アイスクリーム

「アイスクリームを絶つことにした。」

 T先生とWさんの禁煙と交換にアイスクリームを一年食べないという自虐的な約束をしたのは二年前のことだった。

 T先生とWさんの禁煙はあっさり成功したが、私の禁アイスクリームは一帆風順とは言えなかった。いろんな人に「賭けでアイスクリームを絶った」と言い、自分から逃げ道を塞ぎ、友人のからかい半分の励ましをもらいつつ、難関を乗り越えようとしたのであるが、何回も禁断症状が出たほど辛かった。

しかし、禁煙中のお二人に「無理にしなくてもいいよ」と逆に労わられて、かえって闘志が燃え、とうとう解禁日を迎えることができた。解禁記念として、サンシャインの何とかタウンでたっぷりアイスクリームとシュークリームと餃子を御馳走になった日は、しみじみ幸せを感じた。

 一年ぶりの涼しい喉越しは、私に懐かしい天津でのアイスキャンディを思い出させた。

 文革時代、お酒やタバコなど大人の味を全然覚えるような環境になかった天真爛漫?(両親にはそう映っていたにちがいない)な少年にとって、夏は、アイスキャンディのためにやってくるようなものだった。

 今の中国の「小皇帝」が口にしているアイスクリームとは全然比べ物にならない素朴な味だったが、その味を思い出しただけで「中国の味がする」(私にとって美味しいという言葉の同義語であるが)ように思われ、心が満たされるような気がする。

 小さい時はどれぐらいお小遣いをもらっていたのか、はっきり覚えていないが、三分銭(0.5円ぐらい)で買えたアイスキャンディは、食べたい時に食べられたと思う。もちろん、五分銭のもあったが、それは、習字はよくかけたとか、毛沢東語録をよく暗記できたご褒美だった。

しかし、五分銭をもらった場合、他の「小朋友」は三分銭のアイスを食べているため、みんなと同じものを食べたほうが美味しかったので、もらったアイス代は全部三分銭のほうに使ってしまった。

 天津訛りたっぷりの「小豆アイスキャンディ、一本三分」の売り声は、夏の風物詩だった。聞くだけでも、温度が何度も下がったような気がしたものだ。

 売る人は何故かおばあさんやおばさんが多かったが、おじいさんもいた。たまに唾を飲み込みながら、アイスキャンディを売っている子供もいた。学校のコピー機の半分ぐらいの大きさの押し車で売ってくる。夏なのに、布団のようなものを何重にもかけてあり、そこから湯気?を立てているアイスキャンディを取り出すのを見て、大変不思議に思ったものだ。お金を払うと、アイス売りは素早い手つきで布団の中から取り出してくれる。

 「小豆」の他に「水果(果物)」のと「ミルク」のがあるが、「水果」と言っても別に果物の果肉も入っていないし、「ミルクキャンディ」は高いので、安くて噛み応えのあった小豆アイスキャンデーが、特にお気に入りだった。

 当時、噛むように食べる食べ方は男らしいとされていた。仲間の一人は、舐めるように食べるので、「お前は女か」としょっちゅうからかわれていた。日本に来て、アイスクリームを舐めて食べている男の人を見るとどうしても、女性的に感じてしまう。

食べ方も時代の推移によって変化していく。かじりにくいソフトアイスクリームが売られるようになった中国では、今どんな食べ方をしているか興味深いが、アイスクリームを食べる人をじろじろ観察するわけにもいかない。

 そう言えば、あの頃、週に一回ぐらい「ミルクキャンディ」は食べることができた。父が定休日の火曜日に私を連れて、天津の繁華街である「勧業場」にある「華清池」という銭湯につれて行ってくれたのである。バス停の近くに有名な料理店のアイスキャンディ売り場があって、向こうが休みでない限り、父はいつもアイスキャンディを買ってくれた。

アイスキャンディ売り場の近くに雑誌売り場やお菓子屋があって、そこで、少年雑誌やお菓子を買って「華清池」に行くのは「週中行事」だった。そのころ、幼稚園生だった私は寮生活をしていて、週一回しか家に帰れなかったため、それは、自分にとって火曜日は「ミルクキャンディ」が食べられる待ち遠しい火曜日だった。

今でもアイスクリーム売り場を通ると「小豆キャンディー、一本三分」という天津訛りの売り声が耳鳴りのように蘇り、気がついたらアイスクリームがずっしり入った買い物袋をぶら下げて、スーパーの前に立つ自分がいる。

それは今から数十年前。売れ残りを売りにくるアイス売りの売り声ときたら、恐らく日本語で言うなら「もののあわれ」としか言いようのない声だった。家庭冷蔵庫のなかった時代、アイスクリーム売りというのは天気のよしあしに左右されるリスクの高い商売で、売れ残りは、それだけ損となる。

時には、「二本で五分」というバーゲンセールもあったが、当時の子供にも、今の家庭主婦がスーパーの閉店間際に行くのと同じぐらいの知恵があった。

しかし、待ち切れず、早く買ってしまうことが多かったのも情けない話である。また、その売り声を聞きながら、サッカーをするのも忍びないため、情に負けて買ってしまうこともあった。時には、融けそうなアイスキャンディが棒から落ちる前に早く食べなければならないため、一気につめたいものを頬張って、頭の後ろが痛くなってしまうこともあった。

売れ残りのアイスクリームを食べるということは、つまり時間との戦いでもあった。

そう言えば、新幹線で売っているアイスクリームはなぜあんなにカチカチなのだろう。それに添えられた木かプラスチックのスプーンの頼りなさに憤慨したことは一度や二度ではない。

最初の一口に、悪戦苦戦した挙句、あきらめて、しばらく待たざるを得ない経験をしたのは私だけではないはずだ。

しかし、半分溶けかけた売れ残りのアイスも、カチカチになった新幹線のアイスもそれぞれの醍醐味があるアイスクリームは、本当に不思議な食べ物だ。

デパートの屋上では、恋人同士が楽しそうにアイスクリームを食べている光景がよく見られる。

そんな光景を眺めながら、ふと思った。大抵、ぼくは気の合わない人とでも、食事をすることは問題がないし、「一杯やろうか」とも言えるが、気心が知れない人には「アイスでも食べようか」とは言いにくい。そう言えば、一般に男性は一人でパフェを食べるのは恥ずかしいし、男二人で食べるのも妙な感じになってしまうのが残念だ。

何年か前に天津に帰った時、父とスーパー「寄蕃」(ダイエー)に買い物に行った。父は、アイスクリーム売り場で「お前が大好きなアイスを買おう。お母さんも大好きだから」と言う。確か、私が小さい時、父母はアイスを余り口にしなかったので、ちょっとびっくりした。

夕飯の後、三人で一つずつアイスを食べながら、昔話に花を咲かせた。「一緒に勧業場に行った時、君からもらった一口は実に旨かった。」としみじみに言う父。以前は「冷たいからあまり好きじゃない」と言っていた母も美味しそうに食べている。その瞬間、僕のアイスクリームコンプレックスの原因がわかったような気がした。アイスクリームに喚起される子供の頃の追憶は、そのまま家族、そして故郷の夏の時間へと僕をいざない、どことなく安心させてくれるようである。

ほんわりと涼しさ口にする度に
われも融けゆくアイスクリーム