わんだふるはうす、パティシエ・シマに行く

タルト・ダップリコ 森茉莉風

森鴎外の長女 森茉莉(1903〜1987)さんは、16歳でフランス文学者の山田珠樹氏と結婚し、1922年に1年間渡仏してパリのホテル・ジャンヌダルクに住んでいました。ホテル・ジャンヌダルクは、上に“ホテル”と付けているのが滑稽なほどのボロ下宿で、ギリシャ人、中国人、ブルターニュの男、パリの奴ら、パリの気違いの博士などが住んでいました。下宿のすぐ近くにラビラントというカフェがあり、19世紀末にパリ大学の教授を務めた文芸批評家のオーギュスト・エミール・ファゲ(1847〜1916)に可愛がられて、ファゲが印税を譲ってやるために同棲していた女性と臨終の床で結婚式を挙げた時に立ち会ったというエドモンというギャルソンがまだ働いていました。森茉莉さんはカフェ・ラビラントに毎日通って、杏や林檎のタルト(パイ)やクレーム、エスプレッソ、生ハムをはさんだプチパンのサンドウィッチ、日替わりのグラス(アイスクリーム)なんかを食べながら、夫や夫の友人が語るフランス文学、パリの芝居、オペラ、オペラコミック(ミュージカル)、美人女優の話を聞いていました。それは、フランスの香気、パリの香い(におい)の溢れる楽しい時間だったそうです。フランス菓子造りの名人 島田進さんのお店「パティシエ・シマ」には、1922年にパリのカフェ・ラビラントで出していたタルト・ダップリコにそっくりなタルトがあります。

2008年9月。今日はフランス菓子造りの名人の焼いた杏のタルトを紹介しましょう…
「こんにちは! 杏のパイはありますか?(^O^)/…おおっ!?(^O^)\」
Tarte aux abricots
タルト・オー・ザブリコ
2625円
「これです!タルト・ダップリコです!(^O^)\」
「タルト・オー・ザブリコ Tarte aux Abricot」。杏はフランス語で「Abricot アブリコ」。最後の子音のtは発音しません。
森茉莉『私は一匹の肉食獣であって、というと恐ろしいが、他人(ひと)の好意にも、着るものにも、首飾りにも、硝子で出来たいろいろなものにも、すべて食いしん坊の子供のようによくばりなのである。それも人にあげるのは余り好きでなく、貰うのが好きなのだ。よくばりたいものの中でも西洋料理と甘いものが特別に好きで、朝から晩まで欲しがっている、というのが真実(ほんとう)のところである』
『山にいる鳥の中で食いしん坊で有名な杜鵑(ホトトギス)の雛が、顔より大きな、嘴(くちばし)というよりも、体中が全部口になった感じで絶えまなく餌を要求し、気の毒な鶯の母鳥(杜鵑の母親は鶯の巣の中に卵を生みつけてどこかへ行ったのだ)が休む暇なく飛び廻り、かけずり廻って、その大きな開けたままでいる嘴へ毛虫や青虫を投げ込んでは又餌を探しに飛び去るのを映画で見た私は、心の中で感心した。そうして、“まるで幼い時の自分だ”と想ったのだ』
「洋酒に漬け込んだ杏が綺麗に並べてあります(^O^)\」
杏は、南仏のプロヴァンス地方で採れる6月下旬〜8月が旬の果物です。日本ではドライの杏がほとんどですが、フランスでは、完熟したもぎたての生の杏がマルシェや街の果物屋さんでよく見られます。
「杏の先端にバーナーで焦げ目をつけて、かっこよく仕上がっていますね(^O^)\」
タルト台はパート・シュクレ(ビスケット生地)で出来ているようです。

