緑あふれる代官山・旧山手通りに面した代官山フォーラム。 |
代官山フォーラム地下に、2007年6月にオープンした「メゾン ポール・ボキューズ」。ミシュランの三つ星を40年以上獲得し、フランス料理界の頂点と言われるポール・ボキューズ氏が率いるレストランです。これまで世界中から熱心なオファーを受けながらも、本店のあるリヨン以外に店を構えなかったメゾンが日本に初上陸しました。 |
旧山手通りを挟んで向こう側はエジプト大使館。おっ!(^O^)\ スフィンクスが見えます! 左端に見えますのはデンマーク大使館ですね。 | デンマーク大使館の隣りのオープン・カフェは「カフェ・ミケランジェロ」。その奥の樹齢300年のケヤキの木立の中には阿曽達治シェフの「リストランテASO」が。共にメゾン・ポール・ボキューズと同じひらまつ系列のお店です。 |
反対側には、(この写真では見えませんが)マダム・トキが近いです。おっ!(^O^)\ 1992年春にピンクハウス本社ビルとして竣工されたビルも見えますね。現在はMEN'S BIGI本社ビルになっています。 | ディナーの時間となりました。それでは、地下に下りましょう。おっ!(^O^)\ 2階に弓田亨シェフのパティスリー「イルー・プルー・シュル・ラ・セーヌ」が見えました。 |
螺旋階段を降りると… | 左側にエントランスがあります。「こんばんは!(^O^)/ ディナーをいただきに来ました」「これはこれはワンダフルハウス様…」 |
「ワンダフルハウス様、こちらがバーでございます」 |
「モニターに何か映ってますよ(^-^)\」 | ポール・ボキューズさんと平松宏之さんの登場です。この2人の友情から、日本国内にコラボレーション店が数軒オープンしました。その内の1軒が今回紹介する「メゾン・ポール・ボキューズ代官山」です。 |
平松宏之さん(株式会社ひらまつ代表取締役社長CEO)は1952年横浜市生まれ。1970年、フランス料理人を目指し料理界入り。ホテルオークラで働きながら「YMCA」にて経営学を学ぶ。1978年渡仏。ナントやパリのレストランで修行を積み、1981年に帰国。1982年、西麻布にレストラン「ひらまつ亭」を開店。1988年、広尾に移転したのを機に店名を「レストランひらまつ」に。1994年、株式会社ひらまつを設立。2001年10月、フランス・パリに「レストランひらまつ」を出店し、2002年3月、わずか5ヶ月で日本人オーナーシェフとして初めてミシュランの1つ星を獲得。 |
こちらの御方がムッシュ・ポール・ボキューズです。1926年、フランス・リヨンの北にあるコロンジュ・オー・モンドールで、レストランの息子として生まれ、1942年にクロード・マレ氏の経営するリヨンの小さなレストランで料理の道に入った時は15歳でした。16歳でピラミッドに移り、18歳で第2次世界大戦の兵士になるまで働き、戦争が終わるとピラミッドに戻り、ポワンに才能を見出され、パリの料理を勉強させるために、ポワンの紹介でパリの3つ星「リュキャ・カールトン」へ。しかし、ポワンに惹かれて3度ピラミッドに戻ります。1959年にコロンジュの店を継いで、1961年、若冠34歳でM.O.F.(フランス国家最優秀料理人賞)を獲得。これは当時の史上最年少記録でした。その3ヶ月後、マダム・ポワンの紹介で辻静雄氏と出会います。2年後の1963年、レストラン・ポール・ボキューズは1つ星を獲得すると、1964年に2つ星、1965年に3つ星と、わずか2年で頂点まで駆け上がり、これはミシュラン発行以来の最速記録となりました。以来、43年間3つ星を取り続けています。かつては、ヌーヴェル・キュイジーヌの旗手であり、現代フランス料理の生みの親であると共に、全ての料理人にとって憧れであり、神に近い存在です。 |
「こちらはラウンジでございます」 | 「あそこは何ですか?(^-^)\」 |
「パーティー・サロンでございます」 | 「おおっ!(^O^)\ あれは?」 |
「ティファニーのアンティーク・ステンドグラスでございます」「こっ…これは美しい!(゚O゚)\ ぶどう畑ですか?」「藤の花です」「紫だけじゃなくて色んな色が入ってますね(^O^)\」 | |
アメリカにおけるアール・ヌーヴォーの第一人者”ルイス・カムフォート・ティファニー”の作品の登場です。Louis Comfort Tiffany(1848〜1933)は、宝飾デザイナー、ガラス工芸家、アートディレクター。Tiffany&Co.の創業者であるチャールズ・ルイス・ティファニーの長男として生まれ、 アール・ヌーヴォーの頂点を極めた巨匠として、世界の芸術史にその名を残しています。主にステンドグラスやモザイク加工のガラスランプの製作で名を馳せました。 |
「おおっ!(゚O゚)\ ピラミッドの客だったベルナール・ビュッフェの”カルメン”と”エスカミリオ(闘牛士)”です!」 | |
「ベルナール・ビュッフェ Bernard Buffet」は1928年パリに生まれました。10歳の頃、画家になろうと決心しますが、その直後、第二次世界大戦が勃発。ビュフェが16歳の時、パリは連合軍によってナチス・ドイツから解放されますが、その年、彼は唯一の理解者であった母を脳腫瘍で失います。戦争と孤独と貧窮の中で画家を目指したビュフェ。20歳で批評家賞という権威のある賞を受賞し、一躍有名人になりました。鋭角的なフォルムと強靱な描線、モノトーンに近い色彩による独自の画風を築き上げます。作品は苦悩と不安に満ち、それは第二次世界大戦の荒廃した時代を具現化したとされ、“時代の証人画家”と賞賛されました。日本には早くから紹介され、1973年、静岡県長泉町にビュッフェの作品のみを収蔵・展示する「ベルナール・ビュフェ美術館 The Bernard Buffet Museum」が開館。1999年、南フランスの自宅で逝去。偉大なる芸術家として、その生涯を閉じました。 | |
