わんだふるはうす
Maison Paul Bocuse
cuisine francaise JJに行く

1975年2月25日、エリゼ宮でジスカール・デスタン大統領がポール・ボキューズ氏にレジオン・ド・ヌール勲章を授与した午餐会の幻のメニューを2008年の東京で再現

レジオン・ド・ヌール勲章…それはナポレオン1世が制定し、各界の功労者に贈られるフランス最高の勲章です。1975年、フランス料理を世界各国――日本、アメリカ、オーストラリア、ドイツ、イギリス、スイス、ベルギー、スペイン、ポルトガル、カナダ、スウェーデン、ノルウェー、ロシア、イスラエル、トルコetc――に広く紹介した功により、フランスの料理人として初めて「レジオン・ド・ヌール勲章シュヴァリエ Chevalier de Legion d'honneur」を受勲したポール・ボキューズ氏。レセプションとして開催されたエリゼ宮での午餐会では、1970年代を代表するグラン・シェフたち――ポール・ボキューズ氏、ジャン・トロワグロ氏&ピエール・トロワグロ氏、ミッシェル・ゲラール氏、ロジェ・ヴェルジェ氏らの”究極の一皿”によってメニューが構成され、ヴァレリー・ジスカール・デスタン(Valery Giscard d'Estaing)大統領夫妻に捧げられました。歴史的に見ても、フランス国内において、このようなスケールの大きいレセプションが開かれた例は無く、今後も開催されることはないでしょう。1975年2月25日にエリゼ宮で行なわれた伝説の午餐会を、東京・代官山のメゾン・ポール・ボキューズと、東京ミッドタウンのキュイジーヌ・フランセーズ・JJの2店を舞台に再現いたします。

ここに1枚の写真があります。撮影されたのは1977年1月、当時ポール・ボキューズと提携していた銀座のレストラン「レンガ屋」店内にて。エルメスのネクタイをしめ、流暢なフランス語で「ちょっとキザですが…」とシェフに語りかけている常連客は、当時の人気番組「ニュースセンター9時」メインキャスターだった磯村尚徳(ひさのり)氏。鴨の煮込みに赤ワインをかけているフランス人シェフは、レンガ屋の料理長ジョエル・ブリュアン氏。この3ヶ月後、ポール・ボキューズ氏の来日を記念しての招待晩餐会がレンガ屋にて開催されました。食後、磯村氏とボキューズ氏はワイン片手に対峙します。それは、’70年代最高の知識人がフランス料理の真髄に迫った瞬間でした。
1974年、テレビニュースの歴史に大きな足跡を残した「ニュースセンター9時」(NHK総合)が始まりました。初代キャスターは、磯村尚徳氏。「NC9」は、自分の言葉で「語りかけるテレビニュース」を目指すと同時に、現場の映像と音声をできるだけそのまま伝える「現場主義」と、長嶋茂雄氏の引退試合後、すぐ番組に招くなど、ニュースの当事者を登場させる「当事者主義」を標榜しました。またスポーツ、天気、生活情報などを重視する編成方針は視聴者から圧倒的な支持を得ました。
磯村尚徳氏は、1929(昭和4)年、東京都生まれ。祖父は陸軍大将 磯村年。父は陸軍中将 磯村武亮。妻は東京大学名誉教授 鈴木竹雄氏の長女。鈴木家は味の素KK創業者一族。学習院初等科に入学するも、陸軍の駐在武官だった父の勤務先の関係で、小学時代の大半をトルコ・フランスで過ごす。学習院大学政経学部卒業後の1953年にNHKに入局。当時NHKではフランス語の使い手が必要だったため、たった一人だけ東京報道局に配属。以後インドシナ特派員、ヨーロッパ総局パリ支局特派員を経て、1966年よりアメリカ・ワシントン支局特派員兼支局長。帰国後1970年に外信部長に昇格。1974年4月からスタートしたニュースセンター9時の初代キャスターを担当。1977年よりヨーロッパ総局長、1984年に報道局長に就任。1991年NHKを退職。1995年パリ日本文化会館館長就任、2005年3月まで務める。NHKの松平定知アナウンサーは甥にあたる
「こんばんは!(^O^)/」「これはこれはワンダフルハウス様…」
「ワンダフルハウス様、本日は、こちらのお席にどうぞ」
「おおっ! あれは!?(^O^)\」
「薔薇です! 綺麗です!\(^○^)/」
フランス共和国大統領ヴァレリー・ジスカール・デスタン氏夫妻は、フランスの最優秀料理人たちを招いて豪華なレセプションを開かれ、その素晴らしい「dejeuner デジュネ」(ランチ=午餐会)で夫妻のために作られたトリュフのスープをお召し上がりになった。その席上、大統領はポール・ボキューズ氏にフランス料理の大使という名目でレジオン・ド・ヌール勲章シュバリエを授与された。1975年2月25日(火曜日)のことである。
磯村氏「いつぞやエリゼ宮で大午餐会の指揮をとられたことがありましたね?
ボキューズ氏「一昨年(1975年)の2月のことです。私はジスカール・デスタン大統領からレジオン・ドヌール勲章を授かりました。この栄誉は私個人に与えられたものではなく、フランス料理界全体が授かったものだと思います。そこでエリゼ宮で”dejeuner デジュネ”(ランチ=午餐会)を催し、大統領と一緒にテーブルについて、料理や観光客の話をしたんです。我々料理人は18名いました

