わんだふるはうす、パティシエ・シマ&ルコント青山本店に行く

モンブラン1968
バトー・マロン
SAISON de non・no 1974
PART4

栗のケーキとしてお馴染みの「モンブラン Mont Blanc」。フランス語を直訳すると「白い山」の意味。アルプスの秀峰モンブランに由来しての命名です。1968年、22歳の島田進さんは、神戸で絵の勉強をしながら働いていました。ある日、雑誌で見たルコントのクロワッサンが、ずっと心に残っていて、上京した際に働きたい旨を手紙で伝えます。OKの返事をもらって働き出した時期、六本木のルコントはオープンして間もない話題の店。一番人気のモンブランを求めて、連日50メートル近い行列が続いたそうです。その頃の日本のケーキ屋さんのモンブランといえば、スポンジの上に、栗とは名ばかりの白餡やサツマイモをつなぎに使った黄色いクリームを絞っただけのスタイルが主流でした。「フランス産の栗の渋皮煮は、マロングラッセに近いイメージなんですが、これを使ったマロンペーストを日本にいち早く取り入れたのはアンドレ・ルコント氏でしょうね」と語る島田シェフ。ルコント初代のモンブランは、メレンゲにビスキュイを乗せた台に、生クリームとフランス産のマロンクリームを絞り出した本格的なフレンチスタイルで、それまでの日本のモンブランとは、かなり異なっていました。その後、1970年代も後半になると、フランス修業組のシェフたちが続々と帰国し、フランス産の栗を用いたモンブランが日本にも徐々に浸透していくことになります。現在、ルコントで販売されているモンブランは3代目。今では幻となってしまったルコント初代のモンブランをパティシエ・シマ」の島田進シェフに、バトー・マロンをルコントの前田秀幸シェフに復刻していただきました。

1974年10月、集英社からノンノのお姉さん版として創刊されたセゾン・ド・ノンノの創刊号はフランス特集号。「本格派フランス菓子の店ガイド」には、世田谷にあったルコント等々力店が載りました。
これがルコントの初代モンブランです。1968年の創業から1990年代前半までは、この形でした。下のバトー・マロンも2004年頃を最後に作られなくなってしまいました。 現在のルコントのモンブランは3代目。マロンクリームの絞り方が初代とは全然違います。
ルコント
(2002年頃)
この写真は、1999年にルコントさんが亡くなってから2〜3年後くらい、つまり2002年頃に撮ったものだと思います。2代目のモンブランは、このようなピラミッド型でした。
ルコント
(2004年頃)
この写真は2004年頃のものだと思います。モンブラン(最前列一番右の光っているケーキ)は現在の3代目になっています。バトー・マロンは、これが最後のシーズンだと思いますが、栗やチョコレートで飾られていて、セゾン・ド・ノンノのに比べると華やかなデザインに進化しています。
それでは、パティシエ・シマから…
「こんにちは!(^O^)/ 予約していたルコントの初代のモンブランを受け取りに来ました
「おっ!モンブランがありますが、ルコントの初代のものとは形が違いますね(゚O゚)\ 「おおっ!バトー・マロンもあります! これもずいぶん形が違いますね(゚O゚)\」
買ったケーキをラトリエ・ド・シマでいただきましょう。 「こんにちは! おおっ!?(^O^)\」
栗です!\(^○^)/
Bateau aux marron
バトー・オー・マロン
420円
(パティシエ・シマ)
フランス菓子の古典“Bateau aux marron バトー・オー・マロン”の現代版の登場です。
「昔のルコントのバトー・マロンと比べると、形が全然違いますよ!?(゚O゚)\
島田シェフの話では、パティシエ・シマには舟形の型が無いので、このような形にしているそうです。小判型のタルトレットの上に栗のムースを舟の帆に見立てて飾り、「ピストレ・ショコラ」という粉状のチョコレートで表面を覆っています。ピストレ・ショコラとは、チョコレートとカカオバターを細かく刻み、45〜50度の湯煎で溶かしたものをスプレーガンで噴射したものです。
「Bateau aux marron バトー・オー・マロン」は、「Barquette aux marron バルケット・オー・マロン」とも言います。「マロンの小舟」という名のお菓子です。
「なるほど、こう見ると舟のようでもあります(^O^)\」
「おっ、カシスの実がはさんであります(^O^)\」
舟形のタルトレットの中にブルーベリーの実入りのクレームダマンド、その上にラム酒の効いたマロンムースを絞り出し、自家製のチョコレートをピストレしてあります。

2009年2月、ルコントの前田シェフからバトー・マロン復刻OKの返事をいただき、ワンダフルハウスはルコント青山本店に行きました。
「こんにちは!(^O^)/…おっ、ケーキです!(^O^)\…バトー・マロンはありませんね」
「ワンダフルハウス様が注文されましたバトー・マロンは、こちらの箱の中でございます」「それでは箱を開けてみましょう(^-^)/□」
「うわーっ!セゾン・ド・ノンノと同じです!(゚O゚)\」
Bateau aux marron
バトー・オー・マロン
525円
(ルコント)
特注品
アンドレ・ルコント氏が1968年12月ルコント六本木店を開店した当時に発売した「Bateau aux marron バトー・オー・マロン」。現在のルコント製菓長 前田秀幸シェフによる復刻です。
これは1972年の雑誌のケーキ特集です。右ページの一番右下に御注目…ルコントのバトー・マロンは100円でした。
バトー・マロン
100円
(1972年)
バトー・マロン
500円+消費税25円
(2009年)
「37年間で値段は5倍ですか!(゚O゚)\」
「細部まで完璧に再現してあります!(゚O゚)\
バトー・マロン(バルケット・マロン)は、舟型に焼いた台の上にクリーム状の栗を乗せてビター・チョコレートを塗ったお菓子。
これは、1974年に日本の雑誌が初めてパリのパティスリーを取材したもの。当時世界最高のパティシエ トローニャ氏が日本の盆栽の飴細工を披露しています。アンジェリーナのマドレーヌやモンブラン、ダロワイヨー・ガヴィヨンのオペラやマカロン…それは日本人が初めてパリのお菓子を見た瞬間でした。1970年代後半からのヌーヴェル・パティスリーの流行で、現在ではパリでも絶滅してしまった古典的なフランス菓子が数多く見受けられます。左ページ下の方に御注目… 1859年創業の「Rollet ロレ」のバルケット・オー・マロンです。ロレは1999年にラデュレの元オーナーが引継ぎ、「Rollet Pradier ロレ・プラディエ」になっています。
バトー・オー・マロン(バルケット・オー・マロン)は、フランスでは、現在でもお菓子屋さんでもパン屋さんでも定番商品ですが、日本ではそれほど見かけなくなってしまいました。
カットして中を見てみましょう。
「パート・シュクレとクレーム・ダマンドで出来たタルト生地の上に、クレーム・オー・ブールとクレーム・ドゥ・マロンを合わせたものを山高に盛り付けてあります(^O^)\ヤッホ〜
「マロン・クリームに結構な強さでラム酒が効いています!(^Q^) 1960〜70年代の味です!」
シュー・パリジェンヌにクリームを絞りながら「女性への愛を込めて美味しいケーキを作ります(^_-)-」と語る、1971年当時のアンドレ・ルコント氏。今回は、後ろに写っている見習いのパティシエに当時のモンブランを再現してもらおうというのです。見習いのパティシエとは38年前の島田進さんです。
続く
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