わんだふるはうす、パティシエ・シマに行く

ポワソン・ダブリル・デュ・ジャポン アンドレ・ルコント風

パート・フィユテはとりわけ美味なパイ生地ですが、何人かの歴史家が言っているように、17世紀の有名な画家クロード・ジュレ(1600〜1682)によって発明されたのでしょうか? それとも他の書物の著者たちが主張するように、コンデ家の菓子係の頭であったフイエ(Feuillet)という職人によって発明されたのでしょうか? 残念ながらこの質問に答えるのは困難です。確かにパート・フィユテの発明は画家よりも菓子職人のものとした方が論理的と思われますが、しかしこの説を裏付ける確かな資料は何も無いからです。他方フィユタージュ(Feuilletage)の語がフイエから来たとするのもいささか子供じみています。フイエに関して言えば、彼は極めて偉大な菓子職人であり、料理人カレームはその著書「パリの王室菓子職人」でフイエを誉めていますが、菓子論集のどこにもフイエがフィユタージュの発明者であったとは言っていません。それに対して料理人ジョセフ・ファーヴル(1849〜1903)は「万有料理辞典」の中で「フイエがパート・フィユテの発明者であった」とはっきり言っています。ところで画家クロード・ジュレや菓子職人フイエが生きていた時代より、ずっと以前の資料を読めば、パート・フィユテが単に中世だけでなく、古代ギリシア人たちにも知られていたことが明らかです。アミアンの司教であったロベールは1311年の文書中でフィユタージュを使った菓子のことを記しています。画家クロード・ジュレは菓子製造の見習いになったことがあるといわれ、フィユタージュの菓子を好んでいたそうですから、これを彼の時代に再流行させたにすぎなかったのでしょう。画家を目指していた島田進さんが1968年に菓子製造の見習いとしてルコント六本木店に弟子入りしてから42年後の2010年4月1日、島田進さんのお店「パティシエ・シマ」で、師匠のアンドレ・ルコント氏が1981年に製作したパート・フィユテを使用した伝説の料理「Feuillete des mers du Japon」を菓子で再現していただきました。

2010年4月1日

ラトリエ・ド・シマ
「こんにちは! ポワソン・ダブリルはありますか?(^O^)/」
イースターエッグ
大 3150円
中 1050円
小 525円
「ん?今年もニワトリや卵のチョコレートを飾ってありますね(^-^)\」
Le coq
ニワトリ
大 3675円
小 840円
イエス・キリストの復活を祝う復活祭、英語だとイースター、フランス語だとパック(パーク)ということになります。
ヨーロッパでは復活祭はクリスマスも超えるキリスト教の最重要行事とされています。多くの伝統的な教会が復活祭の40日ほど前から肉・卵・乳製品を節制する食事制限の期間を設けていて、復活祭の日にその禁が解かれ、肉料理や復活の象徴である卵を食べるのです。今年は4月4日がパックです。時季になると、ショコラティエ(チョコレート専門店)もパティスリー(菓子店)もブーランジュリー(パン店)も卵やニワトリやウサギのチョコレートを飾るのです。
Poisson en Chocolat
ポワッソン・アン・ショコラ
2100円
D'ecrevisses en chocolat
デクルヴィッス・アン・ショコラ
1575円
「魚とエクルヴィス(ザリガニ)のチョコレート…去年と同じだ…なぁんだ、つまらない!(^O^)\」「ワンダフルハウスさん、店の中を見回してごらんなさい」
「ん?(^-^)\」
「な…何だこれは!?(゚O゚:)
Tarte Poisson d'Avril du japon
タルト・ポワッソン・ダブリル・デュ・ジャポン
(特注品)
「こ…これは凄い!(゚O゚:)
Tarte Poisson d'Avril aux Fraises
タルト・ポワッソン・ダブリル・オー・フレーズ
(特注品)
