わんだふるはうす、パティシエ・シマに行く

パリ・ブレスト
ミセス 1970
PART3

1968(昭和43)年12月、六本木に日本で最初のフランス人によるフランス菓子専門店「パティスリー・アンドレ・ルコント」が開店。シュー生地を使ったフランス菓子の傑作「パリ・ブレスト」が日本で始めて発売されました。開店直後の12月、画家としてフランス行きを目指し、関西から上京したばかりの22歳の若者が、フランス語を学ぶために菓子職人見習いとしてルコントで働き始めます。その若者こそ、現在の日本洋菓子界の重鎮の一人であり、日本の洋菓子界の草分け的存在である島田進さんです。2007年11月のある日、アンドレ・ルコントさんが日本で最初に紹介したパリ・ブレストを、開店当時と同じレシピでパティシエ・シマ」の島田シェフに再現していただきました。

11月も最終週になり、街にクリスマス・ムードが漂ってきました。今日は島田シェフに日本初のパリ・ブレストを復刻してもらうのです。「こんにちは!(^O^)/ 予約していたケーキを受け取りに来ました
今日はパリ・ブレストのアントルメはありませんね。
今日はありませんでしたが、こちらがパティシエ・シマのパリ・ブレストのアントルメです。 パリ・ブレストのプチガトーはありますね。これも買っていきましょう。
ワンダフルハウスは、青山1丁目にあるブラッスリー・ルコントに移動しました。「こんにちは!(^O^)/ 予約していたパリ・ブレストのアントルメを取りに来ました」 これが現在(2007年)のルコントのパリ・ブレストです。8分の1にカットしたもので、1カット525円。
2007年のルコントのパリ・ブレストのアントルメです(^O^)/□ おーっ!(^O^)\ 小枝みたいなチョコレートが貼り付けてあります。
「パリ・ブレスト Paris-Brest」(4200円)リング状のシューの形は自転車の車輪がモチーフ。パリ=ブレスト間の有名な自転車レースにちなんで名付けられました。フランス人は自転車レースがとても好きです。毎年7月に行われるフランス最大の自転車レース「Tour de France (ツール・ド・フランス)」は、20数日間にも及び、全行程を区間に分けて、タイムを競います。その存在は単なる自転車競技の枠にとどまらず、オリンピック、サッカーのワールドカップと共に世界3大スポーツイベントの1つに数えられています。 ツール・ド・フランスの第1回開催は1903年。その12年前の1891年、第1回パリ=ブレスト間の自転車レースが行われ、これを記念して作られたのが「パリ・ブレスト」なのです。沿道のメゾン「ラフィット」の職人、ルイ・デュランの作とされ、自転車の車輪を連想して、大きなリング型のシュー生地にプラリネクリーム、表面にはスライスアーモンドという形で出来上がりました。日本では、島田シェフの師匠であるアンドレ・ルコント氏が、1968年に六本木にお店をオープンした時に最初に紹介したのです
ルコントさんが作った”日本初のパリ・ブレスト”のカラー写真とレシピが、奇跡的に残っていました。雑誌「ミセス1970年9月号」に掲載されていたのです。 おおっ!(゚O゚)\ 今のパリ・ブレストとは全然違う!