Soupe de truffes
Paul Bocuse

「ワンダフルハウス様、1975年にエリゼ宮にてV.G.Eに捧げたトリュフのスープでございます」
世界一有名で、世界一高価なスープの登場です。
Soupe aux truffes noires V.G.E. plat cree pour l'Elysee en 1975
1975年にエリゼ宮にてV.G.Eに捧げたトリュフのスープ
9000円+サービス料10%
「V.G.E」は、時の大統領「Valery Giscard d'Estaing ヴァレリー・ジスカール・デスタン」の頭文字。1975年にエリゼ宮で催された午餐会にはV.G.Eの姿があり、そしてキッチンで腕を揮うボキューズ氏の姿がありました。その刹那、歴史に残るこの一皿は世に生まれ出たのです。
磯村氏「ジスカール・デスタン大統領は食通ですか?
ボキューズ氏「かなりの食通ですね。しかも健啖家。でも、あの人も50歳ですから、やはりスタイルには気をつけているようです。いつまでもスマートでいるためには、食事に気をつけなくてはね」
磯村氏「美味しいものの山に囲まれたフランス人がダイエットするのは、さぞツラいことでしょうね(笑)。エリゼ宮の午餐会は、どんなメニューだったんですか?
ボキューズ氏「トリュフのスープ、鮭、そして鴨ですね。鴨にはフォアグラを付け合わせました。これはみんなで相談して決めたメニューなんです」
「おおっ!? (゚O゚)\ これは珍しい! パイで蓋をしたスープです!
パイ生地がキノコ状に色良く膨らんでいます。
「このスープ鉢の形も珍しい!」
このスープ鉢は「グラタン・スープ リヨン風 Gratinee lyonnaise」で使う1人用のスープ鉢。1975年当時のリヨンでは、主として夜の観劇の後、家族や友人同士でグラタン・スープが好んで食べられていました。
「それではワンダフルハウス様、パイの蓋を外させていただきます」と語るのは、メゾン・ポール・ボキューズ代官山の荒木副支配人。
かつて、アークヒルズのサントリーホールの隣にあった「ル・マエストロ ポール・ボキューズ 東京」で働いていた荒木副支配人の圧倒的なパフォーマンスで歴史的午餐会の再現の始まりです。
パイ生地の中に秘められた芳香が一気に放たれる瞬間…
全身をスープに包み込まれるような衝撃が走ります!(゚O゚)\
このスープは、スープ鉢の上面に、「お椀」のふたに見立てたパイをかぶせて焼き上げたもの。パイを外した瞬間、立ち上るトリュフの香りと、パイ自身の持つ芳香が絡まることで、独特の効果があり、日本料理をフランスで再現したものです。
1972(昭和47)年6月18日〜22日までの5日間、辻静雄氏の招きで、ポール・ボキューズ氏、ジャン・トロワグロ氏、マルク・アリックス氏(リヨンのホテル・ソフィテルの総料理長)が来日し、大阪の辻調理師学校で講習が行われました。辻静雄氏は3人を来日した最初の日から毎日のように高麗橋の吉兆や京都の千花に連れて行きました。その時、ポール・ボキューズ氏は懐石料理・京料理の器や料理法、盛り付けに大いに触発され、多大な影響を受けることになります。
このスープのアイディアは、ふたを取った時の香りと、透明感溢れた出汁で有名な「千花」の「お椀のお出汁」からとった、と言われています。
京都祇園 板前割烹「千花(ちはな)」は、永田基男が昭和21年に創業した京料理店。白洲次郎・正子をはじめ数多くの文化人が来店した店として知られ、ポール・ボキューズが訪れたことによって、ヌーヴェル・キュイジーヌに多大な影響を与えたと言われています。
黄金色に輝く、澄みきった鶏のコンソメ…素晴らしい色です!\(^○^)/
黒トリュフの登場です。
トリュフはフォワグラ、キャビアと共に世界三大珍味と呼ばれています。特にフランス南西部ペリゴール地方の黒トリュフは有名で、フランス料理には欠かせない食材です。トリュフの種類は冬トリュフと夏トリュフに分けられ、冬トリュフは11〜2月まで、夏トリュフは5〜8月までがシーズンとなります。 冬トリュフは生のままスライスして飾りつけたり、細かく刻んで肉料理のソースに使います。このソースは、ペリゴールの名をとって「ソース・ペリグー」と呼ばれています。夏トリュフは生のままスライスしてサラダにしたりします。
具がかなり多いですね!
スープの具を分析してみましょう(^0_0^) サイコロ状にカットしたものが多いようです。
上段左側フォアグラのテリーヌをカットしたもの。右側牛頬肉。
下段左側ニンジン。右側セロリラブ(根セロリ)。
スライスした黒トリュフ。
もう1度、パイの蓋をかぶせて… スプーンで突っ突きます。
サクサクサクサク…パイ生地をスプーンで小さく砕いて…
パイの欠片(かけら)が次々とスープの中に落ちていきます(^-^)\
こさらにサクサク…おっ?(^-^)\ 落ちたパイもスープの具になるわけですね。
パイを砕いてスープの中に落とす作業が完了しました。
パイにスープがビッチョリと染み込んでいます!(゚O゚)\
スープの中には、牛ホホ肉・ニンジン・セロリラブを煮込んだブイヨン、ノイリー酒、トリュフのジュも入っていて、かなりの旨みが含まれています(^Q^)
ジスカール・デスタン大統領を感服させたスープは、33年後の今でも、我々現代人に深い溜息をつかせる艶やかな魅力に満ちていました。
メゾン・ポール・ボキューズ cuisine francaise JJ
芳ばしく熱々のままで提供できるパイ包みスープというアイディアは、最高の状態で味わってもらいたいと願うボキューズ氏の愛情でもあります。キュイジーヌ・フランセーズ・JJでも味わえます。
ワンダフルハウスは、代官山から六本木へ移動。東京ミッドタウンに到着しました。 「こんばんは!(^O^)/」「これはこれはワンダフルハウス様…」
「今日は天気がいいのでテラスでいただきます!(^O^)/」
ん?(^-^)\ 空に何か光るものが…
「うわーっ!光った!(゚O゚:)\ あれはUFOです!!」
「ワンダフルハウス様、あれはドコモの飛行船でございます」「おおっ?(^O^:)\ よく見ると、DoCoMoの新ロゴが入ってますね」「埼玉県桶川市のホンダエアポートから発着してるらしいですよ」
「ワンダフルハウス様、トロワグロ兄弟の“Escalope de saumon a l'oseille エスカロップ・ド・ソモン・ア・ロゼイユ”でございます。ジョエルの作り方で、スーシェフの桐原が作りました」
1970年代に一世を風靡した料理「ソモン・ア・ロゼイユ」が、2008年の東京に蘇りました。