1961年10月、辻静雄氏と夫人が初めてレストラン・ドゥ・ラ・ピラミッドを訪れ、マダム・ポワンとの初対面シーンにビュッフェの絵が登場します。『二人は店の奥の小さな部屋に通された。正面の壁際にいずれも見事な骨董とわかる螺鈿(らでん)の小箪笥と猫足の二つのスタンド・テーブルが置かれ、壁にはビュッフェの絵がかかっていた。二人はマダム・ポワンと共に皮張りのやわらかなソファに座った。足元を見ると低いテーブルの下に敷かれた絨毯は絹だった。これがレストランの一室だろうかと辻静雄は目をみはった。』『彼らは別の部屋に移った。客室に接した部屋で、客室に接した側がガラス張りになっていた。白いテーブルクロスの上に3人分のテーブルセットが用意されていた。「私がお客さんを招待した時に使う部屋なのよ」とマダム・ポワンは言った。そこの壁にもビュッフェの絵がかかっていた。2枚ともビュッフェが食事代の代わりに置いていったものだとマダム・ポワンは言った。』(海老沢泰久「美味礼讃」より) |
1996年5月、ビュッフェ美術館に版画館がオープンした際に来日したのが、ビュッフェの日本訪問の最後になりました。自身の美術館を最後に訪れたビュフェは、次のような言葉を残しています。 「素直な愛情をもって、絵と対話してほしい。絵画は、それについて話すものではなく、ただ感じとるものである。一つの絵画を判断するには、百分の一秒あれば足りるのです」。 | 「おっ、この部屋は?(^O^)\」 |
「こちらはダイニングですが、ウェディングの際にはチャペルになります」 |
「これもルイス・カムフォート・ティファニーの作品ですね。素晴らしい!\(^○^)/」 |
「こちらがメイン・ダイニングでございます」 |
「一番向こうに飾ってある写真は何でしょう?(^-^)\」 | 「近づいて見たら絵でした。ムッシュー・ポール・ボキューズと平松さんですね」 |
「ん?(゚O゚)\ よく見たら、これは絵ではありませんよ!」 | 「糸で縫ってある…刺繍です!(゚O゚)\」「こちらは、広尾のひらまつのお客様から贈っていただきました作品でございます」「こ…これは凄い!(゚O゚:)\」 |
Preparation d'un foie gras en brioche プレパラシオン・ダン・フォアグラ・アン・ブリオーシュ (フォアグラのブリオッシュ詰め) |
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1961年10月、辻静雄さんがピラミッドで最初に食べた料理「Brioche de foie gras ブリオーシュ・ドゥ・フォアグラ(ブリオッシュのフォアグラ詰め)」の登場です。当時のレストラン・ドゥ・ラ・ピラミッドのグランシェフ「ギー・ティヴァル」さんに持って来ていただきました。ギー・ティヴァルさんは、1938年生まれ。14歳でリヨンのレストラン「ジュリエット」で料理人としてのスタートを切ります。16歳でピラミッドに入り、名料理長メルシエの薫陶を受けます。24歳の若さで料理長となり、ポワン、メルシエの相次ぐ死亡というピラミッドの苦境をマダム・ポワンと共に乗り越え、打ち勝ってきました。まじめな性格で、調理場での仕事には少しのスキもなく、部下にも自分にも厳しく、偉大なレストランの統括者として相応しい人物でした。 | 「Brioche de foie gras」は、ピラミッドのオードブルとして最も代表的な料理。史上最高のオードブルといってもいいでしょう。コース料理には、必ずといっていいほど出てきました。それも一番最初に。この料理は、焼き上げたブリオッシュの中をくり抜いてフォアグラを詰め、よく冷やしてから1cm位の厚さに切って出します。お皿の縁をご覧ください。赤と白のゼリーが…これはポルトガルのポルト地方で製造される、甘いワイン「ポルト酒(ポルト・ワイン)」のゼリーです。産地はポルトガルの北部を流れるドウロ川の沿岸に限られており、協会の認定を受けた品しかポルト・ワインを名乗れません。ワイン用の赤い葡萄を原料として、醸造中まだフルーティーなうちにブランデーを混ぜて発酵を止め、甘みの強いまま仕上げたもの。赤ワインよりもさらに濃度の高い赤をしていて、一見、黒いのかと思うほど。独特の甘みのある香りも濃厚で、アルコール度数も一般の赤ワインより高いのが特徴。 |
「Brioche de foie gras」の作り方は、良質の生のフォアグラの筋を取り、冷水にさらし、ポルト酒、コニャック(好みによってはアルマニャック)、塩、胡椒、すりおろしたナツメグで作ったマリナード(つけ汁)に24時間つけておきます。フォアグラの真ん中になるようにトリュフを置き、目のつんだフキンで包み込みます。鶏の脂肪を溶かし、その中でフォアグラを転がし、まんべんなく脂肪をくっつけます。ブレジエール(蒸し煮用の鍋)に入れて蓋をし、湯煎にかけながら蒸し煮します。ブレジエールから出したフォアグラは、形を整えて冷まし、冷えて固まった鶏の脂を削り落とします。内側にバターを塗ったタンバル型に砂糖抜きのブリオッシュ生地を敷き、フォアグラを乗せ、その上にもブリオッシュ生地を入れます。型の周囲には、焼いている時に生地があふれ出るのを防ぐため、バターを塗った帯状の紙を巻き付けておきます。生地を発酵させ、オーブンで焼いて型から出して出来上がり。食卓に出す時は、熱いままでも良いし、冷たくしてからでも良いのです。 | |