「私は当時(ルコント六本木店で販売の)アルバイトで働いていたんですけど、確かにこれは店で売っていたのと同じです」と語るのは、パティシエ・シマのマダム。
ルコントのパリ・ブレスト
(1970年)
ルコントのパリ・ブレスト
(2007年)
昔のは直径30cmで、とにかく大きいですね。真ん中の空間の部分も広くて、本物の自転車のタイヤのようです。 現在のは直径約15cmとコンパクトになってしまいましたが、見た目はクリームが多く、背がかなり高いです。
若き日の島田シェフは、パリへ行くことを目標に、神戸で働きながら絵の勉強を続けていたそうです。1968年12月、週刊誌を見ていたところ、東京・六本木にオープンしたばかりのフランス菓子店「ルコント」の写真を発見します。オープン当初のルコントは、日本初の本格的モンブラン(土台にメレンゲを使い、中にクレーム・シャンティを詰め、ちゃんとしたマロンクリームを絞ったフランス本国と同じもの)が評判を呼び、行列ができるほどの人気店。ここで働けばルコント氏からフランス語が覚えられると思いつき、師事していた画家の紹介もあって上京。ルコントで働き始めた時は22歳でした。当時のルコントは非常にハードで、数ヶ月で辞める者がほとんどでした。ルコントのパリ・ブレストが掲載された「ミセス1970年9月号」が発売されたのは、この修業時代でした。島田シェフは1971年まで3年間勤め上げ、それまでのルコントでの最長記録を達成。それから念願の渡仏を果たすわけですが、目的は絵から菓子の修業へと変わっていたのでした。
三菱自動オーブンが、このページのスポンサーだったようです。扉にナイフを差し込んで蒸気を逃がすとは…(゚O゚:)\ 時代を感じさせますね。
この雑誌が書店の店頭に並んでいた頃の日本は高度成長時代で、大阪万博の開催期間中でした。アンアンは同年の3月に創刊され、立川ユリさんが表紙のアンアンもミセスと一緒に書店に並んでいました。アンアン編集部も金子さんの自宅も六本木にあり、新しもの好きで、口の肥えたファッション業界の人々がケーキを買う時はアマンドやクローバーよりもルコントが多かったそうです。
それでは、箱を開けさせていただきます…(^-^:)o□ うわーっ! 大きい!(゚O゚:)\
日本初のパリ・ブレストの登場です。
パリ・ブレスト
製作 アンドレ・ルコント
1970年
パリ・ブレスト
製作 島田進
2007年
ミセスに載ってたのと同じです!(゚O゚)\
パリ・ブレストは島田シェフにとって、数あるフランス菓子の中でも、特別に思い入れがあるもの。それは島田シェフの師匠であるアンドレ・ルコント氏が、日本で一番最初に紹介したからものだからです。
「1970年型ルコントのパリ・ブレスト」(2007年 パティシエ・シマ製 特注品)
島田シェフは、ルコントさんが創設した「フランス料理アカデミー 日本支部」に所属していて、ルコントさんの業績を称えて「アンドレ・ルコント杯コンクール」を2年に1回開催しています。過去2回のコンクールのテーマは、もちろん「パリ・ブレスト」。第2回決勝の模様はこちらでどうぞ。
 
大きさを比べてみましょう ○O 予想していた以上に大きい!(゚O゚)\
フランス料理アカデミーは、1833年その前身である「料理芸術発展のための世界連合」を世界料理辞典の著者である、ジョゼフ・ファーブル氏が創設したのが始まりです。1888年に、「アカデミー・キュリネール・ド・フランス」(フランス料理アカデミー)と名称を改め、著名な料理人、料理研究家が集まり、料理芸術の発展と実績のために本格的な活動を開始しました。日本支部は、1968年にアンドレ・ルコント氏により創設。 会員は、厳しい審査のもとに選び抜かれた最高の技術を持つ、料理、菓子、氷菓、チョコレート菓子の職人によって構成されています。
さらにパティシエ・シマのプチガトーも加えて、大・中・小と揃えてみました ○O。 うわーっ!これは凄い…本物だ!これこそ時を超えた本物です!(゚O゚:)\
37年もの時代を超えて並んだ3個のパリ・ブレスト。ルコント(1970年)、ルコント(2007年)、パティシエ・シマ(2007年)。