「それはアンドレ・ルコントさんが1981年に作ったポワソン・フィユテを島田進さんが菓子で再現したものなのです >・●)))彡」
Tarte Poisson d'Avril aux Fraises
タルト・ポワッソン・ダブリル・オー・フレーズ
(特注品)
Feuillete des Mers du Japon
フィーユテ・デ・メール・デュ・ジャポン
製作 アンドレ・ルコント
1981年
「ルコントさんが29年前に作ったものは白身の魚介類(ムール貝、帆立貝、海老、イカ、牡蠣、、蟹、魚のクネル、舌平目のフィレ)を詰めたものでした」「料理名に“デュ・ジャポン”が付いた…これは日本のフランス料理史に残る傑作です!(゚O゚)\ 
Tarte Poisson d'Avril du japon
タルト・ポワッソン・ダブリル・デュ・ジャポン
(特注品)
「これも菓子名に“デュ・ジャポン”が付いた…」
「これも日本のフランス料理史に残る傑作です!(゚O゚)\」
「おおっ!? ガレット・デ・ロワのように表面にクープ(模様)がありますよ?(゚O゚)\」
「かなり緻密ですね」
「これは魚の鱗を表しているのです!(゚O゚)\」
「中をくり抜いて、具を詰めて、蓋を付けた…」
「つまり、これは…魚の形のヴォロヴァンです!(゚O゚)\」
「側面のパイ生地の層が美しい!(~O~)\」
「ところでワンダフルハウスさん、パート・フィユテ(折り込みパイ)はとりわけ美味なパイ生地ですが、何人かの歴史家が言っているように、17世紀の有名な画家クロード・ジュレ(1600〜1682)によって発明されたのでしょうか? それとも他の書物の著者たちが主張するように、コンデ家の菓子係の頭であったフイエ(Feuillet)という職人によって発明されたのでしょうか?」
「画家にパイ生地を発明できるはずがない…これはフイエという菓子職人が発明した生地だと思います!(^O^)/」
「残念ながら、この質問に答えるのは困難なのです。確かにこの発明は画家よりも、むしろ菓子職人のものとした方が論理的と思われますが、しかしこの説を裏付ける確かな資料は何も無いのです」
「わかった! フィユタージュ(Feuilletage)という言葉は、フイエ(Feuillet)の名前から来たに違いない!(^O^)\〜☆」
「フィユタージュ(Feuilletage)の語がフイエ(Feuillet)から来たとするのは、いささか子供じみていますよ。フイエに関して言えば、彼は極めて偉大な菓子職人であり、料理人アントナン・カレームはその著書『パリの王室菓子職人』でフイエを誉めていますが、菓子論集のどこにもフイエがフィユタージュの発明者であったとは言っていません」
「それに対して料理人ジョセフ・ファーヴル(1849〜1903)は、『万有料理辞典』の中で“フイエがパート・フィユテの発明者であった”とはっきり言っています」
「おおーっ! 蓋が開いた!(゚O゚)\」
「中身はフルーツのごちゃ混ぜです!(゚O゚)\」
Tarte Poisson d'Avril du japon
タルト・ポワッソン・ダブリル・デュ・ジャポン
(特注品)
Meli-melo
メリメロ
(特注品)
「このポワソンは?…メリメロに似ている!(゚O゚)\」
Meli-melo
メリメロ
(特注品)
1980年代、島田進シェフがルコントの総製菓長だった時代にフランス大使館の晩餐会のために創作したデセールの登場です。
「季節のフルーツをごちゃ混ぜにパイの上に並べてあります!(゚O゚)\」
「メリメロとはフランス語で“ごちゃ混ぜ”という意味です」
「かつてのフランス菓子は、私のように幾何学的なデコレーションが主流でしたが…」
「’80年代にイタリアの影響が色濃く見えるこのように無秩序な盛り方が流行したのです」
「パイがパリパリにキャラメリゼしてあります!(゚O゚)\」
「これは、いったん焼いてから砂糖をふりかけ、表面を軽く焦がしたのです」
「パイの蓋を少しずらして…(^O^)//)))「もう少し下から!もっと斜めに! >・●)))彡」
