わんだふるはうす、メゾン・ポール・ボキューズに行く

田村敏郎スペシャルランチ

一流と呼ばれるフランス料理店には極めて洗練されたサービス美学が存在していて、多くのサービスマンを擁するグランメゾンの場合は役割分担が決まっています。初めにメニューを持ってくるのはメートル・ド・テル。厨房から食器や料理を運んでくるのはコミ・ド・レストラン。客に給仕するのはシェフ・ド・ランの仕事です。メートル・ド・テルの仕事の1つに客前で行うデクパージュ(料理の切り分け)があります。肉の塊のローストや丸ごとの魚といった豪華料理を出す場合、メートルは見事な出来栄えの料理を客に見せてから、ゲリドン(サイドテーブル)で素早く切り分け、皿に美しく盛りつけます。これを完璧にこなすには、素材の特徴から調理法まで、料理人と同じだけの知識を持っていなくてはなりません。また、熱い料理は熱く、冷たい料理は冷たいうちに出さなくてはいけませんから、手際の良さと同時にショー的な優雅さも求められます。メートル・ド・テルの中には経験と技量に応じた格付けがあり、サービスマンピラミッドの頂点に立つのがプルミエ・メートル・ド・テル。そのプルミエ・メートル・ド・テルの中でも頂点に立つサービスマンこそ、1998年「第5回メートル・ド・セルビス杯」で優勝し、マキシム・ド・パリで支配人として活躍後、現在は株式会社ひらまつでポール・ボキューズ・ブランドの日本総支配人として全店舗を統括、「メートル・ド・セルヴィスの会」会長でもある田村敏郎さんです。2008年8月13日、東京・代官山メゾン・ポール・ボキューズメンバー限定 田村敏郎スペシャルランチ&トークイベント「レストランを楽しく使いこなす」にワンダフルハウスも参加させていただきました。“座を手中に収め、ゲストを至福へと導く”サービスと料理の数々を順番に紹介いたします。

お盆の旧山手通り…
「人がいません…ガラガラです!(゚O゚)\
「代官山フォーラムに着きました」
「おおっ!これです!(^O^)\」
「今日はフランス料理界のスーパースター 田村総支配人の伊達鶏のデクパージュが見られるのです!」
田村敏郎スペシャルランチコース
1ドリンク付き(白または赤ワインまたはソフトドリンク)
5000円(サービス料込)
「私はお酒が飲めないので、アイスティーをください!(^O^)/」
一流と呼ばれるフランス料理店には極めて洗練されたサービス美学があります。多くのサービスマンを擁するグランメゾンの場合、彼らは一見、同じ仕事をしているように見えて、実は制服別に役割分担が決まっています。初めにメニューを持って来るのはメートル・ド・テル。
Entree ou Soupe
Soupe Froide de Vichyssoise en Gelee au Xeres
冷たいスープ ヴィシソワーズ シェリー酒風味のゼリーと共に
コミ・ド・レストランが厨房からゲリドンまで料理を運んできて、シェフ・ド・ランが「ワンダフルハウス様、“冷たいスープ ヴィシソワーズ シェリー酒風味のゼリーと共に”でございます」と給仕してくれるわけです。
厨房からゲリドン(サイドテーブル)へ食器や料理を運んでくるのはコミ・ド・レストラン。客に給仕するのはシェフ・ド・ランの仕事です。つまりメートル・ド・テルを筆頭に、補佐役のシェフ・ド・ラン、コミ・ド・レストランと3人のチームワークでサービスが行われるわけですが、そこには明確な序列があります。
ヴィシソワーズ。これは野菜(ポロ葱とジャガイモ)のピューレにミルクをたっぷり合わせて作る冷たいスープです。柔らかい春の光のような乳白色のこのスープは、飲み物とも、食べ物とも言い切れないデリケートな深い味わい。シェリー酒風味のコンソメジュレのひんやりと舌を包むまろやかな味が優しく口に広がります(^Q^)
トロリとした感触のスープだからバケットの歯触りがよく合います。ヴィシソワーズはスープとはいうものの材料の内容が豊かなものを使っているので栄養満点なのです。
Salade“Caesar” Maison Paul bocuse
メゾンポールボキューズのシーザーサラダ
ゲリドンに野菜が運ばれてきました。
「ロメインレタスにベーコンにクルトンにパルメザンチーズ…これはシーザーサラダの具です!(^O^)\」
