東京メトロ有楽町線麹町駅で下車し、麹町口の改札を出て直進、突き当たり右側の階段を上がって出口に出たら右へ。目の前の信号を右に曲がると、この景色が見えます。手前の赤レンガのマンション1階が、日本のトップパティシエ島田進さんのショコラトリー&サロン・ド・テ「ラトリエ・ド・シマ」。奥の赤いパラソルのお店がパティスリー「パティシエ・シマ」です。 | 先にパティシエ・シマに入りましょう。 |
「あけましておめでとうございます!(^O^)/」 |
「これが、パティシエ・シマのガレット・デ・ロワです。小サイズで2940円です」 | ||
島田会長「ガレット・デ・ロワのサイズに決まりはありませんが、あまり小さいものだとフェーヴの当たりがすぐにわかってしまってつまらないですよね。だから販売するのは、このような5号くらいが良いのではないでしょうか。15〜16cm、うちの店で作っているのもそのサイズです。それでもフランスのものに比べるとかなり小さいのですが。店では小(5号 15〜16cm)と大(25〜30cm)の2サイズを作り、お客様が食べる人数に合わせたサイズを勧めています。オーダーではお客様の要望に合わせたサイズで作っています」 |
今度はラトリエ・ドゥ・シマに入ります。 |
「あけましておめでとうございます!(^O^)/」 |
「このパネルは何でしょう?(^-^)\」 | 「これはよく見ると“着物とエッフェル塔”です!(゚O゚)\」 |
クラブ・ドゥ・ラ・ガレット・デ・ロワは、フランス伝統菓子を愛する人達が集まり、2003年8月に発足。プロのパティシエによるメンバーが中心となって伝統菓子とその背景にある文化の魅力を正しく伝えるための活動を行っています。クラブ誕生のきっかけは、カリフォルニア・アーモンド協会によるアーモンドの販促活動。同協会のアドバイザーとして相談を受けた「ビゴの店」の藤森二郎氏は、「アーモンドはホールの状態よりもお菓子屋さんが日常使っているプードルの方が広まりやすい。そしてお菓子と一緒に宣伝をすれば効果的なのではないか。お菓子を普及させるにはイベントに絡めること。クリスマスとバレンタインデーにはさまれてブランクになっている1月にふさわしいお菓子はないだろうか?」と考えた結果、アーモンド・プードル、1月の行事菓子、末永く愛される伝統菓子、というキーワードを全て満たすガレット・デ・ロワに行き着きます。ブームを作るというより少しずつ静かに普及させることを目標に2001年秋の「ジャパンケーキショー」への出展やデパートのイベントなどの活動を通して存在をアピール。2003年秋に第1回コンテストを主催した際に公式にクラブとして名乗りを上げます。藤森氏が「ガレット・デ・ロワに対する思い入れがとりわけ深く、たとえブレイクしてもその後も当たり前に作っていかれるような人」を考えた結果、会長にパティシエ・シマの島田進氏を決定。島田氏と藤森氏によって、活動の中心となる8人の理事が選ばれ、最初は約30人の会員を集めて発足しました。 |
日本で知られるフィユタージュでクレーム・ダマンドをサンドしたタイプは、パリやイル・ド・フランス付近で作られているものです。 |
ガレット・デ・ロワの魅力の一つといえるのが、表面に描かれたクープ(模様)。様々に描かれたクープは、素朴なガレットに華を添えてくれます。パティシエ・シマの島田進シェフが描くクープの美しさは圧巻の一言に尽きます。 |
これがフェーヴです。フェーヴとはソラマメのことで、昔はガレット・デ・ロワの中に本物のソラマメを入れていました。ソラマメは、おくるみを着た赤ちゃん=生まれたてのキリストを表していたのです。 | |
島田会長「ガレット・デ・ロワの中に入れるフェーヴは、いろいろな説がありますが、パンに金貨を入れたのが始まりのようです。フェーヴはフランス語で“空豆”の意味。空豆やアーモンドなどの豆は、古くから胎児や赤ちゃんなどの象徴と言われていました。子孫を残すとか種の起源というのは、宗教でも大切なことですよね。ガレットにその象徴的なものを入れるのは、布教の意味合いもあったのかもしれません。フェーヴは、以前は羊やマリア様など宗教色の強いものがモチーフでしたが、最近は物語や生活、スポーツなど宗教色がないものがあります。古い昔は素焼きのようなスタイルでしたが、今はカラフルに彩色された陶製のものが多くなりました」 |
「これは特大ドーナツですか?(^-^)\」「そちらは、ガレット・デ・ロワ・プロヴァンサルでございます」 |
