わんだふるはうす、パティシエ・シマに行く

ガレット・デ・ロワ “アメデオ・モジリアーニ”

1917年、裕福な家庭の画学生ジャンヌ・エビュテルヌは破滅型の売れない画家モディリアーニと出会い、両親の反対を押し切って同棲します。モディリアーニはジャンヌを得て、深い愛の生活が生まれ、制作に没頭できるようになります。しかし、1918年、モディリアーニは結核が進行し、画商ズボロウスキーの援助を受けて妊娠中のジャンヌと南フランスに転地し、1年余をニース近郊で過ごします。ニースの産院で女児が誕生、ジャンヌと命名されます。第一次世界大戦後の1919年5月にパリに戻り、モンパルナスのカフェ「ラ・ロトンド」に行くと、新進気鋭の画家、小説家、詩人たちが集っては語り合い、賑わっていました。そこにはピカソ、キスリング、スーチン、ユトリロ、ディエゴ・リベラ、そしてジャン・コクトーもいました。成功者のピカソ、なぜか彼にライバル心を露わにする異端者のモディリアーニ。「ジャンヌのことを考えろ」。ピカソは好意からか、モディリアーニになにかと気を配ったりします。しかし、モディリアーニは酒と麻薬に溺れ、肺結核の病状が悪化。病院に運ばれるも快復せず、1920年1月24日に35歳の生涯を閉じました。あれから90年…あれというのは、モディリアーニが死んだ翌25日早朝、妊娠中だったジャンヌが両親の家の6階の窓から投身してモディリアーニの後を追いました。あれから90年後の2010年3月、クラブ・ドゥ・ラ・ガレット・デ・ロワ会長 島田進さんのお店「パティシエ・シマ」でサロン・ドゥ・ラ・ガレット・デ・ロワ番外編が開催され、ジャンヌ・エビュテルヌの肖像画をクープに彫ったガレット・デ・ロワが披露されました。

2010年3月

パティシエ・シマ
島田進さん(クラブ・ドゥ・ラ・ガレット・デ・ロワ会長 クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー日本実行委員会副委員長)のお店「パティシエ・シマ」。
「おおっ!?(^O^)\」
「春の新作ガトーがあります!(^O^)\」
「さくらももこ…といえば、ちびまるこちゃんです!島田徹シェフ、これは、ちびまるこちゃんをイメージして作ったのですね?(^O^)\」「ワンダフルハウスさん、違います。これはもも子のために作りました」「もも子というと…鎌倉ごぶっけんの藤森もも子さんですか?(^-^)\」「実は2月から島田もも子になりました」「マ…マジですか!? 日本のトップパティシエの息子とトップブーランジェの娘がマリアージュしていたとは!(゚O゚)
ラトリエ・ド・シマ
「そうでしたか…それはそれは、おめでとうございます_(._.)_」「ありがとうございます。ワンダフルハウスさんも結婚式に招待したいのですが…」「もちろん喜んで!\(^○^)/」「席はどうしようかな…」「私はフランス料理アカデミーの重鎮たちの席かカリスマシェフの席…服部先生の隣か鎧塚俊彦&川島なお美夫妻の隣を希望します!(^O^)/」
リヴ・ゴーシュ
525円
リヴ・ゴーシュとは、パリのセーヌ川左岸の芸術家が集まる広場がある地域です。
「ん?(^-^)\」 「桜です!これは美しい!(^O^)\」
「この付け合わせは何でしょう?」 「淡いピンクでフワフワしています(^-^)つo
ギモーヴ・さくら
630円
「ワンダフルハウスさん、それは桜のギモーヴです」「ギモーヴ?
「おお!ギモーヴとはジューシーなマシュマロです! 口に入れるとシュワ〜ッと溶けます!(^Q^)」
オレンジのシロップ煮をスライスしたものが載っています。
「蜜がたっぷりで、見るからにジューシー!(^Q^)\」
「おおっ!?この断面は…(゚O゚)
Etoile heritage pour Momo&Jiro
エトワール・エリタージュ・プール・もも&二郎
島田徹シェフからのクリスマスプレゼント
2009年
「昨年のクリスマスに島田徹シェフが藤森二郎シェフ&藤森もも子嬢に贈ったクリスマスケーキ『エトワール・エリタージュ』に似ています!」 「一番上はフランス産高級ナポレオンコニャックが香るカフェクリーム。コニャックのシロップをたっぷり塗ったビスキュイ・ダマンド・ショコラをはさんで2段目と3段目は豆の焙煎からこだわったシマ・オリジナルコーヒーを使ったカフェオレ・バヴァロワ。4段目はカカオの風味がしっかりとしたミルクチョコレートムースでした」
リヴ・ゴーシュ エトワール・エリタージュ
「リヴ・ゴーシュはシマ・オリジナルコーヒーとヴァレンシアオレンジをマリアージュさせたものなのです」と語る島田徹シェフ。ここで、もも子夫人が超リスペクトしているゲストが登場…
クラブ・ドゥ・ラ・ガレット・デ・ロワ理事 大森由紀子氏
「コーヒーとオレンジのマリアージュ?マリアージュしたのはトオルちゃんとお嬢じゃない。結婚記念にクリストフルのカトラリーをフルセットで揃えなさいよ」「ええっ、そんなお金ないですよ…」「おおっ!?ゆき姉!(゚O゚)
フランス菓子・料理研究家、クラブ・ドゥ・ラ・ガレット・デ・ロワ理事、クリストフル親善大使…ユッキーこと大森由紀子さんの登場です。
「ねぇ、ワンダフルハウスちゃん、今度クリストフルのセールやるんだけど来ない?」「私は新しい太鼓を買うために節約中なのでクリストフルのような高価なものはちょっと…。フォークはコンビニでスパゲティーを買った時に付いてくるものを洗って使っているので充分なのです。しかし、将来はクリストフルに純銀の太鼓バチをオーダーできるような身分になりたいものです(^-^)//(()トントン♪」
大森由紀子さんからのお知らせ
クリストフル・ファミリーセール開催します

日時:2010年4月16日(金) 13:00−19:00
         4月17日(土) 11:00−17:00
場所:中沢フーズ キッチンスタジオ
東京都港区新橋1−18−1 航空会館3階
商品アイテムは、フォトフレーム、カトラリーはもちろん、
アクセサリー、ティーポット、トレイ、クリスタルなど
いろいろあります。
当日、ユッキー受付におります。
クリストフルCEO イヴ・アルマニーさんもその辺をウロウロしております。

今回は、30−75%引きの特別割引です!!