ヴァンサンがオードブルを運んできた。 「フォアグラのブリオッシュ詰めよ」とマダム・ポワンが言った。砂糖抜きのブリオッシュを食パン型に焼き、中を丸くくりぬいてブイヨンを固めたアスピックを、その一番外側に詰め、次にフォアグラを詰めて、さらにその中心にトリュフを詰めて薄切りにした料理だった。食通の間では、フェルナン・ポワンが生前に作り出した最も有名な料理として知られているものだった。 「さあ、お食べなさい」 「いいえ、みんな揃ってから」と辻静雄は言った。彼と妻の前には、それが出ていたが、マダム・ポワンの前には、まだ出ていなかった。するとマダム・ポワンは言った。 「あなたたちが礼儀をよくわきまえた人たちだというのは分かるけど、料理には最も美味しい瞬間というのがあるの。それはギャルソンが運んできて目の前に置いた瞬間なのよ。シェフもギャルソンも、その瞬間を考えて作り、運んでくるの。この料理のことを考えてごらんなさい。1分たったらアスピックが溶け出して、ブリオッシュに染み込んでいくでしょう。3分たったら、次はフォアグラがやわらかくなって染み込んでいく。そうやって、1分ごとに本来のものではなくなっていってしまうのよ。美味しいものを美味しく食べようと思ったら、その瞬間を逃さずに、すぐに食べなくちゃダメなの。遠慮は無用よ」 辻静雄はシャトー・ディケムを、ほんの少し口に含み、それからナイフとフォークを手に取った。そのナイフとフォークにも、フィッシャー夫人の食卓で感じた本物の銀の重さの手応えがあった。 「なんという味だろう」と辻静雄は、その一切れを口に入れて思った。口の中に残った甘いワインのあと口に、ブリオッシュのバターとブイヨンの風味、それにフォアグラの味とトリュフの香りが一体となって広がった。 「どう?」マダム・ポワンが言った。 辻静雄は黙って微笑んだ。それ以外にどうにも表現のしようがなかった。 「フォアグラには、シャトー・ディケムが一番よく合うのよ」とマダム・ポワンは自らもそれを口に含みながら言った。 ちょうど食べ終わった頃にヴァンサンが皿を下げに来た。 「いかがでした、マド?」と彼はマダム・ポワンに聞いた。彼もソムリエのトマジもマダム・ポワンのことをマドと呼んでいた。 「美味しかったわ」と彼女は言った。 「ギーにそう言っておきましょう」とヴァンサンは言った。 ―――海老沢泰久『美味礼讃』より――― |
Foie gras de canard maison en gelee de Sauternes 鴨フォアグラのテリーヌ ソーテルヌのゼリー添え 6000円 |
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ピラミッドの「Brioche de foie gras ブリオーシュ・ドゥ・フォアグラ(ブリオッシュのフォアグラ詰め)」の2008年版の登場です。 | フォアグラのテリーヌとブリオッシュ、サラダが別々のお皿でワゴンに乗ってますね。あの銀器の中には何が入っているのでしょうか? |
黒胡椒と塩です。お好みでフォアグラにつけて食べるそうです。 |
おおっ!?(^O^)\ 宝石のように光り輝く美しい黄金色のジュレの正体は?(^Q^)クンクン |
この匂いは…ソーテルヌのゼリーです!\(^○^)/ | フォアグラ&ブリオッシュがサーブされました。 |
ソーテルヌ地区はガロンヌ川の南側に位置し、世界を代表する甘口白ワインを産出します。フランスで最も偉大な甘口白ワインを産するシャトー・ディケム(Chateau d'Yquem)の所在地として有名です。 |
「Terrine de foie gras de canard au naturel テリーヌ・ド・フォアグラ・ド・キャナール・オ・ナテュレル」(フォアグラのテリーヌ 自然風味)。美しいピンク色…これこそ本物のフォアグラのテリーヌです!\(^○^)/ まず最初は、そのまま食べて、塩をつけて食べ、黒胡椒をつけて食べ、ソーテルヌのゼリーと共に食べて…組みあわせにより、何通りもの食べ方ができるのです。 |
昔はムッシュ・ボキューズ自身がリヨンの市場に出向き、良質の生のフォアグラ(鵞鳥または鴨の肥大肝)を買い求めていました。市場には外見が良くても火を通すことによって茶色になったりするもの、黒っぽい筋のあるもの、熱にあたると溶けて液状の脂肪に変わってしまう不良品が混ざっています。それを見分ける方法として、2つの塊になっているフォアグラを割り離して内部を見て(^O^)\…うすいピンク色でないものと、黒ずんだ血管の筋があるものは除外します。さらに品質を判断するためにムッシュが行なった行動は…包丁の先端を差し込んでグリーンピース大の塊を取り…これを親指と人差指で丸めて(^O^)o.o…指の熱によって塊が温められ…とろっとしてなめらかになったものはOK…油状になって分解してしまったものはNG…売場のあちこちでポール・ボキューズ氏のこのような姿が毎朝見れたのです。食べる人をうっとりさせるほど豪華な料理を作るには、市場での材料選びにかかっていたのです。 |
市場で仕入れた鴨の肝を、ぬるま湯につけてアク抜きをし、くっついている胆汁の残り、小さな血管、肝の内部にある筋の全てを取り除きます。肝を耐熱性の容器に入れて、混ぜ合わせた調味料(塩、胡椒、ナツメグ、ピンク塩、硝石)で味付けして、ゼラチンをポルト酒で溶かして容器に加えて1日置きます。容器ごと湯煎にして、オーブンに入れて、冷まして出来上がり。 |
