アンアン1970年10月20日号(No.15)
立川ユリ物語

Inge

ドイツの少女が汽船(ふね)に乗ったのは16年前だった

6年前、4月。日曜日のことだ。その日は、朝から激しい雨だった。彼は数時間まえから窓ごしに舗道をみつめていた。やがて、彼は、つぶやいた。
――来るはずがないじゃないか。
かたわらの椅子に、ゆっくりと彼は腰をおろした、そのとき、だ。クルマの急ブレーキの音。もしか…いっぱいに荷物を詰めこんだ車の中からころげ落ちるように、ひとりの少女が飛びだしてきて、振り向いた。ユリだ!
――数日まえ、ユリは”金子さん”と逢った。
ふたりきりで逢うのははじめてだった。
「金子さんのこと好きなの」とユリはいった。
「いっしょに住もうか」と彼がいった。 「ウン」 それだけの会話で決まった。日曜日に下北沢の彼のアパートに行くことを約束したユリ。
その日から”ふたり”の生活がはじまった。彼はフードのついたウエディング・ドレスを縫いはじめた。いっしょに暮らしはじめてから半年め、ふたりは結婚式をした。
立川ユリ……8歳のとき、母と妹と汽船に揺られて日本へやってきた。海の色が底までのぞけるように青かったことを覚えている、とユリはいう。


リンゴ

「あ!」 ユリは小さく叫んで、金子サンの腕を、ぐいと引っぱる。走る。道の向こうがわの八百屋の店先まで。
一山100エンのリンゴを買って、あのパッと花が咲いたような笑顔。小っちゃくてぶかっこうなリンゴを見つけると、いつも不思議に感動する。
小さかったころ住んでいたドイツの家。庭にリンゴの木と、梨と桜んぼもあった。その根もとに、じゃがいもの畑。大きなニワトリが、いつもユリを追っかけた。ミュンヘンの近くの、クルムバックという田舎の町だった。
記憶のなかにぼんやりと霞んでみえる石造りの家。思い出がとつぜんあざやかによみがえるのは、あのころとおなじ味にめぐりあったときなのだ。
横浜のドイツ料理店で、昔食べたのと同じ牛肉とじゃがいもの料理を食べた。なぜかとてもすっぱいキャベツ。ユリは思い出を食べたくて、よくこの店に通った。でも、店のおばあさんが死んでからは、すっかり味も変わってしまった。


まっくろ

ドイツの子どもたちは、すきとおるような白い膚と、緑の目と、白いほどの金髪。そのなかにいてユリとマリはまっくろな子にみえた。髪も目も黒い、ほかの国からきた女の子。
日本にいると、ユリの白い膚と、ヨーロッパの匂いのする瞳とが、やっぱりほかの国の女の子のような印象を与えることがある。ユリはいつも別世界の住人なのかもしれない。
ユリの世界――それは、美しく装うこと、より美しい存在であること、だけがすべての世界。まっくろな女の子だったころから、ユリはそんな世界を知っていた。
「いつも家にいて、ママに髪をとかしてもらうのが大好きだったの。頭のてっぺんに大きなリボンつけて……リボンがとっても好きだったの。」
お祭りの日は、ママに縫ってもらったししゅうの服でパレードに行った。
広場には、ホットドッグの屋台や、メリーゴーランド。ユリを乗せた木馬がグルグル回ると、スカートのししゅうがキラキラ光って、髪につけた花冠(はなかんむり)も揺れた。そんなときのユリは、だれよりもしあわせそうに笑っていた。


ファッション・ショー

ユリはじっと息をこらして見つめていた。モデルたちが歩くと、きぬずれの音がきこえた。香水の匂いが漂っていた。ユリの小さな心臓が、大きく、速く鳴った。こんなにも美しい世界。ユリも、あの人たちみたいになれたら……。モデルに、なろう。大きくなったらぜったいに!
その晩、ベッドの中で、ユリはファッション・モデルになった夢を見た。―――クルムバックの町に来た小さなファッション・ショー。ユリは5歳か6歳だった。


小人(こびと)