Tarte Poisson d'Avril du japon
タルト・ポワッソン・ダブリル・デュ・ジャポン

製作 島田進
2010年4月1日
Feuillete des Mers du Japon
フィーユテ・デ・メール・デュ・ジャポン
製作 アンドレ・ルコント
1981年
「決まった!\(^○^)/ >^●)))彡」 
「今後、日本でこれほどのポワソン・フィユテが作られることは、もうないでしょう」
「ルコントさんのオリジナルは白身の魚介類(ムール貝、帆立貝、海老、イカ、牡蠣、、蟹、魚のクネル、フィレ・ソール)を詰めたもので、ソース・ノワイーをかけていただくスタイルでした」「パイは美味しいのに食べないのですか?(゚-゚)\」 
Pate en croute feuilletee de chevreuil
パテ・アン・クルート・フィユテ・ドゥ・シュヴルイユ
鹿のパイ包み焼き
(特注品)
Cuisine Francaise JJ
「パイはフランス語でパテ(Pate)と呼ばれますが、そもそも肉などの材料の香気、旨味、汁が外に出てしまうのを防ぐために生地でくるんで焼いたものでした」 
「フランスでは既に14世紀、最初の料理書を作ったと言われるタイユヴァンの本に登場するし、同じ頃のイギリスの寓意詩『農夫ピアズ』にも記載を見ることができます」 
「物の流通、保存技術、家畜の飼育法のさほど発達していない中世の時代に、繊維質の多い、硬い肉などを小さく刻み、包んで焼くことによって、より美味しく味わう方法といてパイが登場したと言えましょう」 
Pithiviers
ピティヴィエ
(特注品)
「代表的なものを紹介すると、野鳥を使った贅沢なシャルトルのパテ、ヒバリのパテ、特産地と言われているピチヴィエのパテ、ジャガイモを詰めて生地で蓋をするジャガイモのパテ、カボチャのパテなど」 
Loup en croute feuilletee, sauce Choron
ルー・アン・クルート・フィユテ ソース・ショロン
スズキのパイ包み焼き ソース・ショロン
10000円+サービス料10%
メゾン・ポール・ボキューズ
「中身が魚の場合でも作り方の基本は肉と変わりありません。鮭を包んだクーリビマック、ウナギのパテ、スズキのパイ包み焼きなど」 
「それが次第に中の肉だけでなく、外の皮も味わうようになるにつれ、現在のような洗練されたパイ生地に変わってきたのです。時代が下るにつれ、パイ皮自体を味わうヴォロヴァンなどの料理も生まれてきました」「おおっ!? この帽子をかぶった小さなヴォロヴァンは何ですか?(゚O゚)\」 
Bouchee a la reine
ブッシェ・ア・ラ・レーヌ
ブッシェ 王妃風
(特注品)
「Bouchee a la reine (ブッシェ・ア・ラ・レーヌ)。「王妃風ブッシェ」です。ブッシェとは『口』という意味で、王妃様の一口というイメージでしょうか。中世を通じて粗野だとされていたフランス料理が、このように洗練への道を辿り始めたきっかけは1533年カトリーヌ・ド・メディシスがフランソワ1世の子息(後のアンリ2世)のもとへ輿入れしたことです。この時カトリーヌと共にやって来たイタリアの料理人がフランス料理に刺激を与えたのです。イタリア料理の影響として、とりわけ挙げられるのは、ヴェネツィアを経て、10世紀頃からアラブの食習慣が入ったことであり、十字軍や商人が東方からもたらす香辛料や薬草などが入って来たことです。他にアラブ料理の影響としては、今日のパート・フィユテの原形とも見られるものを、ローマのカンペッジョ枢機卿とカルピ枢機卿のお抱え料理長だったバルトロメオ・スカッピ(Bartolomeo Scappi 16世紀半ばに活躍)がイタリア料理に採り入れ、それがやがてフランスにもたらされたのです」