みなさんのお越しをお待ちしております。

さくらももこ
525円
「ところで島田(進)シェフは?」「さっきまでいたのですが、ガレットを焼き上げてすぐにクープ・デュ・モンド国内予選の表彰式のためにフランス大使館に行っちゃいました」
「10月には藤森二郎シェフと共通の!!!お孫さんが生まれるんですよ、島田進シェフ。ユッキーは、いまだに信じられないよー。でも、おめでとうと言わせていただきます」
シブーストとは、19世紀、パリのサントノーレ通りにあった菓子店の職人シブースト氏が考案したクレーム・パティシエールにイタリアン・メレンゲを混ぜたクレーム・シブーストを使ったタルト。
表面をしっかりキャラメリゼするのがポイントです。
「桜風味のクレーム・シブーストと白桃のマリアージュです!(^Q^)\」
「おっ、フランボワーズも入っていました!(^Q^)\」
サントノーレさくら
577円
「ところでサントノーレとは?(^-^)\(()」「サントノーレはパータ・フォンセの周囲に小さなシューを置き、中央にクレーム・サント・ノーレ(クレーム・シブースト)を絞ったお菓子。名前の由来は諸説あります。菓子職人・パン職人の守護聖人『聖オノレ Saint-Honore』に捧げたとの説、クリームを考案したシブーストさんがパリのサント・ノーレ通りに店を構えていたとの説が一般に知られています」「菓子職人・パン職人のシュゴ星人!?(゚O゚)
「ゆき姉、シュゴ星人ってパティシエやブーランジェに変装した宇宙人ですか?(^-^)\(()」「シュゴ星人じゃなくて守護聖人よ。サン・トノーレは、西暦660年頃アミアンの司教でした。この聖者の生活については、あまり文献が無いんだけど、伝説によると、ある日、ミサを行なっていた時に“神の手(Main celeste)”からパンを授かった、とあります。サン・トノーレがパン屋のパトロンとなったのは、この伝説に基づいているんです」
本来のサントノーレは、パイの土台に飴がけしたプティ・シューを飾ったアントルメです。
これは飴の代わりに桜風味のピンクのフォンダンをかけて、桜の花を模したマジパンを飾ったアレンジ・サントノーレです。
「クレーム・サント・ノーレは、クレーム・パティシエール(カスタードクリーム)とムラング・イタリエンヌ(イタリアン・メレンゲ)を合わせたクリームのことで、もともとはサントノーレの中央に絞るクリームとして作られました。これはクレーム・シャンティね…実は最近ではシブーストクリームを使用したサントノーレは、ほとんど見かけなくなってしまったのよ」
オーボンヴュータン
「そういえば、オーボンヴュータンでクレーム・シブストを絞ったサントノーレを見たことがあります。あれは本物でした(^-^)//(()トトトーン♪」
サントノーレ
2625円
オーボンヴュータン
「TRAITE DE PATISSERIE MODERNE」を見てみると…初めてサントノーレが作られた頃は、泡立てた生クリーム「Creme de lait fouettee クレーム・ド・レ・フーエッテ」(現在のクレーム・シャンティ)だけを使っていた、と記述されています。だが、今日(原書が発行された1950年当時)では、必要材料の入手難の結果、クレーム・キュイット(Creme cuite)を用いるようになった、と。簡単に言えば、このクレーム・キュイットこそ現在の古典的なクレーム・サントノーレなのです。研究の結果、何種類かの作り方が記載されていますが、パティスリーにおいては、まず一定量のクレーム・パティシエールをとって煮立たせ、これを泡立てた卵白に静かに注いで混合し、店売りの場合、菓子を長持ちさせるために(1950年当時のパティスリーには冷蔵のショーケースが無かった)、ゼラチンを入れることがある。その場合には、クレームに卵白を混ぜる前に、前もって冷水につけ、水を絞ったゼラチンを加える、とあります。
河田シェフのクレーム・シブーストは、卵黄が多めのリッチな配合のクレーム・パティシエールにゼラチンとイタリアン・メレンゲを混ぜる極めて古典的な製法です。
できたてのフワッとしたシブスト・クリーム、カリッとして塩味の効いたフォンセ生地、カラメルの甘さと苦さ…味と食感に激しいコントラストがあります。
オーボンヴュータンのサントノーレのプティシューの中身は普通のクレーム・パティシエールでした。
パティシエ・シマの桜サントノーレのプティ・シューの中身も普通のクレーム・パティシエールですね。
クレーム・シャンティの下も普通のクレーム・パティシエール。
「最近の流行として、例えば桜のサントノーレの場合、プティ・シューのフォンダンだけでなく、中に詰めるクリームも桜色に着色して桜風味も強める傾向がありますが、パティシエ・シマの場合は島田進シェフが君臨している限り、大きな進化は望めないようです(:゚-゚)//(()トトーン」
ここで平岩理緒さんが登場。「あれ?理緒ちゃん、クープ・デュ・モンドの取材でフランス大使館に行ったんじゃないの?」「大森先生、それがフランス大使館に着く直前に『ラトリエ・ド・シマで間もなく新しいガレット・デ・ロワが誕生するから直ちに急行せよ』っていう怪メールが届いて…島田会長が3月にガレット・デ・ロワ!?…って気になって、こっちに来ちゃったんですよ」「あ、そのメール、私にも届いた」 「実はそのメールを送ったのは私なのです。あの平岩理緒さんがクープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー日本国内予選の結果発表と表彰式をすっぽかしてまで見に来た“新しいガレット・デ・ロワ”とは…(^-^)//(()トトトトト…」
