長沢節

(1917.5.12−1999.6.22)

1917(大正6)年5月12日福島県会津若松生まれ。本名・昇。文化学院美術科卒。
戦前戦後を通して、イラストレーターの第一人者として活躍。戦時中、長沢さんの描く女性は常に痩せこけており、軍部から「不健全な美人画家」として執筆停止を言い渡されてしまう。幸い、強度の近視のため召集されることなく終戦を迎えた。1954年、「セツ・モードセミナー」開校。ファッション界、出版界、広告界で活躍する第一線のクリエーターたちを多数送り出している。1960年、パリコレを見るため渡仏。翌’61年までパリに滞在。以来、パリコレの常連となる。帰国後、パリのオートクチュールに対抗して日本のプレタポルテ運動を展開し日本初のファッションショーを企画したり、男女の枠を取り払った「モノセックス」という考え方を提唱したり……常にラジカルな活動を続けた。1971年から「装苑」で始まった映画評「セツ・シネマセミナー」は、27年の超ロングランとなった。

長沢節さんの本
タイトル 出版社 価格
新版デッサン・ド・モード 美術出版社 2800円
わたしの水彩 2800円
長沢節と風景たち 4800円
大人の女が美しい 草思社 1200円
セツの100本立映画館 1550円
弱いから、好き。 文化出版局 1240円
あいまいな色が好き。 1600円
美少年映画セミナー 角川書店 1200円
長沢節さんに関する本
タイトル 著者 初版発行日 出版社 価格
NEW!セツ学校と不良少年少女たち絶版 三宅菊子 1985年1月12日 じゃこめてい出版 980円
長沢節物語 セツ・モードセミナーと仲間たち絶版 西村勝 1996年10月24日 マガジンハウス 1700円

NEW!

金子功さん、「大人の女が美しい」について語る。

1972年5月、金子さんは初めてのコレクションをした。
「あの初めてのショーを長沢先生が、よかった、って言ってくれたんだよね。僕はこわくて、先生の顔も見に行かなかったら、花井(幸子)さんが教えてくれたの。その年、お化けみたいなイヴニングを出したんです。イヴニングなのにブラウスも着て、腰巻も巻いて、とにかくいっぱい着込んだような。それを長沢先生が、量のバランスがいい、とてもキレイだった、って言ってるよ――花井さんからこれきいて、躍り上がる気分でした。」
それから何年も後、ピンクハウスの組織と資本が変わって初めてのショーのとき。(’81年春夏コレクション)
「この年の僕は孤立無援みたいな気分で、とても心細い半面、やるぞ、みたいな大頑張りのとき。先生の本(「大人の女が美しい」)の中に、そのショーのことが書いてあったんです。あんなに嬉しかったことないね。奮い立たせる、人を助ける言葉だと思いました。あの先生の本が、だから僕の勇気の源だね」

三宅菊子「セツ学校と不良少年少女たち」より


長沢節さん、「金子功のいいものみつけた(’79−’81年版)」と「ピンクハウス’81春夏コレクション」を語る。

私のところにはいろんな婦人雑誌の類が送られてくるのだけれど、なにげなくふとみつけた中で、毎号が楽しみになってるコラムなどもあって、その一つがかつて「アンアン」に連載されていた「いいものみつけた」(’79−’81年版)という金子功のコラムだった。いつごろから続いていたのかはよく分からないが、ファッション・デザイナーでありながら自分の作品を売り出すことは二の次とし、自由な発想でただ美しいものをあらゆるところから拾い出してくるところがまことに面白かった。
やたらに自分を売り出すことばかりが習慣となっているファッション界の人たちとは思えない自由さなので、私は、彼のファッション・ショウなどより、むしろこっちがホントの金子功なんだなと思うようになったのだ。
たぶん彼のあまりにも耽美主義的な作品のせいだろう、彼のピンクハウスが一時は危なくなって、彼のファッション・ショウはもう日本では見られなくなってしまうのだろうかとさえ思ったことがあった。その後何シーズンかを休んだあとで不死鳥のようによみがえったのは、今年の春からだった。しかし以前の耽美主義は相変わらずでホッとさせながら、彼のモチーフには大きな変化が表われている。つまり「美しい女性」の年齢が、以前の二十歳代から三十歳代にぐっとあがってきていることだ。だから以前の、とかくかわいらしい西洋人形ぶりが、生なましい女に変身して、急に目の前に立ちふさがった感じなのだ。私はそこに彼のコラム、「いいものみつけた」が力強く刻みこまれているのを素早く見てとったのである。
若さが失われることでの美しさ、つまり、若さのせいでない、人間そのものの美しさのようなものが真のエレガンスというのなら、それが金子功の新しい発見ではなかったかと思った。彼、ムダに休んでたのではなかったのである。
派手さがその色や形からすっかり消え失せた代わりに、女の性の香りが全体のグレイ調のモヤの中にかなり強烈に閉じこめられていた。それは今までの彼の仕事にはついぞ見られなかったもので、三十代の女が、ニ十代の女などよりこんなにも美しいものなのかと改めて見せつけられたわけである。
私はふと、金子功が他の男性デザイナーに比してこんなにも女になれる……という点を面白いと思った。パリも含めて、現代を彩る男のファッション・デザイナーたちときたら、彼らがホントに女を愛し、女を美しいと思っているかどうかはきわめて疑問としなければならないからである。
・・・・・・中略・・・・・・
つまり男性デザイナーは、女を美しくしたい、女の美しさをひきだしたい、というよりも、自分を美しくデザインしたいというのが常に強烈なホンネなのだ。そこがスキャンダルになってしまうのであって、「俺が俺が」としゃしゃり出た男の作品なんかスキャンダル以外の何ものでもないであろう。金子功には男のくせに珍しくそれがないから、そこが彼の長所でもあり、ときにマスコミ受けをする強烈さがともなわないということで、欠点にもなっているのではないだろうか。

「大人の女が美しい」(1981年11月2日 草思社発行)より

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