Escalope de saumon de Loire a l'oseille
Pierre et Jean Troisgros

Escalope de saumon a l'oseille V.G.E. plat cree pour l'Elysee en 1975
1975年にエリゼ宮にてV.G.Eに捧げた鮭の薄切り ソース・オゼイユ
(特注品)
み…見事な盛り付けです!(゚O゚)\
「V.G.E」は、時の大統領「Valery Giscard d'Estaing ヴァレリー・ジスカール・デスタン」の頭文字。1975年にエリゼ宮で催された午餐会にはV.G.Eの姿があり、そしてキッチンで腕を揮うジャン・トロワグロとピエール・トロワグロ兄弟の姿がありました。その刹那、歴史に残るこの一皿は世に生まれ出たのです。
1930年、ブルゴーニュ地方のシャロン・シュル・ソーヌという小さな街でカフェを営んでいたジャン=バティスト・トロワグロが、ロアンヌ駅前のこぢんまりとしたホテルレストランを買い取り、妻のマリーが料理を、彼がワインとフロアを担当しました。彼らは次第にレストラン経営者として才能を発揮し、小さなビストロは瞬く間に正真正銘のレストランへと成長していきます。1935年、その名を「モダンホテル」に。1926年生まれの長男のジャン、1928年生まれの次男ピエール、2人の息子を料理人にするのもジャン=バティストの夢でした。2人の兄弟は同じような道のりをたどりました。パリのルカ・キャルトンヴィエンヌのラ・ピラミッドと、ポール・ボキューズとも同じレストランで修業することが多かったのです。兄弟はフランスでも有数のレストラン修業で身につけたクラシックな料理知識を携え、1954年ロアンヌに戻ります。翌年の1955年には初めてミシュランで1つ星を獲得。1966年、フレール・トロワグロ(トロワグロ兄弟)と名を変えたレストランは2つ星を獲得。弟のピエールは、1966年に東京・銀座にオープンしたマキシム・ド・パリの初代調理長もを務めました。そして1968年にはついに3つ星を手に入れます。兄弟が創作した最も有名なメニューがこの「サーモン・オゼイユ」。トロワグロの象徴ともなっているこの料理は、類い稀な想像力によって生まれました。当時フランス料理がクラシックな料理法から脱しようとしていた時期で、この料理は今までと全く違ったものとして絶賛されたのです。ロアンヌの駅舎が、サーモンのピンクとオゼイユのグリーンで塗られているほどの名物料理です。1983年に兄のジャンが急逝。1996年から現在までピエールの息子ミッシェルと妻のマリー・ピエールがメゾンの経営をし、40年間3つ星を維持しています。新宿のホテル「ハイアット・リージェンシー東京」内にあるレストラン「Cuisine[s] Michel Troisgros キュイジーヌ・ミッシェル・トロワグロ」のメニューに、この料理は載っていません。
新鮮な鮭の薄切り(エスカロップ)にさっと火を通し、ソース・オゼイユを敷いて供します。
エスカロップとは、フランス語で肉の薄切りや、それに衣をつけてソテーしたカツレツのこと。サーモンの薄切りをバターで軽くソテーし、オゼイユというハーブを使ったソースと一緒にいただきます。
1975年当時、リヨンから車で1時間半、ロアンヌの駅前にホテル兼レストラン「Hotel des Freres Troisgros(2008年現在はHotel Restaurant Troisgros)」がありました。ソース作りに関しては、フランスで一番との定評を得ていたジャンとピエール2人の兄弟が朝の市場での買い付けから、仕込み、仕上げまで、超一流の腕を発揮していました。
レストラン・ポール・ボキューズ
Escalope de saumon a l'oseille des freres Troisgros
エスキャロップ・ド・ソモン・ア・ロゼイユ・デ・フレール・トゥロワグロ
(1976年)
キュイジーヌ・フランセーズ・JJ
(2008年)
左の写真は、エリゼ宮の午餐会の翌年にリヨンのレストラン・ポール・ボキューズで作っていた「Escalope de saumon a l'oseille des freres Troisgros エスキャロップ・ド・ソモン・ア・ロゼイユ・デ・フレール・トゥロワグロ」。トロワグロ兄弟のオリジナルもこれに近いです。フィユタージュ(折り込みパイ生地)で作った魚の形のフローランを皿の縁飾りとして置くことによって、見た目を一段と豪華なものにすることができます。こうして見比べてみると、ジョエルさんのソモン・ア・ロゼイユは分厚いですね。「鮭の厚切り」といってもいい位です。
フローランとは、折り込みパイ生地を魚の形、菱形、三日月形などに型抜きし、オーブンで焼き上げたもの。
ジョエルさんのは、表面をグリエ(網焼き)しているのが特徴です。
「ワンダフルハウス様、こちらがオゼイユでございます」「ん?(^-^)\ これは前に見たことがあるような?」
オゼイユは、ヨーロッパ産のやや酸味のある草で、日本にあるもので代用するとすれば、山菜の「すいば」(地方によっては「すかんぽ」ともよばれています)が最も近いです。
小さなスズキのパイ包み焼き ショロン・ソース シャンピニオンデュクセルとオゼイユをとじこめて
Pave de loup de haute mer en croute,duxelle de champignon etoseille,sauce Chorn
6300円+サービス料10%
「先日ワンダフルハウス様がお召し上がりになられました1人分のルー・アン・クルート(スズキのパイ包み焼き)の一番下に入っていたのがオゼイユでございます」
「これは美味い!(^Q^)」
オゼイユは茎を取り去って葉だけを塩茹でにします。水気を絞って小さく刻み、バターで炒めます。ソトゥーズ(片手テーパー鍋)にフュメ・ド・ポワソンと白ワインを入れて強火で煮詰めます。3分の1位に煮詰まったら生クリームと炒めたオゼイユを加えてさらに煮詰め、塩・胡椒して味を整えてソース・オゼイユの出来上がり。
「フュメ・ド・ポワソンfumet de poisson」は、フランス料理の基礎となるブイヨン。魚料理のベースとなる出し汁で、主に舌ビラメ、ヒラメ、 タラなどの白身魚のアラと野菜を使用します。
ソモンにナイフが入れられました。
「おおーっ!(゚O゚)\ すごく柔らかい!」
「うわーっ!(゚O゚)\ とろっとトロけた!」
トロワグロ・マジックです…(゚O゚:)\ 一口食べただけで当時のトロワグロ兄弟が、どれほど凄かったかがわかりました。
ポール・ボキューズとトロワグロ兄弟は、若い頃、リュキャ・カールトンとピラミッドで同時に修業時代を送り、それ以来ずっと友人として親しくしていましたが、仕事の面では互いに負けられないライバル同士でした。エリゼ宮での午餐会では、先にポール・ボキューズがスープ・オ・トリュフを披露し、それを見たトロワグロ兄弟の超人的な強い意志によって作り上げられたソモン・ア・ロゼイユ。そして、それを見たミッシェル・ゲラールとロジェ・ヴェルジェ。その時、エリゼ宮の厨房は、神の領域にまで達しようとするシェフ達の創造の空間となっていました。
「ワンダフルハウス様、個室の方にヴィアンドゥ(肉料理)の準備ができております」
「それでは、このVOSSを持って個室に向かいましょう」
「ここですか?(^-^)\」 「ん?(^-^)\ 何も無い…」
「ワンダフルハウス様、こちらでございます。」
「ミッシェル・ゲラールの“Canard claude jolly キャナール・クロード・ジョリー”でございます。昔ジョエルもリヨンのポール・ボキューズか銀座のレンガ屋か忘れたそうですが、2、3回作ったことがあるそうです。その時はインゲンのサラダを付け合わせたとか。今回はポール・ボキューズのキュイジーヌ・デュ・マルシェに載ったルセット通りに、スーシェフの桐原が作りました。仕込みに3日かかっている大作です」。
ボルドーから車で3時間、ユジェニー・レ・バンという小さな村にあるレストラン「Les Pres d'Eugenie レ・プレ・ドゥジェニー」で、2008年現在も西南フランス地方唯一のミシュラン3つ星レストランシェフに輝き続けるミッシェル・ゲラール。彼が、エリゼ宮の午餐会で、ただ1度だけ作った究極の一皿Canard claude jolly。フランスで出版された本にも載らなかった幻の一皿のメディア世界初登場です。