1970年代のレストラン・ポール・ボキューズ リヨン本店では、容器ごと客の前に出していました。周りにあるのがムッシュが市場で買った生のフォアグラです。 |
そして、いよいよブリオッシュの登場…おーっ!?(゚O゚)\ これは食パンではないですか? | |
ブリオッシュとは、フランスの朝食でよく食べられているバターと卵を多く使ったパンのこと。ふんわりとした柔らかな口当たりと、バター風味のまろやかな味わいが楽しめる、お菓子のようなパンです。小さな頭が付いた雪ダルマのような形をした「ブリオッシュ・ア・テート」と呼ばれるブリオッシュが一般的ですが、丸めただけの「ブリオッシュ・ムスリーヌ」など様々なバリエーションがあります。このような食パンの形をしたものは、丸めたブリオッシュ生地を四角いパウンド型に入れて焼いたもので「ブリオッシュ・ナンテール」と呼ばれています。食パンのように薄く切って食べるのですが、バターたっぷりだから何もつけずにそのままいただけるのです。 |
トーストしたブリオッシュ・ナンテールでフォアグラ・サンドを作りましょう。 | フォアグラのテリーヌを乗せて、ナイフとフォークは使わずに、そのままガブリ!(^○^) |
フォアグラの甘い脂のコクが舌の上でとろけて…(^Q^) 甘くてどっしりとリッチなブリオッシュとの相性は抜群! | さらに、ソーテルヌのジュレを乗せてガブリ!(^○^) なんとも言えない甘い味わいがふわあっと広がりました(^Q^) |
さらにサラダも乗せて…最高級のフォアグラ・サンドの完成です!\(^O^)/ |
Salade d'ecrevisses Pyramide サラド・デクルヴィス・ピラミッド (エクルヴィスのサラダ ピラミッド風) |
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ギー・ティバルさんが、辻静雄さんの招きで1974年に来日して、日本の食材で作ったエクルヴィスのサラダです。エクルヴィスは、東京・築地の中央市場で買ったもので、千葉方面で獲れたもの。当時1kgあたり2000円でした。日本のようにサラダとして独立した料理ではなく、オードブルです。シェフ・メニュー(コース)の方に出てくる料理ではなく、アラカルトの方によく載っていた料理です。ピーナッツ油の香りを効かせたソースが特徴で、ソースの名称はありませんが、フェルナン・ポワンが作り出した料理です。 | |
次に出てきた料理もオードブルだった。 「エクルヴィスのサラダよ」とマダム・ポワンは言った。 「エクルヴィス?」 「ザリガニのこと。これはソーヌ川のマコンというあたりでとれたものだけど」 それは簡単そうな料理に見えた。レタスと野苣(のぢしゃ)の葉を敷いて、そこに茹でて殻をむいた小さなザリガニを乗せ、トリュフを散らした上にマヨネーズのような色のソースがかかっているだけだったからである。しかし、一口食べると辻静雄の想像は完全に裏切られた。マヨネーズとは似ても似つかぬ味だったのだ。このソースは何かと聞くと、マダム・ポワンは言った。 「美味しいでしょう。これはね、パプリカとトマト・ケチャップと卵黄とウスターソース、それにピーナッツ油と生クリームを合わせて、塩、胡椒してあるの。これもフェルナンが考え出したものよ」 辻静雄は酸っぱくないソースでサラダを食べたのは初めてだった。どうしてこんなソースを思いつくのだろうと思った。信じられなかった。 「酢を使うとワインが美味しくなくなるのよ」とマダム・ポワンは言った。 ―――海老沢泰久『美味礼讃』より――― |
Salade de homard aux truffes sauce Aurore オマール海老のサラダ仕立て トリュフ風味 ソース・オロール 8000円サラダ |
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「エクルヴィスのサラダ」は、メゾン・ポール・ボキューズのメニューにはありません。代わりに「オマール海老のサラダ」があるのです。 |
このブルターニュ産オマールは凄い!(゚O゚)\ | |
「オマール Homard」は、英語では「ロブスター Lobster」。和名は「ウミザリガニ」。伊勢海老に似ていますが、独特の大きなハサミを持っているところが違います。日本ではとれません。ヨーロッパやアメリカ、カナダでとれる海老です。 |
この「ソース・オロール sauce aurore」をヒントにして、マヨネーズとケチャップを混ぜて作られたのが「オーロラ・ソース」です。ワインやタマネギなどを加えて複雑な味にしているのですが、見た目がオーロラのように層を成しているため、そう名付けられました。誰が考えたのか定かではないですが、横浜の中華街が発祥ではないかと言われています。オーロラソース添えの海老料理は宴会料理の定番となっています。 |
ディジョンマスタード、トマトピューレ、ケチャップ、リーペリンソース、タバスコ、クレームエペス、黒胡椒、微塵切りのエストラゴンを加えて作りました。これが本物のソース・オロールです。 |
クール・ブイヨンで軽くボイルして、一口大にカットしたオマール。中心部分にほのかな透明感があり、完璧な火の通り具合であることがわかります。 | オマールは、爪の部分が一番美味(^Q^) なぜか爪だけ蟹の味がするのです。 |
葉に切れ込みがあるレタスに似た野菜は、「アンディーブ」(エンダイブのフランス語読み)または「シコレ chicoree」(チコリのフランス語読み)とも呼びます。味は独特の苦味があります。ヴィネグレットソースであえたシコレの下にはジャガイモと人参などの賽の目切りが…。黒いのはトリュフです。 |