平岩理緒さんは2002年に『TVチャンピオン』第1回デパ地下選手権で優勝した経緯から、デビュー当初はデパ地下研究家として知られました。その後、マーケターとして食品メーカーなどのプロモーション、リサーチを担当し、商品開発・販促のプロセスに深く関わった経験を生かし、独立。 現在は雑誌やWEB、ラジオ、TV等でおすすめスイーツを中心とする「食」にまつわる情報ジャーナリストとして活動中。スイーツ好きのためのコミュニティサイト「幸せのケーキ共和国」を主宰されています。
「発表します!(^-^)//(()ドドドドド…
ガレット・デ・ロワ
“アメデオ・モジリアーニ”
大きな帽子をかぶったジャンヌ・エビュテリュヌ風
特注品
ガレット・デ・ロワ・ドゥ・サクラ・デュ・ジャポン
特注品
「これが新しいガレット・デ・ロワです!(^O^)//(()ドドドーン!!!」
ガレット・デ・ロワ
“アメデオ・モジリアーニ”
大きな帽子を被ったジャンヌ・エビュテルヌ
特注品
つばの広い帽子をかぶって、人差し指と中指を頬に当てた…アメデオ・モディリアーニのあまりにも有名な代表作『大きな帽子をかぶったジャンヌ・エビュテルヌ』がガレット・デ・ロワのクープになりました。
大きな帽子を被ったジャンヌ・エビュテルヌ
アメデオ・モジリアーニ
1918年
ガレット・デ・ロワ
“アメデオ・モジリアーニ”
大きな帽子を被ったジャンヌ・エビュテルヌ
島田進
2010年
帽子と顔の配置が独創的な雰囲気を醸し出しています。頬に当てた指の所在なさ、中心より左に外れて少し傾いた頭部の構図にジャンヌの心理的な深さが読み取れるような作品です。ブルーグレーの背景に瞳の無い青い目というモディリアーニの典型的な女性像は数多く描かれていますが、この作品こそ35歳という短い生涯の間にモディリアーニが到達した一つの境地であると思われます。
「帽子は黒く、髪の毛は焦げ茶色に着色されています!(゚O゚)(()」
ガレット・デ・ロワ・ドゥ・サクラ・デュ・ジャポン
特注品
「そして、もう一つ…桜のガレット・デ・ロワもどうぞ!(^O^)//(()ドドドーン!!!」
「おおーっ!? 浮いてる、浮いてる…クープが浮き上がっています!(゚O゚)(()」
「宙に浮いたクープの上に桜の花が軽やかに乗っかっています!(゚O゚)(()」「素晴らしい!これこそヌーヴェル・ギャレット・デ・ロワ!新しいガレット・デ・ロワだよ!」
「今、ヌーヴェル・ギャレット・デ・ロワと叫んだのは誰ですか?(゚-゚)(()」「こっちだよ…下から2段目の一番左…」
「カ…カエルです! しかも王冠をかぶっています!(゚O゚)(()」「これはギャレット・デ・ロワに付いてくる紙の王冠ではなく、本物の王冠なのです。私は元ポーランド王でロレーヌとバール地方の公爵となったスタニスラス・レクチンスキーです」「スタニスラス・レクチンスキーというとババを発明した…(゚O゚)//(()トトーン!!」
「私の左側にいる羊君こそ、私スタニスラス・レクチンスキー付きの料理長であり、ラム入りババの発案者であったジリエ(Gilliers)です」「ババは日本では、フランスの伝説の美食家ブリア・サヴァランの名に由来してサヴァランとも呼ばれていますが…」
サヴァラン
472円
「日本でサヴァランというと、ラム酒にブリオッシュ生地を浸したババにクレーム・パティシエールを詰め、クレーム・シャンティとフルーツで飾ったもの、という印象があります」「ジリエは1751年に『フランスのカナメリスト』(Cannameliste francais)という本を出版しました」「カナメリスト?(゚-゚)(()」「カナメリストという言葉は『砂糖きび』(canne a sucre)を意味する『カナメル』(CannameI)から派生しています。この本にはジャム、ビスキュイ、ボンボン、ヌガーの作り方が記されています
私の右側にいる豚君は、私スタニスラス・レクチンスキーの従臣で侍医のピエール・ジョセフ・ビュショ(Pierre-Joseph Buchoz)です。ビュショは1771年『国産ならびに外国産の植物に関する食物概論』(Manuel alimentaire des plantes tant indigenes qu'exotique)を出しました。ところが、この本の内容は書名とはおよそかけ離れていて、アントルメ、果実、ジャム、リキュールについて述べられており、著者が鋭い味覚の持ち主だったことが窺われます
また、1768年にはエミー(Emy)なる人物が「氷菓を上手に作る術」(Art de bien faire les glaces d'office)を出版していますが、プロコピオ(パリにあるレストラン・プロコップを作ったシシリア人で、1600年頃フランスに始めて氷菓を紹介した)よりも一段と技術の進歩を示し、優れた本であることが明らかにされたのです

アリ・ババ
370円
オーボンヴュータン
オーボンヴュータンでは、サヴァランは「アリババ」という名称で売られています。
ラムレーズン4粒と水飴で煮詰めたオレンジの皮の千切りがトッピングされています。
ネグリタ・ラムを生地にたっぷり打つだけでなく、カスタードクリームにも加えてあるそうです。