ラトリエ・ド・シマの店内に飾られている穏やかに微笑むルコントさんの写真には、1979年8月28日の日付が。第1回東京サミットの直後に撮影されたものです。ルコントさんが菓子だけでなく出張料理もやりたいと、マキシム・ド・パリにいた島田さんを呼び戻し、東京サミットでは、ジスカール・デスタン仏大統領主催晩餐会で、ルコントさんが料理を、島田さんが菓子を担当しました。島田さんによると、ルコントさんは根っからの職人で、昔気質の親方としては最後の世代に属する人だったそうです。過酷さに耐えきれずに皆辞めていく中で、「3年したらフランスに紹介するよ」というルコントさんの言葉に惹かれ、最後まで残ったのは島田さんだけでした。その頃にはミイラ取りがミイラになり、画家志望だった島田さんは、フランス菓子の美しさ、多様性、美味しさに魅せられ、のめり込んでしまったのでした
同じくラトリエ・ド・シマの店内に飾られている、パティシエの必需品「パレット」。これでチョコレートやクリームをのばしたり、削ったり、表面を平らにしたり、ケーキを切ったりします。この鉄のパレットは、もう捨ててしまってもいいほど、使い込まれて薄くペラペラになってしまいました。しかし、島田さんは大事に飾ってあります。このパレットこそ、ルコントさんが13歳で初めて菓子作りの道に入った時、有名な厨房道具店「モラ」で購入したパレットなのです。それから50年余り、ルコントさんはすり減ってペラペラになっても、叩いて歪みを直してまで使い続け、愛用してきたのでした。そして、島田さんが独立する際に愛弟子を抱きしめ、何よりも大切にしていた、このパレットを贈ったのです。パレットには、アンドレ・ルコントの頭文字「AL」の刻印が。ルコントさんは1999年に世を去りましたが、島田さんにはこのパレットを通して、ルコントさんの心が立派に受け継がれているのです。
島田さんが再現してくれた”最後の職人”ルコントさんが1970年に作ったパリ・ブレスト。これは、復刻版などではない…時を超えた本物です。
当時、島田さんは極めて厳しく仕込まれました。今のように手取り足取り教えられるということはありませんでしたが、それが良かったのです。失敗を繰り返し、右往左往しながら自分で考えることで右や左の余分な種々を知り、それがゆとりとなって、応用が、また咄嗟の時の機転がきくように成熟していったのです。一直線の最短距離を教わっただけでは生まれない幅と深み。現在の島田さんの仕事に、それを見ることができます。
パリ・ブレストは、リング形のシューを横2等分し、プラリネクリームを絞って挟んだお菓子。 ん? プラリネクリームの色が薄いような気が…
パリ・ブレストのアントルメ3種。左からルコント(1970年)、ルコント(2007年)、パティシエ・シマ(2007年)。左から右にかけて色が濃くなっています。これは、茶色いプラリネペーストと、白いクレーム・パティシエール(生クリーム)を混ぜ合わせる際の分量の違いによるものですね。色が濃いほど味は苦くなると予想されます。
パータ・シューの上は、スライスアーモンドを乗せてグラニュー糖をふってあります。カラメリゼしたホールのアーモンドを粗く刻んだものが側面の所々に貼り付けてあります。
「パリ・ブレスト Paris‐Brest」(ルコント 4200円)続きましては、ルコントの2007年のパリ・ブレスト。37年の間に直径は30cmから15cmへ…。小型ですが、ノッポで”太っちょ”なパリ・ブレストの登場です。
自転車のタイヤというより、自動車のタイヤって感じですね。
ものすごい量のプラリネクリームがサンドされてます!(゚O゚)\
パータ・シューの上にはアーモンドスライスを飾り、粉糖をふってあります。 プラリネクリームの側面には、ローストしてカラメリゼしたアーモンドホールと”小枝”みたいなチョコを貼り付けてあります。
プラリネクリームの中に黒い粒々が!?(゚O゚)\ 一体これは何でしょう?
先に2007年のパリ・ブレストがカットされました。おっ!?(゚O゚)\ プラリネクリームの中に白っぽいものが…?
生クリームが入ったプチシューです!(゚O゚)\
このプチシューは「勾玉(まがたま)」といいます。
大きなアントルメサイズはプラリネクリームの量が多いので、勾玉形のプチシューを支えに挟むのです。
勾玉シューの中には生クリームを絞ってあります。
しっかりとカリカリに焼き上げた固めのシュー生地の間に、ボリュームのあるプラリネクリーム。プラリネの苦味が虜になる美味さです(^Q^)
いよいよ1970年製のパリ・ブレストがカットされました。
おっ!?(゚O゚)\
勾玉シューがどこにも見当たりません!(゚O゚)\
クリームの色が薄過ぎます!(゚O゚)\ ひょっとして、日本初のパリブレストにはプラリネが入っていなかったのでは?