ヴァンサンが次の料理を運んで来た。 「Agneauのステーキよ」とマダム・ポワンは言った。 「アニョー?」と辻静雄は聞き返した。聞いたことのない言葉だった。 |
「仔羊よ」とマダム・ポワンは言った。 辻静雄は自分の知っているマトンの肉のことを思い出して、ピラミッドのようなレストランでどうしてそんなものを出すのだろうと思った。彼の知っているマトンは、牛肉が食べられない時に我慢して食べるものだった。 |
Carre d'agneau roti au thym 仔羊のロースト タイム風味 6500円 |
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豪快に骨付きでローストされた仔羊の背肉が目の前でカットされて、テーブルにサーヴされました。フランス料理の食材のうち、最も贅沢で、最も格式高い食肉の一つである、仔羊(アニョー)。フランス人にとって、ある種のステイタスを意味する仔羊を使用した料理の登場です。 |
羊肉には、ラムの他にマトンという名称があります。 ラムは生後1年未満の仔羊のことをいい、マトンは生後2年以上から7年位までの成長した羊肉のことをいうのです。 現在、日本に輸入されているラムは、そのほとんどが生後4ヶ月から6ヶ月までの特に柔らかい乳飲み仔羊(ベイビーラム)。フランス語では「アニョー・ド・レ agneau de lait」。メゾン・ポール・ボキューズの羊も乳羊。一度も草を食べていない羊で、肉はほとんど白に近い淡いピンク色をしています。仔羊の中には「プレ・サレ」と呼ばれるブルターニュとノルマンディーの境界付近で飼育される銘柄仔羊も存在します。この地域独特の塩気を大量に含んだ牧草を食べて育っているので独特の風味があり、フランスでも幻の仔羊といわれている希少品です。肉は成長した羊に比べて、はるかに柔らかく、淡い赤色をしています。マトンは成長した羊の肉で、色は強烈な赤。目が詰まっていて固く脂肪が多いので、主にハムやソーセージの原料にされます。 |
中心部分がほんのりとピンク色に染まって…パーフェクトな火入れです!\(^O^)/ |
火を通さずに火を入れる…これが”ロゼ仕上げ(ロゼット仕立て)”です。 |
このソースは何でしょう? ものすごくいい香りがしますよ。〜(^Q^) | |
ローストに使ったフライパンに少量の白ワインを加えて煮詰め、そこに仔羊の骨をフォンドヴォー(子牛のダシ)で煮出して作った仔羊のジュ(肉汁ソース)を入れて軽く煮込みます。 |
何か入ってますね(^-^)\ | 香草のタイムの葉です! |
仕上げにタイムの葉を加えてから塩で味を調えています。 お肉を焼いた鍋を使ってソースを作っているので、とても香りが高いのです。〜(^Q^) |
「タイム 英Thyme 仏Thym 伊Timo」(たちじゃこう草)は、ハーブの中でも最古の部類に入ります。シソ科の多年草で、細い茎と葉を持ち、初夏にピンクの花が咲く頃に採取して、全草を用います。何とも言えない気品のある香りで、ヨーロッパ人はタイムの香りが大好きで様々な料理に使います。 |
辻静雄は食べた。その瞬間、彼はそれが自分の知っているマトンとは全く違ったものだったことを知って、思わず顔を赤らめた。塩、胡椒をしてバターでさっとバラ色に焼いただけのものだったが、彼が今までに食べたどんな肉よりも美味しかった。シカゴのポーセリアンで食べたステーキも美味しいと思ったが、それもこれを食べるまでのことだった。ジョン・ベインブリッジ(1961年当時のニューヨーカーの副編集長)が、ひとたびピラミッドの料理を食べたら、あとの料理はみんなゴミと同じように思えると言ったのは本当だった。 「これは仔羊は仔羊でも”アニョー・ド・レ agneau de lait”といって、生後30日ぐらいの乳呑み仔の肉なの。つまり、まだ1本の草も食べていない羊の肉なのよ。あらゆる肉の中でも最も素晴らしい肉といってもいいかもしれないわね」 辻静雄は知らないということは本当に怖ろしいことだと思った。もし、マダム・ポワンに教わらなかったら、マトンだと思って永遠に食べなかったかもしれないのだ。これからは先入観を捨て、あらゆるものを食べて、判断するのは食べてからにしようと決めた。 |
Gratin dauphinois グラタン・ドーフィノワ (ドーフィネ風じゃがいものグラタン) |
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「仔羊のロースト タイム風味」には2皿の小皿が付いてきました。この「グラタン・ドーフィノワ」は、ピラミッドの数少ないつけ合わせの一つでした。コースの肉料理に必ずといってよいほど付いてきました。ただ、鶏料理には「Riz pilaff リ・ピラフ(バター・ライス)」が付いてくることが多かったようです。他の店でも「グラタン・ドーフィノワ」を出すところはありますが、ピラミッドの「グラタン・ドーフィノワ」は特に有名だったのです。メゾン・ポール・ボキューズの「グラタン・ドーフィノワ」は、ピラミッドのものと全く同じです。 |
それから彼はつけ合わせを食べた。それは溶かしバターとニンニクをこすりつけて香りをつけたグラタン皿に、紙のように薄く切ったジャガイモを重ね、塩、胡椒をした卵に生クリームと牛乳を加えたものをひたひたに注いで、グリュイエル・チーズをかけてオーヴンで焼いたものだった。そしてこれもピラミッドの名物料理のひとつだった。 | |