Canard claude jolly
Michel Guerard

Canard claude jolly V.G.E. plat cree pour l'Elysee en 1975
1975年にエリゼ宮にてV.G.Eに捧げた鴨 クロード・ジョリー風
(特注品)
おおーっ!?(゚O゚)\ これは珍しい! 1つの皿に鴨のフォアグラのテリーヌと鴨肉と両方乗ってますよ!
この料理については、ルセットはポール・ボキューズの料理本「キュイジーヌ・デュ・マルシェ」とこちらのサイトに掲載がありますが、写真は存在しません。この盛り付けは、cuisine francaise JJの桐原シェフのイマジネーションによるものです。
「V.G.E」は、時の大統領「Valery Giscard d'Estaing ヴァレリー・ジスカール・デスタン」の頭文字。1975年にエリゼ宮で催された午餐会にはV.G.Eの姿があり、そしてキッチンで腕を揮うミッシェル・ゲラールの姿がありました。その刹那、歴史に残るこの一皿は世に生まれ出たのです。
「Michel Guerard ミシェル・ゲラール」は、1933年パリの北にあるヴェトゥーユに肉屋の息子として生まれました。17歳でパティシエの見習いとなり、20歳で国家試験に合格。それから料理のシェフの見習いとなり、パリ郊外ブジヴァルにあるレストラン「カメリア」のオーナー・シェフ ジャン・ドラベーヌに出会い、精神的父親として仰ぎます。その後、マキシム・ド・パリで働き、ルカ・キャルトンへ。ここでポール・ボキューズ、トロワグロ兄弟と出会います。1963年パリ郊外アニエールに「ポトフー」を開店。この店は2つ星に輝きますが道路拡張のために閉店。この時期にトロワグロ兄弟が、フランス各地に7つの鉱泉療養ホテルを持っている父親の娘クリスティーヌ・バルテルミーをゲラールに紹介します。フランス南西部の小さな田舎町ユジェニー・レ・バンにある彼女経営の鉱泉療養ホテルに招待されたのがきっかけとなって2人は1972年に結婚。療養ホテル内にレストラン「レ・プレ・ドゥジェニー」を開店。そこで、減量できて、しかも本物の料理の味が味わえるという新しい分野の料理「キュイジーヌ・マンスール(減量料理)」を開拓します。1977年にミシュラン3つ星になり、現在に至ります。
以降
キャナール・クロード・ジョリーは、ミシェル・ゲラールがエリゼ宮の厨房で作った創作料理。「鴨のフォアグラのテリーヌ 胡椒風味」と「鴨肉の薄切り」、さらにフォアグラを作る際に鴨の肝を煮た出し汁で作った「鴨のゼリー」の3要素で構成されています。
ジョエルさんの話では、クロード・ジョリーさんはフランス人シェフ(男性)で、(ファッション・メーカーの)ランバンが出したグルメ本を編集した人だそうで、かなり昔(たぶん1980年代)、青山のレストラン・ジョエルに来たことがあるそうです。
周囲が黒いゼリーで覆われ、ゼリーの縁に胡椒がふってあります!(゚O゚)\ こんなフォアグラのテリーヌは初めて見ました。
1960年代〜70年代、ゲラールらヌーヴェル・キュイジーヌの旗手たちが「フォア・グラ・フレ」と呼んで、このパテをレアで食べることを流行らせました。それ以降、一流レストランでは必須のオードヴルとなったのです。
1963年、ゲラールは自分のレストラン「ポトフー」をパリ郊外アニエールにオープンします。自分の希望通りにやっていたら採算がとれないのではないか、パリの中心部から10kmも離れているのに客は来るのだろうかと心配するゲラールに、ドラベーヌやボキューズ、トロワグロ兄弟は、自分の信念通りに、自分が作りたいものを作るよう忠告してくれました。「ポトフー」は小さな店でしたが、社交界の名士や映画スター、政治家などの客で大繁盛します。ポトフーのフォアグラ・フレなどは、他の店では食べられない最高級の味だったのです。
「Le foie gras frais フォアグラ・フレ」は、中心温度が65〜70℃で調理されているものを指します。
フォアグラ 胡椒風味(Foie gras au poivre)
鴨の肝にくっついている筋を取り除く。
これに塩と胡椒で調味し、ポルト酒とコニャックをかけて2日間おく。
肝を布巾で包み、ポルト酒を加えた鴨の出し汁で10分間煮て(鴨の大きさによって時間は異なる)、取り出して冷ましておく。
この間に、肝を煮るのに使った出し汁を煮詰め、とろみをつける(煮詰めた出し汁2リットルあたり、コーンスターチ大匙1とゼラチン8枚を加える)。
この出し汁を一度肝にかけ、冷やし固めてゼリーを着せる。表面につぶした粒胡椒をかけ、さらに再度出し汁をかけて固める。
鴨の胸肉の薄切り。温かくはありません。キャナール・クロード・ジョリーは冷製料理です。
肉の上に何かドロッとした光沢のある液体が塗ってありますよ?(゚O゚)\
鴨肉の薄切り
血を抜かない鴨を、仔牛の出し汁とボルドー産赤ワイン半々で作った出し汁の中で約30分間煮る。
胸肉を切り取って薄切りにし、そのままさます。
鴨の肝に使った出し汁と鴨を煮た煮汁を混ぜたものを塗って光沢をつける。
小皿に鴨の胸肉の薄切りと鴨の肝の切り身を盛り、出し汁で作ったゼリーを添える。
まず最初にフォアグラのテリーヌをいただきましょう。
「かなりお酒が効いています!(゚Q゚)」
「次に鴨胸肉の薄切りをいただきましょう。」
「これもかなりお酒が効いています!(゚Q゚)」
この午餐会の前にゲラールは中国を訪れ、中華料理は見た目にも、香辛料の使い方にも、いささか凝り過ぎているなという印象を受けました。しかし、最も心を魅かれたのは、1羽の鴨を足の先から頭のてっぺんまで残すところなく使って、いろいろ違った料理に作り上げてしまう、その経済性、創造性でありました。
ゲラールは、このカナール・クロード・ジョリによって、ボキューズやトロワグロ兄弟が至ったと同じ料理の極致に、彼らとは違ったやり方、つまりフランス料理に対する独自の自由で創造的な解釈によって到達しえたのです。ある点では、ボキューズやトロワグロ兄弟よりずっと革新的であったともいえます。というのも、一つの領分にとどまることを知らず、この午餐会以後、新しい味覚の料理を積極的に出していったからです。

Les petites salades du Moulin
Roger Verge

Les petites salades du Moulin V.G.E. plat cree pour l'Elysee en 1975
1975年にエリゼ宮にてV.G.Eに捧げたプティ・サラッド・デュ・モーリン