「パイケースにフルーツが詰まってる!(゚O゚)\」「パート・フィユテは、アンリ4世(在位1589〜1610)時代のヴィユヴィル男爵の料理長ソーピケの発明とした本もあります。さらに、この時代よりはるか以前にトスカナ公爵領の宮廷ではフィユタージュのフルロン、すなわちマカロニやほうれん草を詰めたフルロンが供されていたことが証明されています」 
「省くことのできないバター成分は別として、生地を薄い層にして何枚も重ねて焼くという原則は、既にエジプトの新王国(紀元前1600〜1200)において行われていたことは明らかにされています」 
Apple pie
アップルパイ
1575円
「パティシエ・シマにはアップルパイもありますが、これは型を使って焼かれていますね(^O^)\」「ローマ帝国の初期キリスト教時代にはバラエティー豊かなパイがあり、これらはパイ皿で焼かれたので『dish pies』と呼ばれ、製菓技術上ずば抜けて重要な2本の柱、パフペストリーとタルトのための基礎となって古代から今日まで生き長らえてきています」 
「これに対して型を使わずに縁が立つように作られるパイは、せいぜい600年の歴史しかありません。1350年頃のヴュルツブルグの文献の中で、著者はパイの作り方を5つ挙げていて、小麦粉とワインと卵で作った生地は腰が強く、薄く伸ばしたものでなくてはならぬと、繰り返し強調しています。パフペストリー(puff pastry)という言葉も同じくらい古いのです。1525年ヴェニスの市議会が、当時の派手すぎる結婚の祝宴を抑えるために公布した法令の中には、いろんな料理やベーカリー製品の一つとして、はっきりパフペストリーという言葉を使っています」 
「上の部分が…コンヴェルサシオンに似ている!(゚O゚)\」 
Conversation au chocolat
コンヴェルサスィオン・オ・ショコラ
小 315円
大 特注品
「やはりそうでした。島田シェフはアップルパイの上の部分だけコンヴェルサシオンの形を模してフランス風に仕上げていたのです」
「なんと! パイ生地は上と側面と土台にちょこっとだけ…ほんの少ししかありません!(゚O゚)\」
「このアップルパイは、パイの土台と上部だけにパイ生地を使うダブル・クラスト(Double crust)と言われるタイプのパイです」
「アメリカンパイはアメリカ大陸に移住した人達が家庭で作りやすいように工夫していったもので、特にアメリカ人とアップルパイは切り離せない関係にあります」
「ちなみに、アメリカにリンゴが初めて栽培されたのは、1635年ボストンに農場を持つウイリアム・ブラックストン牧師の手によってであると言われています」
「スパニッシュ・パフペストリーというのはロンツィエールが付けた名前ですが、これは南国の風土の中でその特長が生まれたもので、今日でもなお作られています。ドライに作った基本的な生地にバターを広げ、何度も折り返すという現在の方法の基礎となったのはフレンチパイを作る技術でした。バターを小さく刻んで加えるという当初の方法から、必要な全量を塊のまま生地に包み込むという現在の方法に変わったのは、注意深い観察の結果として起こったほんの一つのステップに過ぎません >・●)))彡」
「ところで、フィユタージュが最初に作られたのは、いつのことなのですか?(^-^)//(()トントン♪」「ワンダフルハウスさん、フィユタージュの起源には色々な説があります。中国が起源とされるものには約2000年前に発行された農業書『斉民要術』にパイと思われる菓子の作り方が出ています。これがパイの資料として最も古いものと思われます。現在の中華菓子に、それほど親しまれたものではないのですが油皮と呼ばれる折りパイのような菓子が作られています。例えば私が1980年代に渋谷の龍門(この中華料理店はとっくに閉店した)で好んで食べていた焼餅サオピンという焼菓子のルセットはこうでした」
A 粉1kgとラード400gを混ぜる。
B 粉と水を混ぜ、適当な堅さの生地を作る。
ABそれぞれの生地を少しずつとり、薄い長方形に延ばす。
Aの上にBを重ね、巻き上げる。