卵に調味料、レモン、ガーリック、アンチョビ、溶きガラシ、オリーブオイル、サラダオイルなどを混ぜ合わせてシーザー・ドレッシングを作っております。
「ほぅ、これがメゾン・ポール・ボキューズのシーザー・ドレッシングですか(^-^)\」
「シーザー・ドレッシングにロメインレタス、ベーコン、クルトンを入れて、よく混ぜ合わせます…」
メートル・ド・テルの中にも経験と技量に応じた格付けがあり、サービスマンピラミッドの頂点に立つのがプルミエ・メートル・ド・テル。プルミエ・メートル・ド・テルの中でも頂点に立つ人が本日の昼食会の講師 田村敏郎さんです。田村さんはマキシム・ド・パリで24年間サービスの第一線で活躍後、2005年、株式会社ひらまつ入社。現在はポールボキューズブランドの日本総支配人として全店舗を統括しています。1998年に「第5回メートルドセルヴィス杯」で優勝するなど数々のサーヴィスコンクールで受賞歴を持ち、2001年にはサービスマンの地位向上を目指した「メートル・ド・セルヴィスの会」を発足。会長に就任し、各種団体や協会でも精力的に活動を展開。美しいサービスとユーモア溢れるトークセンスは日本国内では右に出る者はいません。
出来上がったシーザーサラダをお皿に盛り付け パルメザンチーズをふって…
「ワンダフルハウス様、“メゾンポールボキューズのシーザーサラダ”でございます」
普通のレタスだとしなっとなってしまうところも、ラグビーボール状のロメインレタスだとパリパリした食感が失われず、美味しくいただけます(^Q^)
シーザーサラダが誕生したのは1924年7月14日の暑い夜のことでした。ハリウッドからの客が、大挙してメキシコ・ティファナのホテル「シーザーズ・パレス」に押し寄せてきたのです。禁酒法真っ盛りの時代、パーティーのためにハリウッドから国境を越えて人がやってくることは珍しいことではありませんでしたが、その日のシーザーズパレスのレストランでは、ほとんどの材料が底をついてしまい、この大勢の突然の客をもてなすには全く足りなかったのです。このレストラン・ホテルのオーナーである、シーザー・カーディーニは、悩んだ末に、カートにレタス、ガーリックオイル、レモン、卵、パルメザンチーズ、ウスターソース、クルトンとコショウを載せて、客のいるダイニングの中央に進みました。そして、鮮やかな手つきで材料を混ぜ合わせ、一つのサラダを作り上げたのです。そしてこのサラダは、一夜にして伝説となり、西海岸に、全米に、そしてヨーロッパにまで広がっていったのです。
予約の電話の仕方からテーブルマナーまで…田村敏郎先生によるレストランの達人になるためのレクチャーを織り交ぜながらの楽しい食事は続きます…
Filet de bar a la plancha sauce beurre blanc aux fines herbes
スズキのロースト 香草風味のブールブランソース
「ワンダフルハウス様、“スズキのロースト 香草風味のブールブランソース”でございます」
a la plancha(ア・ラ・プランチャ)とは「鉄板焼き風」。皮の部分をカリッと焼いたスズキがほうれん草の上に盛られています。カリッと焼かれた皮とは対照的にジューシーな身の部分は、ソースと混ぜ合わせるとコクと風味が増してとっても美味です(^Q^)
塩焼きがフレンチに変身するブールブランソースは主に魚料理に使われるソースです。みじん切りのエシャロットを白ワインで煮詰め、バターと香草を加えて作ります。残ったソースは、ちぎったパンをフォークに刺して拭きながらいただきます。下げたお皿にソースが一滴も残ってないとシェフが泣いて喜ぶそうです。
「ワンダフルハウス様、伊達鶏のローストでございます」「おおっ!(^O^)\
レショー(料理保温皿)に載せられ、頭の方からプレゼンテーションされた福島県の地鶏「伊達鶏」。フランスのブレス鶏を日本人に合うように改良したもので、 肉質が柔らかいのが特徴です。
田村敏郎氏
2008年 48歳
田村敏郎氏(右から2番目)
1984年 24歳
ついに、マキシム・ド・パリでフランス料理のサービス・テクニックを極めた田村総支配人が熟練の技を見せてくださる時がきたのです。