No image
No recette

写真もルセットも存在しません。

「V.G.E」は、時の大統領「Valery Giscard d'Estaing ヴァレリー・ジスカール・デスタン」の頭文字。1975年にエリゼ宮で催された午餐会にはV.G.Eの姿があり、そしてキッチンで腕を揮うロジェ・ヴェルジェ氏の姿がありました。その刹那、歴史に残るこの一皿は世に生まれ出たのです。
ワンダフルハウスは、ロジェ・ヴェルジェの本を完璧に集めたのですが、このサラダに関しましては、写真もルセットも存在しませんでした。「Le petites salades du moulin」つまり「ムージャン村のプチ・サラダ」という料理名からイマジネーションをふくらませて、あるサラダに巡り会うことになります。
Roger Verge
ロジェ・ヴェルジェ
(1978年)
Le moulin du moulin
ル・ムーラン・ド・ムージャン
(1978年)
フランスを中心に、イタリア、スペインの食文化が交錯するプロヴァンス地方。この土地ならではの料理と素材の持ち味を生かすヌーベル・キュイジーヌを結びつけたのがロジェ・ヴェルジェ氏の提唱した「ラ・キュイジーヌ・ソレイユ」。つまり「太陽の料理」です。太陽の恵みである素材の風味を大切にし、特に野菜をふんだんに用い、ハーブの香りで積極的に表現していこうというポリシーでした。オリーブオイル、パスタ、トマトを多用しながらも、イタリア料理とはまた違った表現が皿の上で展開されたのでした。
プロヴァンス、カンヌから5kmほど離れ、町のざわめきも届いてこないあたりに、ピカソが晩年を過ごしたことでも有名な、絵のように美しいムージャンの丘があります。1969年6月までのムーラン・ド・ムージャン(ムージャン村の水車小屋という意味)は、ただの田舎のオーベルジュでした。ところが、前年のグルノーブル冬季オリンピックで報道関係者専用レストランの調理長を務めたロジェ・ヴェルジェ氏がオーナーになった途端、全てが変わりました。食通や美食愛好家でいっばいになり、カンヌ映画祭の時期には世界中の映画関係者が足を運ぶようになったのです。2008年現在は、アラン・ロルカ氏が店を引き継ぎ、2つ星レストランとなっております。
ワンダフルハウスは、再びメゾン・ポール・ボキューズに戻ってきました。 「そうでしたか…ロジェ・ヴェルジェのLe petites salades du moulinは見つかりませんでしたか。ところでワンダフルハウス様、当店では(2008年8月)現在、ランチタイムのメニューに、市場からの新鮮サラダ ニース風というのがございますが…」「ニースといえば、ムージャン村のすぐ近くですね。そのサラダを持って来てください!(^O^)/」
Salade du marche nicoise
サラッド・デュ・マルシェ・ニソワーズ
市場からの新鮮サラダ ニース風
「ワンダフルハウス様、“Salade du marche nicoise サラッド・デュ・マルシェ・ニソワーズ(市場からの新鮮サラダ ニース風)”でございます」
マーシュ、エンタイブ、ルッコラ、タンポポの若葉など共に、いろんなサラダ菜を混ぜ合わせたニース名物のサラダ「メスクラン」の登場です。
ワンダフルハウスの解釈による
Le petites salades du moulin
V.G.E. plat cree pour l'Elysee en 1975
1975年にエリゼ宮にてV.G.Eに捧げたムージャン村のプティ・サラダ
ん?これは?(^-^)\ 南仏のミックスサラダ「メスクラン mesclum」です 赤いトマトや生ハムの上に緑の新鮮なメスクランが乗っていて、見た目にも鮮やか。これこそLe petites salades du moulinのイメージにぴったりです\(^○^)/ 
「V.G.E」は、時の大統領「Valery Giscard d'Estaing ヴァレリー・ジスカール・デスタン」の頭文字。1975年にエリゼ宮で催された午餐会にはV.G.Eの姿があり、そしてキッチンで腕を揮うロジェ・ヴェルジェ氏の姿がありました。その刹那、歴史に残るこの一皿は世に生まれ出たのです。
「おおっ(^O^)\ メスクランにのりたまがふりかけてありますよ」「ワンダフルハウス様、ゆで卵の黄身と白身でございます」「これが、ゆで卵とは凄い! (゚O゚)\ スプレーガンで吹き付けたようです
メスクランとは、若くやわらかい葉野菜やハーブを混ぜた、南仏由来のミックスサラダ。 マーシュ、トレヴィス、シコレ、タンポポの葉などがパックされています。 
トマトとオリーブ。ムーラン・ド・ムージャンの庭には、オリーブの木があります。
「よい料理の前提は、まず何といっても良質の材料です。そしてその第一条件は、新鮮であることです」と語っていたロジェ・ヴェルジェ氏。
インゲンとパルマ産生ハム。
ロジェ・ヴェルジェ氏が現役だった頃のムーラン・ド・ムージャンでは、野菜・果物はカンヌの裏面の栽培者たちによって新鮮なものが届けられ、魚類はカンヌのフォルィル市場までヴェルジェ氏自らが出向き、自分の目で確かめて仕入れていました。「それがシェフたるものの務めである」とも語っていました。
メスクランを食べ進むと… 何か白いものが下から出てきました。
ワンダフルハウスはメスクランを掻き分けました。 おおっ!(^O^)\ ジャガイモです! アンチョビの味もしますね(^Q^)
快晴に恵まれた日のムーラン・ド・ムージャン。川に向かって段状に作られたテラスに出て、オリーブの木の下で昼食を食べることほど気持ちのいいことはありません。蝉の声と川のせせらぎしか聞こえてこないテラス席は、ロジェ・ヴェルジェ氏の「太陽の料理」を味わうには恰好の場所でした。そしてその料理は、洗練され、魅惑的で、完璧かつ変化に富んでいました。ポール・ボキューズ氏のような優れて古典的な料理と比べてみると、彼の料理はいかにもプロヴァンスの地方色豊かなものでした。ロジェ・ヴェルジェ氏がパリのエリゼ宮の午餐会で生涯でただ1度だけ披露した「Le petites salades du moulin」。それは、創造性の高いサラダではなく、ただの南仏風サラダ、つまり「サラダ・ニソワーズSalad Nicoise」の、このようなちょっとした豪華版だったのではないでしょうか? さらに専門的な解釈を加えるならば、本物にはプロヴァンス地方の松の木の下だけに生える「ド・ピナン」と呼ばれる血色のキノコが入っていた可能性があります。

Fromages

ワインがありました!(^O^)\ 」
エリゼ宮 午餐会 ワインリスト
この午餐会では、下記のワインが出されました。出された順番や、どの料理にどのワインを合わせたのかは不明です。
Montrachet1970
magnum du Domaine de la Romanee-Conti