「これは凄い!(゚O゚)\ これは普通のブリオッシュ生地ではありません。細かい気泡にまでラム酒を染み込ませるパータ・ババというアミの目状の組織が特徴の特製生地なのです」
「我々の時代はパティスリーの黄金時代でした。ルイ15世が治世していた時代はシュクレ(甘いもの)が君臨していたのです。我々の時代に比べると現在のパリや東京のパティスリーはレベルが低過ぎる…「何ですって!?それはひどい…」「我々の時代は、あらゆる食物、とりわけ甘い物に対する探求が盛んでした。例えば、ベルニス枢機卿(1715〜1794)が評判の高い素晴らしいクレープを生み出し、サン・ジェルマン伯爵(1707〜1778)が汁のたっぷり入った果実の形をしたボンボンを作り、ラプラス伯爵(1749〜1827)が苺を甘いオレンジの果汁に浸けることを考案した…という具合です」
「コッコリコー!!! 今こそ日本における新ギャレット・デ・ロワの夜明けです!」「ココリコ?あの鍋に入ったニワトリは?(゚O゚)(()」「coqはフランスの国鳥であり、その鳴き声であるcocoricoはフランスの愛国心を表現するのに用いられる単語なのよ」
「ほぅ、これは…」
「これは桜の花粉を表現しているのですか?」
「これは金粉をスプレーしたものなのです(^-^)つ┏「我々の時代には出来なかったことです。実に見事ですなぁ」
「ふむふむ、なるほど…」
「黒い部分はココアで着色したというわけですな」
「私はマリー・アントワーヌ・カレームと申します」「ちょっと!…“王の料理人、料理人の王”と呼ばれて、政治家やロシア皇帝、イギリス皇太子などの料理人として食卓を任されるまでになった、アントナン・カレームよ! 今日フランス料理のシェフがかぶっている帽子や新たな鍋を考案したのもカレームで、現在の“カリスマシェフ”の先駆け的な人なのよ」「私のパトロンであったタレーランの名語録に『1789年以前に生きたことのない人に、人生の甘美さはわからぬ』というのがあります。したがって、あなたがたに人生の甘美さはわかりません「何ですって!?それはひどい…」
「1814年に始まったウィーン会議の間、タレーランはたびたび夕食会を主催し、そこであなたが出した料理は出席者の評判をさらい、カレームさんの名は一躍有名になったのですね。ウィーン会議が終わった時、ヨーロッパの地図と上流階級の食べる料理は刷新され、あなたはイギリスの摂政皇太子(後のジョージ4世)の料理長としてロンドンに赴き、その後はサンクトペテルブルクでロシア皇帝アレクサンドル1世、ウィーンでオーストリア帝国皇帝フランツ1世などに仕えた後、パリに戻って銀行家ジェームス・ロスチャイルド邸の料理長に就任した…」「タレーランには重複した料理のない、季節の食材のみを使用した1年間のメニューを作る事を命じられ、私は厨房で試行錯誤させられる羽目に陥りました。私にとってタレーランは単にパトロンと言うにはとどまらず、課題を課され結果を吟味する審判者としての役割も兼ねていたのです」
「ところでカレームさん、窓の外を見てください。あれが日本の桜です(^-^)//(()トントン♪」
「あれが日本の桜ですか? パリの桜(fleurs de cerisier フルール・ドゥ・スリジェ)はもっと濃いピンクで実がなるのですが…」「日本のソメイヨシノは淡いピンクで、実はならないのです。来週にはもう散ってしまうでしょう」
「なんという優雅な! そしてなんと儚いのでしょう! Beaute ephemere! まるでジャンヌ・エビュテルヌのような…」「ボテ・エフェメール!?(゚O゚)(()」「Beaute ephemereって『儚い美しさ』って意味なのよ」
「この2台のギャレット・デ・ロワもパリで1月に見かけるギャレット・デ・ロワとは全然違います。日本文化独特の優雅さと儚さを感じるのです。ヌーヴェル・ギャレット・デ・ロワ・ジャポネーズとでも申しましょうか…」
「ヌーヴェル・ギャレット・デ・ロワ・ジャポネーズとは素晴らしい! しかし、島田進会長の話では1月以外に作られたガレットには『デ・ロワ』と付けてはいけないそうです。Galette fourree aux amandes(ガレット・フーレ・オザマンド)とかGalette fourree de frangipane(ガレット・フーレ・ドゥ・フランジパーヌ)のように呼ぶべきであり、4月以降に発売されるピエール・エルメの「ガレット・ドゥ・ピエール・エルメ2010」にも『デ・ロワ』は付いていませんが…(:゚-゚)//(()トトーン」「新しい道を切り開くのです! 私が世に出る以前の名料理人といえばムノン(Menon)でした。ムノンには多数の著書があり、最初の著作は『新料理概論』(Nouveau traite de la cuisine)ですが…」