左の写真は1984年当時のマキシム・ド・パリ。左からソムリエ鈴木実氏、ディレクトール秋山隆哉氏、フランス人料理長ダニエル・パケ氏、日本人料理長 浅野和夫氏、プルミエ・メートル・ド・テル奥村正義氏、シェフ・ド・ラン田村敏郎氏、コミ・ド・レストラン小川二郎氏。服装はマキシムの場合、ソムリエはスペンサージャケットに黒い蝶タイ。ディレクトールは昼ダークスーツ、夜タキシード。プルミエ・メートル・ド・テルはテールコートに黒い蝶タイ。シェフ・ド・ランはテールコートに白い蝶タイ。コミ・ド・レストランはスペンサージャケットに白い蝶タイに白前掛け。
軽く温められて、レショー(料理保温皿)から伊達鶏がまな板に移されました…
目の前で伊達鶏がさばかれる…まさにライブ感覚のデクパージュの始まりです。
横向きにまな板に寝かせて、モモをフォークで突き刺しながら持ち上げ、ナイフで下に押さえつけます…
ひっぱり上げるようにしながら、モモをはがしとります…
(鶏の陰になってしまって見えませんが)取ったモモをフォークで押さえ、骨と平行にナイフを入れて切り、レショー(料理保温皿)に載せます…
同様に反対側の腿もはがします。鶏のデクパージュのポイントは、腿をはがす所で、腿に刺すフォークは深さと角度に気をつけ、はがす時に胸肉を傷つけないようにしなければなりません。腿はナイフで切り落とすのではなく、はがし取るような感じに。ナイフの切り口を見せず、はがれたままの状態でサービスする方が腿肉の歯ごたえが生きるのです。
(鶏の陰になってしまって見えませんが)反対側の腿もフォークで押さえ、骨と平行にナイフを入れて切り、レショー(料理保温皿)に載せます…
胸肉を2つ割りにしています。胸肉の中央部にナイフを入れ、真ん中の骨を左右に分けるようにして2枚に切り分けます。
さらに細かく切り分けます。
フランス料理とは美味の追求を第一義とした、極めて合理的なものです。肉も魚も切り身より、丸ごと調理したほうが断然美味。また焼きたての肉や魚の香りや肉汁のはじける音は、より食欲をかき立てます。デクパージュは元々、より美味しい料理を提供するために生まれた技法なのです。
デクパージュはあくまでも、「料理を最高の状態で味わってもらう」のが基本原則。温かいうちにサービスしなければならないため、スピーディーさが要求されます。また、カッティングの断面や盛りつけなどの視覚的な美しさも当然必要。そのため、無駄のない手さばきが望ましく、必然的にさばく手順や使う器具類も決まってきます。場数を踏み、経験を重ねたメートル・ド・テルのテクニックは、機能を追求した末に生まれる洗練された美も併せ持っています。この美しいサービスこそが料理のトータルの演出となり、味の仕上げに一役買っているのです。
コース・ポーションの場合は1羽を4人前に切り分けるようです。丁寧にアロゼされているので、表面がカリッとした感じに仕上がっています。
田村総支配人が2羽目のデクパージュをしている間、シェフ・ド・ランがマッシュポテトとソースを盛り付けています。
「田村総支配人のデクパージュが終了し、2羽目の盛り付けもまもなく完了しそうです…いや〜物凄いスピードでした(^-^:)\」
Poulet entier roti a la broche
伊達鶏のロースト ジューソース
「ワンダフルハウス様、伊達鶏のロースト ジューソースでございます」
福島県の地鶏「伊達鶏」は、フランスの最高級種ブレス鶏を日本人向けに改良した近年注目のブランド鶏。放し飼いで育てられるため、しっかりとした肉質で野性味を持ちつつ、コクのある味わいが特徴です。
ロティスリーマシーンで焼きあげる際に鶏から出た旨みの汁「ジュ・ド・ヴォライユ」がソースになっています。
クレーム・シャンティのような質感のマッシュポテトと温野菜。
外側からまんべんなく火を通しているため、鶏の旨みが凝縮され、外はパリパリ、中には肉汁の旨みが染み渡っています。食べると口の中に旨みがジワーッと広がります(^Q^)
Creme brulee speciale Paul Bocuse
ムッシュ・ポール・ボキューズのクレーム・ブリュレ
「ワンダフルハウス様、デセールのクレーム・ブリュレでございます」「おおっ!?結構大きいですね!(^O^)\」