横浜の港に、日本のおばあちゃんや親類の人たちがいっぱい迎えに来ていた。ユリとマリは小声でささやき合った。
「ね、この人たちどうしたんだろうね。大人なのに、小っちゃくて……小人かもしれないね。でもあたしたちのおばあちゃんだよ」
――どうしてか知らないけれど、パパとママはいつも喧嘩をしていた。ママはユリとマリを連れて日本へ帰ってくることになったのだ。
汽車で、アルプスを越えてイタリアのジェノバまで。そこから船に乗った。パパはジェノバまで送ってきた。汽笛が鳴ると、マリがわァわァ泣いた。岸壁に残ったパパも、泣いてるようだった。
ユリに残った思い出は――雪の朝、暗いうちに起きて、窓から外に出て、ドアの外に積もった雪を掘ってくれたパパ。
それから、”小人の国”に来たユリとマリ。
「日本のお家は靴を脱いではいるのね。ドアが紙でできてる!」
障子、ふすま、珍しいものばかり。よく、この紙のドアに穴をあけて、おばあちゃんに叱られた。


制服

横浜のサン・モール学園。ユリは2年生に、マリは1年生に通い始めた。
学校はあまり好きではなかった。グレーの制服を着なければならないし、髪にリボンをつけると叱られるから……。サン・モールにいたのは16歳、”9年生”のときまで。
大きくなるにつれて、おしゃれな少女に育っていったユリ。ときどきマスカラをつけて学校へ行った。逆毛をいっぱい立てて、ふくらんだ頭にして行ったら、
「いますぐお手洗いに行って、ちゃんとペシャンコにしてらっしゃいッ!!」
と叱られた。それでも、次の週にはまた逆毛を立てて行く。先生に見つかるまでの、ほんのわずかの時間でも、ふわっとした髪にしていたい。
家に帰ると、大急ぎで制服を脱ぎ捨てる。フーセンみたいに広がったスカートが流行(はや)っていて、それが大好きだった。お気に入りの服に着かえると、ユリはやっと自分がほんとうのユリになったような気がするのだ。


べラ

優等生は胸に花の形のバッジをつけるのだった。ユリは、そんなバッジをもらったことがない。数学がきらいで、あんまりわからないので、先生の隣に座らされたことはあるけれども……。
いつもバッジをつけていたのは2クラスほど上にいた入江美樹さん。勉強ができたって尊敬はしない。でも、ユリは彼女を尊敬していた。もちろん、”モデル”だからだ。ときどき、べラは学校を休む。
「あの人、お仕事なのね……」
うらやましいと思った。息がつまるくらい、うらやましかった。


仕事

学校から帰ると、おしゃれして元町のジャーマンベーカリーへ行って、アイスクリーム食べて。そんなユリに、ある日近所に住んでいたおばさんから、思いがけない話が――。
「わたしのところへきて、やってみない?」
その人は、ファッション・モデルのクラブの人だった。
ユリの初仕事は「週刊女性」。ギャラをもらってとても嬉しかった。たしか1,500円で、税金を引くから1,350円。
初めてのファッション・ショーはとてもこわかった。デパートの、小さなショーだったのだが、朝から心配で何も食べられない。時間が迫るとドキドキして「急に中止になればいいのに」と思った。
とうとうユリの番がきてしまった。ステージに出ると、客席にいるママとマリが見えた。それでやっと安心して、ちゃんと優雅に歩くことができた。小さいとき、クルムバックで見たショーのモデルより、もっと優雅に。


洋服

いろいろなデザイナーとも知り合いになった。ユリは自分の服をコシノさんに作ってもらっていた。マリは金子さんという若い男のデザイナーに。
「金子さんの方が安いわねェ」
洋服が1枚でもたくさんほしかったから、ユリも金子さんにした。
彼はそのころ、ユリとマリの姉妹を、「いいモデルだな」と思っていたそうだ。


イタリアン・ガーデン

ある日、仮縫いをしながら、金子さんがきいた。
――いつも、どこで遊んでるの?
「イタリアン・ガーデン。こんどこない?」
次の土曜日、彼が友だちといっしょにやってきた。なぜかユリはつまらなかった。金子さんがひとりで遊びに来ればいいのに、と思った。
次のときも、金子さんは友だちと来た。そして3回めのとき――縫いあがった洋服を届けにきた彼は、ひとりだった。
次の週から、ユリは金子さんといっしょに暮らすようになった。