輪切りにし、切り口を下にして押しつぶして平らにする。中華あんを包み込む。
卵に浸し、白ゴマをつけて油で揚げる。

「中華菓子にはこのような生地を使ったものが50数種あり、少なくとも中国にはフィユタージュの起源となった生地の製法、あるいはそれとは別に派生したかもしれない製法ががあったと言えるでしょう >・●)))彡」
「パイ(pie)という文字が記された最も古い文献は?」「pieというスペルは1303年のラテン文の中に見ることができます。1362年になると、明らかにポピュラーな日用語になっています。しかしイングランド以外のどこにもパイの近縁語は発見されていません。唯一の例外としてイングランド、またはローランド(スコットランド領域)に発するゲーリック語pigheがあるだけです。スペルに関してはpye(14〜16世紀)、py(16世紀)などが見えます。パイという英語の用法の変遷を訪ねると、pieは最初は肉、または魚入りであったらしい。16世紀に見えているパイが何入りであったか定かではありません。ところが1600年以前に『フルーツパイ』が見えています。その最初のものはアップルパイでした」
「日本で最初に作られたパイは?」「パイが日本にいつ頃入って来たのか、はっきりしていません。江戸時代、平戸で麦粉を使った南蛮菓子が作られたことが記録に出ています。パン作りは長崎で早くから始まっていましたが、同時にカステラ風のスポンジケーキ類や、様々な西洋菓子が作られるようになってきました。大槻玄沢が長崎に遊学した時に書き写したオランダ料理の献立には、猪の丸焼き、野牛の丸焼き、カステラブロードなどと共に『タルタ=菓子の名』というものが出ています。タルタが現在のパイ菓子であったかどうかについてははっきりしませんが、パイのうちでも作りやすいものは当時の長崎ならいくつかあったかもしれません
Bouchee a la reine
ブッシェ・ア・ラ・レーヌ
ブッシェ 王妃風
(特注品)
ブッシェ(ブーシェ)とは一口大の小型ヴォ・ロ・ヴァンで中に色々な物を詰めます。ブッシェ・ア・ラ・レーヌは、パイ好きのルイ15世の妃マリ一・レクチンスキーが、ヴォ・ロ・ヴァンを1人前に小さく作ることを想いついて作らせたことに始まります。このようなお菓子のブッシェは中に果物やクリームやジャムを詰めたものですが、料理のブッシェは中に肉類や魚介類や野菜を小さな賽の目に切って詰め、温めて供します」
「フルーツの下には何が詰まっているのでしょうか?」
「苺のコンフィチュールです!」
下からクレーム・パティシエール↑苺のコンフィチュール↑クレーム・シャンティ↑フルーツ
「それでは、これからポワソン・ダブリルの入刀式を行ないます(^-^)//(()ドドン!!」
「このポワソン・ダブリルは同じものが2台製作されました。1台は、この後『ビゴの店 鷺沼店』に持ち込むことになっています。ビゴ東京藤森二郎シェフがルコントさんから教わったポワソン・フィユテの正式な切り方を見せてくださるそうです(^-^)//(()トントン♪」
「そして、もう1台をカットするのは…(^-^)//(()トトトトト…」
フランス菓子 Maison Weniko
パティシエール 紅子
「茨城県水戸市に2010年12月1日オープン予定『フランス菓子 メゾン・ベニコ』のシェフ・パティシエールWenikoさんです!(^O^)//(()トトトーン!!!」「ワンダフルハウスさん、私10年以上パティシエの仕事を続けてきて、ついに独立への一歩を歩き出します。ゴールデンウイークから『パティシエールWeniko』の名前で活動を始めます」「本名が宮本亜希子なのに、なぜ紅子(ベニコ)なのですか?(゚-゚)\」「ベニエが好きから、ベニエから取りました」
Beignet alsacien
ベニエ・アルザシアン
200円
オーボンヴュータン
「そういえば、私もオーボンヴュータンでベニエ・アルザシアンというのを食べたことがあります。フランボワーズのコンフィチュール入りで美味でした(^Q^)」