今から約40年前、フランス料理に革命が起こりました。伝統のルセットと味を見直そう。肉に頼り過ぎず、魚介や野菜をもっと使おう。ソースは軽やかにヘルシーに…こうして生まれた新フランス料理(ヌーヴェル・キュイジーヌ)の旗手の一人がポール・ボキューズ氏。彼こそが、ラ・ピラミッドでも作っていた昔ながらのデザート「ポ・ド・クレーム(壷に入ったクリーム)」を平べったくし、赤砂糖を振りかけて強火で素早く焦がして、このクレーム・ブリュレを創作したのです。
ポール・ボキューズ氏がクレーム・ブリュレの生みの親ならば、育ての親がジョエル・ロビュション氏。1980年代前半、若きロビュション氏が、史上最短でミュラン3つ星を獲得した伝説のレストラン「ジャマン」で、アヴァン・デセール「クレーム・フロワド・キャラメリゼ・ア・ラ・カソナード(クレームのカラメリゼ カソナード風味)」として発表し、当時のパリのスノッブな人種の間に、ブームを巻き起こしました。ロビュション氏のはアヴァン・デセールなので、もっと小さなお皿になります。日本にクレーム・ブリュレを広めたパティシエ・シマの島田進シェフの話によると、19世紀の古典製菓本「Nos 1500 Recettes Bonne Patisseries」に、すでにクレーム・ブリュレが登場しているので、発祥はもっと古いそうです。島田シェフが1979〜80年頃、ホテル日航パリの2つ星レストラン「セレブリテ」で短期研修を受けた時、当時セレブリテの調理長だったロビュション氏は、まだクレーム・ブリュレは作っていなかったそうです。一度すたれた古典菓子を発掘し、3つ星レストランの洗練されたデセールとして復活させたのは、さすがボキューズ氏やロブション氏の慧眼です。
Pots de Creme
Pots de Creme au Chocolat
ポ・ド・クレーム
ポ・ド・クレーム・オ・ショコラ
(レストラン・ドゥ・ラ・ピラミッド 1979年)
これがポール・ボキューズのクレーム・ブリュレの元になったピラミッドのポ・ド・クレーム(壷入りクリーム)です。ちょっと前に流行した“やわらかプリン”と同じものですが、同じようなものが1930年代にフェルナン・ポワン氏によって作られていました。元々は、家庭でお母さんやお祖母ちゃんが作っていたお菓子ですが、素材や配合の妙で3つ星レストランのデザートにも成り得るのです。ピラミッドでは(左の写真奥に写っている)ブリオッシュと一緒にサービスしていました。
フェルナン・ポワン氏の弟子のポール・ボキューズ氏がポ・ド・クレームの中身を平らな皿に入れて、カソナード(赤砂糖)を振りかけて表面を焦がしてクレーム・ブリュレにしたわけです。
ジョエル・ロビュション氏のクレーム・フロワド・キャラメリゼ・ア・ラ・カソナードの作り方は『卵黄をほぐし、バニラと砂糖を混ぜ合わせる。牛乳とクリームを加え、器に入れてオーブンで焼く。取り出していったん冷やし、表面に赤砂糖をふってサラマンドルでグラッセする』。このルセットを基本にフレッシュ黒トリュフ入りなど様々なヴァージョンが作られました。
まず、カソナードのキャラメリゼの香ばしさを味わいましょう…パリパリ感があります!(^Q^)
牛乳と卵でできたプリンとは異なり、生クリームの持つ美味しさを最もよく引き出したお菓子がクレーム・ブリュレなのです。
「おーっ!これは凄い!(゚O゚)\」
「ヴァニラ・ビーンズたっぷりで美味です!(^Q^)
デザートの後は、会食者全員でラウンジへ移り、田村総支配人も交えて和やかに歓談しました。
「先ほどから熱心に写真を撮っていらっしゃいましたけど、ブログをやってらっしゃるのですか?」とお隣に座っておられた白金にお住まいの御夫婦。「ブログではないのですが、ワンダフルハウスで検索していただければ出てきますよ(^-^)\」「じゃあ、ウチに帰ったら見てみますね」
「ワンダフルハウスさんはフランス料理に詳しいですね。実は私は○○O○○の覆面調査員なんですよ」「マ…マジですか!?(゚O゚)\」
六本木ヒルズで毎朝太極拳をやってらっしゃる方ともお話し…
記念のメニューをいただいてお開きとなりました。田村総支配人ありがとうございました。

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