ピラミッドの野菜料理は独立した料理というより、あくまでも肉料理のつけ合わせでした。一般にコース料理といえば、肉料理についで野菜サラダが出ることになるのでしょうが、ピラミッドのコース料理で野菜サラダにお目にかかることはありませんでした。これはコース料理だけでなく、ア・ラ・カルトのメニューの方でも同じでした。オードブルにつけ合わせがつかないのは当然としても、魚料理にしてもつけ合わせらしいつけ合わせはついてきませんでした。肉料理になって初めて別皿でつけ合わせがついたのです。そのつけ合わせもたいていは決まっていて、牛のステーキや鴨料理にはグラタン・ドーフィノワ(ドーフィネ風じゃがいものグラタン)が付きました。一見しただけでは何の変哲もないように思えますが、一口味わった時、この料理はただのつけ合わせとは思えません。普通なら一品料理としても十分通用するぐらいで、ピラミッドの真髄を覗かせています。 |
「これは何という料理ですか?」と辻静雄は聞いた。 「Gratin dauphinoisというんだけど、作り方は調理場にギー・ティヴァルというシェフがいるから、彼に後で聞きなさい」 「教えていただけるんですか?」辻静雄は驚いて言った。 「もちろん」とマダム・ポワンは言った。「どうして教えてもらえないと思うの?」 「ええと、日本では料理人が自分の料理を人に教えるという習慣がないものですから。伝統的にみんな隠すんです」 「それはきっと自分の料理に自信がないからでしょう」とマダム・ポワンは笑った。「違う? フェルナンは人に聞かれるといつも丁寧に教えていたけど、こうも言っていたわ。料理は芸術と同じで、どんなに人に作り方を教わっても、同じようには決して作れないものだって」 そうかもしれないと辻静雄は思った。きっとそうなのだろう。何年かしたら自分が学んだことを全部公開してやろうと思った。その時、みんなはどういう顔をするだろう。 |
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…16年後の1977年に公開された資料より、グラタン・ドーフィノワに関する部分… ギー・ティヴァル「薄切りにしたジャガイモは、決して水で洗ってはいけません。でんぷん質が流れてしまうからです。また、薄切りにしたら、変色したりしないうちに手早く調理してください。アパレイユ(卵、塩、胡椒、生クリーム、牛乳を混ぜたもの)は必ずシノワで漉して、卵白の中の残りやすい部分を取り除きます」 辻調の小川忠彦先生「オーブンの温度が高過ぎると、アパレイユがきれいに固まらず、もろもろになってしまいます。だから少し色づくまでは強火でも、その後はすぐ150℃くらいに落とし、時間をかけてじっくりと焼くのです」 辻静雄「このグラタンは、慣れない人が食べると火が通っていないのではないかと勘違いするくらい、少し歯応えがあったほうが良いのです」 ギー・ティヴァル「ピラミッドでは毎朝このグラタンを焼いて用意します。これは肉料理のつけ合わせです」 辻静雄「ドーフィノワは卵の入ったもの。サヴォワイヤルドといえばチーズがかかったものをいいます。リヨン付近では、ピラミッドのドーフィノワが一番有名です」 |
ピラミッドの肉料理のつけ合わせには、グラタン・ドーフィノワの他に「Haricots sautes au beurre アリコ・ソテ・オ・ブール(いんげん豆のバター・ソテー)」もありました。これは、いんげん豆ですが、ソテーではありません。 |
エシャロットのみじん切りが白色系ソースの中に浮かんでいます! この料理には特別な名前はないそうです。 |
Fromages フランス産チーズ 1500円〜 |
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「ワンダフルハウス様、12時の位置から時計周りに、ロックフォール、ブルー・ドーベルニュ、セル・シュール・シェル、サン・マル・スラン・アフィネ、カマンベール、エポワース、コンテ、ミモレット。中央左側リバロ。中央右側プーリニ・サン・ピエールでございます」「…?(゚O゚:)\ 実は私は本格的なチーズを食べるのは初めてなのです」 | |
ヴァンサンが仔羊の皿を下げ、ワゴンでチーズのかたまりを沢山持ってきた。まだ食べるのかと辻静雄は驚いた。彼の胃袋は既にはちきれんばかりになっていた。妻を見ると彼女も同じように苦しそうな顔をしていた。 「何を食べる?」とマダム・ポワンは言った。 「僕はチーズを食べるのは初めてなんです」と辻静雄は正直に言った。 |
ワンダフルハウス様、こちらの「Roquefort ロックフォール」は、イタリアの「ゴルゴンゾーラ」、イギリスの「スティルトン」と共に「世界三大ブルーチーズ」と呼ばれています。他の2つのブルーチーズは牛乳で作るのですが、ロックフォールだけは羊乳で作るので、とても貴重な存在と言えます。ロックフォールと名乗ることのできるチーズは非常に限定されていて、フランス南部ミディ・ピレネー地方アヴェロン県のコンバルウ山の麓にある「Roquefort-sur-Soulzon ロックフォール・シュール・スールゾン」という人口700人足らずの小さな村の地下に広がる洞窟で熟成されたチーズのみが「ロックフォール」と名乗れます。その誕生は今から2000年も前。「羊飼いの青年が、洞窟に昼食のパンとチーズを置き忘れ、数ヶ月後に行ってみるとカビのついたチーズを発見!(゚O゚:)\ 食べてみたら 、この世のものとは思えない美味しさだった\(^Q^)/」というエピソードが残されています。厳しい山岳地帯のラコーヌ種の羊乳から作られ、石灰岩の洞窟で熟成されます。自然に吹き込む湿った風が熟成に重要な役割を果たすと言われています。 | こちらは、「Bleu d'Auvergne ブルー・ドーヴェルニュ」。オーヴェルニュ地方の牛乳製青かびチーズです。サレール種の牛から搾乳した乳を使うので味が芳醇になっています。オーベルニュ地方はフランス中部にあり、大半が山地で、ヴォルヴィックやヴィッテルといったミネラルウォーターの湧水地としても有名です。 |