紅子さんはオーボンヴュータンの開店時、河田勝彦シェフの片腕だった永井春男シェフのお店「ル・スフレ」で修業をスタート。ル・スフレは常時30種類のスフレが揃う日本で唯一のスフレ専門店だけあって、スフレはお手のものです。それでは、紅子さんがcuisine francaise JJで作ってくれたデセールの数々を紹介しましょう。
Souffle aux pommes M.O.F.1961
スフレ・オー・ポンム M.O.F.1961
リンゴのスフレ 1961年度のM.O.F.コンクール課題料理
特注品
Cuisine Francaise JJ
製作 Weniko
2008年
林檎の皮を容器に使った林檎のスフレは、ジョエル・ブリュアン氏の師匠であるポール・ボキューズ氏がM.O.F.を受賞した1961年度の課題料理でした。スフレの中では非常に難しいものの一つですが、ボキューズ氏は見事に成功し、栄えある賞を得たのです。
かつて日本国内で、ただ一度だけ、この「スフレ・オー・ポンム M.O.F.1961」が作られたことがありました。それは1972年6月18〜22日にかけての5日間、大阪の辻調理師学校でフランスから3人のM.O.F.受賞シェフ(ポール・ボキューズ氏、ジャン・トロワグロ氏、リヨンのホテル・ソフィテルの総料理長マルク・アリックス氏)を招いて講習会が開催された時。ポール・ボキューズ氏自身が、自分が受賞した1961年度の課題料理「ケース詰めウー・ブルイエのトマト添え」「舌平目のグラタン マルグリー風」と共に再現してみせたのでした。辻静雄氏が解説と通訳をし、ホテル・オークラの小野正吉氏が助手を務める中、ボキューズ氏がオーブンからスフレを取り出した瞬間、会場にいた全国のホテルから集まって来たシェフたちは「おお!(゚O゚)\」という感嘆と驚きの声を上げました。そして会場は、林檎とバターの香ばしい匂いと、カルヴァドスの香りが一緒になって、うっとりするような匂いに包まれたのです。〜(^Q^) それは日本の一流ホテルで働くシェフでさえ今までに嗅いだことのない本物のフランス菓子の匂いでした。
「M.O.F.(フランス最優秀職人賞)って何ですか?(^-^)//(()トントン♪」M.O.F.とは『Meilleur Ouvrier de France メイユール・ウーヴリエ・ドゥ・フランス』の略です。フランス文化の最も優れた継承者たるにふさわしい高度の技術を持つ職人に授与される称号で、その名誉は日本の人間国宝に相当すると言われます。その歴史は1913年、美術評論家であり、ジャーナリストでもあったフランス人 Lucien Klotzがフランスの伝統工芸技術を保護し、その発展を図ろうと運動を始めたことにさかのぼります。展示会を定期的に開催し、優れた技術者を表彰することを考え、政府、業界の有力者に働きかけましが、第一次世界大戦の勃発で中断。戦後、政府の支援を得て活動が再開され、1924年に第1回手工芸大展示会が開催されました。現在では、対象となる職種は料理、菓子、パン以外にも、宝飾品、工芸品、ガーデニングなど幅広く、フランス人の Art de Vivre(生活芸術)の精神にふさわしく、その数は約180職種に及びます。M.O.F.のコンクールは、数年に一度開催され、合格者にはフランス大統領の名において、大統領官邸であるエリゼ宮にてM.O.F.のメダルが授与され、誇りあるトリコロールカラーの襟のコックコートの着用が認められます >・●)))彡」
Souffle d'orange
スフレ・ドランジュ
オレンジのスフレ
特注品
Cuisine Francaise JJ
製作 Weniko
2008年