モンラッシェ 1970 マグナム・デュ・ドメーヌ・ドゥ・ラ・ロマネ・コンティ
ブルゴーニュ白
蜂蜜や杏のような複雑な甘味を持つ黄金色のワイン。モンラッシェという畑の素晴らしさとDRCの妥協なき姿勢を感じるワイン。
Chateau Margaux 1926
シャトー・マルゴー1926
ボルドー赤
シャトー・マルゴーなくしてボルドーのワインは語れないとまで言われる特別な区画。力強さの中にもエレガントさを備え、「ボルドーの女王」と呼ぶに相応しいワインです。フランス人にとってシャトー・マルゴーは単なるワインではなく、フランス文化の華、フランスの栄光の象徴でもあります。
Morey Saint-Denis 1969
en magnum du Domaine Dujac
ブルゴーニュ赤
Domaine Dujac(ドメーヌ・ドュジャック)はジャック・セッス率いるフランス・ブルゴーニュのモレ・サン・ドニ村を代表する作り手。鉄分を含んだ力強さと完璧な熟成が特徴で、非常にエレガントかつ薫り高い。
Champagne Roederer 1926
en magnum
ルイ・ロデレールは、1776年設立の家族経営のシャンパンハウス。ロシア皇帝アレクサンドル2世に愛飲され、瞬く間に世界に愛されるシャンパン・メゾンとなりました。最高級シャンパーニュとして知られています。
Grand Bas-Armagnac Laberdolive 1893
(バ・ザルマニャック)
ワインを蒸留して作るグレープ・ブランデー。フランスのコニャック地方とアルマニャック地方のブランデーは世界的に知られていますが、バ・ザルマニャックは、アルマニャック地方で作られたブランデーです。
Grande Fine Champagne
(age et origine inconnus)
フランス南部のコニャック市を中心としたシャラント地方のみでつくられるブランデーをコニャックと呼ぶことが、フランスの原産地統制名称法(AOC)で定められています。コニャック地方の中でもグランド・シャンパーニュ地区とプティット・シャンパーニュは、優良な原酒が生産されます。グランド・シャンパーニュ産原酒50%以上に、プティット・シャンパーニュ産原酒のみをブレンドしたものは、「フィーヌ・シャンパーニュ Fine Champagne」とラベルに表示されます。また、ぶどうの収穫から出荷までが、すべてグランド・シャンパーニュ地方でなされたブランデーを「グランド・フィーヌ・シャンパーニュ Grande Fine Champagne」と表示することが許されています。なお、inconnuは「アンコニュ」と発音し、「未知の・未知のもの・かつて経験したことのない」という意味のフランス語。熟成期間もアルコール度数も、蒸留所、生産者…全てが不明なほどの、世界的に見てもあまり流通していない非常に稀少な古酒が出されたようです。
「お待たせしました。フロマージュでございます」
「ミモレットの蓋をあけますので少々お待ちください」
Fromages V.G.E. plat cree pour l'Elysee en 1975
1975年にエリゼ宮にてV.G.Eに捧げたフランス産チーズ
1500円〜+サービス料10%
「ワンダフルハウス様、この中からお好きなフロマージュをお選びください」
こちらの「Roquefort ロックフォール」は、イタリアの「ゴルゴンゾーラ」、イギリスの「スティルトン」と共に「世界三大ブルーチーズ」と呼ばれています。他の2つのブルーチーズは牛乳で作るのですが、ロックフォールだけは羊乳で作るので、とても貴重な存在と言えます。ロックフォールと名乗ることのできるチーズは非常に限定されていて、フランス南部ミディ・ピレネー地方アヴェロン県のコンバルウ山の麓にある「Roquefort-sur-Soulzon ロックフォール・シュール・スールゾン」という人口700人足らずの小さな村の地下に広がる洞窟で熟成されたチーズのみが「ロックフォール」と名乗れます。その誕生は今から2000年も前。「羊飼いの青年が、洞窟に昼食のパンとチーズを置き忘れ、数ヶ月後に行ってみるとカビのついたチーズを発見!(゚O゚:)\ 食べてみたら、この世のものとは思えない美味しさだった\(^Q^)/」というエピソードが残されています。厳しい山岳地帯のラコーヌ種の羊乳から作られ、石灰岩の洞窟で熟成されます。自然に吹き込む湿った風が熟成に重要な役割を果たすと言われています。
「ロックフォールの右側のチーズもブルーチーズですね?(^-^)\」 そうです。こちらは「フルムダンベール Fourme d'Ambert」。フランス中部の山岳地帯オーヴェルニュの牛乳製青かびチーズです。かつては現地の岩のくぼみで熟成させていたそうですが、現在では全て工場で作られるようになっています。“高貴なブルーチーズ”と呼ばれ、日本でも人気のある青カビチーズです。オーベルニュ地方はフランス中部にあり、大半が山地で、ヴォルヴィックやヴィッテルといったミネラルウォーターの湧水地としても有名です。
「お皿にのった2つのチーズはシェーブルでございます」「シェーブル?」「シェーブルとはフランス語で山羊(ヤギ)のことです。山羊乳を原料として作られたチーズのことをいいます。その歴史は牛乳製のチーズより古く、フレッシュなタイプからハードなタイプまで作られています」 「おっ!?(^O^)\ アイスキャンディーのような形ですね」「シェーヴルの中では目立つ存在からか、人気を独占している“サントモール・ド・トゥーレーヌ Saint-Maure de Touraine(AOC)”でございます。周りを白カビで覆われた、爽やかな食感を持つ山羊乳チーズ“サントモール Saintmaure”に木炭の粉を吹き付け黒っぽい外観になっています。普通のチーズより乳酸菌の量が多いため酸味が多く、その酸味を中和するために灰(アルカリ性)をまぶすともいわれています。細長い円筒状の形が特徴で、型崩れを防ぐための藁の芯が入っています。端からトントンと輪切りにするのが正しい切り方で、切ると、表面にまぶした灰の黒さとチーズの白さがくっきりとしたコントラストを出します。」「それでは、これも端からトントンと切ってください!(^O^)/」
「おおっ!?(^O^)\ このピラミッド型のチーズは?」「こちらは、Puligny saint Pierre(プーリニ・サン・ピエール)といって、”ピラミッド”とも”エッフェル塔”ともニックネームで呼ばれているシェーブルでございます。山羊乳のチーズは独特の風味がありますが、このようなフレッシュタイプのものは穏やかで、山羊乳特有の爽やかな酸味が楽しめます」
シェーブルの産地ロワール河の上流のベリー地方で作られるチーズ「Puligny saint Pierre プーリニ・サン・ピエール」。「サン・ピエール」はこの地方の村の名前。山羊乳の全乳で作られるチーズは、約4週間の熟成を経て市場に出ます。周りには青色のカビが自然につき、中は真っ白で目も詰まっていて、しっとりときめも細かく、味は酸味と塩っ気がバランス良く感じられ、山羊乳の独特な臭さも他のシェーブルよりは少なく感じます。熟成が進むと白い身がだんだん黄色が濃くなっていき、味も酸味がだんだん薄くなり、コクが増して塩気が強く感じられるようになります。クリーミーでコクがあり、山羊のチーズの中でも食べやすい味です。
「ん?(^-^)\ この素焼きのココット入りのチーズは? 見るからにやらかそうで、スプーンですくいたい衝動に駆られます」「サン・マルスラン・アフィネでございます。”アフィネ”とは、熟成タイプのことで、外側は薄めの外皮と白カビで覆われ、中身はクリーム色。熟成するとトロトロになり、全体が溶けてきて、塩味とクリーミーさが濃厚な味わいになります。スプーンですくって食べるのです。以前は山羊製が主流でしたが、現在は牛乳製が多いです。サン・マルスランは、ポール・ボキューズやトロワグロ兄弟が修行したピラミッドのあるヴィエンヌの町が属するイゼール県で産する有名なチーズでありまして、ピラミッドでは”Fromage de Isere フロマージュ・ドゥ・イゼール”とも呼ばれていました」 「おおっ!(^O^)\ これなら私も知っています。日本でも有名なカマンベールチーズです」「こちらは、軟質チーズの表面に白カビを生やして熟成させる”カマンベール・ド・ノルマンディー”でございます。”カマンベール Camembert”は、フランス北西部オルヌ県アルジャンタン郡ヴィムーティエ小郡の人口200人程の村ですが、カマンベール・チーズの発祥地として国際的に有名です。 日本でもカマンベール・チーズはいくつも生産されていますが、伝統的な製法で産地や原料となる牛乳を厳しく定めたAOC(原産地呼称統制)にのっとって作られる本物のカマンベールは”カマンベール・ド・ノルマンディー”という名前がついているのです。AOCの規定では生乳(無殺菌乳)の使用を義務づけているので、無殺菌乳でのチーズの製造は認められていない日本のカマンベールに比べると風味が強く、熟成すると相当強烈な匂いがします」