ガレット・デ・ロワ・プロヴァンサル Galette des rois provencale 特注品 |
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「これもガレット・デ・ロワ!?(゚O゚)\」「南仏プロヴァンス地方などで、フィユタージュ生地の代わりにブリオッシュ生地を用いて作るのがガレット・デ・ロワ・プロヴァンサルです。ガレット・デ・ロワ・ボルドレーズ(Galette des Rois Bordelaise)、ブリオッシュ・デ・ロワ(Brioche des Rois)またはガトー・デ・ロワ(Gateau des Rois)またはガレット・デ・ロワ・パータ・ブリオッシュ(Galette des Rois Part a Brioche)とも言います」 |
「あんな所にもガレット・デ・ロワが…(^O^)\」 |
2009年1月6日 フランス大使公邸で開催された 第6回サロン・ドゥ・ラ・ガレット・デ・ロワに出品した 3種の変わりガレット・デ・ロワ (全て特注品) |
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「おおっ!?(゚O゚)\ 葉っぱやバニラ棒、サクランボで飾りつけしてあります。このようなガレット・デ・ロワは初めて見ました」 |
ガレット・デ・ロワ グリオット・ピスターシュ |
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「そちらの3点は、6日のサロン・ドゥ・ラ・ガレット・デ・ロワに出品したものでございます。左からピスタチオとグリオット…」 |
ガレット・デ・ロワ アナナス・バナーヌ |
ガレット・デ・ロワ プラリーヌ・オランジュ |
「パイナップルとバナナ、プラリネとオレンジでございます」「こ…これは凄い!(゚O゚:)\」 |
「おおっ!こっちの方にもガレット・デ・ロワがありますよ(^O^)\」 |
「白い方はガレット・デ・ロワではなさそうですが、茶色くて大きい方はガレット・デ・ロワですね(^O^)\」 |
ピティヴィエ Pithiviers (特注品) |
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「ワンダフルハウスさん、それはガレット・デ・ロワではありませんよ」「ん?(^-^)\」 |
クラブ・ドゥ・ラ・ガレット・デ・ロワの島田進会長がリヨン土産のチョコレートとバターを持って現われました。 |
「これはラトリエ・ド・シマのボンボン・ショコラですか?(^-^)\」「リヨンのお土産で、ベルナッションのパレドールです」「ほ…本物ですか!?(゚O゚)\」「そこら辺のとは味が違いますよ」 |
「これもリヨンのお土産でブール・バラット(Beurre baratte)という手作りバターです」「おおっ!?(゚O゚)\ このバターは初めて見ました。紀ノ国屋でも見たことがありません」 | |
フランスでバターといえば、日本と違って無塩バターが主流です。現在では産業化に伴い、従来の何十倍もの速さで、一気に成形まで仕上げる機械を使うメーカーが99%を占めています。そんな中で、残り1%で続けられているのが「ブール・バラット Beurre baratte」なのです。攪拌作業の段階で熟成時間をじっくりかけて作ることが工場製との違いです。 |
「このバターは石鹸を手作りする時のように、完全な手作業で少量ずつ練り上げているのです…」「ほぅ(^-^)\」 |
「ワンダフルハウスさんには一番美味しい部分をあげましょう」 |
「その腕時計は!?…カルティエ・サントスです!(^O^)\ 島田会長はルコントにいらっしゃった時に、カルティエのパーティー用にサントスのピエスモンテ(装飾用の工芸菓子)を作ったことがあるそうですね?」「そう、コレです。パーティーの終盤になると、崩して切り分けて食べるのです。すごく大きいもので、ヌガーでできた柱で支えるんですよ」 | |