ミセス1970年9月号に掲載されたレシピを見てみましょう。
材料(直径30cmのパリ・ブレスト1個分)
シュー用――牛乳250g、バター350g、塩10g、砂糖20g、小麦粉250g、卵8個。
カスタードクリーム用――砂糖150g、卵黄8個分、小麦粉60g、牛乳500g、バター750g、コーヒーパウダー小さじ1。
アーモンド、グラニュー糖、パウダーシュガー各少々。
意外なことに、日本初のパリ・ブレストにプラリネは使われていませんでした。アーモンドは薄切りにしてシューの上に乗せてあるだけです。
プラリネとは、ローストしたアーモンドにカラメル状になるまで煮詰めた砂糖をからめたもの。それを粒状に砕いたものと、さらに粉砕して粉状にしたものを石のローラーなどで挽いてペースト状に加工したものがあります。現在のルコントとパティシエ・シマのパリ・ブレストは、プラリネ・ペーストが使われています。フランスでは、パリ・ブレストのカスタードクリームにプラリネペーストが混ぜ込んであるのが一般的なのです
全然苦くない。クリーミーでミルキーな味わい。現在のパリ・ブレストとは別物ですが、これはこれで美味です(^Q^)
「当時とは材料の質が違うので、全く同じ味というわけにはいきません」と語る島田シェフ。1970年当時と比べて、個々の素材のグレードが上がったのはもちろんですが、流通機構の発達によって、例えばバターだと外国産のバターを使うことができるようになったり、国産のバターでも北海道を始めとした各農酪地域別に、原料の産地で選ぶことができるようになったのです。今は電話1本で材料が何でも届く時代ですが、当時はキルシュを入手するだけでも大変苦労したそうです。スイス大使館に頼んで輸入を許可してもらい、船便で輸送されたものを神戸で受け取り、東京まで貨物列車で運ぶという具合。1970年とは、そんな時代でした。
37年後、ルコントさんは故人となり、代わって島田進さんが日本のトップ・パティシエの座に就きました。最後にパティシエ・シマのパリ・ブレストを分析してみましょう(^0_0^)
「パリ・ブレスト Paris‐Brest」(3150円)島田シェフにとってパリ・ブレストは、数あるフランス菓子の中で特別に思い入れのあるお菓子。師匠であるアンドレ・ルコントさんが、日本で最初に紹介したものだからです。
キャンティ飯倉本店のパリ・ブレスト
パリ・ブレストは、時代と共にバタークリームから生クリームに変わり、苺をはさんだものなどバリエーションも増えました。
日本でフランス菓子は和菓子のような歴史がないだけに、ベーシックを知らないと方向を見失ってしまう。日本人は流行に左右されやすいから、作り続けていかないと存在自体が忘れられてしまう…そんなことから島田シェフは、ルコントさんが1970年に設立した「フランス料理アカデミー日本支部 Culinaire de France Filiale du Japon 」に関わり、若手パティシエのコンクールを2年に1度開催しています。そのコンクールの名は、師匠の名を冠して「アンドレ・ルコント杯」。作品のテーマは、もちろん”パリ・ブレスト”です。
「シュー生地の技術は基本中の基本。若いパティシエは基本をしっかりとマスターしないと、その後の進歩も新しい発想も生まれてこない。若いスタッフのためにもパリ・ブレストを作り続ける必要がある」と語る島田シェフ。 「パリ・ブレストはプラリネ入りのボリュームのあるカスタードが入るから、このような固い皮が合う。シュークリームによっては、柔らかい、フワフワした皮が向くこともある。どれがいいとか悪いとかではなく、それぞれに理由があるのです」
「皮の水分をできるだけ飛ばし、浮きを抑えたいので、シュー生地は強力粉と薄力粉を同割にする。牛乳と水も半々。フランスで一般に用いられている配合とは違いますが、これは粉や牛乳の成分、水の硬度が日本とフランスで違いがあるためです。この生地を200℃のオーブンで1時間かけて、じっくり焼き上げます」