「おおっ!(^O^)\ これもトロトロタイプです」「こちらは、ブルゴーニュ地方のチーズで、”エポワース Epoisse”といいます。約5週間の熟成で、2〜3日おきに塩水とマール(葡萄のしぼりかすから作ったブランデー)で念入りに表面を洗うウオッシュタイプです。最終的にはマール100%で洗い、その間に自然の酵素の力で、このように表面が段々と赤くなっていくのです。匂いがきついので、”癖のあるチーズ”というイメージがありますが、食べると意外に穏やかな味で、漬物という発酵文化のある日本人には馴染みやすいかもしれません。皮はオレンジ色、中身は熟成するとトロトロになって、濃厚な風味にとりこになりますよ。”チーズの王様”とも呼ばれ、ナポレオンも大好きだったそうです」
「おおっ!?(゚O゚)\ エポワースに似ていますが、灰がまぶしてあります!」「こちらはブルゴーニュ産のチーズで、名前は”エジー・サンドレ Aisy cendre”。名前の通り木炭の粉のかかったエジーサンドレは、”灰まぶしのエポワース”。途中まではエポワースと同じ工程です。エポワースを灰に埋めて熟成させたチーズなのです。灰は葡萄の葉っぱの灰で、食べても害はありません。灰に埋めることによって、表面の微生物の繁殖をコントロールし、余分な水分を吸収するのでエポワースのようにトロトロにはなりません。香り、味はともにエポワースを上回る強さです。熟成すると、カカオのような芳醇な香りがしてきます」
「おおっ!(゚O゚)\ 脳みそを連想させるようなしわくちゃな形…見事にトロトロです! この籠に入ったチーズは?」「超熟成した”ラングル Langres”でございます。ラングルチーズはシャンパーニュ地方とブルゴーニュ地方の間にある、湖と森と恵まれたラングル高原で作られる、牛乳を使った乳脂肪分50%のこってリタイプのウオッシュタイプチーズです。歴史的にも古く、18世紀にこの地方のドミニカ修道院で作られ始め、1991年にAOCチーズに認定されました。形は円筒形で、表面に泉(フォンテーヌ fonteine)と呼ばれる窪みがあるのが特徴です。この窪みは、一般的にはチーズを熟成させる時、上手に熟成させるために上下を反転させる作業を行うのですが、ラングルはこの反転作業をしないために、重みで自然に窪みができるわけです。この窪みを利用して、シャンパーニュ地方のお酒シャンパンや、ブルゴーニュ地方のマール酒を注ぎ、熟成を楽しむのが通と言われています。表面の鮮やかなオレンジ色は、ロクー(英名はアナトー)というベニの木の表皮から取る植物性着色料をウオッシュするときの塩水に混ぜているから。熟成が進むにつれて、このように表面に近い方からトロトロになってきます。ラングルのとろけ出す口あたりの良さは、かなり魅惑的ですよ。ここまで熟成が進むと、カットすると形が崩れるくらいまで軟らかくなり、匂いも増し、味も塩分がやや強く感じられるようになり、塩辛に近いかなり個性的な味になります」
「こちらは、シェーブルチーズ(山羊乳製のチーズ)の一大産地であるロワール地域で作られます”セル・シュール・シェル Selles sur cher”でございます。中は真っ白でとてもきめ細やかな質感。表面はポプラの木から作られたアルカリ性の灰(サンドレ)に覆われ、チーズに雑菌が繁殖するのを防いだり、適度な水分を保つ役割を果たします。表面の灰が黒いうちはフレッシュな状態で、おだやかな酸味のある爽やかな味わい。熟成が進むと表面がグレー色になり、酸味がほど良く抜け、コクが出てまろやかになります」 「このオレンジ色の球形のチーズは?(^-^)\」
「フランス北部とベルギー南西部の国境あたり、フランドル地方で生産されるチーズ”ミモレット Mimolette”でございます。熟成が3ヶ月=若い、6ヶ月=半分古い、12ヶ月=古い、18〜24ヶ月=特古と区別され、熟成が進むにつれて身がしまって硬くなります。始めは味もあっさりめでマイルドですが、12ヶ月の熟成になると、ねっとりとしたコクやナッツのような風味が出て、旨みも濃くなります。そして24ヶ月熟成にもなると、風味はさらに奥深く、上質で濃いビターチョコレートを思わせる苦味も混じり、複雑で重層的な味になっていきます。旨みが濃いので、薄くスライスして食べます」
「おおっ!(゚O゚)\ チーズの上に葉っぱが置いてあります!」「ワンダフルワンダフルハウス様、”Gres des Vosges グレ・デ・ヴォージュ”でございます。”ヴォージュ山脈の砂岩”という意味です。ヴォージュ山脈とは、アルザス地方を南北に走る山脈で、ここではアルザス地方を代表するウォッシュチーズ”マンステール”が作られていることで有名です。グレ・デ・ヴォージュは、マンステールのアレンジ版で、表面にアルザス地方のシンボルであるシダの葉を1枚飾ってあります。何度も塩水で洗いながら熟成させるので、ウォッシュチーズ特有の強い匂いがありますが、味はマイルドでクセがなく、日本人にも食べ易いウォッシュタイプのチーズです。
注文したフロマージュが運ばれてきました。
今回は、とろとろのウォッシュタイプのチーズばかり選びました。
サン・マルスラン・アフィネ。 エポワースとエジーサンドレ。
付け合わせの「amande アマンド」(アーモンド)と「noisette ノワゼット」(ヘーゼルナッツ)。 「rasins secs レザン・セック」(乾しぶどう)と「noix ノア」(胡桃)入りのライ麦パン「パン・ド・セーグル・オ・ノア・エ・レザン」。略して「セーグル・ノア・レザン」と呼ばれています。
ドライアンズ。フランス語で杏は「abricot アブリコ」です。 「ほのかな甘みとプチプチした食感が特徴のドライ・フィッグ(乾燥イチジク)。ポリフェノールを豊富に含んでいます」
ポール・ボキューズ氏の地元リヨンを代表するフロマージュ「サンマルスラン・アフィネ Saint-Marcellin Affine」の登場です。トロトロとクリーミーにアフィネ(熟成)されたサンマルスランは、リヨンの南の小さな村サンマルスランで作られています。「アフィナージュ・リヨネーズ」(リヨン風の熟成)と呼ばれ、特別な熟成方法を施したものです。外皮には白カビが付着して、肉質は明るい黄色でとろけるほどクリーミー。バターやミルクの甘い香りと乳酸の爽やかな香りが漂っています。
濃厚な旨み、そして、はっきりした塩味が感じられます。セーグル・ノア・レザンにも合います(^Q^)
ブリア・サヴァランが”チーズの王様”と呼んだブルゴーニュ産の「エポワース Epoisse」の登場です。ブルゴーニュ名産で白い姿が特徴的な、シャロレー牛の乳から作られます。熟成させる時、外皮をマール酒(ブドウの絞りかすから作ったブランデー)を加えた白ワインで洗うため風味は素晴らしいです(^Q^)
こちらもブルゴーニュ産のチーズで「エジー・サンドレ Aisy cendre」。熟成の若いエポワースを灰の中に埋めて1ヶ月間熟成させたものです。「エジー」はブルゴーニュ地方の地名。「サンドレ」は”砂をまぶした”という意味。この砂にどんな意味があるかというと、ウオッシュタイプは発酵しやすいので、砂で発酵を止めるためなのです。灰に埋めて熟成させるのは、余分な酸味を抑えるためで、バランスの良いコクを持たせることを可能にします。エポワースに比べて穏やかで優しい風味が特徴。初めのうちは中心部分に芯がありますが、熟成するにしたがって全体がもっちりとした状態になってきます。灰の中には塩が混ぜてあり、ほど良い塩味があります。ワンダフルハウスのように、エポワースと比べながらエジー・サンドレを召し上がってみてはいかがでしょうか。

