わんだふるはうす、パティシエ・シマに行く

ガレット・デ・ロワ “ベルナール・ビュッフェ”

2010年7月、クラブ・ドゥ・ラ・ガレット・デ・ロワ(会長:島田進氏)とル・コルドン・ブルー・パリ株式会社(代表取締役:シャルル・コアントロ氏)は世界的にも有名な自転車レースの最高峰であるツール・ド・フランスの開催に合わせ、「Fete du Tour de France 〜パリ・ブレストとツール・ド・フランスと共に巡る地方菓子〜」を行いました。クラブ・ドゥ・ラ・ガレット・デ・ロワが取り組むフランス伝統菓子・地方菓子の文化普及活動の一環として、7月3日〜25日のツール・ド・フランス開催期間中、全国のクラブ・ドゥ・ラ・ガレット・デ・ロワ会員店舗並びにル・コルドン・ブルー代官山校・神戸校において、ツール・ド・フランスを象徴するパリ・ブレストやツール・ド・フランスのルートにある地方菓子のフェアを展開しました。2010年7月、クラブ・ドゥ・ラ・ガレット・デ・ロワ会長 島田進さんのお店「パティシエ・シマ」でフェット・デュ・ツール・ド・フランス番外編が開催され、パリで最も美しくて賑やかな名所をクープに彫った夏のガレット・デ・ロワが披露されました。

2010年7月

ラトリエ・ド・シマ
「トントン♪ トントン♪ トントン♪…」
「トントン♪ トントン♪ トントン♪(^o^)//(()」
「こんにちは。私がワンダフルハウスです(^-^)//(()トントン♪ 先ずは嬉しいニュースがあります。『製菓製パン2010年8月号』に私が載りました!\(^○^)/(()トントントーン!! 島田進シェフ制作Galette aux Pommesの上に立って太鼓を叩いている私の勇姿がこちらで見れます」
「これで私はフェーブ界のスーパースターの仲間入りです!\(^○^)/(()トントントーン!! ヌーヴェル・ガレット・デ・ロワ(新しいガレット・デ・ロワ)を提唱し、普及のために活動してきたのが評価されたのだと思います(^O^)//(()トントコトン!!」「気に入らねぇ…気に入らねーな…ブツブツ…」「ウオッホン!数あるフェーブの中から何故ワンダフルハウス君だけが選ばれたのか?我々も雑誌に載りたかった
製菓製パン2010年8月号
「ガレット・デ・ロワの基本と応用の技 2011年新春実売とコンクール挑戦者に向けての手引き書」
のために作られたGalette aux Pommes
製菓製パンに載ったガレット・デ・ロワ・オー・ポンムもヌーヴェル・ガレット・デ・ロワの一つです。
クープは本来の島田シェフの彫りと違って線が細めになっていますね。
「おーっ!?リンゴです!(゚O゚)
「クレーム・ダマンドの上にリンゴの層があります!(゚O゚)
カットしたら、リンゴがはみ出してきました。
これは、スーパーポムというリンゴのコンポートをペースト状にしたものをクレーム・ダマンドの上に塗って焼いたものです。詳しい製法は『製菓製パン2010年8月号』に掲載されています。製菓実験社のお菓子とパンの総合月刊誌『製菓製パン』は業界紙のために普通の本屋さんでは売っていません。こちらでお買い求めの上、御覧ください。
「Galette aux Pommesの次は、島田会長が仕込みにまる一日かけた2台のガレット・デ・ロワをお見せしましょう」
「テーマは『夏のフルーツを使った新しい日本の夏のガレット・デ・ロワ』」
「日本の夏のガレット・デ・ロワだって?気に入らねぇ…気に入らねーな…ブツブツ…」「ウオッホン!日本人はこれだから困る。君は我々フランス人の伝統文化を破壊するつもりなのか?
「『Fete du Tour de France 〜パリ・ブレストとツール・ド・フランスと共に巡る地方菓子〜』フェアで、パティシエ・シマが出品したお菓子は…」
パリ・ブレスト
3150円
「パリ・ブレスト」
大きなリング状のシュー生地に、アーモンド・スライスを振りかけて焼き、プラリネ・クリームをはさんだパリ・ブレスト。その誕生は1891年、パリとブルターニュ地方のブレストという町を結ぶ自転車レースが発端でした。パリ郊外の町、メゾン・ラフィットに店を持つパン職人が生みの親。店の前を次々と過ぎていく競技車の車輪になぞらえ、このお菓子を考案したと伝えられています。これがたちまち評判を呼び、ブレスト内のパティスリーでも作られるようになったのだとか。1951年以降、パリ・ブレスト間のレースは行われていませんが、お菓子の方は119年経っても色あせていません。
カレ・アルザシアン
262円
「フランボワーズジャムをサクサクのパイ生地でサンドしたカレ・アルザシアン」
ガトー・バスク・オー・スリーズ
1890円
「5月30日ホテルニューオータニで行なわれた島田徹さんと藤森もも子さんの結婚披露宴で島田家の引き出菓子となったガトー・バスク・オー・スリーズ。ダークチェリー、サワーチェリー、グリオット。3種のチェリー入りガトー・バスクです」
マカロン・パリジャン
5個 1050円
「マカロン・パリジャン」
「発表します。島田進会長がフェット・デュ・ツール・ド・フランス2010に番外出品したお菓子は…(^-^)//(()トトトトトト…」
Galette des rois 2010ete
PARIS ETOILE
“Bernard Buffet”
2010年夏のガレット・デ・ロワ
パリ・エトワール
“ベルナール・ビュッフェ風”
特注品
「2010年夏のガレット・デ・ロワ パリ・エトワール ベルナール・ビュッフェ風です!(^O^)//(()トトトーン!!」

「おおっ!? あのクープは何だ!?」
「シャルル・ド・ゴール広場の凱旋門だ!」
「ウオッホン!シャルル・ド・ゴール広場は、私が子供だった1970年代はエトワール広場と呼ばれていました。この広場は凱旋門を中心に、シャンゼリゼ通りなど12本の通りが放射状に延びていて、その形が光り輝く星のように見えるので、星の広場(エトワール広場)と呼ばれていたのです」
「パリ市内には凱旋門はいくつもあって、最も有名なこの凱旋門は『エトワール広場の凱旋門』という意味の『Arc de triomphe de l'Etoile』という正式名称があります」
「このクープは私が描いた絵がベースになっているのです」「あんたは絵描きか?」「私の名はBernard Buffet。この絵が新パリシリーズの凱旋門です」
真ん中のフェーヴこそ島田シェフが最も好きな画家であるベルナール・ビュッフェ氏です。
20世紀最大の巨匠の一人として名声を博したベルナール・ビュッフェは1928年パリ生まれ。1943年パリ国立高等芸術学校入学。正規の芸術教育を受けるはずが、母親の死により退学。その後ルーブル美術館に通い詰め、レンブラントやドラクロワ、クールベを学びます。1948年20歳という若さで新人画家の登竜門と言われる批評家賞を受賞。その後ピカソの活躍を凌ぐと評される勢いで画壇の寵児となり世界を席巻していきましたが、後年は様式のマンネリ化が目立ち批判を受けるようになりました。1971年フランスの国家勲章であるレジオン・ドヌール勲章を受章。日本には早くから紹介され、静岡県長泉町には彼の作品のみを収蔵・展示するベルナール・ビュフェ美術館が1973年開館。1974年アカデミー・フランセーズ会員となりますが、晩年にはパーキンソン病を患い、1999年自らの手で絵筆を置き生涯を閉じました。
続く

戻る