ムノンの『新料理概論』(Nouveau traite de la cuisine)なら私も見たことがあります。紀伊国屋書店の西洋稀覯書展で初版を168万円で売っていました(:゚-゚)//(()ドドドーン\1680000」「これは2巻本で1739年に第1巻、1742年に第2巻が出されました。この本にはフランソワ・マランの『食道楽の神コムスの贈物』の強い影響が見られます。次いで1746年に『簡単で安く、しかもきわめておいしい料理の作り方を順序よく集めた書』と銘打った本がギラン書店から出されました。これは『ブルジョワ家庭の女料理人』(La Cuisiniere bourgeoise)と題されており、オルムソン(ヴァル・ド・マルヌ県)の女性町会議長の家の料理人ブラン夫人が書いたものだと言う人たちもいましたが、それは間違いで、やはりムノンの著作であり、19世紀後半に到るまで版を重ねることになりました。ムノンはその他に5〜6冊の本を書いていますが、とりわけ1755年に発表した高級料理の書『宮廷の夜食』(Les Soupers de la Cour)で名声を博しました。この本には次のような副題が付けられています。『四季に応じて最高の料理を供するためにあらゆる種類の食物を調理する術』(Ou l'art de travailler toutes sortes d'aliments, pour servir les meilleures tables suivant les qurtre saisons)。これは1755年にユイラン書店から4巻本で出されましたが、1778年にL・セロ書店から3巻本の新版が出されています」
「ムノンの料理は私に言わせれば月並みでしたが、彼の菓子(パティスリー)は素晴らしかったことを私カレームが認めます。事実、ムノンはアントルメ、ガトー、ピエス・モンテ、フリヤンディーズの作り方をたくさん書いていました。しかも当時は…先ほどもレクチンスキー王がおっしゃったように…当時はパティスリーの黄金時代でした。ムノンや我々の時代に比べると現在のパリや東京のパティスリーはレベルが低いのは事実なのです。 ムノンの後を受けて、近代フランス料理、近代フランス菓子の道を切り開いた私アントナン・カレーム。私がその才能を見い出し、私の仕事を補佐しながら舞踏会や王室のレセプションなどの料理やデザートを作り、自分の店をパリのサントノレ通りに開いても成功したジュール・グッフェ。私の仕事の後継者であり、後にフランス料理を革新し、近代化したオーギュスト・エスコフィエを弟子に持つユンバル・デュボワ。彼らも現代のフランス料理、フランス菓子を形成していく流れの中で欠かせない重要人物の一人でした。私たちの存在は20世紀に活躍したフェルナン・ポワンやアンドレ・ルコント、ガストン・ルノートル等に影響を与え、現代へと繋がっているのです」「島田会長の師匠であるアンドレ・ルコント氏の名前が出てくるとは凄い!(^O^)//(()ドドドーン♪」
Vive la nouvelle galette des rois Japonaise!!!ヌーヴェル・ギャレット・デ・ロワ・ジャポネーズ万歳!!! ルイ15世が治世していた時代のようなパティスリーの黄金時代を再び築いてほしい! 私の名を冠したギャレット・デ・ロワも作ってくれ! ブリオッシュ・タイプのギャレット・デ・ロワにラム酒をかけてフランベした『ギャレット・デ・ロワスタニスラス・レクチンスキー風』なんかはどうだろうか?」「大森由紀子さんに平岩理緒さん、そしてたった今、店に入って来た並木麻輝子さん、あなたがたは重複した具材のない、季節の果実や産地別のショコラを使用したギャレット・デ・ロワを1年間に渡って作る事を命じるのです! パティシエやブーランジェ、ショコラティエに課題を課し、結果を吟味する審判者になりなさい。私アントナン・カレームを鍛え上げたタレイランのようにです。Vive la nouvelle galette des rois Japonaise!!!ヌーヴェル・ギャレット・デ・ロワ・ジャポネーズ万歳!!!」
クラブ・ドゥ・ラ・ガレット・デ・ロワ理事 並木麻輝子氏
「おおっ!?並木組長!(^O^)//(()ドドドン♪」「3月にガレット・デ・ロワなんて、フランスの文化が間違って伝わることにならないかしら」「ギャレット・デ・ロワはフランスの文化であると言う人がいるかもしれませんが、伝統的に日本の料理人、美食家たちは外国から入って来る料理や材料をあまり抵抗なしに受け入れ、自分たちに合うように同化させてしまう能力に秀でているようです。並木麻輝子さん、現にあなたも今日は表参道で『世界の食文化 食べ歩き講座』の講義が長引いて遅刻したのではありませんか?」「どうしてそれを!?食べつつ講義=講義しつつ食べるので、終了時間が限りなく流動的で…ちなみに本日のテーマは『ルクセンブルグ料理』でした」
「時代と共に、材料が、料理が、ゆっくりとではありますが確実に発展してきました。21世紀も10年が経過した現在、海を越えた日本でフランス菓子の世界に何かが起こりつつあります。長年続き、伝承されてきた技術や感覚に代わり、新しいうねりが押し寄せ、様々な反響を呼び起こし、諸々の条件が満たされた結果の今日、新しいギャレット・デ・ロワの黄金期、ルネッサンスを迎えたわけです」
「美味しいものを食べたい、珍しいものを食べてみたいと思うのは人間の本能です。私スタニスラス・レクチンスキーのように遥か歴史の彼方の人間も、世界中どの民族も食べ物に興味を持ち、工夫を凝らしてきました。その結果、様々な発見や新しい驚き、喜びで、食事を単なる糧以上のものに昇華させてきたのです」
「世界中の人間は皆食いしん坊ですが、フランス人はもう少し食べることに熱心でした。フランス料理ほどに、文学や絵画、いわゆる芸術と結びついた料理は少ないでしょう。そこには絶えず新しい発見が試みられ、伝承よりも貪欲な好奇心がしばしば優先してきました。そして、自ずと中国料理と異なった発達を遂げたわけです。すでに千年以上も前から受け継がれている中国料理の歴史や伝承の重要さは、フランス料理ではほとんど無いと言えるでしょう。むしろ、長い歴史的な時間で見れば、変化こそがフランス料理の運命であり生命なのかもしれません」