カルティエ・サントスは、飛行機の操縦中でも時計を見ることができるようにと依頼されて作られた時計で、当時飛行家でもあったサントス・デュモンの名前からネーミングされました。1847年に創業されたカルティエは、宝石商としては新興でしたが、デザインのセンスには優れていました。創業間もなく、時の皇帝ナポレオン3世の愛顧を受け、またたく間にフランス社交界の御用達となります。三代目のルイ・カルティエは1906年に、世界初の実用腕時計と言うべき「サントス・デュモン」を発表しました。当時腕時計といえば、女性用の小さな懐中時計に革バンドを付けた程度のものしかありませんでしたが、ルイ・カルティエはサントスに腕時計専用の全く新しいデザインを与えたのです。自然界にはないサントスのスクエアな意匠は、後年多くの腕時計に影響を与えただけでなく、ピエスモンテまで作られていたのです。 |
「ルイ・ヴィトンのモノグラムバッグや、クリスチャン・ディオールのポワゾンの香水瓶のピエスモンテも作ったことがあります」「そ…それは凄い!(゚O゚)\」 |
ガレット・デ・ロワ | ピティヴィエ |
「ところでワンダフルハウスさん、ガレット・デ・ロワとピティヴィエを間違えてはいけませんよ」「ピティビエ?(゚O゚)\」 |
ガレット・デ・ロワである | ガレット・デ・ロワではない |
「私はフランスの古い菓子屋で修業をしていた時に、先輩からいつも『ガレット・デ・ロワとピティビエを混同してはダメだよ』と言われていました(これはパリの現在は無くなったパティスリー・ベッケルで1972〜73年頃の話)。フランスでもそう言われていたくらいですから、すごく間違いやすいものではないかと思います。ピティビエは材料は同じ(フィユタージュとクレーム・ダマンド)ですが、ピティビエという町で生まれた地方菓子なのです」 |
ガレット・デ・ロワである | ガレット・デ・ロワではない |
「左はパンで、右はガレット・デ・ロワに見えます。これは間違いやすいですね(゚O゚)\」「ガレット・デ・ロワは、パンやブリオッシュの中にフェーヴを入れたものが始まりのようです。ガレット・ボルドレーズとも言われるもので、リヨン以南の地方では、ガレット・デ・ロワというと、このようなブリオッシュをリング状にしたものをいいます」 |
「パリの真南およそ80km、セーヌ川の支流のウフ川沿いにピティヴィエという人口1万人ほどの小さな町があります。この町の名物がクレーム・ダマンドをフィユタージュで包んで焼いた町と同じ名前のお菓子“ピティヴィエ”なのです」「もう少しゆっくりお願いしますφ(..)メモメモ」 |
「ピティヴィエは町のスペシャリティとして、『ピティヴィエ協会』という公の団体が由緒正しい製法を後世に伝えようと活動しているほどに大切にされているのですが、実はピティヴィエには2種類あります」 |
ピティヴィエ・フィユテ・ア・ラ・クレーム・ダマンド Pithiviers feuillete a la creme d'amandes (特注品) |
ピティヴィエ・フォンダン Pithiviers fondant (特注品) |
「一つはピティヴィエ・フィユテといって、ガレット・タイプのもの…」 | 「そしてもう一つはピティヴィエ・フォンダンと呼ばれるパイなしでそのまま焼いてフォンダンをグラッセし、フルーツなどを飾りつけたものです」 |
ガレット・デ・ロワ | ピティヴィエ |
「ところで島田会長、ガレット・デ・ロワとピティヴィエの形はどう違うのですか?」「ピティヴィエは花形で中央が盛り上がり、ガレット・デ・ロワより細かい模様が入ります」 |
「花形?…おおっ!?…花びらのように縁が出っ張ってますよ!(^O^)\」 |
「この出っ張りがあるか無いかが、ピティヴィエとガレット・デ・ロワを見分けるポイントになりそうです(^-^)\」 |
「ピティヴィエは焼く前に必ず塗り卵を塗って、ナイフで表面に風車のような模様をつけます」 |
「この模様は、いわばピティヴィエのトレードマークのようなものなのです」 |
「おおっ!?ドーム状になってるのかと思ってましたが、こうして見ると中央が盛り上がってないですよ?(゚O゚)\」「あまり高くしても意味がないのです」 |
ガレット・デ・ロワ | ピティヴィエ |
「それでもガレット・デ・ロワと比べると高さがありますよ」「なるほど、倍近くありますね(^-^)\」 |
ピティヴィエ・フォンダン Pithiviers fondant (特注品) |
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ピティヴィエ・フィユテは16世紀に出現しましたが、それよりもはるか昔、既に7世紀にピティヴィエ・フォンダンと呼ばれるお菓子がありました。フィユテ生地のピティヴィエと区別するため、現在では「ピティヴィエ・フォンダン」または「ピティヴィエ・グラッセ」(糖衣をかけたピティヴィエ)または「ピティヴィエ・ア・ランシエンヌ」(昔のピティヴィエ)などと呼ばれています。 |