りんごのスフレもそうですが、このグラン・マルニエ風味のオレンジ・スフレも、粉はもちろんのこと、卵黄も使っていません。林檎やオレンジが煮詰まってできたゼラチン質が、つなぎの役目を果たしているわけです。この生地を林檎やオレンジの皮のケースに詰めてオーブンに入れたら、つきっきりでふくれあがるのを待つくらいの注意が必要です。粉をまったく入れないスフレはポール・ボキューズ氏がピラミッドの次に修業したルキャ・キャルトンの名シェフ ギャストロ・リシャール氏が考え出しました。粉が入っていないということは、いただく時の口当たりが軽くて美味しいのですが、しぼむのが早いのです。
Souffle aux truffes avec Glace aux chocolat a la truffes
スーフレ・オー・トリュッフ・アヴェック・グラス・オー・ショコラ・ア・ラ・トリュッフ
トリュフのスフレ トリュフ風味のチョコレートアイスクリーム添え
2940円+サービス料10%
Cuisine Francaise JJ
製作 Weniko
2009年
スフレには粉を使う方法と使わない方法とがあります。ヌーヴェル・キュイジーヌ以降のフランスでは粉を入れないスフレが主流を占めるようになりました。粉を入れないほうが軽く上がりますし、食べても太らないので喜ばれたのです。ポール・ボキューズ氏やトロワグロ兄弟が籍を置いたことのあるルキャ・キャルトンでは、すでに1948年頃から粉無しでスフレを作っていたのです。
ぺリゴール産フレッシュ黒トリュフ。食材としてのトリュフの魅力は尽きることを知りません。サラダに良し、スープに良し、魚にも肉にも良し、デザートにも良し。トリュフは、それだけで食べても美味しいのですが、他の相性の良い食材と出会うと、とんでもない力量を発揮します。
Souffle glace aux framboises
スーフレ・グラッセ・オー・フランボワーズ
フランボワーズのスフレ・グラッセ
特注品
Cuisine Francaise JJ
製作 Weniko
2009年
スフレ・グラッセは、ふっくらと膨らんだスフレに形を似せて作られた冷たいデザート。焼き上げるのではなく、泡立てたクリーム、卵白で作ったメレンゲなどと合わせて冷凍庫で冷やし固めます。
Creme brulee aux poires et aux marrons
洋梨と栗のクレーム・ブリュレ
1800円+サービス料10%
Cuisine Francaise JJ
製作 Weniko
2008年
パティシエール紅子さんの修業先はル・スフレからパティシエ・シマへ。ここで島田進シェフ直伝のクレーム・ブリュレと…
Creme d'anjou de kyoho
巨峰のクレーム・アンジュ
1800円+サービス料10%
Cuisine Francaise JJ
製作 Weniko
2008年
クレーム・アンジュの作り方をマスター。
Galette des rois aux poires au vin rouge et vin blanc
洋梨の赤ワイン煮と白ワイン煮入りガレット・デ・ロワ “ポール・ボキューズ”
特注品
Cuisine Francaise JJ
製作 Weniko
2008年1月
2009年1月には師匠である島田進シェフに先がけて“新しいガレット・デ・ロワ”の制作にチャレンジ。
このヴォロヴァン風ガレット・デ・ロワのオリジナルは、料理研究家 中村成子さんが24年前に雑誌「ミセス1986年1月号」のために制作したものでした。
中に詰まっている洋梨のワイン煮のルセットは、ポール・ボキューズ氏の1970年代のルセットを採用してグレード・アップ。このガレット・デ・ロワ、新しく見えますが、実は古典的なのです。
Galette des rois “Rossini”
ガレット・デ・ロワ ロッシーニ風
特注品
製作 島田進
イチジクのコンフィチュール製作 Weniko
2010年
パティシエール紅子さんの修業先はパティシエ・シマからアルザスのメゾン・フェルベールへ。クリスティーヌ・フェルベールさん直伝のコンフィチュールは、島田進シェフのイタリアのブルーチーズ『ロッシーニ』を使ったガレット・デ・ロワに採用されました。