「こちらは、シェーブルチーズ(山羊乳製のチーズ)の一大産地であるロワール地域で作られます”セル・シュール・シェル Selles sur cher”でございます」 | 「おおっ!(^O^)\ この素焼きのココット入りのチーズは? 見るからにやらかそうで、スプーンですくいたい衝動に駆られます」「サン・マルスラン・アフィネでございます。”アフィネ”とは、熟成タイプのことで、外側は薄めの外皮と白カビで覆われ、中身はクリーム色。熟成するとトロトロになり、全体が溶けてきて、塩味とクリーミーさが濃厚な味わいになります。スプーンですくって食べるのです。以前は山羊製が主流でしたが、現在は牛乳製が多いです。サン・マルスランは、ピラミッドのあるヴィエンヌの町が属するイゼール県で産する有名なチーズでありまして、ピラミッドでは”Fromage de Isere フロマージュ・ドゥ・イゼール”とも呼ばれていました」 |
「こちらは、軟質チーズの表面に白カビを生やして熟成させる”カマンベール・ド・ノルマンディー”でございます。”カマンベール Camembert”は、フランス北西部オルヌ県アルジャンタン郡ヴィムーティエ小郡の人口200人程の村ですが、カマンベール・チーズの発祥地として国際的に有名です。 日本でもカマンベール・チーズはいくつも生産されていますが、伝統的な製法で産地や原料となる牛乳を厳しく定めたAOC(原産地呼称統制)にのっとって作られる本物のカマンベールは”カマンベール・ド・ノルマンディー”という名前がついているのです。AOCの規定では生乳(無殺菌乳)の使用を義務づけているので、無殺菌乳でのチーズの製造は認められていない日本のカマンベールに比べると風味が強く、熟成すると相当強烈な匂いがします」 | 「こちらは、ブルゴーニュ地方のチーズで、エポワースといいます。表面を塩水や地酒で洗いながら熟成させるウォッシュタイプです。匂いがきついので、”癖のあるチーズ”というイメージがありますが、食べると意外に穏やかな味で、漬物という発酵文化のある日本人には馴染みやすいかもしれません」 |
「こちらは、アルザス・ロレーヌ地方の南側、フランシュ・コンテ地方とアルプスに近いジュラ山脈という山地で作られるチーズ”グリュイエール・ド・コンテ”でございます。山脈特有の気候風土が作り上げた美味しさと伝統を、酪農家、チーズ農家、熟成士が1000年以上にわたって守り続けています。直径50〜70cm、高さ8〜13cm、重さ30kg〜50kgの大きな円盤型で、ハードタイプです。1つのコンテを作るには500リットルのミルクが必要なため、13世紀頃から、農民たちはミルクを持ち寄って共同でチーズ作りを行ってきました。現在は3400の農家が200のチーズ製造所にミルクを提供しており、熟成専門家は約20軒です。比較的クセの少ない風味で、さわやかなナッツのような香りがあり、そのまま食べると良質のミルクの美味しさが楽しめます。最初は少し苦味を感じられるかもしれませんが、かみしめると深いコクが出てきますよ。フランスチーズの中で最も生産量が多く、フランス人の40%が毎日食べていると言われています」 | 鮮やかなオレンジ色が特徴の「ミモレット Mimolette」は、フランス北部とベルギー南西部の国境あたり、フランドル地方で生産されるチーズです。熟成が3ヶ月=若い、6ヶ月=半分古い、12ヶ月=古い、18〜24ヶ月=特古と区別され、熟成が進むにつれて身がしまって硬くなります。始めは味もあっさりめでマイルドですが、12ヶ月の熟成になると、ねっとりとしたコクやナッツのような風味が出て、旨みも濃くなります。そして24ヶ月熟成にもなると、風味はさらに奥深く、上質で濃いビターチョコレートを思わせる苦味も混じり、複雑で重層的な味になっていきます。旨みが濃いので、薄くスライスして食べます。 |
「こちらもカマンベールと同じノルマンディー地方のチーズで、Livarot(リヴァロ)といいます。原料は牛乳で、熟成する時にチーズの表面を塩水で洗うのですが、この製法のチーズをウォッシュタイプといいます。はっきり言ってカマンベールよりも臭いがキツイので、日本人には苦手な人がいるかもしれません。お味の方はと言うと、チーズ特有の酸味がなく、風味が豊かでとても美味しいのです」「おっ? チーズの側面にテープが?(^O^)\」「このチーズは、側面に型崩れを防ぐ目的で、葦(あし)の一種を5列巻きつけていました。その5本線が有名になり、軍人の階級を表す「コロネル(=大佐)」というニックネームまでつけられるようになったのです。今でもその名残として、レーシュ(蘭草)か紙テープが巻かれています」 | 「おおっ!?(^O^)\ このピラミッド型のチーズは?」「こちらは、Puligny saint Pierre(プーリニ・サン・ピエール)といって、”ピラミッド”とも”エッフェル塔”ともニックネームで呼ばれているシェーブルでございます」「シェーブル?」「シェーブルとはフランス語で山羊(ヤギ)のことです。山羊乳を原料として作られたチーズのことをいいます。その歴史は牛乳製のチーズより古く、フレッシュなタイプからハードなタイプまで作られています。山羊乳独特の風味がありますが、なかでもフレッシュタイプのものは穏やかで、山羊乳特有の爽やかな酸味が楽しめます」 |