「見た目も作り方も全く違う2つのお菓子に、なぜ同じ名前が付いているのですか?(゚O゚)\」「どちらもピティヴィエの町のスペシャリテだからです。現地では新旧2種類のピティヴィエが、今でもパティスリーのウィンドーを飾っていますよ」 |
「おおっ!…綺麗です!\(^○^)/」 |
ピティヴィエ・フォンダンはピティヴィエ・フィユテよりも歴史が古いのです。中世ゴール時代にピティヴィエの町では最良質の細かい小麦粉ができることで有名でした。ローマ皇帝がフランスを侵略した時、イタリアでたくさん採れていたアーモンドをピティヴィエの小麦粉と交換するように要求してきました。そこでピティヴィエの人々は今まで作っていたガレットやフアス(どちらも小麦粉や卵で作った発酵しない平べったい菓子)にアーモンドを加えて作るようになりました。小麦粉を挽いていた水車でアーモンドも挽いたので、細かい上質なアーモンドプードルが手に入ったのです。これがピティヴィエ・フォンダンの始まりでした。しかし、当時は糖衣がけはされていませんでした。 |
「ドレンチェリーとオレンジピールで飾りつけしてあります(^-^)\」 |
「フォンダンは薄めですね。下のケーキ生地が透けて見えます(^0_0^)\」 |
アーモンドたっぷりのリッチなバター生地に糖衣がけして飾ったのがピティヴィエ・フォンダンです。 |
2つのピティヴィエがカットされました。 |
「島田会長のルセットを見ると、ピティヴィエのクリームはガレット・デ・ロワのクリームとは違います。ピティヴィエはクレーム・ダマンドだけです」 |
「断面を見ると、ゆるやかなドーム状になっていますね(^-^)\」 |
「島田会長のルセットでは、ガレット・デ・ロワには、クレーム・ダマンド(アーモンドクリーム)にクレーム・パティシエール(カスタードクリーム)を混ぜ合わせたクレーム・フランジパーヌを詰めています。しかし、ピティヴィエのクリームはクレーム・ダマンドだけを詰めているのです」 |
ピティヴィエ | ガレット・デ・ロワ |
ピティヴィエ市の地方菓子 1年中OK フェーヴと王冠は付かない 花形でドーム状 (中身はクレーム・ダマンド) |
1月だけの宗教菓子 フェーヴと王冠が付属 円形で真っ平ら (中身はクレーム・フランジパーヌ) |
「圧倒的に違います!(゚O゚)\」 |
クレーム・ダマンドの作り方は、粉糖とアーモンドプードルを一緒にふるい、ミキシングボールに入れたバターに少しずつ加えて、中速でムラなく混ぜ、溶きほぐした全卵を加えて混ぜ合わせ、ラム酒とバニラエッセンスで香りづけして出来上がり。 |
これが島田会長のクレーム・ダマンドです。 |
島田会長の師匠であるアンドレ・ルコント氏のルセットでもピティヴィエの中身は、クレーム・ダマンドになっています。ピティヴィエの中に詰めるクリームについては、フランス人の間でも「クレーム・ダマンドだ!(^O^)/」「いや、クレーム・フランジパーヌだ!(^O^)/」と意見が二分されているようです。ガレット・デ・ロワについては、昔はフィユタージュのみで作られていました。クレーム・フランジパーヌを入れるようになったのは意外にも最近のことなのです。日本にフランス菓子を広めたMOFパティシエ クロード・ボンテ氏(当時フォションの製菓部門チーフ)が1970年代に行なった講習会(助手はルコント氏や島田会長が務め、生徒には弓田亨氏の姿も)の作品写真とルセットを分析すると、1976年当時「ガレット・デ・ロワ」はフィユタージュだけで作られていて、クレーム・ダマンド入りは「ガレット・オ・ザマンド」と呼ばれていました。ボンテ氏も「ピティヴィエ」はクレーム・ダマンドを詰めていました。 |
「おおっ!?(゚O゚)\」 |
「飴色になるほどしっとりしています!ピティヴィエ・フォンダンとは、パウンドケーキです!(^Q^)\」 |
ピティヴィエ・フォンダンとは、アーモンドの風味を効かせて、しっとりと焼き上げ、周りを糖衣(フォンダン)で覆ったお菓子です。 |
アーモンドとバターの香りが凄いですよ 〜(^Q^) |
ピティヴィエ・フォンダン | ピティヴィエ・フィユテ |
「とろけるようなキメの細かさ…フィユテ生地のさっくりとしたピティヴィエとは対照的です!(゚O゚)\」 |
