケースの反対側をご覧ください。 この中にイギリスのクリスマスケーキがあります。
「フルーツケーキ」(2310円)は、「ケーク・オ・フリュイ」という名で、フランス菓子として定着していますが、もともとはイギリスのフルーツケーキやプディングの流れを受け継ぐクリスマスケーキです。
それでは、買ったクリスマスケーキを紹介しましょう。□o(^O^)o□□
島田シェフのブッシュ・ド・ノエルの登場です。
ルコントのバタークリームを使った古典的なブッシュ・ド・ノエルに比べると、シンプルでモダンな仕上がりですね。 おおっ! サンタは同じですよ!(゚O゚)\
「Joyeux Noel!(^0_0^)/ 私がブッシュ・ド・ノエルの細かいディテールについてご説明申し上げます。チョコレートでできたクリスマスカードをご覧ください。フランス語でメリー・クリスマスは”Joyeux Noel(ジョワイユー・ノエル)って言います」
「ブッシュ・ド・ノエル Buche de Noel」(3675円)ブッシュ・ド・ノエルは、どれも共通して薪の形をしています。ヨーロッパでは古くからクリスマスの前夜に薪をくべる習慣があり、それがよく燃えると来年の豊作、つまり家族の幸せが約束されるということから、この形になりました。
他にも、貧しくてクリスマスプレゼントを買えない青年が、恋人を暖めるため薪の一束にリボンをかけてクリスマスプレゼントとして贈ったという話もあります。
ブッシュ・ド・ノエルの飾りつけは、ヒイラギとキノコ。ヒイラギはキリストの受難を表すシンボルで、キノコは強い繁殖力から子孫繁栄を示すシンボルの意味があるのです。
ブッシュ・ド・ノエルの表面は、フォークを使って木目模様を描くのが正統的。 パティシエ・シマのは、表面をグラッサージュ・ショコラで仕上げてあります。
ブッシュ・ド・ノエルは、「クリスマスの薪」をイメージする茶色が基本。最近では、カラフルなピンクやブルーのブッシュ・ド・ノエルも販売されるようになりました。
ブッシュ・ド・ノエルの”ふた”をはずしてみましょう(^O^)o□ おおっ!(゚O゚)o□ チョコでガードされています!
ブッシュ・ド・ノエルがカットされました。
おおっ!?(゚O゚)\ 中はバタークリームじゃない!? ネットリした濃厚なアパレイユ…こ、これはクレーム・ブリュレです!(゚O゚)\
「アパレイユ Appaleil」とは、フランス語で「混ぜ合わせた流動状の生地」を意味する調理用語。お菓子を作る下準備として、牛乳、卵、グラニュー糖、バニラビーンズなどの材料を混ぜ合わせたものを言います。
ルコント パティシエ・シマ
ルコント時代、シェ・シーマ時代を通して、ずっと古典的なバタークリームのブッシュ・ド・ノエルを作り続けた島田シェフ。このクレーム・ブリュレを使ったタイプは、クレーム・ブリュレを日本で初めて商品化した島田シェフのブッシュ・ド・ノエルに対する現代的な解釈であると、ワンダフルハウスには感じられました。
アパレイユは、かなり柔らかく、とても繊細なので、ビスキュイを5枚も挟むことによって保形性を良くしているようです。
底からビスキュイ・ダマンド・ショコラ↑ガナッシュ(中にクレーム・ブリュレ)↑ビスキュイ・ダマンド・ショコラ↑クレーム・ブリュレ(中にビスキュイ・ダマンド)↑ビスキュイ・ダマンド・ショコラ↑クレーム・ブリュレ(中にビスキュイ・ダマンド・ショコラ)↑ビスキュイ・ダマンド↑グラッサージュ・ショコラ↑金箔スプレー
ビュッシュ・ド・ノエルの中に入っていたクレーム・ブリュレとは何でしょう? ここで、パティシエ・シマの2大スペシャリテ「クレーム・シマ」と「クレーム・アンジュ」のうち、「クレーム・シマ」を紹介いたします。卵黄と生クリーム、砂糖、バニラビーンズだけで作った生地をプリンのように焼き、最後にカソナード(赤砂糖)をふりかけて表面を焦がしたお菓子です。
マキシム・ド・パリのクレーム・ブリュレ
今から約40年前、フランス料理に革命が起こりました。伝統のルセット(作り方)と味を見直そう。肉に頼り過ぎず、魚介や野菜をもっと使おう。ソースは軽やかにヘルシーに…こうして生まれた新フランス料理(ヌーヴェル・キュイジーヌ)の旗手の一人がポール・ボキューズ氏。彼こそが、昔ながらのデザート「ポ・ド・クレーム(壷に入ったクリーム)」を平べったくし、赤砂糖を振りかけて強火で素早く焦がして、このクレーム・ブリュレを創作したのです。