「このような大型の焼菓子(Gross Piece de Four)に関する表現は、数多くの王侯貴族の料理長を務めたフランソワ・マシアロ(Francois Massialot 1660?〜1733)、18世紀中頃に料理書多数を著した料理人ムノンなどの偉大な先輩たちに採用されたものなのです」「フランソワ・マシアロ?(゚-゚)(()」
クレーム・シマ
420円
「フランソワ・マシアロといえば、クレーム・ブリュレを最初に紹介した…(゚O゚)//(()ドドン!!」
「そうです。マシアロの1691年の料理書に、クレーム・ブリュレが初出しています」
「しかし不思議なことに、1731年に出版されたマシアロの『宮廷とブルジョワジーの料理』(Cuisinier roial et bourgeois)では、同じルセットなのに、名前が「クレーム・ブリュレ」(Creme brulee)から「クレーム・アングレーズ」(Creme anglaise)に変わっているのです」「現在のクレーム・アングレーズは、カスタード・ソースですよね」
ピティヴィエ
特注品
「先ほども言ったように、ギャレット・デ・ロワのような“大型の焼菓子”(Gross Piece de Four)に関する表現は、マシアロやムノンなどの偉大な先輩たちに採用されたものなのです。ルイ14世の宮廷シェフで17世紀の大料理人フランソワ・ピエール・ラ・ヴァレンヌ(Francois Pierre La Varenne 1615〜1678)も1653年発行の「フランスの菓子職人」(Patisserie Francais)という本の中でフイヤンティーヌ(Feuillantine)の製法中に、ガトー・フィユテ・オ・ザマンド(Gateau Feuilletee aux Amandes)のことを同じような表現で“焼菓子”(Piece de Four)と呼んでいます。そして、これはピティビエという菓子の発端になったものでした」
オーボンヴュータン
プティ・フール・フリアンディーズ
12個入 1575円
18個入 2100円
プティ・フール・ドゥミ・セック
12個入 1300円
18個入 1800円
ルイ15世(在位1715〜1774)が幼少で、フィリップ・ドルレアンが摂政をしていた時代に、美味な料理を作ることが求められ、菓子もその例に洩れませんでした。その時、大型菓子やタルトが非常に小さな形で供され、種々様々に変わった形で豪奢な食卓に彩りを添えて、その後の流行の先駆けとなりました」
「なるほど、そうでしたか。文化が発達すると、美味しいものを食べたい、珍しいものを食べてみたいという基本的な欲望も発達し、長い間続いてきた料理や菓子では満足することができなくなったことと、そんなものを作ってみたいという料理人の望みが合わさってプティ・フールのような小さくても手の込んだお菓子が生まれたわけですね。実は我々もフランスの伝統的なガレット・デ・ロワでは満足できなくなってしまったのです。もっと美味しく、もっと美しく、もっと新しいガレット・デ・ロワを!(^O^)//(()トトーン♪」「コッコリコー!!! この瞬間、古臭いクープとクレーム・ダマンドのギャレット・デ・ロワの終焉を宣言いたします!」
「Vive la nouvelle cuisine francaise!!!ヌーヴェル・ギャレット・デ・ロワ・ジャポネーズ万歳!!!」。この瞬間、平岩さんの携帯に速報メールが!…来年2011年フランスのリヨンで開催されるクープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリーの日本代表選手を決める国内選考会が3月18日(木)・19日(金)日本菓子専門学校で行われ、この日、在日フランス大使公邸で行われた表彰式では、柳正司審査委員長の講評に続いて、各部門の3位から順に結果発表が行われ、島田進クープ・デュ・モンド日本実行委員会副委員長より表彰状とメダルが授与されました。その結果、A部門アントルメ・ショコラ/アメ細工部門代表では中山和大氏(マンダリンオリエンタル東京)、B部門アシエット・デセール/チョコレート細工部門では鍋田幸宏氏(レコールバンタン)、C部門アントルメ・グラッセ/氷彫刻部門では垣本 晃宏氏(アトリエ アルション天神橋店)が各部門で優勝に輝きました。この3名は、来年の本大会に日本代表チームとして出場します。
ビゴの店 鷺沼店
クラブ・ドゥ・ラ・ガレット・デ・ロワ副会長 藤森二郎氏
「おっ、大森ユッキーから電話だ」
「ナニ!?島田会長が3月に桜のガレット・デ・ロワを作った?…ヌーヴェル・ガレット・デ・ロワ・ジャポネーズ!?」
桜のクロワッサン
250円
ビゴ東京
「ウチの桜のクロワッサンみたいに桜あんをサンドしたのかな?」
桜のマカロン
190円
ビゴ東京
「桜風味のクレーム・ダマンド?…それじゃあ、ウチの桜のマカロンみたいに桜の葉のクリームをサンドしたかもしれないよ」
「いずれにしても、クリームの色はピンクかグリーンじゃないかな」
東急田園都市線 鷺沼駅
「2個あるなら、1個はワンダフルハウスさんに持って来させてよ」
「ナニ!? もうこっちに向かってるの?」
「こんにちは!ヌーヴェル・ガレット・デ・ロワを献上します!(^O^)/□」「あっ、たった今到着したよ」