「島田会長のピティヴィエ・フォンダンのグラサージュ(白い部分)は上面が濃くて、側面は薄いですね」 |
フォンダンとは、シロップを115℃まで煮詰め、冷却して攪拌したもの。1824年に考案され、1830年にはフォンダンでお菓子や果物を覆う「グラサージュ」が行われた記録があります。 |
2つのピティヴィエはシンプルですが、フランス菓子の真髄を現したお菓子といえます。 |
ピティヴィエは、もともとノワゼット(ヘーゼルナッツ)で作られていたようです。というのも、この地方は優れたヘーゼルナッツの産地としても知られていたからでした。それが時代の移り変わりと共にアーモンドに変わっていったのですが、それはおそらくビター・アーモンドのシアンの風味が、より人々に好まれたせいでしょう。実際、ピティヴィエはソーテルヌなどの甘口のワインに合う数少ないお菓子の一つとされています。 |
「フィユタージュにもクレーム・ダマンドにもバターがたっぷり使われています(^Q^)」 |
「バターで思い出しました…先ほどのブール・バラットをいただきましょう…いやー、これは美味です(~Q~)」 |
「ワンダフルハウスは、ピティヴィエにブール・バラットを塗っていただくことにしました…これは、ピティヴィエの最高の食べ方です!\(^Q^)/」 |
「ピティヴィエ・フォンダンもアーモンドたっぷりのリッチなバター生地です」 |
「見た目は地味なお菓子ですが、味は素晴らしいですね(^Q^)」 |
「材料はバター、アーモンド、砂糖、卵、粉。製法はパウンドケーキと同じです」 |
「もっとバターを!(^Q^)/ ピティヴィエ市の地方菓子にリヨン市の手作りバターは合いますよ」 |
Le palet d'or (BERNACHON) |
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「あまりにも有名なベルナシオンのパレ・ドール…これは、その名の通り“金の円盤”です!(゚-゚)\」 | |
1999年に亡くなられた先代のオーナー モーリス・ベルナション氏が、1952年の創業当時から造っていたパレ・ドールと呼ばれる薄い円筒型をしたこのボンボン・ショコラは、1947年に開発されたスイス・トイスチャー社のシャンパントリュフに次いで歴史のあるボンボン・ショコラです。 |
普通の店はクーベルチュールを使いますが、ベルナションではカカオフェーブ(カカオ豆)を焙煎する段階からクーベルチュールを手造りしているのです。 |
「おおっ!これはトリュフ・フォークの跡です!(゚O゚)\」 |
「外も中も黒っぽい!見るからにビター系です!(゚O゚)\」 |
「パレ・ドールのガナッシュは、比較的カカオ分の低い(と言っても50〜55%あります)チョコレートを使っていて、厳選した生クリームとクレーム・ドゥーブルを加え、後からフレッシュなバターを加えているそうです」 |
「ガナッシュの口溶けがいいですね(^Q^)」「ワンダフルハウス様、たった今、パレ・ド・オールの三枝俊介シェフへプレゼントされるショコラのガレット・デ・ロワが焼き上がりました」「ん?パレ・ド・オール?(^Q^)\」 |
Galette des Rois au Chocolat Noir “SHUNSUKE SAEGUSA” ガレット・デ・ロワ・オ・ショコラ・ノワール 三枝俊介モデル (特注品) |
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「これがショコラのガレット・デ・ロワ!?(゚O゚)\」 |
普通のガレット・デ・ロワ | ガレット・デ・ロワ・ショコラ・ノワール |
「真っ黒です!(゚O゚)\」 |
「このクープは何でしょう?…さっきどこかで見たような?(゚-゚)\」 |
「あっ!あれです!(゚O゚)\」 |
「このクープは、日仏交流150周年記念のシンボルマーク “着物とエッフェル塔”です!(゚O゚)\」 |
「クラブ・ドゥ・ラ・ガレット・デ・ロワの島田進会長が初めて作ったショコラのガレット・デ・ロワは…」 |
左からモーリス・ベルナシオン氏、三枝俊介氏、ポール・ボキューズ氏 | |
「モーリス・ベルナシオン氏の薫陶を受けた日本のトップ・ショコラティエ 三枝俊介シェフへのギフト品という形で実現したのです!」 |
「それでは、新丸ビルのパレ・ド・オールにガレット・デ・ロワ・ショコラ・ノワールを持って行きましょう (^-^)つ□」 |
続く |