クレーム・パティシエール(カスタードクリーム)は、一般のシュークリームのカスタードよりも粉とコーンスターチが多めに入っています。後から、香り高くほろ苦い自家製のプラリネと乳脂肪分47%の生クリーム、バター、ブランデーをたっぷりと加えても大丈夫なコシや強さを持たせたいからです
 
おっ!(^O^)\ やはりルコントと同じ勾玉シューが入っていました。
勾玉と呼んでいる小さなシュー生地に使う生クリームは乳脂肪分42%と、少し低くなっています。
パリ・ブレストに挟むプラリネクリームは、クレーム・パティシエール(カスタードクリーム)&プラリネ・ペースト&バター&ブランデー&乳脂肪分47%の濃厚な生クリームを混ぜて作ります。
パリ・ブレストは、しっかりしたシュー生地で作るお菓子。日本のパータ・シューは皮が薄く軽いため、強力粉と薄力粉を同割に合わせてあります。
小麦粉には薄力粉、中力粉、強力粉とあります。これらの違いは含まれるたんぱく質の含有量よって呼び名が変わっています。小麦たんぱくはグルテンとも言われい、水を含むと粘りが出てきます。グルテンが多いものほど粘り、コシがあります。 コシのある小麦粉は強力粉です。逆にコシのない粉は薄力粉です。強力粉はパン、ギョーザの皮、中華めん、ピザなどに使われています。薄力粉はケーキ、天ぷらに使われます。中間の硬さがほしいときは中力粉を使います。うどんに使うのは中力粉です。イタリア料理のパスタは強力粉の中でもさらに強力なデュラム小麦粉をいう粉を使います。
上にスライス・アーモンドを乗せ、同割のグラニュー糖とカソナード(赤砂糖)をふります。 アーモンドはグラニュー糖をまぶし、170〜180℃で15分焼き、カラメリゼし、一部は粗く砕きます。
パリ・ブレストは、アーモンドの香ばしさを味わうお菓子。島田シェフは、鮮度のいい良質な生のアーモンドを4通りに加工して使っています。「1 カラメリゼしたホールのアーモンド」「2 1を粗く刻んだもの」「3 アーモンドペースト(プラリネ)」「4 ローストしたアーモンドをスライスしたもの」。1個のパリ・ブレストに使用している4種類のアーモンドが全て自家製…これが1970年のパリ・ブレストとの決定的な違いであると言えます。
パリ・ブレストに挟むプラリネクリームは、クレーム・パティシエール(カスタードクリーム)&プラリネ・ペースト&バター&ブランデー&乳脂肪分47%の濃厚な生クリームを混ぜて作ります。勾玉シューに挟む生クリームは、乳脂肪分42%のもの。焼き上がったシュー生地は、リング型、勾玉型、どちらも横半分にスライスして、リング型の下半分の表面に絞り袋でプラリネクリームを薄く塗ります。その上に勾玉シューをアントルメ1台につき6個乗せ、間を埋めるようにプラリネクリームを絞ります。外側に柱を作るように、プラリネクリームをぐるりと巻いて、同様に内側にも絞ります
あんまり甘くなくて美味しい!(^Q^) プラリネクリームの苦味を勾玉の生クリームで中和しています。
島田シェフは、お菓子の種類によってバターを使い分けています。パリ・ブレストのカスタードには高梨乳業の「北海道特選バター」を使用。フランス産の発酵バター「エシレ」に近い味わいで、フレッシュでコクがあり、食べて美味しいのでバタークリームなどに使っています。焼き菓子には、安定しているよつ葉乳業の「北海道バター」。パイには明治乳業の「明治発酵バター」。水分が少ないので扱いやすく焼き上がりが綺麗だそうです。
パリ・ブレスト
(ルコント 2007年)
パリ・ブレスト
(パティシエ・シマ 2007年)
伝統を踏まえながら、現代性とオリジナリティを吹き込んで進化した現在のパリ・ブレスト。
パリ・ブレスト
(ルコント 1970年)
ミセス1970年9月号より…「ルコント」の御主人はフランスのかたですが、とても大きな手の持ち主。その大きな手から作られた素敵なお菓子、パリ・ブレスト。ホームメードのあたたかさがあります。”ブレスト”には、自転車のタイヤという意味がありますが、フランスの一地方の名前でもあり、パリからブレストまで行くのに自転車を連想させるところからの名前だそうです。
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