ガラス

ふたりで、京都に行った。裏通りの骨董屋で見つけた伊万里の鉢。小さな青い小皿。手つ゛くりの、古い古いガラスの皿。
きれいだな、と思った瞬間、ふたりは顔を見合わせる。ひとこともしゃべらなくても、ふたりがほしいと思うのは同じお皿なのだ。
それから、瓢亭へ懐石料理を食べに行ってみた。おいしいのと、高いのとで有名な店。金子さんがそっとポケットの中を調べてみると――もうお金は残り少なくなっていた。ドキドキしながら、ビールもがまんして。ちっともおいしくなかった。次の日、骨董屋へ行って、ガラスの皿を半分引きとってもらった。返ってきたお金で、帰りの汽車の切符を買った。
――16世紀ふうの大きなベッド。繊細な浮き彫りのあるサイドボード。ユリが金子さんのお誕生日に買ったスペインの古い椅子。きれいなものをみつけると、むしょうに買いたくなってしまうふたり。ときどき、両方のお金を合わせても500円くらいしか残ってないことだってある。
いつか、ルイ王朝ふうの寄せ木細工の大きな棚を買ったとき。届いてみると、天井の高さよりずっと高い。金子さんはすぐ大家サンのところに飛んで行った。――天井に穴をあけてもいいですか?
大家サンは、夜中によく夢を見る。2階の床が抜けて、樫の木のベッドや寄せ木の棚が、どさどさっと落ちてくる夢。


ユリの細くしなやかな手が、赤く腫(は)れあがってしまった。医者は、「なにか考え込んでいますね」という。
3年まえ、金子さんがパリに行って、ユリがしばらく独りだったときのことだ。半年くらいたってから、ユリが行くはずだった。
毎日、寂しくて泣いた。いっしょに住むようになったころ、毎日金子さんが仕事で出かけて、夜中すぎまで帰ってこなかった。あのときも寂しくて、ユリは怒ってドアに鍵をかけて、閉め出しの罰を与えたことがよくあったけれど―――パリと日本では、もっともっと独りだ。
ユリはパリに飛んで行った。金子さんの顔を見てわァわァ泣いて、翌朝目が覚めたとき、手の腫れはあとかたもなく消えていた。


写真

立木義浩さんが撮影に来て、ライトを忘れて行った。
ある晩、ユリはありったけの服を出して、次々に着かえ、お化粧もいろいろ変えて、金子さんのまえでポーズをつくった。金子さんが、「横をむいて!」「もっと昔の女みたいな顔!」とカメラマンみたいに命令して、たったひとつあるカメラで写真を写した。ユリがオイル・アイロンでくりくりのカールをつくる。忘れていたネックレスを出してデシンの服に合わせてみる。
何枚も何枚も撮って、気がついてみると窓の外に朝がきていた。


黒猫

香水が30種類ほども。飾り彫りのついた古いヨーロッパの化粧品。大きなびんや指先くらいの小さなびん。香水のむこうの鏡の中にユリがいる。大きく口をあけて、鼻の下の皮膚を思いきりのばして、クレンジング・クリームをすり込んでいる。そして痛いくらいにきゅッきゅッと拭きとる。
――これが、ユリの洗顔。お湯や水や石けんは使わない。お風呂には、1日1回。なぜかお風呂場中をびしゃびしゃに濡らしてしまう。
昔、立木義浩さんが住んで、そのあと宮崎定夫さんが住んだというアパート。家族は、ユリと金子さんと黒猫のルル。隣の部屋にユリのママが住んでいる。
ユリがいちばんユリらしい顔で笑う場所、そして、ユリの美しさを創る場所。それが、このアパート。古い家具、クッション、すべてが”美しいもの”だけで統一されている。その中で、ユリはいつもそのときいちばん好きな服を着て――でなければ、ハダカで、歩きまわっている。
――ユリがいちばんユリらしい顔で笑うとき。それは、金子さんがつくった服を、金子さんのために着てみせるとき。


NEW!

赤ちゃん

日本語が上手でないユリと、英語を話さない金子さんと……。でも、ふたりの会話には、ことばが要らない。美しいものを創ること、発見すること、より美しくあること。それが、ふたりの会話なのだ。
ほかに、たったひとつずつ、大切な単語。「インゲ」これはユリのほんとうの名前。金子さんはユリをこういって呼ぶ。
ふたりきりのとき、ユリは金子さんを「スヌキ」と呼ぶ。ドイツ語でそれは、”赤ちゃん”という意味だ。

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