ポール・ボキューズ氏がクレーム・ブリュレの生みの親ならば、育ての親がジョエル・ロビュション氏。1980年代前半、若きジョエル・ロブション氏が、史上最短でミュラン3つ星を獲得した伝説のレストラン「ジャマン」で、アヴァン・デセール(アヴァン・デセール→デセール→プチ・フールと3皿供されるデザートの突き出し的存在)として発表し、当時のパリのスノッブな人種の間に、ちょっとしたブームを巻き起こしたのがクレーム・ブリュレです。島田シェフが愛読している19世紀発行の古典製菓本「Nos 1500 Recettes Bonne Patisseries」に、すでにクレーム・ブリュレが登場しているので、発祥はもっと古いそうです。すたれていたものを発掘し、3つ星レストランの洗練されたアヴェン・デセールとして復活させたのは、さすがロブション氏の慧眼です。島田シェフが、パリの超高級レストランで、ごく限られた客しか食べられない贅沢品だったクレーム・ブリュレを、街のお菓子屋のアイテムとして提供できないかと工夫をこらして創り上げたのが、このココットに入れたスタイルです。世界に名だたるレストランと同等な絶品の味を誰でも楽しめるように、手頃な値段のお菓子に変えられたことが、島田シェフにとっての一番の喜びだったそうです。映画「アメリ」で注目され、現在ではフランスのパティスリーでも珍しくなくなったクレーム・ブリュレ。パティスリーで定着したのは、意外にもフランスより日本のほうが早かったのです。
ジョエル・ロブション氏は、1978年に33歳で「ホテル・ニッコー・ド・パリ」料理部門長に就任。1981年パリ16区のロンシャン通りに、史上最短でミュラン・ガイド3つ星を獲得した伝説のレストラン「ジャマン」を開店。’82年に1つ星、’83年に2つ星、そして’84年に3つ星と、わずか3年で一気に頂点へと駆け上がりました。1994年「ジャマン」を「ジョエル・ロブション」としてパリのレーモン・ポワンカレ通りに移転拡大。島田シェフは、ロブション氏がシェフだった頃の「ホテル・ニッコー・ド・パリ」で働いたことがあるそうです。
「アヴァン・デセール avant dessert」とは、フランス料理のフルコースでデザートが2皿構成の時などに1皿目にでてくる軽いデザートのこと。ソルべやジュレ、アイスクリームなど軽く小さな冷菓などの場合が多いです。
島田シェフが、パリの超高級レストランで、ごく限られた客しか食べられない贅沢品だったクレーム・ブリュレを、街のお菓子屋のアイテムとして提供できないかと工夫をこらして創り上げたのが、このココットに入れたスタイル。世界に名だたるレストランと同等な絶品の味を誰でも楽しめるように、手頃な値段のお菓子に変えられたことが、島田シェフにとっての一番の喜びだったそうです。映画「アメリ」で注目され、現在ではフランスのパティスリーでも珍しくなくなったクレーム・ブリュレ。パティスリーで定着したのは、意外にもフランスより日本のほうが早かったのです。
「クレーム・ブリュレ・シマ Creme brulee shima」(420円)島田シェフが「レストランのデザートを家庭でも」と考えついたのがココット型に入れたクレーム・ブリュレ。つまり、島田シェフが初めてブリュレのテイクアウトを実現させたのです。1988年9月に「シェ・シーマ chez CIMA」が開店した時から、ずっと作り続けていています。1990〜91年にかけて、”ポスト・ティラミス”と呼ばれ、クレーム・ブリュレが流行した時は大ブレイクしました。1998年10月に独立し、オーナーシェフとして「パティシエ・シマ Patissier Shima」を開店した時も作り続け、2001年の秋〜冬にかけて、フランス映画「アメリ」の大ヒットで再ブレイク。現在でも真っ先に完売してしまう人気商品です。
「クレーム・ブリュレ」は、フランス語で「焦げたクリーム」の意味。表面に赤砂糖を振りかけて、バーナーで短時間のうちにキャラメル状にパリッと焦がして出来上がり。
空想の世界に浸りながらのんびり暮らしている、モンマルトルのカフェの店員アメリの好きなこと、それは「豆が入った袋に手を入れること」、「運河に石を投げて水切りをすること」、そして「クレーム・ブリュレのカリカリをくずすこと」! アメリは、ふとしたできごとをきっかけに、自分の世界から抜け出る決意をし、やがて恋をして…。そんなアメリのお気に入りのクレーム・ブリュレは、ほんの短い登場シーンなのに、すごいインパクトがありました。こんがり飴色のクレーム・ブリュレの表面を、勢いよくスプーンでたたいて割り、中から現れるとろ〜り卵色のクリーム…パティシエ・シマのは、マダガスカル産のバニラを1ヶ月間砂糖漬けにしたバニラシュガーを使うので、卵臭さが消え、生クリームとバニラの香りが引き出されるのです(^Q^)
島田シェフが心を込めたクレーム・ブリュレ入りビュッシュ・ド・ノエル。クリスマスケーキの王者のごとく、強烈に、濃厚に自己主張して、舌と目に訴えてきます。
卵黄がたっぷり使われ、ふんわりした舌触り(^Q^) 卵とバニラビーンズの香りが溶け合って、何とも言えない優しい味がします。
続く

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