パティスリー・フランセーズ・アンドレ・ルコント青山本店
ワンダフルハウスは青山1丁目の「ルコント青山本店」に移動しました。森茉莉さんが結婚した大正時代の初期に、風月堂などの西洋菓子屋がパイを売り出したようですが、本格的なフランス菓子としてのパイの発売は、アンドレ・ルコント氏が1968年に六本木にお店を開くまで待たなければなりませんでした。しかし、森茉莉さんの晩年はかなり貧しく、近所にある下北沢の喫茶店「邪宗門」で紅茶1杯で開店から閉店までねばり、たまの贅沢は神田小川町にあった頃の「エスワイル」(現在は文京区春日に移転)だったようです。
『その杜鵑の雛のように口は開いてはいないが、「もっと、もっと」と言い通しで、おかずや菓子を要求した幼い時の私が、花嫁というあまり食べたがってはならないことになっている境遇になった頃、即ち大正の初期に、西洋菓子屋がパイというものを売り出した。風月堂や明治屋、モナミなぞのメニュウにはPieとなっている。神田三崎町の仏英和女学校でフランス人のスウル(童貞女)から、フランス語だけを習っていた私にはPieはピーとしか読めない。ピーと書いてパイとは何事だと、私は理不尽な怒りを発しながら、口では淑やかに「パイを下さい」と仰言る』
Tartelette aux abricots
タルトレット・オー・ザブリコ
315円
1968年の開店当時から発売しているタルトレット・オー・ザブリコ。残念ながら森茉莉さんの口に入ることはありませんでした。
左の写真は2006年に撮影したものです。ルコントのタルトレットは現在は315円に値上がりしています。
それでは私も一ついただきましょう…(^O^)m
『三田台町の夫の家の茶の間の隣の小間(こま)に、風月堂の真白なボール箱が置かれ、舅の妾であるお芳っちゃんがその蓋をとりのけると、私は花嫁という名称を持つ人間であることの手前、牙を隠した狼のように、おとなしく控えていた。ドイツのお伽噺に出てくる狼が、メリケン粉を塗って白くした前脚を扉の間から出して仔羊たちに向かい「お母さんだよ、開けてお呉れ」と言った時のように、控えめなやさしい手を、夫や弟たちの後から杏子のパイの方に延ばした』

タルト・オー・ザブリコのアントルメがカットされました。
杏が、ねっとりと艶を帯びています!
「外側はこんがりと焦げ、中の方はムニャムニャしていますね(^-^)\」
コンフィチュール・アブリコ
アブリコ
クレーム・ダマンド
パート・シュクレ
↑底から↑
練り込みパイ生地にアーモンドクリームがたっぷり詰まっています。
Tarte aux pommes
タルト・オー・ポンム
特注品
今後のストーリー展開に備えて、島田シェフにタルト・オー・ポンムを焼いていただきました。パティシエ・シマ初の林檎のタルトの登場です。
「林檎のタルトも中の方はムニャムニャしていますね(^-^)\」
『杏子や林檎が、ねっとりと艶を帯びて、外側はこんがりと焦げ、中の方はムニャムニャしているメリケン粉を焼いた皮の間にはみ出さんばかりに挟まっている、あの美味しい焼菓子は、やっぱりパイではなくタルトレットである』
『「シラノ」の中に出てくる麺麭屋(パン屋=ブーランジュリー)のラグノオが、「卵、三つ四つ手に取りて、こんがり焼くや狐色、タルトレットの杏子入り‥‥」
なぞと即興詩を書きちらしながら、それを書いたそこらの紙で包んで渡したタルトレットこそ、私の最も欲しがる杏子のタルトレットである』
『ラグノオは実際にはいない人物であるが、私は十八世紀の「シラノ」のような男のいた頃のフランスの麺麭屋の造らえた杏子入りタルトレットが口に入れたい。つまりタルトレット・ダップリコである』
『タルトレット・ドゥ・ポンム(林檎入り)もいい。私はブリア・サヴァランの舌を持っているのだから、それを口に入れる資格がある。私はそう信じている』
『それもである。それも、その十八世紀の麺麭屋が、私のために特別に皮に練り込む卵黄も、杏子、若しくは林檎も豊富(たっぷり)にして焼いたタルトレットがお望みである』
『ここで、この原稿紙の上で喋っている分には、巴里の菓子造りの名人に聴えるはずもないし、十八世紀の菓子職人に知れる筈は勿論ないのであるから、言いたいことを言うわけである』
『スモッグで一杯の、末世の東京の、アメリカのどこかの爺いがラジオの中で喋っているような「トッキョー」の、どこやらの菓子屋の、水気のない、冷え固まったアンズのパイは「ノン・メルシィ」である。
「フランスの昔の菓子造りの名人の焼いたタルトレットを与えよ」と、杜鵑の雛の私は心の中で大きな口を一杯に開けるのである』

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