白洲正子

1910年、父・樺山愛輔、母・常子の次女として、東京に生まれる。祖父は維新で活躍した樺山資紀伯爵。6歳で2代目梅若実に入門、お能を習いはじめる。10代をアメリカの学校で過ごし、帰国後19歳で白洲次郎と結婚。白洲次郎は終戦にあたり吉田茂首相の秘書となって活躍。このころから小林秀雄や青山次郎、河上徹太郎ら文士と多く交流。執筆のかたわら、銀座で染織工芸の店「こうげい」を経営。多くの染織作家を発掘し、その指導に努める。1998年12月26日、88歳で逝去。東京・町田の自宅「武相荘(ぶあいそう)」が記念館として2001年10月にオープンした。

金子さんは、装苑1995年1月号で『ほんとうは、人がいけた花を見るのが大好き。「ミセス」に掲載された白洲正子さんの花はすばらしかった。』と語っている。これは、白洲正子さんが、1984年1月から12月まで、「ミセス」に季節の美と趣向を連載していた「日々録」という作品である。

「日々録」 一月「松かざり」
日々録
1月 松かざり
2月 節分
3月 三月三日
4月 花のかたみ
5月 業平の面影
6月 市女笠
7月 七夕花扇
8月 羊歯の緑
9月 彼岸
10月 重陽
11月 志おとろへし日
12月 冬ごもり
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