旅日記
八月四日
スカイライナーはコンクリートの森を抜け、郊外の一面の緑の中を疾走し、成田空港へ向かっていた。窓際に座っている平松先生は大好物のエビスビール(「胡」がエビスとも読めるので、親近感を持っているが)を私に渡してくれた。「先生、飲みましょう」と一言。電子レンジで(調理?)された人参とできあいのサンドイッチは前の座席の背もたれについている小さなテーブルに並んである。「紅色之旅」という芝居の緞帳は既に上がっていた。
八月十一日
七十年代に仕込まれた中国語を操るガイド小玉さんを先頭に、役者二十三人は延安を目指して、革命聖地巡りの旅に出かけた。これ以上簡単にできないほど薄っぺらの脚本しかなく、リハーサルもない芝居の一幕一幕の場面転換は目まぐるしく行われ、楽屋で一服する暇もなかった。そのお陰で、自分はどんな台詞をしゃべったか、舞台の上でどのように動いたかもはっきり覚えていない。ただ、その幾つかの場面のト書きは朧に脳裏に蘇える…
革命の聖地を巡る旅の宿月冴え渡る錦江の夜
西門の真横にそよぐ柳の木今ぞ征でたつ勇士見送る
だらだらとだらだら坂を登りつつ馬も居眠り参道をゆく
悠揚な笛の調べも鐘の音も届かぬ思いのすべて銭金
老夫婦の懐かしき歌響き渡る宝塔山今も不動の古塔
宝塔を映し得ずして延安の延河の中洲茂る青草
ピカピカの自転車をこぐ少年の頭にかぶれるは破れる草帽子
青々と広がる畑老農は黄土の大地独り耕す
黄土色の斜面に見えし木の根本細きその根は強く土抱く
小玉の西瓜タイムに一休みしみいる甘さ子供の笑顔
九泉の下で静かに景帝を守る騎馬兵異人の姿
陽陵の欠けた鏡に映りしは宮女の姿か武士の兜か
陽陵の鈍く輝く銅鏡に幾千年の興亡映る
「紅色之旅」の幕がアンコールの拍手もなく下りた。
観衆と思われた人々はそれぞれ自分の芝居に熱中しているので、誰もこっちの芝居がもう終わったことに気づかなかったほどだ。
我々は驚嘆、感動、感激などを満喫した後の心地よい脱力感に酔いながら、各自の楽屋に戻る。次の芝居の準備、いや、芝居そのものにとりかかる。
間接照明の柔かい光に照らされ、藤の椅子に足を投げて座り、平松先生と木野井先生に教わった飲み方で、ビールにウイスキーを何滴かたらしてゆっくり味わった。コクのあるビールにピリッとした香りが微かに口に広がる。旨かった!
劇終
日中学院創立50周年記念旅行(2001.8)Bコース記念文集より
師団長(小玉さん)と従卒