Camembert aux calvados
カマンベール・オ・カルヴァドス
3287円
フロマージュリー フェルミエ
Galette des rois “camembert au calvados”
ガレット・デ・ロワ “カマンベール・オ・カルヴァドス”
特注品
製作 島田進
リンゴとカルヴァドスのコンフィチュール製作 Weniko
2010年
島田進シェフのカマンベール・オ・カルヴァドスの形を模したガレット・デ・ロワ。
紅子さんのリンゴとカルヴァドスのコンフィチュールが、カマンベール・オ・カルヴァドスを使用したクレーム・フロマージュと組み合わされました。
「それではWenikoさん、ポワソン・ダブリルに入刀してください(^-^)//(()トトトトト…」
「ちょっと待った。まず宮本、カルヴァドスに合わせるなら、リンゴは王林にするべきだったな…ブツブツ…それからワンダフルハウスさん、このバターがどこのだかわかりますか?」
「おおっ!? 今まで食べたバターとは次元が違います。アイスクリームのようにスーッと口の中で溶けて、ミルクの甘みと豊かな香りがふわっと広がります(^Q^)//(()トトトトト…」
「発表します。島田進シェフがルコントさんのタルト・ポワソン・フィユテ復刻のために選んだバターは…(^-^)//(()トトトトト…」

「(゚-゚:)//(()トトトトト…」「ずいぶん引っ張るじゃないか。早く発表しやがれ!」「あいつ、フランスのバターを知らねぇんじゃないか?」
「フランス・ノルマンディ産…Isigny」「ん?(゚-゚)\(()」「イズニー!」
「発表します。島田シェフがルコントさんのタルト・ポワソン・フィユテ復刻のために選んだバターは国産バターではありません。フランス・ノルマンディ産…(^-^)//(()トトトトト…」
「ディズニーのバターです!!(^O^)//(()トコトコトーン!!」
「はははは…ディズニーのバターだってよ!m(^○^)m」 「ディズニーはお前だぜ!クマのプーさんの出来損ないじゃねぇか」
「ウオッホン!日本人はこれだから困る。これはディズニーではなく、フランス北西部ノルマンディー地方で伝統的な製法によって作られたイズニー社の発酵バターです。かつて海底だったノルマンディー地方には青々と茂る牧草地があり、天然ミネラルやベータカロチンを豊富に含んでいます。その草をたくさん食べる乳牛から採れた乳は無類の香りと共に、絹のような舌触りと色合いがあるのです。フランスでは、既に16世紀初頭にはこのブール・ド・イズニー(イズニーバター)を褒め称え、貴族や上流階級の食卓で食べられていたという文献が存在しているほど、伝統があり最高級のバターとして確立されていました
「ウオッホン! イズニーバターはAOCというフランスの法律で定められた品質保証ステータスを満たしております。AOC乳牛からとれたAOCミルクだけを使い、その生産工程の中に一切の添加物の使用がなく、さらに冷凍されたクリームなどの使用は一切ありませんイズニーバターの製造工程ですが、まずは新鮮なAOCミルクを集め、一連の作業により選別していきます。そして伝統的な製法により熟成させていきます。乳酸菌を加えて、16時間から18時間寝かせます。その結果、ミルクのコクととろけるような風味が生まれるのです」
「AOCって何ですか?(^-^)//(()トントン♪」「AOCとは、Appellation d'Origine Controlee(アペラシオン・ドリジーヌ・コントローレ)のことで、原産地呼称制度ともよばれ、フランス国内の農産物を保護する法律のことです。AOCに認定された農産物は、厳しい基準にしたがって製造され、高い品質が保証されます。優れた農産物に、このAOCが認定されるのですが、AOCに認定されている数少ないバターが、イズニー社のものなのです >・●)))彡」
続く

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