「これが島田会長が3月に作った桜のヌーヴェル・ガレット・デ・ロワですか?…わぁー!これは凄い!」
「それでは、ヌーヴェル・ガレット・デ・ロワ・ジャポネーズの誕生を祝って、これからクラブ・ドゥ・ラ・ガレット・デ・ロワ公認のヌーヴェル・ガレット・デ・ロワ入刀式を行ないます」
1964年1月アンドレ・ルコント氏がホテル・オークラで、1966年1月フィリップ・ビゴ氏がドンクでガレット・デ・ロワを焼いてから40年以上が経過し、今、直弟子たちによって新しい歴史が作られようとしています。
「この瞬間、日本におけるガレット・デ・ロワの歴史が変わりました!(^O^)//(()ドンドコドンドコ♪
「ヌーヴェル・ガレット・デ・ロワの解禁です!(^O^)//(()ドドドドドーン♪♪」
「クリームの色はピンク? それともグリーン?(^O^)(()」 「おおっ!?(゚O゚)(()」
ガレット・デ・ロワ
“アメデオ・モジリアーニ”
大きな帽子を被ったジャンヌ・エビュテルヌ
特注品
「普通のクレーム・ダマンドのように見えます(゚-゚)(()キョトン」
ガレット・デ・ロワ・ドゥ・サクラ・デュ・ジャポン
特注品
「ワンダフルハウスさん、これ本当に桜風味なの?」
「両方とも、桜風味のクレーム・ダマンドのはずなのですが…(゚-゚:)(()」
「どう見ても普通のクレーム・ダマンドですね…(゚-゚:)(()」
「いや、ほんの少しだけど何か入っているよ」
「うーん、何が入っているのか解らないな」
「普通に美味しい…これ普通のガレット・デ・ロワだね。俺なら桜シロップも桜リキュールも葉っぱもたくさん入れて、桜の風味を強くするけどね」
ここで島田会長の桜ガレット・デ・ロワのルセットが判明。桜の花の砂糖漬と桜リキュールを使い、桜シロップは使わなかったそうです。
和酒 桜
ドーバー洋酒貿易
「ワンダフルハウスさん、島田さんはドーバー洋酒貿易の『和酒 桜』という桜リキュールを使ったそうです。ビゴでも桜のお菓子に使っています」「クンクン…心地良い桜の香りが(^Q^)…一口いただきましょう…桜餅のように甘いリキュールです!(~Q~)
おおっ!?…あった!(~Q~)\(()
ついに桜の花の砂糖漬を発見しました!(^O^)//(()ドドーン!!
フェーヴの代わりに入れられた桜の花の砂糖漬ヌーヴェル・ガレット・デ・ロワ・ジャポネーズの誕生です!(^O^)//(()ドドドーン!!

「どうやら島田会長はクープで攻めた分、中身は伝統を守ったようです。しかし、ヌーヴェル・ガレット・デ・ロワ・ジャポネーズの扉が開かれたことは、2010年代の現代フランス菓子の理論的基盤として、道を探る若き製菓・製パン職人たちへの大きなプレゼントになることでしょう」
「日本におけるフランス菓子の大きな動きを、新しい時代の幕開けを、世に高らかに宣言いたします。ヌーヴェル・ガレット・デ・ロワを語る前に、パティシエ・シマの従来のガレット・デ・ロワを見ていただきましょう」
ガレット・デ・ロワ(小)
2940円
「クープは、このような宗教的な柄で…」
「中身は伝統的なクレーム・ダマンドかクレーム・フランジパーヌ」
1976年11月
第2回現代フランス菓子大講習会でクロード・ボンテ氏が作った
1970年代のガレット・デ・ロワの復刻品
(特注品)
「日本では見かけませんが、フランスにはクリームが詰まっていない極薄のガレット・デ・ロワも存在します」
「ガレット・デ・ロワ・フィユテ、ガレット・デ・ロワ・セッシュ(セッシュとは袋の意味)と呼ばれているフィユタージュ生地のみのガレット・デ・ロワです。島田シェフが修業していた1970年代のパリのダロワイヨではガレット・デ・ロワ・パリジェンヌと呼ばれていたそうです」
ガレット・デ・ロワ・アンシェンヌ(古典的ガレット・デ・ロワに対して、私が提案しようとしているヌーヴェル・ガレット・デ・ロワの定義は次の通りです。まず、『日本国内限定であること』。フランスでは宗教的な理由で1月以外にガレット・デ・ロワを販売することはできませんが、日本では1月〜12月までガレット・デ・ロワを販売することが可能なのです」
「『宗教性は皆無であること』。ヌーヴェル・ガレット・デ・ロワにおいて王冠やフェーヴは飾り以上の意味を持たず、したがって付けても付けなくても良いのです。そして、ヌーヴェル・ガレット・デ・ロワはクープに凝らなければいけません。しかも『クープはアート性の高いものを』。世界の名画やマルチカラーストライプや多色使いもおおいに結構。『富士山と初日の出』や『桜』のように、クープに和柄を施すのがヌーヴェル・ガレット・デ・ロワ・ジャポネーズの最大の特徴です
『クープを浮き上がらせ、3D化しても良い』。ただ、これをやるには、島田会長並のテクニックを要します
2009年1月6日
フランス大使公邸で開催された
第6回サロン・ドゥ・ラ・ガレット・デ・ロワに出品した
3種の変わりガレット・デ・ロワ
(全て特注品)
ヌーヴェル・ガレット・デ・ロワの味の面での大きな特徴は、『プレーンなクレーム・ダマンド、プレーンなクレーム・フランジパーヌは使わず、旬のフルーツや御当地フルーツなどを使って何らかの風味付けをする』
Galette des rois aux griottines et a la pistache
ガレット・デ・ロワ・オー・グリオッティーヌ・エ・ア・ラ・ピスターシュ
ガレット・デ・ロワ グリオットチェリーとピスタチオ風味