Fromages フランス産チーズ 2000円 |
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「カマンベールとロックフォールとセル・シュール・シェルとプーリニ・サン・ピエールをください!(^O^)/」 | |
マダム・ポワンは、ニッコリ笑ってうなずき、ヴァンサンに何か言った。ヴァンサンは2種類のチーズを切り分けて、それぞれ辻静雄と妻の皿に載せた。 |
左は、付け合わせのライ麦パン(クルミとレーズン入り)とイチジク。右がカマンベール・ド・ノルマンディー。 | 上2つはヤギのチーズ。左がプーリニ・サン・ピエール、右がセル・シュール・シェル。下はロックフォールと付け合わせのアンズとナッツ類。 |
1つは表面が白で、もう1つは、やや灰色をしていた。マダム・ポワンは自分には別のチーズを切らせた。 |
おっ!(^O^)\ いい感じでとろけ出ていますね。このように芯が無くなって全体がペースト状にとろける頃が一番の食べ頃なのです。”本物中の本物”AOCカマンベールが誕生したのは1790年のフランス革命時だと言われています。イギリスに逃亡を企てた修道僧が逃亡途中にノルマンディーの農家に身を隠し、農婦マリー・アレルに、当時パリ近郊で作られていた「ブリー」というチーズの作り方を伝授し、それ以降カマンベール村で作られるようになりました。表面の白カビによって表面熟成させ、上品でマイルドな独特の風味が生まれます。柔らかくトロリと溶ける舌ざわり(^Q^) まろやかな味です! | 次はAOCロックフォールをいただきましょう。AOCに認定されるには、「ロックフォールの原料となる羊の乳は、スペイン国境近くのピレネー山麓のバスク地方からボルドーのあたり、またはラングドック、コルシカ、プロヴァンス地方から生産されるかなり良質な乳を使用すること。青カビはロックフォール・シュール・スールゾン村の洞窟で自然に取れた青カビのみを使用すること」と指定されています。 何故これほどまでにこの地方の洞窟にこだわるかというと、何億年にも渡る雨の侵食によって、山が崩れた岩の積み重ねで出来た自然の洞窟には、煙突のような亀裂があり、そこを通り抜ける「フルリーヌ」という湿った風が外の空気と洞窟内の空気の入れ換えを行なっています。そのため洞窟内はチーズの熟成に適した気温と湿度が一年中保たれるというわけです。その味は、刺激的でシャープな青カビの風味。塩味も強めで、後から羊乳の独特のバターのようなコクがしっかりと感じられ、なめらかな舌ざわりが楽しめます(^Q^) |
一つは表面が白色で、もう一つは、やや灰色をしていた。マダム・ポワンは自分には別のチーズを切らせた。 「白い方がカマンベールといって牛乳のチーズ。灰色の方がロックフォールといって羊乳のチーズ。どちらもとてもオーソドックスなチーズだから食べてごらんなさい」 辻静雄は、まずカマンベール・チーズを食べた。白い皮の中身は溶け出しそうな柔らかいクリームのようで、とても美味しかった。しかし、ロックフォール・チーズには少し苦労した。このチーズも灰色がかった皮の中身は柔らかいクリームのようだったが、味にちょっとしたクセがあったのである。この味は何だろうと考えていると、マダム・ポワンが言った。 「ロックフォールは食べにくかったようね。それではそのチーズがどうして出来たか教えてあげましょう。昔、羊の群れを探しに出たロックフォールという村の一人の牧童が、村の洞穴の中でパンと羊乳のチーズの昼食をとった時、その洞穴の中に食べ残したチーズを忘れていったのよ。そして何週間後かに、またその洞穴へ行ったら、そのチーズの中には一面に緑色の青カビが生えていて、食べてみたらとても美味しかった。つまり、洞穴内の湿度と温度が偶然のイタズラをして、世界一の青カビチーズを作り上げたというわけなの。それで、今もその村の洞穴で同じようにして作られているのよ」 「青カビの味だったのか」と辻静雄は思った。 |
「慣れれば何でもなくなるわよ」とマダム・ポワンは笑い、それから自分の皿の上のチーズを指して言った。「これも食べてみる?」 「ええ」と辻静雄は言った。青カビを食べてしまった以上、何であれもう破れかぶれだった。だが、彼女が自分の大きな塊から切り分けてくれた一切れを口に入れてくれた瞬間、吐き出したいほどの後悔におそわれた。鼻をつまみたくなるような異様な匂いがして、歯ざわりはパサパサしてマルセル石鹸を食べたようだった。彼は息を止め、匂いを嗅がないようにして無理矢理それを喉に呑み込み、急いでグラスの水で口を洗った。 「ヤギのチーズよ」とマダム・ポワンは可笑しそうに笑って言った。「これも慣れれば美味しいと思うようになるわ」 辻静雄はやがてロックフォール・チーズは美味しいと思うようになり、牛乳を使ってロックフォール・チーズと同じ製法で作るブルー・チーズと共に最も好きなチーズの一つとなったが、このヤギのチーズだけは食べられるようにならなかった。 「フランスにはどのぐらいチーズがあるんですか?」と辻静雄は聞いた。彼はチーズというのは牛乳からばかり作るものだと思っていた。しかし、羊乳からも山羊乳からも作るのだとすれば、50種類ぐらいはあるのだろうと思った。すると、マダム・ポワンは言った。 「ドゴール大統領がマスコミに失政を責められた時の有名な弁明を教えてあげるわ。フランスには400種類のチーズがあって、国民はそれを銘々勝手にあれが好きだ |