Les dessert
Paul Bocuse

Gateau ”president”, creme glacee a la pistache
ガトー ”プレジデント” ピスタチオのアイスクリームと共に
2000円+サービス料10%
「ワンダフルハウス様、Gateau ”president”, creme glacee a la pistache ガトー・プレジダン クレーム・グラッセ・ア・ラ・ピスターシュ(ガトー ”プレジデント ” ピスタチオのアイスクリームと共に)でございます」 「おおっ!?(゚O゚)\ これはエリゼ宮の午餐会で出されたデセール”Gateau du presiden ガトー・デュ・プレジダン”のプチガトー版です!」 
Gateau du president V.G.E. plat cree pour l'Elysee en 1975
1975年にエリゼ宮にてV.G.Eに捧げた ガトー・プレジダン(大統領のケーキ)
エリゼ宮の午餐会で出された本物は、全体がチョコレートのフリルで覆われたアントルメ(ホールケーキ)でした。
「V.G.E」は、時の大統領「Valery Giscard d'Estaing ヴァレリー・ジスカール・デスタン」の頭文字。1975年にエリゼ宮で催された午餐会にはV.G.Eの姿があり、そしてキッチンで腕を揮うモーリス・ベルナション氏の姿がありました。その刹那、歴史に残るこの一皿は世に生まれ出たのです。
このアントルメは、リヨンのショコラトリー「BERNACHON ベルナション」の当時のオーナー・シェフMaurice Bernachon(モーリス・ベルナション)氏が考案したものです。ポール・ボキューズ氏の娘さんがベルナション氏の御曹司と結婚したので、ポール・ボキューズとベルナションはファミリーなのです。エリゼ宮の午餐会の後、このアントルメはジスカール・デスタン大統領にちなんで「ガトー・プレジダン(大統領のケーキ)」と命名されてベルナションのスペシャリテとなりました。リヨンのレストラン・ポール・ボキューズのワゴンデセールにも毎日登場しています。
モーリス・ベルナション氏の作り方
卵4個、ふるった小麦粉125g、砂糖125g、バター100gを使ってジェノワーズ1個を作る。
卵に砂糖を加えて泡立て、これがリボン状になったら、まず小麦粉、次に溶かしバターを加える。
型にバターを塗り、小麦粉をふってさらに余分な粉をふりおとし、ジェノワーズの生地を流し込む。
弱温のオーブンで20分焼く。

別に、生クリーム500ml、ブラック・チョコレート600gを10分間熱する。
火からおろし、泡立器を使って、冷めるまでかき混ぜ続ける。この中にシロップ煮のチェリーを加える。これをジェノワーズにはさむ。
最後に、このケーキナイフで削ったチョコレートを覆う。
メゾン・ポール・ボキューズのガトー・プレジダンは、チョコレートのフリルが1つだけ付いたシンプルなプティ・ガトーです。
ガトー・プレジダンの最大の特徴はチョコレートのフリル(ひだ)。現在のベルナションでは専用の機械(ローラー)でヒダを作っています。しかし、1975年のエリゼ宮の厨房でモーリス・ベルナション氏がこれを作った時は手作業でした。テンパリングをしたチョコレートを薄くのばして、1枚ずつヘラでひだを取ってフリルを作るこれはとても忍耐力のいる作業であったことは容易に想像できます。
そしてその次の工程、フリルをドーム状に積み上げるのがまた難しくきれいなドーム型に組み上げようとしても、片方に寄ってしまったり、いつまでたっても終わらなかったりこれもまた大変忍耐力のいる作業であったろうと思います。
まずは、溶ける前にグラス・ピスターシュをいただきましょう。最も上質といわれるイタリア・シチリア島産のピスタチオを贅沢に使用したピスタチオのアイスクリーム。そしてこれは、ピラミッドのデセールでした。
ピラミッドのデセールとしては、まずグラスかソルべのどちらかを選ぶことになります。グラスでは、「Glace au cafe グラス・オー・キャフェ」(コーヒー風味のアイスクリーム)が絶品で、これはコーヒーの風味をきかせるだけでなく、細かく砕いたコーヒー豆の粒を入れたアイスクリームでした。時には、「Glace a la pistache グラス・ア・ラ・ピスタ―シュ」(ピスタチオ・ナッツ風味のアイスクリーム)を作ることもありました。ソルべでは、「Sorbet a la framboise ソルべ・ア・ラ・フランボワーズ」(木苺風味のシャーベット)と「Sorbet au citron ソルべ・オー・シトロン」(レモン風味のシャーベット)の2品を揃えていました。
口に含んだとたんピスタチオのまろやかな香ばしさが広がります(^Q^)
カットして断面を見てみましょう。 「Genoise au chocolat ジェノワーズ・オ・ショコラ」(チョコレート・スポンジ)の間にガナッシュ(チョコレート・クリーム)がサンドされています。ジェノワーズというのは、バター入りのスポンジ生地を指します。
何か赤い粒を発見しました!(^O^)\
チェリーです。チェリー・マルニエに漬け込まれていたので、かなりお酒が効いています。
お酒の味がしっかりして美味です(^Q^)
「ワンダフルハウス様、プティ・フールでございます」
このプティ・フールはメゾン・ポール・ボキューズの自家製ですが、エリゼ宮の午餐会ではベルナションのプティ・フールが出されました。
もう満腹になってしまいました)^o^( エスプレッソだけいただきましょう。
「プチガトーはお土産用に包んでください!(^O^)/」
「ごちそうさまでした。それでは帰りましょうん?(^-^)\ あれは?」 「おーっ(゚O゚)\」
「これは運がいい! クレープシュゼットの実演です!\(^○^)/」
クレープ・シュゼットは、フランス人が大好きなデセールです。グランメゾンクラスのレストランのメニューには必ず載っていて、お客さんの目の前でメートル・ド・テルがブランデーを燃やして給仕してくれます。
「もう1回!(^O^)/ もう1回!(^O^)/」。お客さんから「もう1回コール」がかかっております。
クレープ・シュゼットに火が点くと、レストランの中は一瞬華やいだ雰囲気になります。
元マキシム・ド・パリ支配人であり、現在はポール・ボキューズ日本統括支配人、そして「メートル・ド・セルヴィスの会」会長でもある田村敏郎さんが、もう1回魅せてくれました
これは凄いブルーの炎が螺旋状のオレンジの皮を伝って降りていきます!(゚O゚)\
1975年2月25日エリゼ宮
左側にポール・ボキューズ夫妻と他の17人のシェフたち。右側にヴァレリージスカール・デスタン大統領夫妻と政府の高官たち。 左からボキューズ夫人、大統領夫妻、ボキューズ氏。
辻静雄さん「友達づきあいをするということは、畏敬と憧憬、それに少しばかりの嫉妬の入り交った思い出の積み重ねのように思えてならない。私たちが1961年に初めて会った時、当然のことながら若かった。向学心に燃え、神経をピリピリさせ、何でも知りたいと希望に燃えていた。7歳年上のゆえもあって、ポール・ボキューズは私にとって料理の世界での兄貴分に当たる。初めて会った時のこうした心の触れ合いというか、どこか気の合うといった印象が、今日まで私たちを仲の良い兄弟分として繋ぎ留めてきた理由なのかもしれない。
兄貴分の栄光は弟分にとって嬉しいものである。特筆に値するのは、1975年2月25日にパリのエリゼ宮で開かれた午餐会のことであろう。ポールがフランスで最も栄誉あるレジヨン・ドヌール勲章を大統領ジスカール・デスタンから親授され、それを記念して大統領がフランス超一流の料理人たちを招くという破格のものだった。トロワグロ兄弟、ジャン・ピエール・エーベルラン氏、ミシェル・ゲラール氏、ロジェ・ヴェルジェ氏など錚々たる顔ぶれが食卓に集い、ボキューズはこうしてフランス料理界の押しも押されもしない代表となった。この時のメニューは、各料理長のスペシャリテで構成されており、そのトリュフ入りのスープは、その後、彼の店で大統領の頭文字V.G.Eを付けた一品となり、デザートを担当したモーリス・ベルナション氏の創作したチョコレート菓子はプレジダン(大統領)と命名されて、これまたリヨン名物の一つになっている」

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