(特注品)
「そして、『中身が連想できるように、使用したフルーツでデコレーションする』。これはクレーム・ピスターシュの中にグリオット・チェリー」
Galette des rois d'ananas et de bananes
ガレット・デ・ロワ・ダナナス・エ・ドゥ・バナーヌ
ガレット・デ・ロワ パイナップルとバナナ風味
(特注品)
「パイナップルとバナナ、ヴァニラ風味」
Galette des rois de pralines et d'orange
ガレット・デ・ロワ・ドゥ・プラリーヌ・エ・ドランジュ
ガレット・デ・ロワ プラリネとオレンジ風味
(特注品)
「クレーム・ノワゼット・カラメルの中にオレンジピール。その上にクレーム・ピスターシュの2層構造」
ガレット・デ・ロワ “ジャン・コクトー”
(特注品)
「高級なリキュールをたっぷり染み込ませなければ、ヌーヴェル・ガレット・デ・ロワとは呼べません」
ガレット・デ・ロワ “ジャン・コクトー”
レイモン・ラディゲ風 バラとフランボワーズ風味
(特注品)
バラのリキュールにフランボワーズ
ガレット・デ・ロワ “ジャン・コクトー”
ジャン・マレー風 シトロン風味
(特注品)
リモンチェロにレモンゼストと柚子
「ショコラのガレット・デ・ロワもヌーヴェル・ガレット・デ・ロワです。フランスを代表するチョコレート愛好会『クラブ・デ・クロクール・ド・ショコラ』のメンバーでさも手を出しにくい分野なので、日本の方がチャンスがあるのです」
Galette des Rois au Chocolat Noir
“SHUNSUKE SAEGUSA”
パレ・ド・オール 三枝俊介氏に贈った
ガレット・デ・ロワ・ショコラ・ノワール
(特注品)
「真っ黒いフィユタージュ・ショコラの下に分厚いガナッシュ、その下に真っ黒いクレーム・ダマンド・ショコラの層。クープは着物とエッフェル塔柄です」
Galette des Rois au Chocolat Individuel
ガレット・デ・ロワ・オ・ショコラ・アンディヴィデュエル
一人用ガレット・デ・ロワ・ショコラ
(特注品)
「ガレット・デ・ロワ・アンディヴィデュエル(一人用ガレット・デ・ロワ)自体は、フランスでは定番品なのでヌーヴェル・ガレット・デ・ロワではありませんが、ショコラのものとなるとヌーヴェル・ガレット・デ・ロワになります」
Galette des Rois au Chocolat Noir a la Palet Or
ガレット・デ・ロワ・オ・ショコラ・ノワール・ア・ラ・パレ・オール
ブラックチョコレートのガレット・デ・ロワ
金の円盤風
(特注品)
「ベルナッションのボンボン・ショコラ『パレ・ドール』もガレット・デ・ロワにしてしまいました」
Galette des Rois au Chocolat Lactee a la Palet Argent
ガレット・デ・ロワ・オ・ショコラ・ラクテ・ア・ラ・パレ・アルジャン
ミルクチョコレートのガレット・デ・ロワ
銀の円盤風
(特注品)
「クープはカカオ・ポッド柄です」
Galette des rois au chocolat
P125 Coeur de guanaja et “Nure-Amanatto”
ガレット・デ・ロワ・オ・ショコラ
P125 クール・ド・グアナラ&ぬれ甘なつと
(特注品)
「フランス・ヴァローナ社が発表したカカオ分125%の新世代クーベルチュール『P125』を使ったクレーム・ダマンド・ショコラに、東京新宿花園万頭の『ぬれ甘なつと』を合わせたヌーヴェル・ガレット・デ・ロワ。このような基本に則した形での日本独自のフランス菓子として、抹茶や小豆、胡麻、栗、白味噌、サツマイモを使った“和”のガレット・デ・ロワは全てヌーヴェル・ガレット・デ・ロワ・ジャポネーズです」
1976年11月
第2回現代フランス菓子大講習会でクロード・ボンテ氏が作った
ダルトワ・ア・ラ・フランボワーズの復刻品
(特注品)
「34年前に作られたフランボワーズのコンフィチュールを詰めたダルトワ・ア・ラ・フランボワーズも、2010年の日本では四角いヌーヴェル・ガレット・デ・ロワとして認定できるのです」
「フランスで絶滅してしまった伝統菓子もアレンジ次第でヌーヴェル・ガレット・デ・ロワとして再生することもできるのです」
2013年(ヘビ年)のガレット・デ・ロワ・
ガレット・デ・ロワ・セルパンティーヌ
(特注品)
「本来はバンド状のガレットだったガレット・セルパンティーヌを蛇の形にアレンジして、ヘビ年の干支のガレット・デ・ロワとして再生したガレット・デ・ロワ・セルパンティーヌです。このような過去の遺産は遺産として守り、古典菓子や伝統的な地方菓子の火も絶やさぬようにすることも必要なのです」
ルコントの1970年代のガトー・バスケットの復刻品
(特注品)
「かつて、アンドレ・ルコント氏は夏のヒマな時期に若い職人を遊ばせないようにと、延々とクリームを絞り続けなければならないガトー・バスケットのアントルメを作らせたそうです。これからやって来る初夏〜夏の閑散期が勝負です。日本のパティシエ・ブーランジェの皆さんもピエール・エルメ氏の月替わりガレット・デ・ロワを超えるヌーヴェル・ガレット・デ・ロワを創作して販売していただきたいものです」

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